嫌われ者の女神たち

神崎文尾

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乱闘 

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「貴様ら何を―――はあっ!?」
 先行した恵美が素っ頓狂な声をあげた。食堂の入り口で止まった恵美を押しのけ、彩音が中に入る。
「てっ、てめえっ……ごはっ!」
 くの字におれた神崎の腹に、来島の膝が入った。彩音とほとんど変わらない身長の神崎が膝立ちになり、右手を腹につけ、残った左手を床につく。金髪の下にある彼女の目が鈍く光り、立ちはだかる来島をにらみつける。
「もう、やめましょうよ……」
 ぼそぼそと話す。口をほとんど開かない喋り方で、来島が神崎に告げた。
「な、何がやめましょうだあっ!」
 神崎が左ひざを立て、来島のあごを狙ったフックを放つ。彩音は不意打ちのそれは完全に決まったと思った。神崎は格闘術の成績こそ並だが、孤児院仕込みの喧嘩で水木伍長と互角に渡り合える程度の腕前を持っている。だから、顎に斜めから入り込むフックは死角から飛び込み、はじくはずだった。
 鈍い音が響く。木場が目を閉じて肩を竦めた。
「んなっ!」
 腕が伸び切る前、勢いがつく寸前のフックを来島が右ひざを軽く上げて曲げ、止めていた。神崎が痛みに耐えかねて左拳を覆う。
「無駄だから………」
 身体を回転させ曲げた膝をそのまま水平にし、神崎の顔に見舞う。骨と骨がぶつかる甲高い音がした。木場は耳をふさいだ。恵美も、彩音も、全く手出しができないまま、神崎は床に転がり、彩音の足元へ。口が切れたのか血が流れていた。
「これで、終わり………」
 さらに追い打ちをしようとした来島を見て、彩音がようやく動く。こちらに向かっていた来島の前に立ちはだかり、止めた。
「何をしているの!やめなさい!」
「………隊長?」
「あんたんとこのじゃないけどね、私の部下に何をするの!それにあんたたち!」
 食堂にいた全員に呼び掛けた。誰も彼も、我関せずで止めようともしなかったのか、と憤る気持ちを抑えられない。信じられない気持ちであたりを見渡した。
「お前ら三護の連中だな!何もしないで、私達が来なければどうするつもりだったんだ!」
 恵美も顔を赤くして怒鳴った。
「少し、熱くなってしまいました………ごめん、なさい」
 来島がぺこりと頭を下げる。まるで先生に悪いところを見られた小学生のようだ。このまま職員室もとい将校室に連れて行って説教したいところだが、それは彩音の役割ではない。
「木場、神崎を医務室に。望月伍長に見せなさい、すぐに!」
「はっ!」
 長い身体を折り曲げ、神崎を担いだ。身長差があるせいで、立たせて運ぶというより、引きずっている様な形になったが、今はどうでもいい。どうしてもめたのか、だ。重要なのは。
「なぜこんなことをしたの?」
「………喧嘩になっちゃいました」
「見ればわかるわよ。なんで………」
「中尉、いいよ。任せてくれ」
 恵美がしゃしゃり出る。ペアを組んでいる狙撃班ということもあり、怒りのボルテージは彩音のそれより格段に上のようだった。
「どうしてこんなことをした?」
 いつもの気安さが想像できないほど、恵美の声は硬質で、人を責め立てるために重要な要素を全て含んでいた。無表情だが、罰の悪そうな顔をした来島が、ぼそぼそと何かを言う。聞き取れない。
「はっきり言え!それから貴様らも!喧嘩一つ止められんのか、盆暗ども!それでよく治安維持をしてますと言えるな、ああっ!」
 階級を前に押し出し、国防軍時代から鍛えてきた大声で、周りを威嚇する。それですら、我関せずだ。許されるものなら全員ぶっ叩いて教育してやりたいのだろう。彩音は恵美のコメカミがぴくぴくと痙攣しているのを見た。
