侯爵様と家庭教師

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20 侯爵様と聖夜の囁き

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 翌日の二十五日クリスマスは朝から雪が降っていた。
 今まで降り積もっていた分に加え、更に五インチほど高く積もったようだ。今外に出たら、膝の高さまですっぽり埋まってしまうだろう。

「僕の方が速いからな!」

「僕だもーん!」

 身支度を整えていると、ドアが乱暴に開く音とバタバタと駆け出す足音に驚く。
 どうやらサミュエルとテオドールが起き出し、ツリーの下に積まれたプレゼントの山を目がけて競争を始めたらしい。早朝のしんとした屋敷の中に突如として響き渡った騒音に、リュネットは苦笑を漏らした。
 いつものようにきっちりと髪を纏めて部屋を出ると、丁度ヴァイオレットも部屋から出て来たところだった。

「サミュエルさんとテオドールさんはもう下に行ってしまったみたいですよ」

「知ってます。あの音で目が覚めたから」

 二人より三歳お姉さんのヴァイオレットは、少し大人ぶった表情で溜め息を零した。
 まだプレゼントが楽しみな年頃だろうに、年少者のお手本になろうとしているのだろうか。しっかりしている。

 揃って居間に向かうと、先に辿り着いていた少年達はプレゼントの山を掻き分け、誰宛てのものか仕分けている真っ最中だった。さすがに他の人の分まで勝手に開ける気はないようだ。

「これとこれはお姉様の分で、こっちはテオの。これは僕! これも僕!」

「これはサミーの、これとこれは僕の。これはヴィオラので、こっちはサミーのだ」

「あっ、これは先生からのプレゼント? いつの間に用意してくださったのですか?」

 弟達が仕分けをしている横でヴァイオレットが初めに開いた包みの中から出て来たのは、リュネットが刺繍した櫛入れだった。裁縫が苦手だった為、櫛入れ自体は裁縫上手なミーガンに頼むと一晩で作ってくれたので、そこにヴァイオレットのイニシャルと、彼女が好きだと言っていたチューリップと蜜蜂の刺繍を施した。

「可愛い!」

 ヴァイオレットはそれを眺めてにっこりと微笑み、嬉しそうに礼を言って来た。
 ズルをしてしまったような気がして少し心苦しく思っていたのだが、その笑顔ですべて許されたような気分になる。一応、ミーガンとは交換条件で、彼女の妹へのプレゼントというぬいぐるみの服に可愛らしい刺繍をしたのだが、あとで改めてしっかりと礼を伝えておかなければ。
 サミュエルとテオドールには大急ぎで用意することになったので、簡単に作れたマフラーと帽子を毛糸で編んでおいたのだが、それに気づいた少年達はとても喜んでくれた。外遊びのときに丁度いい、とにんまりするので、昨日のようなことにならないように、と慌てて注意すると、風呂のあとにもふざけていると、実の父達よりも恐いマシューから説教を食らったことを思い出し、しゅんとした。

 子供達が粗方包みを開け終わった頃、大人達が居間へとやって来た。

「こんなに散らかして……」

 マリゴールドが呆れたように言うが、アンソニーが散らかった包み紙をにこにこと笑いながら集めて行く。妻から「自分でやらせなさい」と文句を言われるが、息子に甘い父親は気にしなかった。
 一家団欒のときを邪魔してはいけない、とリュネットはそっと立ち上がって居間を出た。
 楽しげに笑い合う家族の声を聞いていると、ほんの少しだけ羨ましい気持ちになった。リュネットが家族とあんなに楽しげな十二夜を過ごしたのは、もう随分と昔のことになってしまっている。

 使用人達のところに行こうと移動していると、マシューが降りて来た。いつも九時過ぎまでは寝ている彼にしては珍しい早起きだ。

「お早う」

 やはりまだ眠いのか、少し気怠げな声で挨拶を告げられる。
 お早うございます、と返しながら振り返って見上げると、彼は微笑みながら包みを差し出した。

「はい。メグから預かっていたんだ」

「ありがとうございます」

 クリスマスプレゼントだ。メグへのプレゼントは、ロンドンにいるうちに時期が来たら届けてもらうように手配してあるので、彼女も今頃受け取ってくれていることだろう。
 リボンにカードが挟んであったので開いてみると、去年贈れなかった分も込みで奮発した、と書いてあった。行方不明になっていたことを遠回しに責められているようで、ほんのちょっとだけ申し訳なく思いながら包みを開くと、中身は本だった。

