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23 密談と密談
しおりを挟む「姉様から電報が届いたのだけれど」
使用人達も戻り、すっかりといつもの調子を取り戻した居間で、マリゴールドがハワードから受け取ったばかりの電報を手にやって来た。
「へえ。なんて?」
アンソニーと話していたマシューは顔を上げ、妹の姿を見やる。
「私達、明日帰るでしょ。そのときにヴィオラも連れて帰って来てくれって」
「狭くないか?」
子供達がまだ小さい為に、退屈して騒がれると困るので、汽車ではなく馬車で来たのだ。行きは大人二人と子供二人だったが、そこにもう一人増えるとなると狭い気がするのだが、とマシューは心配する。
「子供三人だからたいしたことないでしょ。ねえ、あなた?」
「坊主達が大人しくしてくれてたらね」
上手く言い聞かせないとな、とアンソニーは苦笑する。二人は来るときもなかなかに騒がしかったらしい。長旅で興奮してしまっていても不思議ではないが、揃って暴れ始められると手がつけられない。
そんな二人は今、従僕達を相手に庭の方で雪合戦をしている。きゃあきゃあと楽しげな笑い声や悲鳴がひっきりなしで賑やかだ。
「カティは領地に戻っているのか?」
「そのつもりだったみたいなんだけど、やっぱりあまり体調がよくないみたいなの。ヴィオラを取り上げてくれた医者が今はロンドンの病院に勤務してるらしくて、その人がいると安心するから、って今年はタウンハウスに」
「それは大変だな」
ヴァイオレットが生まれるときにかなりの難産だった話は聞いていたが、男で、妻もまだいないマシューには、そういった苦しみはまったく理解出来ない。心から同情するのが精々だ。
そんな兄を別段冷たい人間だとは思わず、マリゴールドも頷いていた。
「そんなわけで、ヴィオラの荷造りもさせないと。先生はどちらかしら?」
「家庭教師にやらせるのか? ポリーにでも頼めばいい」
「いいじゃない。ポリーには私の荷造りを手伝ってもらうし」
うふふ、と笑みを残して部屋を出て行く。学習室にいるリュネットとヴァイオレットに事情を説明しに行ったのだろう。
「誰もいないから訊くけどさ」
雪が止んでいるうちに領地の見回りにでも出るかな、と考えかけると、アンソニーが小声で切り出して来た。
「きみとあの家庭教師のお嬢さんって、いったいどういう関係?」
「藪から棒だな」
「マーガレット嬢の学生時代からの親友だって話は聞いたよ。でも、ちょっと構い過ぎだろう、きみ」
妹の友達だから気にかけているというには少し親密が過ぎるし、マシュー達はそこまで仲がいい兄妹ではない。アンソニーの妻であるマリゴールドの友人に対してそんな態度をしているのは見たこともないし、聞いたこともない。メグの友人に対してだけというのもおかしい、とアンソニーは言う。
そうかな、とマシューは空惚けるが、十年以上の付き合いになる友人には通用しなかった。アンソニーはニヤニヤと笑みを浮かべる。
「そんな態度をしてはぐらかせても無駄だぞ。僕は見たんだからな。クリスマスの日、きみとあのお嬢さんがキスしているところを」
「キッシング・ボウの下にいたからだろう」
「それにしてはやけに長かったなぁ」
気の所為かな、でも見間違いではなかったな、とアンソニーは大袈裟に首を傾げて見せる。
やれやれ、とマシューは溜め息を零した。
「僕の一方的な好意だよ。彼女は少し……戸惑っている」
嫌がっているのだとは思いたくない。そう思いながら苦笑した。
マシューのこの答えには少し意外な思いを抱く。
「きみが片思い? 珍しいこともあるもんだ」
