嫌われ者の女神たち

神崎文尾

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終章

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 サイレンがひときわ大きくなった。殴り合いをしていた二人も手をとめ、恵美と神崎は呆然としていた自分の我を取り戻した。
 このサイレンの意味を、恵美だけが。元国防軍の恵美だけがそれを理解したように、最初に声をあげた。
「はっ……そ、外に出ろ!今すぐだ!」
「ぐ、軍曹!?」
 恵美は手近にいた来島を抱き起した。彩音はそのままなぜか立ち尽くしていた。
「中尉!早く!」
 神崎が叫んだ。
 彩音は動かなかった。動きたくなかった。
 このまま死んでしまえばいい、自分など。
 恐怖による治安維持、暴力によるテロ鎮圧。それを繰り返したのも、少数を虐げても大多数に幸せに生きてほしいという思いからだった。
 だが、現実として、その行為が自分の良心を殺し、誰かを殺し、それに連なる大多数を不幸にする結果を招いた。
 罪を償う。長い時間?幸せも捨てて?
 はっきりとした絶望の中を、彩音は漂っていた。いっそこのまま死んでしまいたい。そうすれば、全て死んだ後に行ってくれるだろう。
 けたたましいサイレンはますます大きくなっているようだった。神崎は彩音をあきらめ、恵美の言う通りに外に出ようとした。
 けたたましいサイレン、それは空襲警報だ。今頃都民の多くが地下鉄に避難しているだろう。そして、標的は、ここ。おそらく護廷隊本部だ。巣鴨が指揮権を発動したのだろう。海外首脳が見ている前で、愚かな首相を演じたはずだ。暴力はさらなる暴力に。その言葉とおりの最後を、彩音は迎えようとしていた。
 重いものを強引に壊すような音がして、護廷隊の石造りの本部が崩れる。彩音は大きな石塊を頭に受け、意識を失った。

 気づいた時、彩音は首都大演習場に寝転がっていた。意識だけが視界をぼやけさせながらも鮮明だった。
「気づいたか」
 夕暮れ時だ。もうそんなに時間がたったのか。彩音は痛む頭を抑える。恵美だ。恵美の声。隣に座っていた。口には煙草を咥えている。
「助けたの……?」
「うん、まあ」
 そうだねとでも続いたのか、それは分からない。だが、彩音は恵美を殴り飛ばした。煙草が吹っ飛ぶ。
 理由、理由なんかわかり切ってる。一瞬で沸騰した頭、そしてその行為がいかに愚かかも考えず、彩音は恵美に馬乗りになって殴り続けた。
「どうして!どうして見過ごしてくれなかったの!」
「………………」
「生きてたって!こんな考えの私じゃ、またっ!好子みたいな奴をっ!」
「…………………」
「でもできないのよ!これ以外!私にはっ!」
「落ち着け」
 恵美が彩音の肩をたたいた。
「何はともあれ、私達は生きてる。そして、お前は英雄だ」
「何が英雄よ!いっぱい殺した殺人鬼にそんなのっ……」
「英雄になるんだよ。それが秋山の最後の一手なんだ!お前を生かすための!」
 いいか、と前置きして話を始めた。
「お前がこの事件の主犯を殺して、解決に導いた。三津田司令も救い上げた。そして、みんなお前を祝福し、英雄にする」
「ウソだっ!そんなのは大ウソだ!」
「黙れ!聞くんだよ!畜生……っ!悪を殺すのは英雄の仕事だ。お前はそれを全うした!……お前は英雄なんだ。そしてそれを演じ続けろ!女性の地位を高めるには、架空でも何でも英雄がいるんだよ!」
「嫌われ者なのにっ!?私は誰からも嫌われる、女神様なのにっ!?」
「落ち着け落ち着け落ち着けっ!一生それを演じ続けろ……そうしないと、お前は終わるぞ。護廷隊は終わりだ。だが、私達は人生を生きて、それを全うする義務がある!贖罪なら死んだあと、地獄でたっぷりやればいい!私が付き合ってやる!」
「う……ううううっ!」
 彩音は殴打をやめた。そして恵美から下り、両手で地面をたたき続けた。恥じ入るように。生に執着してしまう本能を捨て去ってしまいたいという風に。



「……これが、真相さ」
「そうだったのか」
 男はため息をついた。目の前の女性の話す妻の過去。そのどれもが壮絶な半生だった。決して人を率いるのが上手かったわけでもない妻。その妻が悪戦苦闘しながら、色々なものと戦った話。
 気づけば暗くなっていた。
「泊っていくかい?」
「いや、結構だ。孫が心配する」
「そのあとはどうなったんだ」
「どうもしないさ。鎮圧し、その後も人生は続いた。中尉はそちらも知ってのとおり、護廷隊解散後に警察に転入。主に重犯罪や、殺人なんかの花形だが血なまぐさい部署を受け持った。私は事件後にすぐ辞表をたたきつけて、解散と共に退役したよ。この会社は神崎と作ったんだ。結局私が出来ることも、戦うことでしかなかったってことさ」
「来島二等兵は?」
「そのあと行方知れずになっていたが、恨みは持ち続けたみたいだ。中尉が四〇才の時、警察をやめただろう。けがをして」
「あ、ああ。そうだが」
「あの時、中尉は爆弾テロの犯人を追っていた。その犯人が来島だ。中尉の姿を目にした途端、突っ込んだんだよ。ダイナマイトを身体中にまいてな」
「自爆、か?」
「そうとも。そして奴は木っ端みじんになった。中尉に対する恨みを限界まで晴らしたって感じかな……?よっこら」
 栗峰女史が車椅子を呼ぶと、松尾と呼ばれたスキンヘッドの男が出てくる。
「今日は長居させてもらったね。そして、中尉を最期まで愛してくれてありがとう。こんな血なまぐさい話をしといてなんだけど」
「この年になってそう言われると恥ずかしいが……うん、彼女はいい妻だった。それだけは、私にとって間違いないんだ」

 終

 リンカーンコンチネンタルの中で栗峰恵美は転寝をした。今まで隠していたことを一気に話し、少々疲れた。
 無理もない、もう八十八だ。だいぶ長生きした。世界各地を相棒の神崎と周り、恋もしたし別れもした。相棒である神崎も、すでに二年前にこの世を去っている。
 夢を見た。
 そこには自分と同じ部屋の鏡の前で、服について悩んでいる彩音がいた。
「うーん、こっちもいいんだけど……あ、恵美。どう、これ?」
 恵美は出された服のチョイスに笑いながら答えた。
「軍服じゃねえのかよ」
「それは建前。いいじゃない、私が楽しんでも」
 にこっと笑ったその顔は。恐怖と暴力を建前にして自分の弱さを隠している護廷隊中尉の顔ではなかった。好きになった人間に喜んでほしい。そんな当たり前のことを考えている、最高に可愛い女性の姿だった。
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