「――…ああ……!」

 リュネットは双眸を瞠り、思わず声を漏らした。
 メグからプレゼントは、フランス人の作家シャルル・ペローの童話集――その初版本。
 それは、大好きな父との思い出の本だった。
 七年前に両親を失ったとき、持ち出すことの許されなかった大切な本。
 もう一枚添えられたカードには、リュネットが大切にしていた本とは同じものではないけれど、同じ初版本を捜したので贈らせてもらう、と記されていた。
 記憶の中にあるものと同じ装丁の、同じ文章、同じ挿絵に、リュネットは涙が溢れそうになる。

「嬉しそうだね」

 ハンカチを差し出してマシューは微笑む。それをそっと遠慮しながら、ええ、とリュネットは頷いた。

「亡くなった父との思い出が詰まっているものと同じ本なのです」

 表紙を見つめていると、そこに添えられていた父の手がはっきりと思い出せる。男の人にしてはあまりごつごつしていない指先が本を持ち、少し高めの柔らかい声が優しく文章を読み上げてくれていた。せがめば何度でも繰り返し読んでくれた父の声を思い返しながら、そっとその表紙を撫でる。
 懐かしい、と微笑みを浮かべていると、マシューの手が頬に触れた。

「無防備だね、ミス・ホワイト」

「……は?」

 訝しむリュネットに対してマシューは「こんな場所にいていいのかな」と囁きながら、スッと上を指差した。
 指先を追って上に視線を向けると、吊るされたヤドリギの飾りに目が留まる。
 あっ、と小さく声を漏らした。
 クリスマスの日に飾られるヤドリギ――キッシング・ボウという名のそれは、その真下にいるときに女性は男性からのキスを拒めないという代物。

「遅いよ」

 慌ててその場を離れようとしたリュネットの腰を引き寄せ、マシューは揶揄うように囁いて微笑んだ。
 駄目、と拒絶しようとした唇は、ふんわりと塞がれる。
 優しく触れただけのキスで済ませたマシューは、小さく含み笑いながらヤドリギの実を捥ぎ取った。

「……どうかした?」

 いつもならもっとしつこくしてくるというのに、あまりにも簡単に離れた様子に少しだけ驚いていると、彼はもう一度笑う。
 まるで今のキスでは物足りなく、もっと激しいキスを求めていたようではないか、とリュネットは自分の考えを恥じた。頬を淡く染めて首を振り、腰を抑えているマシューの手をやんわりと外す。
 しかし、もう一度マシューに引き寄せられる。驚いて振り仰いだ瞬間に、再び唇が重なり合った。リュネットは声も上げられずに震え、落としそうになったメグからのプレゼントを強く抱き締める。
 マシューの手が先程と同じようにヤドリギの実を捥いだので、これで終わりだと離れようとしたが、それは叶わず、彼の手はもうひとつ、ふたつ、とヤドリギを捥いでいく。

「侯しゃ……もう……、んぅっ、ん」

「ルール違反はしていないよ?」

「でも……んっ」

 キッシング・ボウを丸禿げにするつもりだろうか。揶揄う調子で笑いながらキスをしてくるマシューの態度に眉を顰めながらも、しっかりと腰を抱かれているので碌な抵抗も出来ず、リュネットはされるがままだ。
 こんなところを子供達に見られたら――それが不安だった。

「――…もぅ、駄目です!」

 一瞬唇が離れた隙に首を大きく背け、突き飛ばすように胸を押す。足りなかった酸素を補給するように大きく呼吸を繰り返しながら横目でキッシング・ボウを見ると、半分ほど実がなくなっている様子が目に映った。なんてことをしてくれたのだ。
 ドキドキとする心臓を宥めて落ち着けながら抗議の気持ちを込めて睨みつけると、マシューは意味ありげにニヤリと笑みを浮かべ、唇に指先を当てて「残念」と囁いた。