学生時代からの知り合いであるアンソニーは、マシューの恋愛遍歴もだいぶ把握している。いつも後腐れないような女性と付き合い、適当な期間で交際を終了し、また他の女性と懇意にしていくような感じだった。ちょっと遊んだくらいでは破産しない財産があって容姿もそれなりにいいものだから、大抵の女性は声をかけただけで付き合ってくれるという。育ちがいいくせに遊び人に向いている男なのだ。
そんなマシューが片恋をしているなど、今まで聞いたこともなかった。
「彼女はちょっと勝手が違うんだよ」
考えていることがすべて顔に出ているアンソニーの様子に苦笑しながら、マシューは肩を竦めた。
今まで付き合ってきた女性達のように高価なドレスを贈っても喜びもしないし、キスをすれば受け入れるのに、愛していると言えば泣き出すし、警戒しているのかと思えば手を出してくれと言わんばかりに無防備だし――ということで、マシューはいつも通りの手管を振るえない状況に少々困っているのだ。
リュネットに対してはどう振る舞えば最適なのか、まったくわからない。彼女は愛情に臆病なのか、信じていないのか、とにかくマシューの思い通りの答えを返してくれない。彼女の行動がよくわからない故に非常に難しい存在なのだ。
「早く抱きたいなぁ……」
学生時代からの友人と二人きりで安心しているのか、陽の高いうちに口にするようなものではない願望を言葉にし、マシューは溜め息を零す。
リュネットのすべてを知ることが出来れば、彼女への気持ちを自覚してからずっと腹の奥にある不安や苛立ちは治まるだろう。だからリュネットと早く肌を重ねたい。彼女のすべてを暴いてこの腕に抱くことが出来れば、きっとなにもかもに安心出来る。
ベッドに連れ込むのは簡単だ。あんなに細くて頼りない少女一人、担ぎ上げて運んでしまえばいいことだし、成人男性の力で抑えつけてしまえば、彼女には抵抗など出来もしないだろう。
だが、生憎とそんなことは望んでいない。嫌がっているところを抑えつけるのでは、今までに彼女を襲い、傷つけてきた、憎らしい愚かな男達と変わりやしない。力尽くで無理矢理身体を重ねるのではなく、あの頑固なリュネット自身が納得し、自分の意思で身を委ねてくれないと意味はないのだ。
何度も愛していると囁いて、あの細く柔らかい肢体にキスの花を咲かせ、一晩中抱き締めていたい。この腕の中であどけなく眠る顔を朝陽の中でゆっくりと見つめられたら、幸せで堪らないだろう。
その為には、まずは抱き締めることを許してもらわなければ。
クリスマスの夜に誓ってしまったのだから仕方なく我慢しているが、これはなかなかに厳しい約束事だった。キスが出来ないどころか、触れることすら叶わないのは、かなりの忍耐を要するのだと初めて知った。
それでも、そろそろ限界になってきている。
触れないことを己に科してしまった所為もあるかも知れない。お陰で、キスは許すのだから、その先も許して然るべきではなかろうか、と自分の経験上の流れを想定して、少々鬱憤が溜まってきている。傷つけたくはないから慎重になっているというのに、なにかのきっかけで乱暴なことをしてしまいそうだ。
メグの結婚式の頃に自分の気持ちに気づき、リュネットに思いを告げてから既にひと月近くが経っている。口説いた女性からこんなにも待たされたことは今までなかったので、その不満もあるのだろうが、この待っている時間というものは中々にストレスだ。リュネットが気持ちをはっきりとせず、期待を持たせるような態度をしていることも、新しいストレスになっているのだと思われる。
幾度となく抱き寄せたリュネットの細い肢体のことを思い浮かべ、マシューは悩ましげな溜め息を零す。まったく困ったものだ。
初めての恋に苦悩する少年のように思い悩む様子のマシューに、アンソニーは笑う。
「彼女、結構若そうに見えるけど、いくつなの?」
「メグの二つ下だから十八。三月で十九だった筈だ」
