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「とっても面白かったわ」
劇場のロビーへ出ると、ほうとため息が漏れた。

レイモンドが席を取ってくれた今日のお芝居は、読んだことのある小説が元になっている。戦争下で育まれる騎士と姫君の恋の話だ。
「あの長いお話が数時間のお芝居になるのか不安だったけれど、上手にまとまっていたわね」
「ああ。特に終幕が圧巻だった」
「本当に。たたみかけるような展開で……」
「これは、ステラ・アディソン嬢」
不意に声をかけられ振り返った。

そこには見知らぬ、ふくよかな体型の中年の男性が立っていた。
「……はい……あの」
「ブレンダン・モットレイだ。いやあ、間近で見るとより美人ですなあ」
モットレイ……どこかで聞いたような。
「何か御用でしょうか」
レイモンドがさっと私の前に立った。
「君はなんだね」
「ステラの婚約者でレイモンド・ジョンストンと申します」
「婚約者だと?!」
男性は目を見開いた。

「……誰?」
レイモンドに小声で尋ねた。
「――前にステラを愛人にしたいとか言ってた」
「ああ」
アンドリューが言っていた、伯爵の。すっかり忘れていたわ。
「伯爵」
伯爵の隣の男性が何か耳打ちをした。
「宝石商?」
伯爵はジロリとレイモンドを見回した。
「ステラ嬢。ご両親を亡くされてそんな平民と結婚しないとならないとは、さぞ苦労しているだろう。私のところへ来ればずっと贅沢な暮らしを……」
「結構です」
即答してしまった。
だって……見た目で人を判断するのは良くないと思うけれど、この人、見た目もしゃべり方もなんだか脂っぽいんだもの。
「貴族でなくとも、私は十分幸せですし困っていませんわ」
昔ならば、貴族が平民へ嫁ぐのは没落したと思われていたという。
けれど今は中流階級と貴族との生活の差はかなり近づいていて、貴族より贅沢な暮らしをしている平民も少なくない。現にレイモンドの家も、何人もの使用人がいるような立派なお屋敷だ。

「ふん、商人など。私がその気になれば簡単に……」
「あら、モットレイ伯爵」
面倒臭い人に絡まれたなあと思っていると女性の声が聞こえた。
「こんな場所で女性を口説くなんて。相変わらずですのね」
声のした方を見ると、綺麗な女性が立っていた。
お母様と同じくらいの年齢だろうか、とても上品そうな、そのお顔は……どこかで見たような。

「こ、これは夫人!」
伯爵の顔に焦りと汗が浮かんだ。
「いや口説くなどと……」
「こんな若いお嬢さんをお相手にしようだなんて。まだ自分も若いおつもりなのかしら」
……お上品な雰囲気に似合わず、はっきり言う方なのね。
「いや、そういう……」
「そういえば私、来週お茶会で奥様とお会いする予定ですのよ」
その言葉に、さあっと伯爵の顔が青ざめた。
「今日ここでお会いしたことをお伝えしておくわ」
「い、いえ。このことはどうかご内密に……!」
慌てながら伯爵は立ち去っていった。

(これは……助けていただいたのかしら)
「あの」
「母上」
お礼を言おうとすると、聞き覚えのある声が聞こえた。
「セオドア。どこへ行っていたの」
「貴女が先に行ってしまったのでしょう」
現れたのは公爵様だった。……母上って、確かに顔が似ている……ということは、先代の公爵夫人?! 元王女様の?!

「ステラ嬢。大丈夫ですか」
「はい……ありがとうございます」
私は公爵様、そして夫人に向かって頭を下げた。
「あら、セオドアのお知り合いだったの」
「彼女が『宝石夫人』の姪でステラ・アディソン嬢ですよ」
「あら、まあ!」
夫人は目を丸くした。
「言われてみれば、確かにキャロライナに似ているわ」
伯母を知っているの……って、先代公爵様はあの屋敷に来たことがあるのよね。夫人も交流があったのか。