「ま、ま、落ち着いてえな。栗ちゃん」
 どこからか現れたのは秋山だった。挑戦的な顔に、嫌らしく口角をあげた笑いを張り付けている。恵美は舌打ちを苦労して押しとどめて、不満を何とか隠しきって拵えた顔で秋山を見た。
「大尉、落ち着けも何もないでしょう。これは営倉ものです。すぐに」
「その手続きはこっちでやるけん、勘弁したって。たかが兵の喧嘩やんか。そうピリピリせんでもええよ。さ、こっち来んさい。お説教や」
 のらくらした口調で、秋山は来島を引きとった。来島は覚えたてであろうつたない敬礼をした後、食堂を出る秋山の後ろについていった。
「大尉!後でお話があります!」
「ええよ。ブリーフィングルームにおって」
 食堂を出た秋山をにらみつけ、恵美が手近な机にすわった。憤懣やるかたないと言った様子だ。
「んだよおっ!あの態度は!」
「落ち着きなさい!」
 彩音だって同じ気持ちだ。秋山の部下で、教育も叱りも責任を持つのは全て彼女だとはいえ、あまりといえばあまりな態度だ。夕食をとる気も失せた。イライラする。気づけば正岡姉妹もどこかに行っており、三護の連中もいなくなっていた。まるで秋山にそのままついていったかのようだ。
「ありえねえよあれは!はっきり言っておかしい!あの双子もだ!」
「……まあ、外見はね。内面まではわかんないけど」
「いーや、あいつらは変だね。考えてみろよ。中尉」
「うん?」
「いいかい、私も中尉も護廷隊じゃトップだ。私はこれでも元オリンピック候補、そこらのガキには負けない。中尉もだろ」
「そりゃそうよ。そこらのガキ程度に負けてて治安維持が出来る訳ないでしょ」
「なのに、あんなガキがいきなりポッと出てくるか?それも全く情報がない。今まで存在すら知らない奴らだぞ。おかしいだろ」
 そうだ。確かにおかしい。そこまで有名なら、何かしら噂の種がある。護廷隊は噂の宝庫で、飛び交う噂も市井のそれの比ではない。有名なら何かしら流れるそれがあるはずなのに、彩音も恵美も知らない。変な話だ。
 恵美はまだ怒っている。木場が帰ってきてもそれは収まらなかった。
「医務室から帰ってきました……あのう」
「ああっ!」
「ヒッ」
 いけない。恵美はさっぱりしているが、その代わり沸騰すると際限がない。神崎よりは扱いが楽だが、面倒だ。こちらだってイライラ来ているのに、発散できないのはどうにも気持ちが悪い。
「ああ、いいから。もう気にしないで………何があったの」
「そ、それは……」
「言いなさい」
 有無など言わせない。言ったところでしつこく聞いただろうが、そんなことは許さない。食堂の空気が悪くなる。
「来島が何かをぼそぼそと言ったんです。わ、私は聞こえなくて、でも、それを聞いた途端、上等兵が怒ったんです。机をひっくり返して来島に殴り掛かって……」
「仕掛けたのは神崎か」
 恵美が棘のある声を出す。
「は、はい」
「あの野郎、すぐ頭に血が上りやがる……で、そのあとは」
「と、止めたんですけど振りほどかれて。そしたら、来島が反撃したんです。あんな小さいのに、身体を回転させて、あの……飛び上がって頭に蹴りを」
 初めて見た光景をどう伝えればいいのか分からない。そんな困惑した表情を木場は浮かべた。
「それで、あの騒ぎか」
「す、すみません」
「まあ、仕方ねえよ。ああなった神崎はもうどうしようもねえ。酒も入っていたろうしな……中尉。どうする?」
「どうするもこうするもないわよ。すぐに大尉に抗議しに行く。そのうえで来島は営倉行き。それくらいで収まる腹の虫でもないけれど、これくらいはしないと」

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