思っていたよりは上だった。口調は大人びていたが小柄だし、表情も幼く見えていたので、まだ十六かそこらだとアンソニーは思っていたのだ。
それでもマシューより十も若い。そんな若い娘に、女慣れしている筈の彼が振り回されているのかと思うと、なんだかおかしかった。
「そういう相手には、大人の余裕で紳士的に接して心を開いてくれるのを待つか、がっついた十代の少年のように押しまくるかの二択だよね」
「紳士的に待ち続けてるんだよ。これでも」
「おやおや。それじゃあ、今度は押してみる? ぐいぐい行けばころりと来るかも」
「……アート。きみ、実は面白がっているだろう?」
アドバイスをくれているようでいてそうではない。マシューは義弟をジロリと睨んだ。
「だって、きみがそんな悩みを抱えているなんて、珍しくて」
悪びれもせず微笑むアンソニーの様子に溜め息が零れる。
「うっかり話した僕が馬鹿だったな。だが、きみにも友情と良心というものがあるのなら、マリーとカティには黙っていてくれるよな?」
念を押すように尋ねると、もちろんだとも、と頼もしい頷きが返るが、どうにも怪しい。
おっとりとしたカトレアならともかく、マリゴールドに知られると面倒だ。なにを言われるかわかったものじゃない。
やれやれ、と自分の失態を嘆きながら、出かける為に席を立った。
「――それで結局、どういう感じになっているの?」
長い道中になる為にヨークの屋敷で一泊してからロンドンに戻って来たマリゴールドは、荷解きと息子の世話を使用人達に任せ、ヴァイオレットとサミュエルを送るという名目のもと、カトレアの屋敷にやって来ていた。
「まあ、待ちなさいよ。もうすぐメグも来るんでしょ?」
少し前まで久々の我が家と母の姿に喜んだヴァイオレットが、カートランドに行っている間のことをいろいろと報告していたが、疲れが出たのか、弟と一緒に昼寝をしに行ってしまった。これでようやくゆっくり話を出来る状況になったので聞きたいのだが、マリゴールドは勿体ぶって話を先延ばしにする。
もう、とカトレアは焦れたように声を零したが、言い出したメグが不在のまま報告を聞くのもどうかと思うので、黙ってお茶を啜ることにする。
しばらく子供達の話や、お腹の中の子供の話などに花を咲かせていると、ようやく末妹がやって来た。
「あら、ヘンリーさんは?」
新婚の彼女は、今日は夫と共に伺うと言っていた筈なのだが、一人でやって来た。
「聞いてよ!」
心配そうにする姉達に向かい、メグは開口一番そう叫んだ。
なんでも、二人で買い物をすると言って屋敷を出てロンドンにやって来たのだが、ここへの手土産を選ぶ為に菓子店の前で馬車を降りたところ、偶然にもジョセフ・スターウェルと会ったらしい。
「あまり聞き覚えのないお名前だこと。どちら様?」
付き合いのないマリゴールドは耳にしたことのない名前だったのだが、カトレアは夫の仕事関係から名前は聞き知っていたらしい。最近あまり評判のよくないノースフィールド伯爵の息子だ、と説明すると、
「リュヌを家から追い出した血も涙もない親戚よ! ああ、腹が立つったら!」
興奮気味のメグが付け加えた。
ジョセフはメグとヘンリーの姿を見つけ、声をかけて来たのだという。しかも、居丈高に「リュネットを返せ」と言うのだから、メグは腹が立って仕方がなかった。
頭に来たからヘンリーを突き飛ばし、二人でクラブかパブにでも行ってじっくり話し合って来い、と追いやって来たのだ。それ故に一人でやって来たという。
先日のことといい今日のことといい、ジョセフがどういう人種なのかよくわかった。自分より力が弱い存在には何処までも高圧的に接するような、最低な男なのだ。腹立たしさも倍になるというものだった。
あらまあ、とマリゴールドは呆れたように呟いた。新婚だというのにもう夫を尻に敷いているようだ。
