嫌われ者の女神たち

神崎文尾

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都内に強襲

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「神田上空です。もうすぐ着陸態勢に入ります」
 まともに聞くことが出来ない。いや、別に人の性的嗜好についてとやかくは言わないが、それでも背筋が凍る思いがした。バイセクシャル、という言葉が頭にしみついている。つまり両刀。
「しかしあれですね。敵さんに対空砲の用意がないとは思えないっすけど」
 神崎がボヤっと言った。
「さっき言った通り、都内は大混乱だ。二十三区を抑えるだけでも大変だし、六十九式っていうジョーカーだけで対抗している様なもんだぜ。SATもいるし、警察もいる。そいつらを相手にしながら都内封鎖しただけでもよくやった方だ」
「それなら六十九式は十台全部が都内にあるわけでもないんすね、甲州街道だの葛飾区だのに封鎖をしに行っているわけだ」
「残せるのはせいぜい二、三台だろうな。そいつらだっていつかは燃料切れて弾切れしておじゃんだ。首謀者が誰かは知らんが無謀ってものだぜ。その間に何人も死ぬんだろうけどな……」
 確かに、恵美の言うことには一理ある。この手のクーデターは長く続かない。他国の政権交代が行われたクーデターだって、短時間で終わっている。聯隊規模の反乱がおきたならともかく、それ以外はほとんど鎮圧されているのだ。クーデターは早すぎるか規模がデカすぎるかの二つが成功のコツだと座学で習った。
 だが、この計画はそのどちらでもない。蜂起するのなら人が少なすぎるし、年月で言うのならそれほど熟成された計画でもない気がする。まるでせかされるみたいに決行し、無理やりにでも蜂起の実績をつくりたいかのようだった。
 操縦席とつながっている放送機から、間もなく着陸という連絡があった。彩音はベレッタとサバイバルナイフを確認する。どんな時でも携行し、人の命を奪い続けてきた二つだけの武器。
「下りた瞬間、撃たれないといいけどな」
「冗談じゃありませんよね。実際ありえるけど」
 神崎がニヤリと笑った。彩音は流石にそれに合わせることは出来ない。
「ありえることばかり考えても仕方ない。そもそも、あんたの可能性にかけたのよ、私は」
「ええ、私が参謀だなんて、国の孤児院の婆が聞けば驚きますよ。馬鹿な私がね」
「安心しろ、ここの誰もが驚くし、護廷隊全員が反対だ。今日以外はな」
「きついな」
 恵美の一言に、苦笑いで返した。
「着陸です」
 その言葉と同時に、ドアが開く。彩音と恵美が下りた。神崎は遠目を使い、敵の姿を確認する。彩音の視界からは、原っぱのど真ん中でうるさい音を立てているヘリ以外何も見えない。皇居付近には誰もいなかった。
「では、皆さん!ご武運を!」
 ローターのスイッチを切らないままだ。視認できずとも、どこかに敵がいるかもしれない。三人が下りた途端、ローターはすぐさま回転数を上げ、上昇する。そしてそのまま、座間の方角へと飛び立った。
 首都大演習場から見える景色は、いつもと違った。高層ビルはいつも通りだが、その根元から黒い煙が幾条も立ち上っている。サイレンがなり、上空には何機ものヘリが飛んでいた。皇居の上空は立ち入り禁止のはずだが、マスコミがそんなものを守るはずもない。
「くそ……」
 神崎は遠目で敵の姿を探していた。ただ、それも一分くらいのものだった。すぐにオールクリアを叫んだ。やけくそ気味だった。
「了解、すぐに護廷隊本部へ行くわよ!」
 彩音は安心して駆け足を開始した。二人がそれに続く。護廷隊本部までは徒歩五分ほどの距離だ。石造りのそこは何事もなく立っていた。むしろ、この状況下では、何事もない方が不気味で、異彩を放っていた。
 入り口から中に入る。誰もいなかった。当直であるはずの三護の連中はどこかに行ってしまったようだ。それともそこが、主犯なのかもしれない。
「誰も、いないか。まあ、当然だな。この状況下で誰かいたら、それこそぶっ飛ばしたくなる」
「いや、そうだけどさ。実際通信班は本部詰めよ。どんなに忙しくたって何人かはいるもんだわ。そうじゃないとここが司令部足りえない」
「あまりクーデターの際には使えないのかもしれないっすね」
 彩音はベレッタを構えている。恵美も同様だ。神崎は誰かいないか探していた。一人ずつ感想を述べながら、護廷隊本部の奥に入っていく。
「……無線傍受の跡があるな」
 通信班の詰め所に入った時、恵美が言った。
「わかるもんなの?」
「わかるさ。元々通信兵志望だったんだ。スキルさえつけばこんなとこおさらばする予定だったのに、結局居心地よくて狙撃兵なんだから泣けるよ」
 初めて知った。
「交通機関は全部止めてるらしいが、そのおかげで兵の半分を中枢の制圧に使っているようだ」
「どうやって止めるのよ。地下鉄から山手線。世界で一番交通網が発達しているともいえるこの東京の公共交通を」
