嫌われ者の女神たち

神崎文尾

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襲撃

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 異変が起きたのは、首都高速に乗り、大師PAで一度休憩をとっていた時だ。首相と彩音はトイレ休憩のために立ち寄ったそこで、わずかな地響きを聞いた。
「………?」
 わずかな地響きだ。全く何もない、はずだった。彩音は巣鴨と運転手を待ちつつ、うららかな晴れ間を覗いていた。
 その時だ。大師PAの駐車場に物々しい装甲車が現れたのは。愛嬌すらある円形なフォルムに、似つかわしくない小口径で長銃身の砲塔のある国防陸軍竹菱六九式装甲車。暴徒鎮圧用に作られた赤色の装甲車が一台、そこに入ってくる。
「な、なんだあれは……」
 いつの間にかトイレから出てきた巣鴨が唖然とした声をあげる。砲塔の上にある出入り口から、戦車長らしい女性士官の迷彩服を着た女性がきょろきょろとあたりを見渡していた。
「わ……私は国防陸軍から何も聞いてません。総理も、ですよね」
「む、無論だ。あんなもの、横須賀に行かせる予定は―――」
 そこまで言って、砲塔が火を噴いた。せいぜい今まで、陸軍基地解放の時くらいしか使われず、実戦など一度も経験したことのない六九式の初実射だろう。その砲弾が、リンカーンを撃ちぬいた。そばに立っていた恵美と神崎は出るが早いが、武器をもって彩音のすぐそばまで来る。轟音がして、吹っ飛んだリンカーンが亀のようにひっくり返り、リアやエンジンをさらしていた。
「敵襲!」
 PAは大パニックに陥った。逃げ出そうとする軽自動車や普通車を、片っ端から照準を合わせて吹っ飛ばしていく。燃え上がる車体から、悲鳴を上げて火達磨になった民間人がアスファルトに倒れ伏したまま動かなくなり、前面付属のマシンガンの銃弾が一人また一人と、恐慌状態になったそれらを永遠に黙らせた。
「伏せて、総理!」
 彩音は巣鴨の頭を無理やり地面に押し付け、その上にかぶさる。ロイド眼鏡がはじけ飛んだ。そして、それをマシンガンの一三ミリ弾が粉々にした。運転手はトイレの中に逃げたが流れ弾が当たったらしく、腹から血を流して倒れていた。
「なんだよ!なんなんだよお!」
 神崎は頭を抱え、なるだけ地面と同一化するように伏せていた。恵美もそうだ。銃弾の暴風から身を護るためにはこれ以上の手段もない。
「神崎!敵はどこだ!」
 恵美がバッグに入っていた対人用の狙撃ライフルを急いで取り出し、装填する。
「む、無茶言わんでください!」
「いいからやれ!このままじゃ本当に死んじまうぞ!」
 あと数秒もすればオーバーヒートを防ぐために、マシンガンは射撃を止めるはずだ。そうすれば、少しだけ動ける。恵美はそのスキを狙っているのだ。やけくそ気味でも何でもなく、冷静に。
「前方約四〇〇m!風向き無風!」
「ありがとうよ!」
 伏せたまま、枕代わりに銃身の下へ肘を忍ばせる。これで狙いやすい。ぶれも少なくなると恵美は話していた。赤い六九式が敵に回ると、ここまで恐ろしいのか。その独特過ぎるフォルムから赤いアンパンマン号と呼ばれていたそれが。
 彩音は何もできない。ただ、総理が死なないことだけを祈っていた。小口径の咆哮から穿たれる砲弾は以前、民間人の虐殺を止めない。
 恵美が発砲した。スナイパーライフルと言っても、その銃弾は、マシンガンのそれと比べてかわいらしい豆鉄砲の弾に過ぎない。しかし、その直後六九式の鼻先が小規模な爆発を起こした。
「あ、ありえねえ……」
