嫌われ者の女神たち

神崎文尾

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作戦完了 支店長室にて

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「恵美、聞こえる」
『聞こえるともよ。暇で仕方がねえ、いい加減指が攣りそうだ。腹ばいでしんどいから楽にしてくれ』
「何言ってんだか、慣れっこでしょ」
『この姿勢続けているせいで胸苦しいんだよ。最近デカくなってきた。そのうちG行っちゃうねこれ』
「ばーか。で、二階はどう?」
『丸見えだよ。手広いね。人数は見える限りで五人、全員制圧可能だね』
 けらけら笑いながら、引き金を引く準備はとっくに整えているようだ。しびれを切らした犯人たちが、人質をむごたらしく殺す可能性も否定できない。となれば、ここは一気に決めてしまおう。西日がロビーを照らしていた。すぐそばに死体と重症患者がいなければ、それなりにいい長めだったかもしれない。
 水野が入ってくる。細切れのようになった天狗面の男子と、脳漿を垂れ流している女子。経験の浅い水野にとってその光景は衝撃的なものだったようだ。
「た、隊長」
「情けない声を出さないの。おびえると死ぬわよ」
「で、ですけど」
 舌打ちした。水野は少尉の階級を持つ、数少ない将校だ。経験年数は少ないにしても、指揮を執り、自分より年上の部下を持つことだってある。そんな情けない声を出されてしまえば、部下は将校を信頼しなくなってしまう。
「それより、負傷者はいる?」
「い、今のところは、いません」
 必死にえずくのを抑えている様な苦し気な声だ。糸目だから、表情があまり浮かぶ方ではないのだが、明らかにやるせない顔をしていた。後で説教だな。それを決意して、彩音はそのまま二階につながる階段を登った。
「少尉、ついてきなさい。一気に制圧する」
「人質は、支店長室だそうですが」
「その通り、だらだら交渉なんてするつもりはない。人質を出来るだけ助け、相手も出来る限り逮捕するわよ」



