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12 変則スタッグ・パーティー
しおりを挟むカートランド邸に戻って泊まっているメグの部屋に入ると、リュネットはドレスとコルセットを脱ぎ捨て、下着姿になってベッドに潜り込んだ。心配したメイドに声をかけられるが、疲れて眠いだけだから、と答えておく。
幸いにも頭痛などはなく、ただ少し身体が怠い。履き慣れない踵の高い華奢な靴を履いていたので、脹脛から爪先まで足はくたくただ。
(あ、膏薬…………まあ、いいか……)
瞼を閉じるとそのまま意識が沈み込んだ。やはり寝不足だった所為もあるらしい。
ほんの少しそうしていたつもりだったのだが、揺り起こされるような感覚に重たい瞼を開けると、部屋の中には僅かに茜色が差し込んでいるが、もうほとんど暮れている時間帯だった。
驚いて頭を持ち上げると、メイドがホッとしたような表情でこちらを見ている。
「もう一度お出かけになると伺っています。お支度は如何なさいますか?」
「あ、はい……お願いします。今、起きます」
もそもそと起き上がって目を擦ると、お湯で絞ったタオルを渡された。有難く受け取って顔を拭い、寝惚けた頭をしゃっきりとさせる。
その間に着替えのドレスを用意してくれていたのだが、それがあの青いドレスで、なんとなく憂鬱な気分になる。やはりあれを着るのだ。
本当に素敵なドレスだとは思うが、自分にはあまり似合っているような気がしないし、なんとなく嫌だなぁ、と感じたが、他に着て行くのに適当な服がないのも事実。せっかくの贈り物にケチをつけるのも失礼なので、袖を通させてもらうことにする。
仕立て屋のマダム・ミレーユは、提案してくれたように胸許のデザインを修正してくれていた。深く開いていたデコルテラインを少し詰めてレースを重ね、谷間が強調されている感じを抑えてくれている。仮縫いしたときよりもずっといい感じだ。人気の仕立て屋だという話だったが、本当に腕がいい人なのだな、と改めて感心した。
「御髪はこう結い上げて、後ろを垂らすようにと言われているのですが、それでよろしいでしょうか?」
最後の仕上げに鏡台の前に腰を下ろすと、身支度を手伝ってくれていたメイドにそう言われる。
誰の指示かなんてすぐにわかった。けれど、きっとそれに反抗してもいいことはないので、大人しく従うことにする。高価なドレスを用意してくれた対価の一部だと思えば安いものだ。
結い上げた髪に、メイドは天鵞絨の上等な箱から取り出した高価そうな銀の櫛を挿した。
「そんな高価そうなもの……」
リュネットは鏡の中に映る櫛の様子を見つめながら、僅かに言葉を失った。
「旦那様がドレスに合うだろうとご用意くださったのですよ」
櫛の位置を微妙に調整しながら、メイドは言った。
やはりな、と思いつつも、おおいに戸惑った。ドレスといいこの櫛といい、リュネットの予算を大きく超えた品物で着飾らされるのは少々不愉快だ。彼と自分はこういうことをするような間柄ではない。もっと節度を持って欲しい。
「何処かに引っかけてしまいそうだわ」
蔓草のように繊細に絡み合う細工に、小粒の真珠やダイヤモンドが散りばめられ、星を糸で繋ぎ合わせたかのような意匠だ。綺麗だとは思うが、壊しそうで恐い。
「大丈夫ですよ」
メイドはリュネットの不安を拭うように微笑みかけ、後ろに垂らしている髪に鏝を当てて緩い巻き髪を作る。癖がつきにくい髪質だが、数時間なら保つだろう。
仕上がりを確認して鏡を覗き込んでいると、ノックが響く。メイドがドアに向かって行って開けると、盛装したマシューが立っていた。
「入ってもいいかい?」
「……どうぞ」
マシューが部屋に入って来ることに慣れ始めている自分がいることにうんざりしつつ、ここは彼の屋敷なのだから拒否をするのもおかしなものだ、と説得しようとする自分がいることにも気づいた。なんだか変な気分だった。
「メグからこれを預かって来た」
リュネットの後ろに立って取り出したハンカチを開くと、目の前に差し出してくる。そこには母の形見の首飾りがあった。式に臨むメグに貸したものだ。