 こうしてリュネットの降誕祭クリスマスの一日は幕を開けたのだった。




 今日も勉強は休みとし、日中はヴァイオレットにせがまれるままに一緒にピアノを弾いてやったり、歌を歌ったり、本を読み聞かせたりした。
 やんちゃ小僧達は外に出かけたさそうにしていたが、マシューから無言の圧力を感じたらしく、大人しくヴァイオレットと一緒に歌を歌ったりして過ごしていた。

「いつもこれくらい大人しくしていればいいのに」

 苦笑したマリゴールドが溜め息交じりに呟くので、居合わせたメイド達は昨日のことを思い返し、まったくその通りだ、と内心で強く同意する。リュネットも心の中で大きく頷いてしまった。

 やんちゃはやんちゃだが、じっと座って人の話を聞くことが出来ない子供達ではないので、リュネットがクリスマスに関するいろいろな知識や、伝わっている物語などを語って聞かせると、真剣な表情の中に好奇心をキラキラさせながら聞き入ってくれた。これはこれで嬉しくなる。
 マリゴールド達は夫婦の時間を大切にしながらも、時折リュネット達の許へ顔を見せ、子供達の様子を見守っては立ち去ったりと穏やかな時間を過ごしていた。

 昼寝やお茶の時間などを挟みながらいろいろ語ってやっていると、一日はあっという間に暮れて行く。子供達は一日静かに過ごしていた。

 姿の見えないマシューはというと、村人達の開く宴会に招待されているらしい。毎年のことで、領主としての務めのひとつのようだった。ああ見えてきちんと領主としての仕事はしているのだな、と少々失礼ながらも感心した。

 晩餐の時間になると、今年は他に滞在している一族の人間がいないので、子供達も特別に大人と同じテーブルに着くことになった。いつもは別々に食べている夕食を共に過ごすことになり、更には慣れない盛装姿のおめかしで、子供達は興奮気味だった。
 給仕をしていた従僕達の話によると、子供達はテーブルマナーも覚束ない様子だったが、大人達に教わりながら食器を扱い、大人と同じように振る舞えることを喜んでいるようだったらしい。緊張している様子さえもとても微笑ましい姿だった、と皆が笑顔になった。

 そうして、この日ばかりは使用人達の食事もご馳走になる。
 いつもより手の込んだ夕食がテーブルに所狭しと並べられると、少食のリュネットでも心が弾む。今まで勤めてきたどの家よりも食事が豪華だった。
 いつものように家令のハワードが席に着いてからの食事となったが、普段はキッチンの隅で手早く済ませる料理人やキッチンメイドも同席している所為か、今日はいつもより笑い声が多かった。リュネットでさえも、いつもは滅多に話をしない従僕達と会話を交わし、笑みを浮かべた。

 食後にはクリスマスプレゼントが配られた。本来なら朝に配られるべきなのだが、今年は上手く時間が取れず夜になってしまったことをハワードが詫びたが、誰も責める者はいなかった。
 ミーガン曰く、マシューからのプレゼントは毎年どの箱にも違うものが入っていて、お互いに見せ合うのがちょっとした楽しみになっているのだとか。ハワードとモンゴメリからは実用的なものが配られるらしい。
 リュネットはカートランド家の雇われ人ではあるが、使用人ではないので、数の内には入っていなかった。ミーガンはそれが不服そうな表情をしたが、リュネット自身はたいして気にならなかった。

 楽しい時間はあっという間に過ぎたが、そうなると今度は子供達をベッドに押し込む時間だ。リュネットは食後のお茶を少々急ぎめで飲み干し、子供部屋に向かう為に階段を目指した。

「あ、エレノアさん。ちょっと」

 階段を三段ほど駆け上ったところで呼び止められ、ひょいっと振り返る。そこにいたのは家政婦長ハウスキーパーのミセス・モンゴメリとタウンハウスのメイド頭ポリーだった。

「なにかご用ですか?」

「ええ。お子様達の寝かしつけはサラさんがやってくれますから、あなたはちょっとこっちにいらっしゃい」

 用事があればなんでも言いつけてくれ、と以前に伝えているので、人手の欲しいときに呼ばれることはあったが、二人揃ってなにか言って来ることは初めてだ。
 少し怪訝に思いながらもついて行くと、案内されたのは屋敷の主人達が使う浴室だった。
 浴槽にはまだ熱そうな湯が張られているので、誰かが使ったあとだろうか。香油を入れてあるらしく、花のような優しい香りが湯気となっている。