「こちら隊長。内海軍曹、いる?」
『ずいぶんとまあ、かしこまった呼び方するじゃん?いるけどー?』
「そっちは少し口の利き方を畏まってほしいわね。で、二階は丸見え、五人いるって言ったわよね」
『うん。今もいるね。慌てちゃって……ガキっぽくて、くそったれだけど。まあ、集まってくれているから、すぐにどうにかなるとは思うけどね』
「オーケー。今私と少尉の班が支店長室のすぐそばまで来ているの。で、下手に損害なんて出したくない」
 彩音を先頭に、階段のそばに一〇人ほどが待機している。一度号令を発したら、一気に人質解放まで行くつもりだ。
「だろうね。五人を無力化しろってこと?狙撃班って言っても、私と観測手の神崎上等兵しかいないんだけどね」
「銃口一つでも、連射すればいいでしょ」
『……あんま期待すんなよ』
「残念だけど、期待しちゃうわ。それくらいできるだろっていう信頼だと思ってね」
『りょーかい、オーバー』
 無線が切れるとガラスが割れる音がした。二階の廊下にたむろっていた一人がもんどりをうち、倒れると、その横にいたマスクが叫び声をあげた。声からして少女だ。狂ってやがる。彩音はこちらに向かってきた少女の前に立った。
「ぎ、ギブギブギブッ!マジもうギブだって!」
「は?」
「だ、だから、降参!降参!ごめんごめん!許して!」
 マスクを取り外し、涙目になって、彩音に助けを求める。髪を金髪に染めていて、チークもきっちりしている。学園生活のカーストでは上位にいるはずだ。そんな若々しい彼女の一方で、彩音は、特徴的な銀髪に返り血がついていて、上から下まで真っ赤だ。助けを求めるには、少々強面が過ぎる気もする。
「え、ええ。降参なら……」
 後ろにいた水野がしゃしゃり出ようとするのを、彩音は腕で止めた。
「へ?」
「何をふざけたこと言ってんのかしら」
 安心した顔をした金髪の少女の首元に、彩音はナイフを突き立てた。これで助かる、そう安心していた彼女の顔は、みるみるうちに真っ青になっていく。それでも、最後の抵抗だろうか。真っ青になりながらも、約束を破られたことに怒りの表情を浮かべて、彩音の襟をつかむ。
「あ、あんた……ふざけんな!」
「もう、二人確保してるからね。あんた生かしておくメリットないのよ。どうせ二人殺して、あんたらの青春ごっこは終わり。刑務所で若さを喪うくらいなら、ここで死んだ方がましでしょ」
 ナイフを抜き、階段の下に蹴り飛ばす。すでに意識も失っていたのか、糸を外した人形のように踊り場まで落ちていった。
「隊長!」
「全員支店長室まで走りなさい。血路は内海軍曹が開いたわ」
 廊下にたむろしていた五人は全員突っ伏していた。少女の降参だなんだに、変に時間を取ってしまったからには、すぐに人質のいる支店長室を制圧しないとならない。
 彩音が先頭を走り、支店長室の重厚なドアのそばに立つ。手前のドアノブ側には水野。正面には溝端上等兵が竹菱ライフルを構えている。
「フラッシュグレネードはある?」
「一発だけなら」
「鍵かけているみたいだから、ぶっ壊して、すぐに入れる。そのあと制圧。オーケー?」
「了解です」
 渋々という態度を崩さないが、これでもまだ従ってくれている方だ。恵美に至っては新兵以外の前では敬語すら使ってくれない。水野はまだましだ。
 彩音が、親指、人差し指、中指の順番で一本ずつ上げていく。三本上がった時、水野のライフルがドアノブと鍵を打ち壊し、一瞬蹴り開けた後、フラッシュグレネードを投げ込んだ。軽い破裂音がして、悲鳴も聞こえる。
「突入!」
 先頭は溝端上等兵だった。部屋に入ると、ラリアットを食らったみたいに倒れた。
「溝端!」
 水野が心配するように、溝端の近くに駆け寄る。喉を銃弾が貫き、咽喉仏とうなじに一本トンネルができていた。
「えべ、がっ」
 溝端上等兵は喉を抑えている間にも、マズルフラッシュがちかちか光り、けたたましい銃声と、人質の悲鳴が聞こえた。彩音は溝端上等兵のうしろから回り込んで、支店長室の中に入る。
「制圧しろ!」
「撃てえ!」
 二人しかいないはずだ、彩音はメクラ撃ちをしている男子を見て、検討をつけた。あれがリーダーらしい。しゃがんでいる人質の頭の上からカラシニコフを発砲している。おそらく人質の何人かは知らず知らずのうちに鼓膜が破れているはずだ。
 自動拳銃を抜き、照準を合わせる。すると、そこに人影。右手で照準を合わせていた彩音の身体を押し、体勢をずらした。
 そうだ、リーダーのほかにも一人いたのだ。彩音は水野に指示を出す。
「水野、リーダーを確保しろ!」
「了解!」
