嫌われ者の女神たち

神崎文尾

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日常2 狙撃班の話

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「偏屈な人だよな。実際」
「そう、っすよねえ。なんだかなあ、もったいない、っていうかねえ……」
 売店前のテーブルに戻ると、二人ともさっきと変わらずに管を巻き始める。新兵がおずおずと二人から離れ始めた。恵美はとっくに卒業しているが、神崎のような上等兵は新兵を虐待することが多い。派手な見栄えも相まって、新兵は遠巻きになる。
「あの人、なんていうかなあ……幸せを拒否ってるてーかさ……あれだよ。どっかぶっ壊れてんだよな」
「ぶっ壊れてる……ですか?」
「うん……あいつさ。指揮取れない理由知ってるか?」
「下手だからじゃないんすか?」
「それもあるけどな。中尉は、部下になるたけ人を殺させたくないんだよ」
 恵美はグイっとビールを開ける。顔が紅潮し、怒りが露になり、紅くなったその顔の頬に、くっきりと浮かび上がる、やけどの跡。
「殺させたくない、って、そりゃ無理ですよ。こっちは殺されるかもしれないんですから。いろいろ言う人はいますけどね。あの人たちは結局問題を解決しない口だけのコメンテーターじゃないっすか」
「世の中への影響力はどうだ。私達なんかよりよほどある権威のスクラムだぜ。あれは」
「だから、何だって言うんです」
「お前は観測手だろ?仕事を全うしてくれるのは結構だが、実戦経験の中で、はっきり射殺したって意識したことはどのくらいある?」
 神崎はそう言われて、腕組みをした。上官である恵美に対してなら、あまりいい態度ではないが、目をつむる。
「まあ……ないっすよね。観測してたら、倒れる奴も、倒される敵ものぞくことはありますけど」
「だろ。二か月前の銀行強盗の時、望月が大忙しだったの覚えているか?」
「覚えてますよ。あれはひどかった」
 思い出すのも嫌だとばかりに、神崎は身体を震わせた。
 結果として殉職者一名、重軽傷合わせて四人が出たが、それ以外にも、ベテランの下士官以外のほとんどの隊員がパニックや吐き気、生理不順などストレス性の精神疾患が出たのだ。夜中に突然起きだしたりし、雷の日など、恵美や神崎はパニック状態になった新兵を抑えるのにだいぶ苦労した。軍医の望月など、鎮静剤を投与したり落ち着かせるための精神治療を間断なくしていたら、本人がノイローゼになりかけたという笑えない事態もあった。
 特に、最後の詰めの段階、支店長室に突入した水野が率いていた小隊の新兵は、そこから一か月まるっきり使い物にならなかった。とにかく大きな音には怯え、夜には目覚め、中には厨房に入って不安をかき消すように冷蔵庫の中身を口に詰め込んでいた奴もいる。無理もなかった。新兵として配属される少女たちは、その誰もがここでしか生きていけないと烙印を押されたか、素行不良が行き過ぎて社会が受け入れずに流れてきた者たちが大半なのだ。
「要するに、人を殺すってのはそれだけ拒否感が強いものなんだよ。漫画や映画みたいにすんなりいかない。事実自分が殺したって罪悪感は付きまとう。これは本能だよ。厳しい訓練や、憎しみだけで消せるほど簡単なもんじゃない。私だって、似たような経験はあるさ」
「そうなんですか?」
「当たり前だよ。私は狙撃手だぞ。引き金を引いた瞬間誰かが倒れるんだ。臓腑をまき散らしたり、脳漿吹っ飛ばしたりが日常茶飯事。その原因が私の人差し指だってんだから、これは精神病まない方がよっぽどおかしい」
「軍曹は当然、おかしくない方だと自覚しておられるんすね」
「……お前、私のことをただのサイコパスか何かと勘違いしてないか?」
「そんなことはありませんよ。でも、それと隊長が突っ込むのと、何の関係があるんです?」
 神崎もビールを煽った。呑みの席の話としてはあまりに血なまぐさすぎる話だ。酔っぱらってないととてもまともに聞いていられない。
「言い訳の整備さ」
「言い訳?」