「さあ、脱いで」

 片づけを手伝うのかな、と思っていると、モンゴメリがそんなことを笑顔で言った。
 驚きつつも、今のは聞き間違えかと思って首を傾げていると、ポリーが服を脱がしにかかる。

「えっ? あの!?」

 風呂には昨日入ったので、今日は身体を拭くだけで済ませようと思っていたのに。
 手際よく脱がせていくポリーの手からコルセットの結び目を死守しようと頑張るが、彼女は思っていたよりも力が強く、リュネットの手を難なく引き剥がして紐を緩めていく。

「時間がありませんのよ、

 棚からバスソルトなどを取り出し、入浴の準備をしながらモンゴメリがその名を口にする。リュネットは双眸を瞠った。
 つまりこれは、マシューの指示なのだろう。
 何故こんなことをさせるのか、となんだか腹が立ってきたが、彼女達に非はない。ただ主人から出された指示に従っているだけなのだ。
 彼女達を困らせる気はないので、大人しく風呂に入ることにした。いい香りのする湯に身体を沈めると、腹立ちが少しだけ治まる。そのことがまた少し腹立たしい。

 身体をざっと洗うと、髪や肌に香油を塗り込まれていく。こんなことは初めてで、少し擽ったかったが身を捩って我慢し、されるがままに任せておく。
 湯から上がるとタオルを巻きつけられてストーブの前に座らされ、洗い立ての髪の毛を乾かされる。その間にリュネットは身体の水気を拭き取った。
 長い髪が粗方乾くと今度は真新しい下着を渡されたので、その美しく繊細なレースに見惚れながら身に着け、コルセットを締められる。いつものように胸を潰す締め方ではなかったことが少し不満で恥ずかしかったが、これが本来の正しい締め方なのでなにも言えず、ポリーに任せるしかない。

 そうしているうちに、髪を乾かしている間に少し退室していたモンゴメリが大きめの箱を抱えて戻って来る。蓋を開けると中からは菫色の絹のドレスが出て来た。
 まさかその高価そうなドレスを着るのだろうか、と思わず眉間に皺を寄せていると、その予想は当たったらしく、二人がかりで着つけられる。サイズがぴったりだったことには驚かなかった。どうせマシューの手配だ。

「よくお似合いですわ、レディ・リュネット」

 新しいドレスを着る為に風呂に入れられたわけだ、と納得しつつ、滑らかな肌触りのドレスに指先を滑らせる。この前の青いドレスより少し華やかなデザインだが、リュネットの好みから大きく外れているわけではないことに、ほんの少しだけ好感が持てた。
 最後の仕上げに髪型を整えられることになるのだが、結い上げることはされず、何度も丁寧によく梳いたあと、毛先を軽く鏝で巻かれるだけで終わってしまう。髪を下ろしたままにするなんてみっともないが、どうやらマシューはリュネットが髪を結うことが気に入らないようで、いつも文句をつけて来る。今のこれもきっと彼の指示なのだ。
 さっき香油を塗り込まれた所為か、髪が揺れるといい匂いがしてくる。カモミールかな、と考えるが、こういったことにはあまり詳しくないのでよくわからない。けれど、貴婦人が身体に振り撒く香水よりも優しい香りで好きだ。

 さあ、と促されて廊下に出ると、ハワードが立っていた。

「こちらへどうぞ、レディ・リュネット」

 彼までもその名前を口にするので少々うんざりしつつ、案内に従って行くことにする。どうせ逆らってもいいことはなにもないのだ。
 辿り着いたのは図書室だった。

「レディ・リュネット・スターウェル様をお連れしました」

 ドアをノックして告げる口上が、まるで来客を知らせるような口振りだ。ほんの少しの緊張を感じながら待っていると、中からバーネットがドアを開ける。

「主人がお待ちです」

 彼もまるで来客に接するような態度だ。
 怪訝に思いながら中に入ると、部屋の中はいつもより薄暗い。部屋の随所に配された燭台に灯は入れず、ぽつりぽつりと置かれた可愛らしいフェアリーランプがほんのりと足許を照らしている。