リュネットの家の事情はメグからなんとなくで聞かされて知ってはいるが、今までほとんど関わりのなかった家故に、マリゴールドはそれほど詳しくはない。カトレアはチャールズが弁護士の仕事をしているということで、その関係から七年前のことを少し聞き知っていた。
「お兄様にこてんぱんにやられたと思ったのに、まだ向かって来るなんて、度胸だけはあるんだか、恥知らずなんだか」
「メグちゃん、言葉が悪いですよ」
呆れてしまうわ、と溜め息を零すと、カトレアはおっとりと窘める。カッカしている妹を宥める為に、取り敢えずお茶を勧めた。
「こてんぱんって、兄様なにしたの?」
スコーンに好物のクロテッドクリームをたっぷりと乗せながらマリゴールドが尋ねるので、同じくその事情を知らないカトレアも妹に視線を送った。お茶を飲んで少し落ち着きを取り戻したメグは、改めて姉達に結婚式の夜にあったことを語り始めた。
粗方聞き終えた二人は、あらまあ、と声を揃えた。
そのときの話題は、少し前にゴシップ紙に『カートランド侯爵に新恋人発覚か。お相手は麗しきご令嬢』とイラスト付きで掲載されていたが、詳細はなにもなく、今まで数々の浮名を流して来た青年侯爵は妹の結婚式後のパーティーで謎の令嬢と熱い抱擁を交わしたあと、夜の街へ消えて行った――という、なんとも中途半端な話題だけだった。いつものことだ、と妹達は興味も示さなかった。その後、マシューは領地に行ってしまったので続報もなく、謎の令嬢のこともなにも書かれていなかったので、このまま忘れて行かれようとしている話題だが、その令嬢とはどうやらリュネットのことだったらしい。
「やっぱり兄様は彼女が相当お気に入りなのね」
マリゴールドはしたり顔で一人頷いた。
「やっぱりって、なにかあったの? 早く仰いなさいよ」
先程から焦らされ続けているカトレアはカップをテーブルに戻し、妹に詰め寄った。
詳しいことを教えずに諜報活動を任せたヴァイオレットからは、リュネットに恋人はいないらしい、という情報は受け取っている。そして、マシューが彼女を虐めている様子はないという、なんだかよくわからない補足情報も受け取った。
まあまあ、とマリゴールドは余裕たっぷりにお茶のお替わりを要求してから、ようやくで話し始めた。
「彼女はとてもいい家庭教師ね。ヴィオラが慕っているのもよくわかるわ。少しだけ学習風景を見せてもらったけれど、教え方も丁寧で面白いし、テオとサミーを加えても嫌な顔もしなかったし、それどころか、あの子達を静かにさせるのが天才的に上手いのよ。驚いちゃった」
「そうなのよ。リュヌは勉強を教えるのが上手なの」
女学校時代は苦手な歴史の勉強を手助けされたことが何度かある。メグは自慢の親友の賢さに胸を張った。
「控えめだけど気は利くし、使用人達とも仲良くやっているみたいだったわよ。それとなく訊いてみたけど、悪い噂もなかったわ」
素晴らしい人材だ。自分達に家庭教師とは大違いだったな、とマリゴールドはしみじみ言う。カトレアも遠い日のことを思い出し、ふっと息をついた。
しかし、今の話題はそれではない。いいから早く、とカトレアは話の先を急かす。
姉妹から投げかけられる視線にマリゴールドは勿体ぶりながらも、ビッグニュースだ、と前置いて口を開いた。
「兄様と彼女、クリスマスの日にキスをしていたわ」
きゃっ、とカトレアは嬉しそうな声を上げ、メグも思わずニヤッとした。
「キッシング・ボウの下だったから、そういうことなんでしょうけどね。やけに長かったのよ。ヤドリギを全部捥ぐ勢いで、五分以上はキスしていたわ」
まあ、と姉妹は次女からの報告に溜め息を零した。
あの兄がキス魔なのは姉妹揃って知っているが、まさか、とも思った。けれど、マリゴールドの表情から、多少の誇張はあるのだろうが、嘘は言っていないと思われた。
「そしてね、夜は一晩中一緒にいたみたい」