「隊長のあいつが突っ込んでいたら、部下の下士官はとにもかくにもついていかざるを得ない。そして兵隊なんて言わずもがなだ。ここまではわかるな」
「はあ。それで」
「そのあと、中尉殿がザクザクと人を斬りまくり、殺しまくる。中尉の殺し方は残忍だぞ。端正な顔があっという間に血に染まる。はっきり言って同じ人間だと認めたくない。いっそバケモノと認定してしまいたいくらいに、中尉の戦い方はひどいもんだ」
「酒がまずくなりますね」
「観測してんなら、何度か見てんだろ?」
「そりゃ、まあ、はい。ええ、確かに」
 観測手として、目標や座標を伝える役割を果たしている神崎は、双眼鏡越しに何度も彩音の奇人のごとく戦いを見てきている。どんな相手でも容赦なく切り刻み、ナイフを突き立て、脳天に拳銃弾で風穴を開けているその姿を。
「中尉や私なんかは、意識して個人を殺している。誰を殺したか一発で理解しているし、本能的な罪悪感もある。その罪悪感を薄める一つの手段が、物理的な距離を取ることと、同じ罪を犯している仲間を作ることだ。この二つがそろえば、どんな残酷なことでも出来るようになる。私は前者を選んだ」
「では、中尉は後者を?」
「いや」
 恵美はまたビールを口にした。
「あいつはどっちも選んでいない。距離という意味では最悪だ。目の前で銃ぶっぱなす、急所にナイフを突き刺す。そのどれもがストレスを助長させこそすれ、和らげることはない」
「慣れ……とか?」
「ないわけじゃないが、限界も来る。中尉はまっすぐすぎるし、真面目が過ぎるんだ。だから神崎、少しだけでもいいから中尉には敬意を払っておけよ。部下にもそれは知らしめておけ」
「と、言いますと?」
「二か月前から、新兵が中尉を怖がっているだろ?それはいいが、バケモノみたいな扱いをさせることだけは阻止しろ。そうじゃないとな」
 中尉は本当にバケモノになりかねない。その一言をぐっとこらえ、恵美はまたビールをあおった。



「大尉、お呼びですか?」
「よしてえな。まだうち、階級章ももらっとらんし」
 否定してない。近々昇進するのは、本当のようだ。小隊編成の部隊を中隊と呼称する護廷隊では、大尉のポジションは現場総指揮官となる。要するに、昇進して秋山大尉となると、彩音はその下の隊長格になるから、直属の上司、だというわけだ。
「ご挨拶が遅れました。昇進、おめでとうございます」
「ありがと。ま、運よね。ウチは別に何かしたわけでもない。どっちかっていうと机上の空論をぶち上げ取っただけなんやけどね」
 よく言うよ、彩音は秋山を穿つように見た。挑戦的な一重の目、大きくはないが、意思の強さを前面に出した目だ。瀬戸内の方の出身で、だからと言うわけではないが、首都や大都会に対するコンプレックスが強い。方言をそのままにしているのもその表れだろう。
「ま、そうでしょうね」
 彩音は、そんな秋山のことがあまり好きではなかった。田舎者の成り上がり、そんな見下しがなかったわけでもないが、何を考えているか分からない様子が不気味だったのだ。
「なんや、言うとくけど、あんたの上司になったからには、あんな無謀な戦い方、絶対に承認せんよ。あれが見本だと、口が裂けても言えんけえね」
「私は、あれ以外の戦い方ができません」
「最初は、誰もそうやね。それでも努力するなり、なんなりと考え方ひとつで変えていけるじゃない」
「後方のテントで、指示だけしていろと言うんですか」
「そうじゃないよ。でも、将校が先頭に立ちすぎてもいいことがないんよ。第一護廷隊の鬼の隊長、って名前はよく知っているし、みんながあなたを頼るのも確か。それでもあの戦い方は許容できない」
「水野がやりますよ。その指揮は」
「なら、中尉の階級章を外して一兵卒に戻ればええじゃない。将校である意味もない。理不尽で、わがまま。それでも責任すべてを取るから、将校は将校たる資格がある」
「お呼びになったのはお説教のためですか」
「いいえ、中尉。これは警告。いつ戦死するか分からないから、今のうちに釘を刺しておいただけ。第一護廷隊の将校の命令系統や指揮官継承、そうしたもろもろは今のうちに決めておけと言っているの。水野はまだひよっこよ。平時ならいいけど戦時に指揮が取れる人材じゃない。栗峰軍曹は論外。そもそもあなたとおなじでワンマンアーミーしてるから、組織的戦闘には向いてない」
