上 下
38 / 38

38.エピローグ(シャルロット視点)

しおりを挟む
今日は私の十六歳の誕生日。
大人になる日。そして———あの方に嫁ぐ日。
「アルフィン様…」
その名を口にするだけでドキドキしてしまう。

どれほど今日が来るのを待ち望んでいただろう。
———自分がこんなに幸せな気持ちで大人になる日が来るなんて、一年前には想像もつかなかった。

あの日、好まない婚約者の元を訪れた帰り道。私は絶望の中にいた。
王女という存在が政治の道具になる事くらいは知っている。
王族や貴族の結婚は、互いに愛情などなくても成り立つ事も。
それでも一生あの男の側にいなければならないという事実は残酷過ぎた。

山の麓道を走る馬車が突然止まった。
馬の嘶く声、男達の怒号…。
盗賊に襲われたのだ。
恐怖の中で…わずかな救いを感じていた。
———このまま殺されてしまえばあの王子と結婚しなくてもいいのに、と。

一際大きな、悲鳴のような声が飛び交うと、突然馬車の外が静かになった。
やがて開いた扉から入ってきたのは一頭の獣だった。
真っ白な毛並みと、真っ赤な瞳を持つ、大きくて美しい獣。
不思議と恐怖はなかった。
しばらく私を見つめた後、その獣はそっと私に身体を擦り付けた。
まるで安心させるようなその行動と体温の温かさに…知らず涙が溢れ、私は彼に自分の境遇を語っていた。
一方的に喋り続ける私を見つめるその瞳は、全て受け入れてくれるようで。
思わずこのまま連れ去って欲しいなどど———今思えば突拍子もない事を口走っていた。
獣は困ったように首を傾げると…私に近づき、首元を舐めた。
そのざらついた舌に触れた箇所から———身体中に広がった未知の感覚。
それはあまりにも刺激的過ぎて、私は意識を失ってしまった。

目を覚ました時は自分の部屋のベッドの上で…あれは夢だったのかとぼんやりしていると、様子を見に来た侍女が悲鳴を上げた。
私の胸元に奇妙な模様が現れていたのだ。



鏡に向かって改めて印を眺める。
最初は得体が知れなかったこの印も…今ではすっかり愛おしいものになってしまった。
アルフィン様と夫婦になるとこの印は消えてしまうらしいのが少し残念かも…。
名残惜しくて鏡を見つめながら印を指でなぞっていると、侍女が今日の招待客が到着した事を告げた。

「シャルロット!お誕生日おめでとう!」
従姉妹のフローラと、婚約者のラウル様が部屋に入ってきた。
「フローラ!ありがとう…」
二人でぎゅっと抱き合う。

本来なら王女が成人を迎える誕生日は盛大に行うものだけれど、私は王女でなくなるし…貴族の中にはアルフィン様に対し悪い感情を持つ者も多い。
せっかくの場に不穏な空気はふさわしくないとお父様が配慮して下さって、今日の祝いの席は家族とアルフィン様、それにフローラ達だけで行う事になった。

フローラはとても綺麗で…不思議な娘だ。
初めて会った時、彼女は顔を隠した魔女として現れた。
私の身体に現れた模様が、あの時私を助けてくれた霊獣が私を花嫁にするために付けた印だと教えてくれて…しかもその霊獣———アルフィン様とは長い付き合いがあるという。
…正直、フローラがいなかったらアルフィン様との結婚は嬉しさよりも不安の方が大きかったと思う。
彼女が色々と教えてくれたり助けてくれたお陰で今日という日を迎えられたのだ。

彼女は見た目はお人形のように…いえそれ以上に儚げで美しいけれど、中身はとても気さくで優しくて、面倒見が良くて。
表情豊かで、笑顔はもちろん拗ねた顔なんて私でもドキリとしてしまうくらいとても可愛くて…お兄様を初めとして多くの殿方が夢中になってしまうのも良く分かる。
そういう殿方からフローラを護るラウル様は大変だと思うけれど、世界一の魔導師と謳われる方だけあって上手くこなしているようだった。


「これは結婚のお祝いよ」
フローラからリボンがかけられた小さな箱を手渡される。
箱を開けると中から出てきたのは水色と赤い色の…
「便箋?」
「そう、この便箋には魔法がかかっているの。手紙を書いて空に投げるとね、鳥になって水色の便箋は私に、赤はティーナの所まで飛んでいくの。困った事があったらすぐに送ってね」
ラウルに作ってもらったの。
フローラはそう言うとラウル様と顔を見合わせて微笑んだ。

「フローラ…ありがとう」
目頭が熱くなって思わずフローラに抱きつく。
「慣れるまで大変でしょうけれど…身体には気を付けてね」
———王宮を離れ、一人山の中へ嫁ぐ私の事をいつも心配してくれる従姉妹の優しさが…とても嬉しい。



しばらくフローラ達から山の生活について色々教わっていると、アルフィン様が到着した。
人間になったアルフィン様は本当に素敵で———初めてこの姿でお会いした時は思わず泣いてしまった。
あまりにも素敵な方だったのと…自分なんかでいいのかという不安。
私が一方的にお願いしたのに———アルフィン様は私を欲しいと言ってくれて…キスまでしてくれた。
とても優しくて、強くて…本当に私は幸せなの。

「シャルロット」
アルフィン様は私の前まで来ると、大きな身体を屈めて頬にキスをしてくれた。
…触れられた所から、あっという間に熱が顔中に広がってしまう。
心臓がドキドキして…もう駄目、アルフィン様のお顔が見られない。

