嫌われ者の女神たち

神崎文尾

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作戦終了 帰投時にて

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「なあ」
 装甲トラックからおり、皇居の前で伸びをしていると、恵美が声をかけてきた。すでに号令を下していて、あとやることは特にない。強いて言えば、下っ端の兵隊は身体を休め、彩音や恵美などの下士官は今日の作戦の反省や、死んだ部下への弔慰金の支払手続きなどが必要だ。
「なによ」
「怖いって。睨むなよ。ここはもう戦場じゃない。家だよ」
「そう、なのよね。ふう……」
 恵美は喫煙所に彩音を誘う。烏丸、と呼ばれる紙巻きたばこを咥えて、特に美味しくもなさそうにふかした。煙が屋外の喫煙所に広がる。
「吸う?」
「うん……いや、いいよ。そんなものでどうにかなるもんでもないし」
「まあ、そうだな……」
 恵美だってわかっているはずだ。今日の作戦はきつかった。ほとんど半年ぶりの強行突入。久々の殉職者。彩音の手には、深々とわき腹にナイフを突き刺した感触が残っている。今日の夜飯に肉が出ないことを少しだけ祈った。とても食べられそうにない。
「あんまり無理すんなよ。中尉殿。あんたは頑張ってる。私達下士官だってそのくらいわかっているさ」
「頑張って、評価されるならこれほど楽なこともないんだけどね……溝端の遺族に、手紙書かないと……実家はどこだったっけ」
「鳥取だよ、珍しい五人姉妹の長女だ。稼ぎ頭だったあいつをうしなって、たぶんとても大変だぜ」
「そうね。でも、私達にはどうしようもない。少しばかりの弔慰金とちょっとだけの年金。それで納得してもらうしかないのよ。結局は」
 それでも、護廷隊は公務員の中では国防軍に次いで、死者への弔いは手厚い方なのだ。人から嫌われることをして、常に逆風の中にいて、もらえる給料は少なく、常時命の危険にさらされている。そんな職場。
「気にはしてほしいが、気に病むな。人殺しと言うのなら、私だっておんなじさ。引き金を引いて、子どもを殺している。中尉も私も、命令に従っただけ。それだけなんだから」
「そう、よね。うん、そう考えるべき、なんでしょうね」
 命令があった。それに従った。責任は上に押し付ける。そうでもしなくては、前線で銃を握って、ナイフを突き立てて命を奪う仕事が出来るはずもない。護廷隊暮らしが長い分、恵美の割り切り方はベテランの物分かりの良さがあった。
「それだけだよ……さ、戻ろうぜ。部下を慰めるのも私たちの給料のうちさ。今日は木場に何かおごってやれ。無線通信で師岡曹長殿にえらく絞られていたからな。まあ、それなりによくやっていたさ」
「うん。そう、そうね」
 
 翌朝の新聞はひどいものだった。
「嫌われ者の女神、ねえ。いいあだ名じゃねえか。一千万都民が震える死神隊長。ご感想は」
 恵美の顔にはどこか疲れがある。広報として会見に応じた師岡が上手くことを運んでくれたらしく、思っていたよりはマイルドな書き方をされていたが、それでも、彩音にとっては気持ちのいい記事ではない。
「そんなの、どうでもいいわよ」
 どうでもよくはない。溝端の隊葬を終え、喪服のスーツで新聞を読んでいた恵美は、咥え煙草だ。ストレスの多い狙撃班所属の隊員は、一様に過度の飲酒や喫煙をする傾向がある。その中でも、恵美はマシな方だ。酷いのは、その恵美の部下である観測手の神崎上等兵だ。彼女が非番の日は朝っぱらから身体が奈良漬けになっているように酒浸り。訓練中だけはまともで、二等兵をいじめまくっているが、それが終われば売店で飲んだくれ、あきれるほど煙草をふかしている。
「好日だけは、まだましかな」
 ほら、と好日新聞を投げてよこす。
 一面は水野たちの一斉射撃で荒々しくなった銀行入り口の写真。そして、田丸の書いた記事は、昨日彩音が言った通りの八方美人なコラムだった。
 ただ、旭日は護廷隊の在り方云々を書き、銃口を突きつけた毎一に至っては、彩音の顔がでかでかと乗っている。返り血を全て綺麗に消すにはすさまじく面倒な処理が必要だったに違いないが、さすがは大手新聞社。そこの処理も抜かりがない。
「これで、私達も有名人だ」
「ええ。それでいいんじゃない。隊員は嫌われ、私は都民に石を投げられる。それでも、その人たちが子どもにこういうのよ。やめなさい、言うこと聞かないと護廷隊が来るよ……なあんてね」
 恵美と彩音は笑った。そうするしか、自分の正気を保てる気がしなかった。


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