姉妹達は揃って口許を押さえた。
「でも残念ながら、なにもなかったみたいよ」
溜め息混じりに言い足された言葉に今度は揃って落胆する。
三人で見つめ合い、もう一度揃って嘆息した。
「本当になにもなかったの? 一晩一緒だったのでしょう?」
カトレアは念を押す。あの兄が、一晩同席した女性になにもしていないなんて信じられなかった。しかも、昼間には熱烈なキスを交わしているような女性相手に。
そうなのよ、とマリゴールドは心から残念そうに頷いた。
「ポリーにこっそり確認したわよ。そしたら、ドレスを脱がせた様子はなかったって。ポリーまでがっかりしてるんだもの、嫌になっちゃうわ」
盛装したリュネットが夜に図書室へ入って行く場面を見かけたマリゴールドは、馴染みのあるポリーを捜して事情を聞き、リュネットを案内していたハワードを見つけると捕まえて、そちらからも事情を聞き出した。リュネットが着ていた菫色のドレスはマシューが用意したもので、そのマシューが図書室にリュネットを呼び出したという事実を確認し、こっそりと図書室を見張っていたのだ。
リュネットが入って行ってからしばらくするとバーネットが静かに出て来たので、その彼も捕まえて事情を聞いたところ、適当なところで二人きりにするように指示を受けていた、とあっさり白状したので、マリゴールドは興奮したのだという。これはなにかあるぞ、と。
「いくらなんでも兄様の情事を覗くとか、そういうことしたいわけじゃなかったけど、気になるじゃない? だって二人っきりよ?」
と、あの晩の自分の行動を理由づける。その気持ちはよくわかるので、メグもカトレアも大きく頷いた。
それから一晩、何度か図書室の様子を窺っていたのだが、二人のどちらかが出て来ることはなく、深夜の一時を過ぎた頃にバーネットが入って行くところが見えたので、出て来たところを再び捕まえて事情を尋ねてみた。中でリュネットが眠ってしまったので、毛布を取りに行くとのことだった。
下世話なことを訊くが、と前置き、二人が服を着ているのかどうかを尋ねてみると、忠実な従者は意味ありげに微笑んだだけで立ち去ってしまった。
これはどちらの意味だろう、と悶々としながら朝を迎え、もう一度探ってみようと眠い目を擦りながら寝室を抜け出すと、モンゴメリとポリーの姿が見えた。二人が図書室に入ってしばらくすると、今度は眠たそうなリュネットを連れて出て来た。
三人を追い駆けて行くと家庭教師の部屋に入って行ったので、再び様子を見張ることにし、出て来たポリーを捕まえて事情を問い質したのだった。
カートランド家に昔から仕えているポリーもモンゴメリも、主人と家庭教師の関係には薄々感づいてやきもきしていたらしく、どうにか一線を越えてくれはしないか、と期待して彼女のことを磨き上げたのに、とがっかりした様子だった。
なかなかにスリリングで楽しかった、とマリゴールドは微笑む。何度も寝室を抜け出したので、隣で寝ていたアンソニーには迷惑そうにされたことは申し訳なく思う。
「まあぁ……マリーちゃんったら」
小さい頃からお転婆だったマリゴールドだったが、二十代の半ばにもなり、一児の母となってまでそんな行動に出るとは思わなかった。カトレアは妹の行動力に呆れたように溜め息を零した。
しかし、お手柄ではある。いつまでも落ち着かない兄と、大人しそうな家庭教師の少女がどういう関係になっているのか、マリゴールドの偵察のお陰で随分と詳しく掴むことが出来た。
メグは少しだけ安心していた。リュネットがこれまで何度も男性に襲われかけていることを知っているだけに、兄が強引なことをして心を閉ざされたりしたらあらゆる意味で取り返しがつかないし、親友として大変に申し訳ない。そのあたりは兄が分別を持った人間であったことを嬉しく思う。
