嫌われ者の女神たち

神崎文尾

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電話

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『どなたですか?』
「神戸中尉」
『え?』
「神戸中尉だよ。あんた水野でしょ。あんたまで加わってんの、このばか騒ぎ」
『は、はい。水野です』
「おっまえ……水野だ」
 二人にそう言い、受話器にまたしゃべりかける。同郷で小学校が同じの神崎は代わりたそうな顔をしていたが敢えて無視した。
「そっち、異状ない?」
『ええ、と……異常はありません。あえて言えばこの電話かと』
「ああ、そう……それで、あの。そっちに大尉はいる?」
『いいえ、いません』
「すぐに状況を教えてほしいの。これは首相命令」
 幾分か逡巡したが、水野はとつとつとしゃべり始めた。
『じ、実は、今日の朝、緊急招集がありまして。ええ、と、あの、秋山大尉が指揮を執って討伐に向かうと』
「討伐?誰を討伐するのよ。あんた反対しなかったの?」
『し、しようとしましたけど、秋山大尉が強引に。三護も従っていましたし、我々にも三津田司令の印鑑が入った命令書が』
「司令の……それで、あいつは」
 上官である秋山をあいつと呼ぶ。主犯がわかっただけでも儲けものだが、信じたくはなかった。同じ釜の飯を食った同期の仲間が、首都を撹乱する大悪人になった。そんな現実を認めたくなかった。
『い、今どこにいるか……わかりません』
「そう……うーん」
 彩音は受話器を抑えて、二人を見た。血の気が失せそうな顔をしていたが、そこは軍人の一端。投げ出そうという気は沸かないだろう。
「お話するのも今の内かもねえ、これは」
「水野が好楽に……あいつはそんなことをする奴じゃないですよ」
 神崎が気色ばんで言った。
「そりゃわかってるわよ。でも、命令には従う奴だわ、少尉は」
「そうですけど……殴りこんで順々説得しますか。そんな時間はないと思いますけど」
「いや、ちょっと二人は三津田司令を探してちょうだい。そうすれば強引にでも指揮権を戻すわ。いい恵美」
 恵美はふてくされたような顔をしていたが、了解はしてくれたらしい。行くぞ、と神崎に一言かけて連れ出す。通信室には彩音一人になった。
「あーごめん、少し遠くなったわね。うん」
『だ、大丈夫です』
「いい、水野。よく聞いて。このままだと、あなたも、その部下も殺さないといけない。陛下も御憂慮なされているし、総理も生存してる」
『そう、ですか』
 残念そうに言った。
「そっちは何人いる?」
『えーと……四十二名です』
「四十二名。小隊全員を連れてったわけだ……もうなあ、やめなさいって。四十二人で死ぬ気かもしれないけどさ。命惜しくないんだったら、そっから脱出しなさい」
『で、ですけど』
「いいから聞きなさい、首相も陛下も生きているのよ。こっちはもう、内戦状態も覚悟の上で、準備してんの。そっちが何をしたいのかは知らない。だけどね、このままじゃ攻撃されてただ死ぬだけよ。どうせ死ぬかもしれないなら、せめて生きれるほうを選択しなさい、少尉」
『そうですけど』
「いや、その、分かっているのよ。将校として見栄を張る以上、コロコロ命令を変えられないわよね。ここ、今誰もいないのよ。だから正直に言うとね、私、あんたと戦争したくないのよ。それどころか、この仕事、案外嫌いなの」
『中尉がですか?』
「驚かれても困るけどね。そうよ。人を殺したくもないし、率いるなんてまっぴらよ。嫌なところばかり押し付けてすまなかったと思ってる。でも、それとこれとは違うでしょ。大体さ、少尉」
『はい』
「少尉」
『だ、大丈夫ですってば。聞いてますよ』
「あんたと秋山大尉に何の関係があるのよ」
『そ、それは、上官と部下の』
「あんたの上官は私でしょうが。何を言ってるのよ。あのね、もうさ」
『はい』
「私が全部責任持つからさ」
「はい」
『もー、何にも言わないでね、原隊復帰すればいいよ。やる気あるのあんた』
『うん、あ、えー』
「ないでしょう。今まではそりゃ秋山大尉が指揮権持ってたかもしれないけどさ。もう、あの人、国賊だから。首相殺そうとして、陸軍の装甲車までもってきてさ。あの人に従うか、首相っていう最高指揮官に従うか、その二択よ。いいの?」
『はい』
「だからね、もう、帰ってきなさい。兵もさ、自分たちが何やっているかわからないままにしてあげないでよ」
『はい』
「よく考えてね。水野」
『はい』
「お前、頼むぞ。それじゃあ、御機嫌よう」
 受話器を下ろした。ため息をつく。
「終わったか?」
「恵美」
 恵美の横には憔悴した三津田司令がいた。よほど殴られたのか、丸っこい顔が腫れあがっている。
「司令」
「あ、ああ……神戸中尉。無事だったか」
「そちらこそ。よくご無事で」
「あんまり無事でもないよ……あいた」
 顔を抑えてしかめる。とにかく詳細を聞かないことには何も分からない。
「何があったんです」
「簡単だよ」
「簡単なクーデターがあってたまりますか」
「簡単にテロを起こす連中がいるから、簡単にクーデターも起きる。そしてそれを簡潔におさめるのが護廷隊だ。違うか?」
「つまり分からない?」
「そういうことさ。ああ、ここにおらせてくれ……もう寝っ転がっておきたい。後の指揮は中尉に任せる」
「そうしてください。九二聯隊をはじめとした陸軍部隊が来ます。後、水野少尉の指揮する小隊も」
「水野か……嫌がってはいたがね、くくっ。結局気が弱いと商売にならんな。この仕事は」
 それだけ言うと、三津田は気絶した。もう限界だったのだろう。自分の指揮下にあるはずの部隊が反乱。それも一番信頼していたはずの次席指揮官によるものと来れば、精神も限界になるはずだ。
「どうするんだ。これから」
 恵美はうんざりしたように言った。もう、都内の治安はボロボロだ。そんな中で治安維持を掲げても意味はないと思ったのかもしれない。
「簡単よ」
「またか。この状況下のどこが簡単なんだ。秋山がどこにいるかもわかんないだろうが」
「何のために長々話したんだと思う?逆探知させるためよ。すぐに来るわよ。いや、来ざるを得ないってところかな。私を殺すことがクーデター成功の条件なんだもの」

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