「そして彼はジョンストン商会の御子息です」
「初めてお目にかかります。レイモンド・ジョンストンと申します」
公爵様の紹介に、レイモンドは夫人に頭を下げた。
「まあ、ジョンストン商会の。……それじゃあ今後宝石伯のコレクションはジョンストン商会で扱うのかしら」
私たちを見て夫人は言った。
「そうですね……ですがもう、手元にはほとんど残っておりませんので」
「あら、そうだったの。でも先日オークションで私の『天使の涙』と対になる指輪を出していたでしょう」
夫人は公爵様を見た。
「私が欲しかったのに、息子が『これ以上宝石はいらない』なんて言って。そのくせ自分は剥製だのミイラだの変なものを落札してくるのよ。我が家を博物館にするつもりかしら」
「ところでステラ嬢」
話を遮るように公爵様は私を見た。
「先程モットレイ伯爵に絡まれていたようでしたが」
「ええ……以前、夜会で私を見たそうで。それで……人から聞いた話によると、何でも愛人にするつもりだったとか」
「愛人?」
「まあ、本当にあの伯爵の女好きには困ったものね」
目を見開いた公爵様の隣で夫人はため息をついた。
「いい加減伯爵夫人も見切りをつけそうなのよ」
「そうなのですか」
「御子息の結婚が決まったから、それを機に爵位を譲らせて田舎に追いやってしまおうかしらって」
夫人は楽しそうに笑った。
「多分来週のお茶会もその話題が出るわね。そうだわ、ステラ嬢も一緒に行きましょう」
「……いいえ私は……遠慮させていただきます」
貴族の御婦人方のお茶会に出る勇気はない。
「あら遠慮しないでいいのよ」
「母上。無理強いはおやめください」
公爵様が眉をひそめながら言った。
「すみませんステラ嬢」
「いいえ、お気遣いありがとうございます」
「先日お借りしたものはもう少しでお返しいたします。そうだ、今度はわが家へお越しください」
「え、あの」
「まあそれはいいわね」
夫人は私の手を握りしめた。
「キャロライナが好きだったお菓子を用意するわ……あら、そのネックレス」
夫人は気づいたように私の胸元を見た。
今日はピンクダイヤのネックレスをつけている。希少なものだがデザインはシンプルなため、今日つけるのにちょうどいいと思ったのだ。
「思い出したわ、前にキャロライナに見せてもらったのよ」
「本当ですか?」
「ええ。随分可愛いものを持っているのねと言ったら『これは姪に譲るつもりよ』って言っていて……そう、あなたのことだったのね」
「……伯母がそんなことを?」
「本当は自分の娘に贈るつもりだったのだけれど……彼女の子供は幼い時に亡くなったから。あなたに良く似合っているわ」
少し寂しげな笑顔で夫人はそう言った。



(売らなくて良かった)
屋敷へ帰る馬車に揺られながら、私は胸元のネックレスを見つめた。
伯母様の娘、私の従姉妹が早くに死んだというのは聞いていた。その従姉妹へ残すはずだった、これはいわば形見のようなものだ。

「――前公爵夫人は、確かに元王女様という感じの方だったわね」
私は顔を上げると隣のレイモンドを見た。
とてもお綺麗で気品があるけれど、一方で自由気ままに振る舞い、そしてそれを許される空気を持っている。
「貴族と王族って、やっぱり違うのね」
「ああ……」
「レイモンド?」
レイモンドは頬杖をついてぼんやりと窓の外に視線を送っていた。
「疲れたの?」
「いや……まあ、疲れもあるけど」
「けど?」
「……外へ出る度にステラが狙われるなと思って」

「そう? でもあの伯爵だけでしょう」
「前公爵夫人にも気に入られた」
「それは……伯母様と親しかったからでしょう」
「全く……今日はせっかくのステラとのデートだったのに。邪魔が次から次へと……」
邪魔? 公爵様たちは助けてくれたのに?

『レイモンド様はご自身が貴族でないことに引け目があるのですよ』とコニーが言っていた。だから公爵様と私が親しくなることに警戒していると。
……私は貴族じゃないとか、そんなのどうでもいいのに。
「じゃあまたデートに行きましょう」
私はレイモンドの腕に触れた。
「もっと色々な場所に行きたいわ」
「……そうだね」
「行きたい場所はたくさんあるの。植物園でしょ、またあのホテルの紅茶も飲みたいし、今度博覧会もあるって聞いたわ。あとピクニックも行ってみたいの」
「いいよ、全部行こう」
「楽しみだわ」
ふと視界が暗くなると、何かが額に触れる感触があった。

「ああ、楽しみだ」
すぐ目の前に黒い瞳があって……キスされた、と気づいた瞬間。ぶわっと顔が熱くなった。
「ふふっ可愛いねステラは」
瞳を細めると……今度は頬にキスをされた。

顔の熱は屋敷に到着するまでずっと下がらなかった。
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