 神崎が感嘆の息を漏らす。こちら側を向いていた銃口。そこにライフル弾を叩き込んだらしい。そして起きる暴発―――射手はおそらく死んだか重傷だ。弾倉が誘爆を起こしているに違いない。
「神崎!総理を頼む!」
 彩音は身を起こした。ホルスターからベレッタを取りだし、六九式に駆け寄る。中から車長が出てきたのを見て、素早くそちらに銃撃を浴びせた。距離は三〇〇mまで近づいてはいたが、当たらない。当然だ。六九式は戦車長がこちらも身を乗り出して八九式の小銃でこちらを狙い撃っていた。
「中尉!右にずれろ!」
 恵美の声がする。その通りにした。直後、小銃で狙いをつけていた戦車長がボクサーのパンチを受けたかのようにたたらを踏み、ハッチの後ろ側に頭をつけて頽れた。恵美だ。恵美の銃弾は百発百中。狙った獲物は絶対に逃さない。そして彩音も。
 彩音はそのまま六九式へと縋りついた。車長が邪魔でハッチが締められないらしく、中にいる操縦手や砲手は死に物狂いみたいだが、関係ない。
「くそったれが!」
 ブリキの戦車。その戦車長よりも価値のない死んだ車長の襟をつかみ、六九式のうえから投げ捨てる。車内のハッチに向けて、乗員は銃口を向けていた。
「ああ、大馬鹿どもが!」
 乗員たちは銃口を向けていて、殺そうと思えばいつだって殺せるはずだった。なのに、撃たない。今まで何かを通して行っていた虐殺を、自分たちが直接やるのは嫌だとでも言うように。
「ふざけんな!」
 彩音は怒りそのままにベレッタの引き金を引いた。それこそ銃弾が尽きるまで。中にいた乗員たちは、うめき声だけをあげて倒れ伏した。
 なんなんだ、こいつらは。
 今すぐ陸軍でこれを企画した奴らを、全員血祭りにあげてやりたい。いや、こいつらは東京方面から来たはずだ。なら、首謀者は、首都―――彩音は頭が沸騰しそうになった。恵美のことを決して馬鹿に出来ない。六九式から下り、総理のもとに急ぐ。駐車場は、戦場の様相を呈していた。そこかしこで火の手が上がり、子供の悲鳴が聞こえる。ここは県境とはいえ、首都に差し掛かる場所には違いない。そんな場所が、戦場になった。守れなかった。
(ふざけるな!クソッ)
 彩音はすぐに巣鴨のいる場所に戻った。神崎ががっちりと守っており、恵美は周囲を警戒している。
「このままじゃマズイぜ、陸軍部隊のクーデターか、どうかは分からないが、テロリストが装甲車一台奪っただけとは思えない」
「同感です。聯隊規模……町田の三五機甲科聯隊でしょうか?」
「おそらくそこだ。総理、どちらにされます?」
「ど、どちら、とは?」
 巣鴨は意外に冷静だった。ロイド眼鏡こそ外れていたが、損害はそれだけである。
「横須賀まではいけませんが、この近く……座間か、横田かの陸軍基地に連れて行きます」
「陸軍全体でのクーデターの可能性は?」
「否定できませんが、どのみち横須賀まで行くのは不可能です。そこまでに補足されてしまう可能性の方が高い。安全を確保するためにはやはり、陸軍の基地に向かうべきです」
「……それしかないか。それでどうする?歩くのか?」
「まさか。かっぱらうんですよ」
 恵美が神崎、と顎で六九式をしゃくった。ニヤリと笑い、すぐさまそちらに走り中から死体を運び出す。
「本気か?」
「本気です。少々我慢をしていただきますがね。どうだあっ!いけそうかっ!」
「ばっちりですよ!」
 神崎が六九式の上でそう言った。
「とまあ、少々乱暴ですが、仕方ありません」
「仕方ない……な」
 巣鴨はスーツの襟をつかんで撫でた。覚悟を決めたようだった。

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