 溝端上等兵を後送した水野が先頭に、支店長室は混雑の様相を見せていた、相手のリーダーとしては、じっくりと主導権を握った交渉がしたかったに違いない。ただ、そんなことを許すほど護廷隊は呑気じゃないのだ。人質の救出も義務ではない。可能であるならばするが、警察と違って、彼女たちの治安出動は暴力が容認されている。
 水野がリーダーと相対し、人質を解放しようとしている間、彩音はとびかかってきた少女と取っ組み合いを繰り広げていた。さっきまで相対していた、見るからに子どものような連中とは違う。彩音のそれより長いサバイバルナイフで、躊躇も容赦もなく切りつけ、突き刺そうとしてくる。
「うひゃあお!」
 鼻先一センチに、切っ先が通った。全身傷だらけだが、顔にまでそれが回ってはたまらない。すんでのところで避けると、リーダーらしき男の銃撃が来る。
「隊長どいて!」
 水野が怒鳴った。いつもの糸目が少しだけ見開いている。必死なのだ。
「お前はこっち相手にしてなって!」
 少女の突き出したナイフをすんでで躱し、腕を脇の下ではさむ。腰を回すと、目方が軽いらしい少女は水野たちの方に飛ばされた。
「わわっ!」
 面倒な奴はもういない。後はあの少女を水野たちがどうにかしてくれるだろう。彩音はリーダーの前に立った。顔を覆っていたバラクラバを脱ぐ。人質らしき男女の大人が膝立ちでうつむいていた。なるほど、ロビーのピエロが喋ったとおり、二十人はいた。倒れているのを含めれば。
「くっそオ!こんなん許されんのかよ!」
「はん?何言ってんだお前」
 山内、というらしいこのリーダーはへんなことをいきなり宣った。子ども、知っている。山内の外見はいかにも子供だった。少しだけ染めた髪に、軽薄な顔。すらっとした身体は、何かのスポーツをしていたのかもしれない。
「お、俺を殺したら、あんただって殺人犯だぞ!」
 恐々と、今更ながらなことを言う。
「ああ、うん……、まー、そうなんだけどさ」
 彩音は、なんだか変な気分になった。後ろを見る。ナイフ使いの少女はすでに水野に制圧されていた。手錠を掛けられて、良いだけ殴られたらしい。整った顔が腫れていた。
「こ、こいつらがどうなっても、良いのかよ!」
 数少なくなっていた人質の男性を、腕をつかんで立たせる。男性は硬い表情のまま、何がしか考えているようだった。
「もう、どうにでもなってんじゃないの。あんた一人で、私達と交渉するつもり?」
 山内の足元には、一〇人近くの死体があった。調子に乗っていたのだろう。中には全裸の死体など、明らかにもてあそんで殺した形跡があった。山内くらいの年ともなると、大人を軽々に馬鹿にする癖が出るのは分からなくもない。
 ただ、もてあそんで、殺した。その報いを受けなくてもいいという話にはならないはずだ。
 背広を着た男性と目が合った。
 口を開いて、閉じる。口パクだけで何かを言っている。
 三、二、一。
 彩音はそれが終わるや否や、山内に近づいた。男性が腕を振り払い、床に伏せた。
「な、ちょ……」
 急いでカラシニコフを構えようとしたが、長すぎる銃身が邪魔になった。彩音のサバイバルナイフの方がよほど早い。右手で銃身を抑え、左手で逆手に持ったナイフを首元に持っていく。
「最期の言葉は」
「ふざけんな!」
「はい、終わり」
 ナイフを山内の喉首に突き立てる。大動脈に突き立てたナイフを抜くと、水を全開にしていたホースに穴が開いた時みたいに勢いよく、血が噴き出してくる。彩音はそれを顔で受けた。
「た、助かりました」
 男性の声だ。床に伏せていた、坊主頭の男性。安心しきったように胡坐をかいて、彩音を見上げていた。
「大丈夫?」
「え、ええ……アナタこそ、血だらけですけど」
「慣れちゃってるわ。残念だけどね。けが人はどのくらいいるかわかる?」
「わかりません。さんざもてあそばれましたからね。そこのガキに。トランクス一丁になっているのが支店長です……まだ、お子さんも小さいのに」
 男性は、倒れている支店長に憐憫のまなざしを向けていた。
「内海軍曹、聞こえる?」
『ああ、聞こえるけど』
 無線の向こうの声は、冷静だった。彩音はあと一押し何かがあれば、集中が切れてしまいそうなほど、精神が高揚していた。
「銀行内部制圧。今から外に出るわ。警察やマスコミにそれを伝えて」
『了解………なあ、いつも思うんだけどな。中尉がすべてを背負うこともないと思うぞ。所詮中尉なんだから』
「意外と悪くないものよ。稀代の悪女なんて、条件がそろわないとなれないもの」
『わかったよ……ま、かわりもんだあね、あんたは』

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