「ようこそ、レディ・リュネット・アメリア」

 まるで知らない部屋に迷い込んだかのような不思議な感覚に陥っていると、部屋の奥から声をかけられる。マシューだ。
 盛装したリュネットと同じように、彼もまた盛装している。
 彼が夜会の為に燕尾服テールコートを着ている姿は何度も目にしているが、この薄暗がりの所為か、いつもと違う人物のように見えてくる。その姿をしげしげと眺めていると頬にじんわりと熱が昇った。
 熱くなった頬に戸惑いを隠せず狼狽えていたが、その心境を悟られたくなくて、わざと眉間に皺を寄せてマシューを睨みつける。

「あの、侯爵。いったいこれはどういうことでしょう? ご説明願えますか?」

 声が僅かに上擦った。その所為でまた頬が熱くなる。
 マシューは笑みを浮かべ、リュネットへ向かって手を差し出す。

「そんな遠くにいられると話しづらい。説明をする為にも、こちらに来てくれないか?」

 さあ、と優しく促される。
 彼の後ろには暖炉があって、その前へソファが置かれている。雪の積もった冷え込む夜に語らうには相応しい場所だ。
 そっと後ろを振り返ると、ドアの傍にはバーネットが控えている。入って来たドアは閉められていたが、中に人がいるのなら少しは安心だ。例え彼がマシューに対して忠実な従者であっても、助けを求めればさすがになんとかしてくれるだろう。

 リュネットは躊躇いがちに一歩を踏み出し、爪先が毛足の長い絨緞に沈み込むのを感じ取りながら、一歩一歩ゆっくりと進んで行く。

「随分と慎重だね」

 マシューの差し出した手に礼儀として手を預けると、彼は苦笑した。そうして、慣れた仕種でリュネットを座らせる。
 リュネットがソファに腰を下ろしてドレスの裾を軽く直していると、マシューは傍に置かれたテーブルの上でグラスに酒を注ぎ始める。あの細身のグラスは見たことがあるぞ、と暖炉の灯りを反射して揺らめく黄金色の液体を見つめた。

「あの、このドレス……」

 注ぎ終わったボトルを戻しているマシューの後ろ姿に向かい、躊躇いがちに口を開く。

「侯爵が用意してくださったのですか?」

「うん」

「そう……その、ありがとうございます」

 こんな高価なものをもらっても嬉しくないし、また襟刳りが大きく開いているので少し恥ずかしくて落ち着かないが、礼儀としてきちんと礼は伝える。

「僕からのクリスマスプレゼントだよ。気に入ってくれると嬉しいんだけど」

「あまり着慣れてないので、なんとも言えませんが、とても素敵なドレスで……本音のところ、少し戸惑っています。こんな高価なものを……」

「値段のことは気にしてはいけないよ、リュネット。そういうのは男にすべて任せておけばいい。着慣れないのはこれから慣れていけばいいよ。きみはまだ若いのだから」

 マシューは微笑み、ふたつ持っていたグラスの片方を差し出す。

「あの、私、お酒は……」

「もちろん知っているよ。でも、今夜は折角のクリスマスだし、乾杯しよう」

 確かにそうなのだが、それでもリュネットは手を出せずにいた。最近お酒での失敗が続いているので慎重にならねば。

「少量にする為に細身のグラスに変えたんだ。これくらいなら飲めるだろう?」

 マシューはそう言って苦笑する。確かにこの細身のグラスは本来ならワイングラスではない。その違いくらいはリュネットにもわかる。
 差し出されたグラスの中で揺れているのは、淡い黄金色の液体。嘗て家族やメグに、まるで月の光のよう、と例えられたリュネットの髪の色に似たお酒。
 リュネットは躊躇いがちに手を差し出した。

「ひと口しか、飲みませんからね」

「いいよ」

 リュネットがグラスを受け取るのを見届けると、マシューは隣に腰を下ろし、グラスを掲げた。一瞬どうすればよかったのかわからなくなるリュネットだったが、同じようにグラスを掲げ、そっと近づける。
 キン、と涼やかな音色が零れた。

