嫌われ者の女神たち

神崎文尾

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食堂にて

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 明後日には、観艦式がある。彩音は憂鬱な気分を隠せなかった。
 どたい、自分はそうした式典に向いていない人間なのだ。注目を浴びてしまうし、それに何かを返せるほど物持ちがいいわけでもない。なのに、技量確認でトップ、その外見が悪くない、という理由で儀仗隊に選ばれてしまった。三津田司令からの命令書を渡され、誇りだとばかりに広げた満面の笑みを思い出すだけで胃がきゅっとなる。
「あんたもか」
 恵美も影のある笑いで、そう言った。夕食をとるために来た食堂。毎日食べているサラダすら喉を通らない。恵美もあまり食欲がないようだった。その横にいる神崎も。彩音の従卒を務める木場だけが、どんな顔をすればいいのか迷うようにおろおろとしていた。
「いやっすよねえ、手当も雀の涙だし……わざわざ極東の島国までおいでます、ますし、ますまし」
「難しい言葉はお前にゃ無理だよ、神崎」
 神崎はすでに真っ赤になっていた。やけ酒だろうか、いつもより早く酔っぱらっているし、ため息もうるさい。イライラをなんとか抑えようとしているが、酒ではそれを助長させるばかりだろう。
「大体、海軍の連中はあほばっかりですか?こんなことは海軍が責任をもってやるべきです。こっちは首都圏で起こるかもしれないテロだのなんだので手いっぱいですよ」
「珍しく、もっともらしいことを言うじゃんよ。ま、その通りなんだけどな。この式典には陸軍も空軍もそれなりの儀仗隊を出すらしいぜ。ウチはまだ一分隊だけだからいいじゃないか」
「軍曹、そうじゃなくて……私が言いたいのは、この式典がある三日間、儀仗分隊は酒も煙草もダメなんですよ。全くやってられませんや」
「おいおい、皇族の方も来るんだから、それは我慢しろ」
「いやね、そりゃ一応こっちも崇拝がないわけじゃないから、そこはいいんですが、アメリカ大統領だのカエル食いの首相だの、そこらへんは煙草スパスパワインごくごくを許されるんだから、嫌になるんすよ。こっちが必死こいて守っても、酔っぱらうとかヤニクラで、海に落っこちられたらたまりませんからね」
 一応上官の前なのだから少しはいつもの口の悪さを正してほしい。神崎はその派手な外見から、口調が荒々しくても注意はされず、どちらかといえば敬遠されている性質だ。だから、いじけてしまって直そうにも直せない状態が続いている様な気もする。
「ま、たったの三日間だ。そのあとはアルグラで飲めばいい。いくらでもおごってやる」
「マジすか、よっしゃ。お、あれ、期待の新人ちゃんじゃないすか?」
 神崎がほら、あれ、と指さす。なるほど、そこには生き写しのようにそっくりな双子の正岡姉妹が並び、たぶんその対面は来島だ。三人ともまだ子供の顔をして、おかっぱ姿なものだから、なんだか人形のように見える。
「うわあ、なんだかなあ……怖いな、あれ」
 まだ高等小学校を出たばかりの十四、五才のはずだが、こちらから見える彼女たちはそろいもそろって能面のような顔だった。無表情に匙を口に運び、食べ物を掬ってまた口に。同じテンポで、同じ動作を繰り返している。
 気持ち悪い。確かにそう思うが、見覚えのない大人に囲まれていると自然なことじゃないだろうか。気配を消そうと躍起になり、それが悪い形で出ている。そんなふうにも見えるのだ。
「あ、あの」
「うん?」
 もじもじと木場が何かを言おうとしていた。先ほどから、一人だけ選抜から漏れたのを恥じているのか、それともひたすら嫌がっている上官に何を言ったらいいか分からないのかのどちらかだろう。
「せっかくですから呼んできましょうか?」
「はん?あれを?」
 神崎が睨むと、木場は長い身体を竦めた。この間ようやく一等兵に昇進していじめからは抜け出せたが、木場と神崎はいじめっ子といじめられっ子の関係だ。仲が悪いわけではない。せいぜいいじくられる程度で済んでいるが、間近で同期に対しての暴力を見ていたせいで、神崎に怯えている。トラウマだろうか。
「なんかヤダねえ……私、あれに負けてんだぜ。あんな人間味のない人形連中に」
「おい」
「は、なんですか中尉」
 彩音は少しすごみを利かせる。
「負けたからってそんなに嫌がらなくてもいいでしょう。ライバル意識?」
「なっ!違いますよ!大体あれ三護の新人でしょ!こっちには関係ないじゃ……あ」
 神崎を見ている。夕食時間は決まっていないので、あまり人はいなかったが、それでも神崎はすまし面を作って、何でもないとばかりに腕を振った。
「はあ……木場、呼んできなさい。あっちも気まずいでしょうしね」
「は、はい……」
 大声をあげた神崎はふくれっ面だった。もう上等兵なのだから、こんな顔は似合わない。子供っぽさを抜かないと苦労する。
「恵美、ちょっと」
 食堂を出た。恵美は何もかも了解、とばかりにため息をついた。
「仲良くしてろよ、神崎。酒が飲みたいなら大人になれ、な」

 喫煙室に行くと、恵美の口は少しだけ軽くなる。食堂から二分だけの距離のそこには何人かの同僚がいた。
「実際、神崎上等兵にはもう少し大人になってもらわないといけないわよ」
「わかってるよ、もちろん。あいつだってここ以外じゃ食っていけない」
「そうでしょう?別にここは学校じゃない。だから誰かは誰かの教師、誰かの生徒だとは教えてくれない。一人ひとりが考えなくてはならない。そうじゃないと、簡単に死ぬわよ」
「死ぬかどうかはわかんないけどな」
 まあ、死ぬだろうね、と言葉の裏で言っていた。恵美も何度か死ぬような目にあっている。国防軍時代はともかく、護廷隊に移ってからはそれこそ、その火傷の原因も含めてひどい経験をしているのだ。
「ふうーっ……あいつ、孤児でな」
「神崎が?」
「知らなかったのかよ。ちったあ部下を覚えろ」
「そこまで話したことないからわかんないわよ。いっつも一緒にいるわけでもない」
「そうだけどさあ……ま、それも指揮官としては正しいんだろうけどな」
 本当は知っている。高知県出身の彼女は生まれてすぐ孤児院に送られた。そこではあまりいい暮らしができなかったから長じて護廷隊に入ったと履歴書にあった。派手な見かけをするのは、その時学んだ処世術なのだろう。
 気持ち悪いから、いちいち言わないけどね。彩音は心の中で独り言ち、煙草クサい喫煙室を出ようとした。
「中尉~っ!」
 喫煙室を出た途端、廊下を走る木場が見えた。焦った顔をし、長い手足を動かしてこちらに走り寄ってくる。
「どうしたの!」
「じょ、上等兵と来島二等兵が……」
 その言葉を聞いた途端、ようやく喫煙室から出てきた恵美が、呑気そうな顔で詳細を聞いた。
「あーあ、やっちまったか。抑えるのも無理だろうけどな、お前敵前逃亡は―――」
「ち、違うんです!早く来てください」
 仕方ねえな、とばかりの顔をした恵美が駆け足で走り出す。彩音は廊下を走っている間、神崎と恵美に対する説教の内容を考えていた。

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