リュネットがマシューのことを嫌がることがなく、無防備に眠っていたらしい――これだけで大きな前進だとメグは確信している。
「そこから二日しかいなかったわけで、更なる進展を確認は出来なかったのよね。とても残念だけれど」
二人を一緒にいさせようと画策してみたりもしたが、どうにも上手くいかなかった。親密にしている様子をきちんと確認したかったのだが、無念にもそれは叶わなかったのだ。
残念だが仕方がないことだ、と三人は頷き合った。
「でも、彼女、意外と流されやすいと思うわ」
ビスケットを口に運びながらカトレアがおっとりと呟く。
そうかしら、とメグとマリゴールドは首を傾げた。なかなかに意志の強そうな少女なので、そんなことはなさそうなのだが。
「勘だけれどね」
カトレアは普段おっとりしているのに勘だけは鋭い。隠し事などには特に敏感で、彼女に嘘が通った例は一度もない。そういうときの冴え具合は、マシューよりも鋭いかと思われる。
「だいたいね、メグちゃんの話によると、お兄様のことをかなり嫌ってたのでしょう? その子がお兄様と一緒にいるのよ? お仕事を紹介してくれたからって、そんなに簡単に心を開くもの? 嫌っているのに」
「確かにそうよねぇ……私が滞在している間、そこまで嫌っているようには見えなかったもの」
距離はあったが嫌っている様子は見受けられなかった。しばらく一緒にいたヴァイオレットにそれとなく尋ねてみても、別に仲は悪くない、という答えがあったくらいなので、子供の目から見ても険悪な関係ではなかったようだ。
「でも、あまり男性慣れしている雰囲気でもなかったし、その従兄弟? の人に乱暴なことをされて怯えていたくらいなんでしょう? お兄様が判断を間違わなければ、きっと上手くいってくれると思うわ」
力で抑え込もうとする男性に怯えているのなら、優しく包み込むように接してやれば、きっと心を開いてくれる筈だ、とカトレアは言う。
この普段は人畜無害そうな姉が、社交界に入ったばかりの頃は言い寄る紳士達を手玉に取っていた娘だとは、年の離れたメグは知らない。男女のそういうことに関してはマシューよりも頭が回る。
もうこの三人の中では、リュネットをマシューの花嫁にすることで意見が一致している。兄が変な女に引っかかるよりは、しっかりした血筋の女性を当主夫人として迎えたいと思っているので、それがリュネットなら最適だと思っている。
今は職業婦人として生きているので、結婚となればとやかく言ってくる親戚もあるだろうが、元の身分を回復すれば問題ないことだ。そのことに関しては法律の専門家であるチャールズにはもう相談済みである。
女学校を飛び級して卒業するほどに優秀であるし、家庭教師をしているくらいなので知識も豊富で賢い。厳格な女学校で礼儀作法も仕込まれているので、貴族の当主夫人となっても問題なく生きて行けるだろうし、家名の恥となることはないと確信している。何度も男性に襲われかけて苦手意識を持っているようなので、浮気をするとか、若い男を愛人に囲うとか、そういう心配も一切ないだろう。
あとはマシュー次第だ。
彼がリュネットの心を開かせ、彼女もマシューを受け入れてくれたら、兄の今後を案じる妹達の計画は達成される。
取り敢えず、あまりまわりから突くのは逆効果になるだろう、と三人は頷き合う。リュネットは昔から儚げな容姿に反して頑固で意地っ張りな面もあるし、マシューも昔から女性関係のことには口出しされることを嫌う。まわりからやいのやいのと口を出して、無理矢理くっつける方向に動こうとすれば、特にリュネットの方が嫌がって逃げてしまいそうだ。
必要なら少しお膳立てすることくらいはするが、なるべくなら穏便に見守って行くべきだ、という意見で三姉妹の方針は一致した。
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