「魅力的な申し出ですが、やめておきます。勉強に精を出すとしますか」
「うん、そうしてくれると助かるわ。あとデート頑張りんさいよ」
 踵を返して、秋山の執務室を出ようとして、ぴたりと足を止める。ぎぎぎ、と周りにくい首をむりやりに回した。汗がなぜだかだらだらと出てくる。
「だ、だれから、そんなくだらない話を……」
「くだらなくはないでしょー……いいもんだよ。家庭は」
 二年前に誰もが知る男性タレントと結婚した秋山は羽振りがいい。夫と離れる時間が多いから家庭内のストレスも少ないのだろう。家事も意外と出来るようだ。綺麗どころの多い芸能界で働いている夫ではあるが、まだ冷え切る段階でもないらしい。
「財布が二つあるのはいいもんだよ、使える金が多いのも重畳。浮気されないか不安だけどね」
「されているんじゃないですか?」
「だとしてもいいよ。私だけを愛してくれるなら」
「お熱いことで……」
「なにさ。先輩としてアドバイスしているだけだよ。服決めた?」
 また聞かれた。どうやら彩音のファッションセンスは護廷隊全体で信頼されていないようだ。とはいえ、元同僚の上司に心配され、それが反りのあわないやつと来ると、どうも君がいいとは言えない。
「軍服で行きますよ」
 ぶはっと噴出した。挑戦的で、端正な顔をしているのに強面具合が抜けきらない秋山がそうすると、シュールなことこの上ない。噴出した後、二三回咳をくりかえし、声をあげて笑い始めた。
「まじで言ってんの、中尉」
「マジですよ……別にデートじゃないですし」
「貴重だよ、堅気の男とデートだなんてさ。うちらの結婚事情考えてみてよ。ほとんど国防軍の中堅幹部じゃん。だから、家庭でもぎすぎすしたり、相手の転勤で護廷隊をやめたり、あんまりいいことないけえさ。そこ、幹部の一人として考えてほしいんだよ。それに適齢期でしょ。クリスマスケーキ超えると男を色で篭絡できないよ」
「それセクハラですよ。大尉。それに今は大みそか過ぎても大丈夫です。女は一人でも生きていける」
「寂しいでしょ、それはさ」
「そこは人に寄ります。あと、一応公務の一環だと思っていますので、あまりそうした私事は考えてないですよ」
「ダメだって。何でも食いつかないとさあ」
「うっさいなあ、好子。ほっといてよ。恵美も心配してたし、そんなに私がやらかすと思う?」
 つい、昔の口調に戻ってしまう。軍学校の厳しい訓練を切り抜けた仲だ。同い年ということもあり、階級さえなければ、ざっくばらんな口調になってしまう。どうせほかにだれもいないから気を使う必要も、見栄もない。三津田中佐がいれば、それなりに間を取り持ってくれたのかもしれないが、どうせ冷やかされるのが落ちだろうと思った。
「心配もするよお……あんた、人殺しまくってさ。私達軍人って、言い訳のプロじゃろ?」
 人を殺す、誰かを傷つける。本能と良心に逆らう行動をするためには、言い訳が重要だ。だから軍人はいろいろな言い訳を心中に込めている。ある者は国のため、ある者は皆のため。そんな大仰で、どこか遠い何かよりも、言い訳にしやすいのが家族だった。誰かのため、国のため、というのでは具体性がない。早く家族を作れ、とせかされるのはそこが原因だ。
「守るものがあるといいよお、それに、天下の公務員だから、産休完備。子供が生まれてもしっかりとそれを育てる環境を作れる。最高じゃね」
「まあ、否定はしませんが、飛躍しすぎです。そういう話じゃないですから」
「部下を心配しているだけだよ。仕事を言い訳にされても困るけんね。ま、話の主題は結局さっきのことよ。部下を守るのはいいけど、部下の仕事をとるなってこと」
「了解。代えていきますよ。そうでもしないと昇進できないそうですからね」
「わかっているじゃん。その通り」
 秋山はそう言って、話を終わらせた。なんだか、楽しみにしていた食事の日があまり楽しみにならなくなってきた。その翌日はたぶん、仕事にならないだろうな。そんな気がした。
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