「首許が寂しいね。これをつける?」
母の形見はずっとしまったままで、身に着けたことはない。けれど、銀細工にスターサファイアと小粒のダイヤモンドが並んだそれは、この青いドレスに合うような気がした。
受け取ろうとすると、スッと引かれて「つけてあげる」と言われた。
「そういうの、結構です。自分で出来ますから」
迷惑そうに告げて取り返そうとするが、マシューは渡す気はないらしく、留め具を外してにっこりとしながら掲げた。
相変わらずこちらの意見を聞くつもりはないらしい。溜め息をついて諦め、髪を持ち上げて首筋を晒した。
マシューの腕が顔の横を掠め、慣れた手つきで留め具を嵌めている。首の後ろに指先が僅かに触れて、その冷たさにぞわりと鳥肌が立つ。思わず身震いしてしまった二の腕をぎゅっと押さえると同時に首飾りが胸許にかかる。
「いいね。青はきみによく似合う」
鏡に映るリュネットを見つめ、マシューはにっこりと微笑む。確かにこの首飾りは、自分にとてもよく似合っていると思う。
亡き母の物が似合うほどに自分は成長していたのだな、と思うと、なんだか感慨深い。考えてみれば、もうすぐ母の亡くなった年齢にも追いつくのだ。
「綺麗だよ、レディ・リュネット」
囁き声が耳朶に触れ、その異様な近さに眉を寄せるよりも早く、首の傍に温かい感触が当たった。
「――…なっ、なにをなさるんですか!?」
鏡越しにはっきりと見た。マシューが綺麗な曲線を描く肩に口づけるのを。
リュネットは青くなるやら赤くなるやら、顔色を悪くして立ち上がり、マシューを振り返って睨みつけた。
心臓がどくどくと大きな音を立てている。あまりの驚きに手足が震えた。
そんなリュネットに対し、マシューは悪びれる様子もなく躱すと、時計を眺めて「時間だね」と零した。
その声を合図にメイドは用意してあったコートを持って来て、マシューを警戒して鏡台に背中を押しつけているリュネットを宥め、それを着せ掛ける。毛皮のひんやりした感触が肌に触れ、昂った感情が僅かに抑えられるが、早鐘を打つ心臓はまだ治まりそうにない。
いつものようにマシューが手を差し出したのが見えたが、それを無視して部屋を出る。
(あんな……あんなことをするなんて……ッ!)
頬が火照る。怒りと恥ずかしさからだ。
あんな風に触れて来るなんて、どう考えても失礼ではないか。リュネットはマシューの恋人でもなんでもない。多少は親しいかも知れないが、分類すれば『ただの知り合い』もしくは『友人の兄』だ。間違いに間違いを重ねてもあんな触れ合いをするような関係ではない。
怒りに任せて廊下を突き進み、玄関に降りて行くと馬車が待っていた。その傍には執事のサンダースが控えていて、リュネットが歩いて来るのを見つけて扉を開けようとしたが、彼に「結構よ」と短く告げてその前を通り過ぎる。驚いたように呼び止められるが、ひとりで徒歩で行く旨を告げて足早に門へと向かう。少し距離があるが構うものか。
「乗りなさい、レディ・リュネット」
追いついたマシューが声をかけてくる。聞こえないふりをして更に先に行く。
「さっきの無礼は詫びるから、乗ってくれ。そんな華奢な靴で歩いて行ったら足を痛める」
今履いているのと似たような靴を履いていて、午前中だけで足がくたくたになったことを思い出し、リュネットは立ち止まる。
「絶対に、私に触らないで!」
怒りも顕わに叫ぶと、マシューはあっさりと頷く。詫びる気持ちは本心かららしい。
この信用ならない青年侯爵を僅かにも信用したわけではないが、馬車まで戻り、差し出された手を再び無視して乗り込むと、御者側の座席に腰を下ろして窓の外を睨みつけた。
馬車の傍らに控えていたサンダースも、コートを持ってついて来たバーネットも、困ったものだなぁ、と自分達の主人を見遣った。あの初心そうな少女にいったいなにをしたのやら。
苦笑したマシューも馬車へと乗り込み、リュネットと反対側の席に距離を置いて腰を下ろした。一応の気遣いらしい。