「シャルロットはまだアルフィンに慣れないの?」
フローラがそんな私の様子を見ながら微笑む。
「今日からアルフィンとずっと一緒なのよ?大丈夫?」
———それは考えないようにしていた事だった。
お顔を見るだけでもドキドキしてしまうのに…常に一緒だなんて…私耐えられるのかしら。
「大丈夫じゃないわ…」
どうしよう。
「ねえフローラ、一緒に来て…」
「———それはさすがに…ねえ」
困ったような顔をしてフローラはラウル様と顔を見合わせる。
「まあ、初夜を迎えれば嫌でも慣れるから大丈夫だよ」
「ラウルっ!何て事言うの!」
「本当の事だし、ねえアルフィン」
「そうだな」
「もうアルフィンまで!」
ますます赤くなっていく私をフローラが抱きしめてくれる。
フローラにぎゅっとされると落ち着くのに…。


「ずいぶん賑やかだな」
お兄様が顔を覗かせた。
途端にラウル様が私からフローラを引き離すと自分へと抱き寄せる。
「そんなに警戒しなくともいいだろう」
「警戒するような事をいつもするからです」
笑顔のお兄様と険しい顔のラウル様が睨み合い、フローラがため息をつく。
…この光景を見るのは何度目だろう。
最初はラウル様にフローラを取られた嫌がらせなのかなと思ったのだけれど…どうもお兄様は本気でまだフローラの事を想っているらしいのだ。
———自分だって最近他国の王女様と婚約が決まったのだし、いい加減フローラの事は諦めればいいのに。

「相変わらずだな」
不意に頭の上からアルフィン様の声が聞こえて———肩に温かくて大きな…手?!
動けないでいると両肩に乗せられた手が前に伸びていき…背後からすっぽりと包まれるように抱きしめられてしまった。
ドキドキする…けれど伝わるアルフィン様の体温は温かくて…しばらくそうしている内に心臓の鼓動も落ち着いてきたようだった。
「やっと一緒に暮らせるな」
耳元で囁かれたその言葉に…アルフィン様も今日の日を待ち望んでいてくれていたのだと気づいた。
「……はい」
恥ずかしさを堪えて…アルフィン様の手に自分の手を重ねると私を抱きしめる腕に力がこもった。
嬉しさと恥ずかしさで頭がふわふわしてくる。

「何だもうイチャイチャしてるじゃん」
「ジェラルド様…眉間にシワが寄りすぎです」
聞こえてくる言葉も気にならないくらい…私は幸せに包まれていた。



おわり
しおりを挟む

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

バハドラ
2021.06.05 バハドラ
ネタバレ含む
解除

あなたにおすすめの小説

生まれ変わりも楽じゃない ~生まれ変わっても私はわたし~

こひな
恋愛
市川みのり 31歳。 成り行きで、なぜかバリバリのキャリアウーマンをやっていた私。 彼氏なし・趣味は食べることと読書という仕事以外は引きこもり気味な私が、とばっちりで異世界転生。 貴族令嬢となり、四苦八苦しつつ異世界を生き抜くお話です。 ※いつも読んで頂きありがとうございます。誤字脱字のご指摘ありがとうございます。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

旦那様、そんなに彼女が大切なら私は邸を出ていきます

おてんば松尾
恋愛
彼女は二十歳という若さで、領主の妻として領地と領民を守ってきた。二年後戦地から夫が戻ると、そこには見知らぬ女性の姿があった。連れ帰った親友の恋人とその子供の面倒を見続ける旦那様に、妻のソフィアはとうとう離婚届を突き付ける。 if 主人公の性格が変わります(元サヤ編になります) ※こちらの作品カクヨムにも掲載します

“用済み”捨てられ子持ち令嬢は、隣国でオルゴールカフェを始めました

古森きり
恋愛
産後の肥立が悪いのに、ワンオペ育児で過労死したら異世界に転生していた! トイニェスティン侯爵令嬢として生まれたアンジェリカは、十五歳で『神の子』と呼ばれる『天性スキル』を持つ特別な赤子を処女受胎する。 しかし、召喚されてきた勇者や聖女に息子の『天性スキル』を略奪され、「用済み」として国外追放されてしまう。 行き倒れも覚悟した時、アンジェリカを救ったのは母国と敵対関係の魔人族オーガの夫婦。 彼らの薦めでオルゴール職人で人間族のルイと仮初の夫婦として一緒に暮らすことになる。 不安なことがいっぱいあるけど、母として必ず我が子を、今度こそ立派に育てて見せます! ノベルアップ+とアルファポリス、小説家になろう、カクヨムに掲載しています。

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

料理スキルで完璧な料理が作れるようになったから、異世界を満喫します

黒木 楓
恋愛
 隣の部屋の住人というだけで、女子高生2人が行った異世界転移の儀式に私、アカネは巻き込まれてしまう。  どうやら儀式は成功したみたいで、女子高生2人は聖女や賢者といったスキルを手に入れたらしい。  巻き込まれた私のスキルは「料理」スキルだけど、それは手順を省略して完璧な料理が作れる凄いスキルだった。  転生者で1人だけ立場が悪かった私は、こき使われることを恐れてスキルの力を隠しながら過ごしていた。  そうしていたら「お前は不要だ」と言われて城から追い出されたけど――こうなったらもう、異世界を満喫するしかないでしょう。

結婚の始まりに終わりのことを告げられたので2年目から諦める努力をしたら何故か上手くいった!?〜不幸な約束は破られるためにある〜

yumemidori
恋愛
一目見た時から想い続けてやっと結婚できると思えば3年後には離婚しましょうと告げられ、結婚の日から1年間だけ頑張るクロエ。 振り向いてくれないノアを諦める努力をしようとすると…? クロエ視点→結婚1年目まで ノア視点→結婚2年目から まだ未定ですがもしかしたら、おまけが追加されればR指定つくかもしれないです。ご了承下さいませ

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。