「メリークリスマス」

「メ、メリークリスマス」

 本当にこういうことは恥ずかしくなるくらい慣れていない。たどたどしく口許へグラスを運び、ほんのひと口だけ口に含む。想像していたのと違う味だったが、思っていたよりも甘い飲み口だった。アルコール臭もあまり気にならない。
 飲み慣れていないリュネットの為に用意してくれたのだろうか、と思いながら、もうひと口だけ飲み込む。果実水とは違うが、飲みやすい甘さだ。
 マシューはすぐに自分の分を飲み干したらしく、空になったグラスをテーブルに戻した。まだ半分以上入っているが、リュネットも倣って戻す。

 会話が途切れて沈黙が降りて来た。話を切り出すタイミングが掴めず、暖炉の中で炎が爆ぜる音だけが静かに響く。
 そっとマシューの方を見ると、彼はいつから見ていたのか、リュネットのことをじっと見つめていた。その瞳のまっすぐさにドキリとする。

「――…あの……」

 たった今飲み物を口にしたばかりなのに、声が喉の奥に乾いて張りつく。それ以上が言葉にならず、ただマシューの顔を見つめ返す。
 暖炉の灯りを受けた彫りの深いマシューの顔に、炎の揺らめきに合わせて影が踊る。灯りを背にしている彼の顔は少し見えにくいのに、その深い緑の瞳の存在だけははっきりと感じられ、落ち着いてきた筈のリュネットの頬はますます熱くなった。

「今夜は、どうしてここに……?」

 これは約束の一時間の面会なのだろうが、いつもはマシューの部屋なのに、どうして今夜は場所を移したのだろうか。問いかける声が微かに震えたが仕方がない。
 リュネットの問いかけにマシューは少し黙っていたが、その手がそっとリュネットの手を取り、口許へと運ばれる。
 ハッとして振り解こうとするが、指先に口づけられる。そこから全身に熱が広がるようだ。

「あの……」

 困惑しながらもう片方の手でその手を解放しようとするが、それも囚われ、押し戴くように両手を握られ、再び口づけられる。
 リュネットは自分の頬が真っ赤になっていることを感じる。いや、もしかすると、身体中全部かも知れない。全身が熱い。

「きみは僕の言うことをちっとも信じてくれないから」

 どうすればいいのかわからなくて戸惑っているリュネットに、マシューはひっそりと囁きながらもう一度口づける。
 暖炉の炎を反射した緑の瞳が鮮やかにきらりと煌めき、戸惑いに揺れるリュネットの濃紺の瞳を捕らえる。

「今夜はきみが信じるまで、きみに愛を囁きたいと思う。例え一晩中でも」

 捕食されるのかと思えるほど強い瞳に、リュネットはどうしようもなくて首を振る。下ろされたままの金糸の髪がぱっと薄暗がりに踊り、炎の灯りを受けて煌めいた。

(ああ――やはりお酒なんて頂くべきじゃなかった)

 甘くて飲みやすいからふた口も飲んでしまったが、お陰で徐々に思考が鈍くなっていくのを感じる。しっかりしろ、と叱咤しているのに、ゆっくりとぼんやりしていく。

「愛、って……本気のお話だったのですか?」

 ジョセフに対する嘘の延長だと思っていた。冗談だと思って流して来たのに。
 酷いな、とマシューは苦笑する。

「僕が冗談なんて口にすると思う? きみに対してはいつも誠実だった筈だ」

 なんとか手を振り解いて離れようとするが、それよりも一瞬早く、マシューの手はリュネットの腰のあたりに伸びていて、引き寄せられる。勢い余って目の前の男の胸に倒れ込むと、そのまま抱き竦められた。

「ねえ、レディ・リュネット――僕の愛しいお月様リュヌ

 耳許で名前を囁き呼ばれる。鼓膜を震わせた低音に身震いして思わず目を閉じると、耳殻に口づけられる。

「何度愛していると囁けば、きみは僕の夜を照らす月になってくれるんだろう」

 そんなこと知るわけがない。

 リュネットは思い知る。
 この夜は今までで一番長いものになることを。



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