「簡単だろ。一人でも二人でも、好きなだけ血祭りにあげればいい。なにせ目的はそれを使うことじゃなくて、車両内の民間人を拘束することだからな。そうした後は、偽の指令を出せば即座に従うよ。現場の人間は、無力だ。私達と同じようにな」
 恵美が吐き捨てるように、書類を捨てては次を見る。巧妙さはみじんもない。ただただ暴力的だ。少数だから何とかできるテロリストが大規模になれば、ここまで恐ろしくなる。暴力と恐怖の可能性を信じてきた彩音にとっては複雑だったが。
「……これ、どうです?暗号文みたいですけど、移送計画書の写し見たいです」
「マジか、見せろ」
 神崎が手渡した書類を恵美が受け取る。その瞬間、詰所のドアが開いた。完全に気を抜いて、家に帰ってきたかのようだった。ベルトをつけた竹菱ライフルを肩にかけ、ため息をついて中に歩を進める。
 目が合った。
 一護の佐竹伍長だった。少尉時代から面倒を見てきている。まだ一九才で、幼い顔立ちをしていた。驚愕した佐竹が、ライフルの銃口を急いでこちらに向けようとする。
「っ!」
 口をふさぎ、ライフルの銃口を上に向けさせる。ナイフを首元に躊躇なく突き立てた。口をふさいでいた彩音の指の間から、佐竹の血が滴り落ちる。もごもごと何かをいい、目から涙を流しながら、頽れた。
「………」
 佐竹美和子、二十一才、第一護廷隊伍長、栃木県出身。趣味は読書と映画で、クリエイティブに強い一面がある。入隊理由は口減らし。夢は幹部候補生試験を受けて将校の青い階級章を襟につけること―――。
 目の前で殺した佐竹の履歴を思い返す。食堂では、趣味が同じである木場と仲良さげに話していた。
「中尉!」
 恵美が彩音につかみかかる。その顔は分かりやすく激昂していた。
 彼女が本当に敵だったのかなんてわからない。銃を向けようとしていた。だから殺した。それだけだった。
「なんで殺したんだ!私の部下だぞ!あんたの部下でもあるんだ!なのになんで!」
「………」
 神崎は何も言わなかったが、気持ちは同じようだった。敵を殺した中尉、ではなく身内を殺した殺人鬼を見る目。気味悪さと、吐き気を抑えるような顔だった。
「なんか言えよ!」
「敵だったから、殺したの」
「敵……っ?こいつは部下だぞ!佐竹伍長だ!あんただって知ってるだろ!」
「知ってる、顔だってわかってる。だけど今は敵。それも伍長として班長も務めている立場よ。殺さないと、すぐに部下が来る」
「ふざけ――」
「ふざけているのはどっちだ!ここは敵のど真ん中だぞ栗峰軍曹!すぐに敵が来る!暗号解読はすんだのか!」
 上官の威厳もへったくれもない怒鳴り声だ。だが、無理やりにでも言うことを利かす。感情を殺さないと、人なんて殺せない。不承不承を隠さないまま、恵美は作業に戻った。神崎も作業に戻る。尊敬を喪ったかのような目をしたが、そのことについては言及しないようにした。永遠に。
「……中尉、これです」
「早いわね」
「まあね」
 一瞬だけ敬語を使ったが、すぐに恵美は態度を戻した。割り切ったのだ。ベテランらしい判断で。そうしなければ生き残れないと覚悟を決めたようでもあった。
「料亭好楽、か」
「赤坂にあるようだね、電話番号はこれ」
 恵美がさらさらメモを取って、手渡す。
「どうして料亭を?」
「広いし、休息をとることも出来る。交通の便も、ここいらよりよほどいいし、道も混まない。最後の理由は関係ないけどな、この際。池田屋事件の時も、現場は旅籠だろ?悪だくみするのに料亭か旅籠は欠かせないわな」
「そんなもんすかね」
 神崎は納得できないように呟いた。
「すぐに連絡を取りたいけど、そうもいかないか。妨害電波くらい出しててもおかしくないでしょうしね」
「電話くらいいんじゃね?どうせばれてるよ、あんたが佐竹殺した時からな」
「ふん……借りるわよ」
 通信兵の詰め所にある電話を取る。外線にし、メモに書かれた番号を打ち込んだ。
 三コールで誰かが出た。おびえている。さすがにここで険のある態度はとれない。
「もしもし?」
『は、はいい……』
女性のか細い声だ。聞き取るのに苦労する。
「君は誰?」
『へ、は、え』
「誰?」
『む、宗川です』
「宗川?……好楽の電話番号であってる?」
『さ、左様です』
「ちょっと、そこに軍隊がお邪魔していると思うんだけどね。そこにいる……将校でも下士官でも、誰でもいいからさ」
『はい……』
「宗川さん、聞いてる?」
『き、聞いてます』
「よかった。うん、そこの軍隊の人をね。ちょっと電話口に呼んでくれない?」
『ぐ、軍隊の……えと、失礼ですが、あなたはどなたですか?』
「ああ、ごめんね。こちらはね」
『はい』
「護廷隊のね。第一護廷隊の神戸中尉」
『は、はい、少々お待ちください』
 保留音がして、声が変わる。聞き覚えのある声だった。

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