二十分くらい我慢するだけよ、と自分に言い聞かせながら、リュネットはマシューのことを自分の意識から追い出した。こうでもしないと、この狭い密室に二人きりだなんて耐えられるわけがない。
「リュネット」
呼びかけられるが徹底的に無視する。話を聞く気がないのだと判断したマシューは、小さく溜め息を零し、リュネットと同様に窓の外へ視線を向けた。
沈黙に満たされた車内には、車輪が石畳を走る音だけが響く。さすがに少しの気詰まりを感じてしまうが、もうこれは意地の張り合いだと思う。
こういうときは余所事を考えるに限る、と年表を遡って行くことにする。窓の外に流れる夜景を睨みつけながら教科書の文面を思い返していれば、大好きなメグの待つスタンフォード邸まであっという間だった。
執事からの招待客名の呼び上げがないのをいいことに、従僕にコートを預けると、エスコートしようとしたマシューを無視し、そのまま会場となる広間の方へ一人で向かった。マナー違反だろうがなんだろうが構うものか。どうせこの宴会は無礼講なのだ。
今夜のパーティーは、挙式前に新郎含む男性達が集まって独身最後の馬鹿騒ぎをするというのがコンセプトの集まりに、特別に女性達も加わった形の宴会なので、本来のものより羽目を外し過ぎはしないが、かと言って堅苦しい雰囲気でもないらしい。参加者は一応夜会に相応しく盛装しているが、もっと砕けた雰囲気で談笑している。
給仕係からグラスを受け取って会場を見渡しながら歩いていると、漏れ聞こえてくる会話から、どうやら参加者は独身の者ばかりのようだ。同年代の友人同士が紹介し合い、厳しい親の目がないところで楽しげに交友関係を広げていっている。
メグとヘンリーはというと、またもや友人達に囲まれていた。今日は一日お祝いの言葉の嵐なのだろう。
「こんばんは」
二人にひとこと挨拶しておこう、と向かって歩き出したところで声をかけられた。振り返るとリュネットと同じくらいの年齢の青年が三人ほどこちらに笑顔を向けている。当たり前のことだが、どの人の顔にも見覚えはない。
「一人? よかったら僕らと話をしない?」
その誘い文句に一瞬身構えるが、彼等はまだ酔っている気配もなく、身形もきちんとして悪い印象はない。普通に話をしたいだけなのだろう、と判断し、ぎこちなくも笑みを向けた。
「嬉しいお申し出だけれど、主役の二人にご挨拶して来たいの。今来たところだから」
「そうなんだ。じゃあ、またあとで時間があれば」
「ええ、ありがとう。またあとで」
社交辞令的な言葉を交わして別れる。
嫌味もなく、かと言って変に期待を持たせるわけでもなく別れられたと思う。こういった場が苦手なリュネットにしては上手く切り抜けられた、とひっそりと安堵した。
気を取り直し、人混みを縫ってメグの許へ向かう。友人達と談笑していたメグは、近づいて来るリュネットにすぐに気づいてくれた。
「よかった。来られたのね」
「ええ。心配かけてしまってごめんなさい」
「いいのよ、そんなこと。いつもと違う気分で楽しんで行って。そのドレスも、直してもらったら思ったより似合っているわ。やっぱりマダム・ミレーユのデザインは素敵ね」
「そうね。仮縫いのときに見たものより素敵になっていると私も思う」
簡単な挨拶を交わしていると、まわりに集まっていたメグの友人達が、見慣れないリュネットの姿に興味深そうな視線を投げかけてくる。それに気づいたメグは、彼女達に自分の親友を紹介した。もちろん名前はエレノアの方で。
「まあ、ミス・エレノア・ホワイト? 初めてお目にかかりますわ」
「素敵なドレスね」
「ありがとう。マダム・ミレーユのお店で仕立てて頂いたの」
「どちらのご出身なの?」
「母はレスターシャーです。父は……何処だったかしら。幼い頃に両親とも亡くしてしまったので、よく覚えていないのです。そのあとはリーズの方の寄宿学校に」
「ああ、レディ・マーガレットが行っていらした学校ね」
「今はロンドンにいらっしゃるの? ご親戚のお家とか?」
「いいえ。家庭教師をしていますの」
その言葉の威力は絶大だった。
少女達は一様に不愉快そうに顔を顰め、それをすぐに扇の陰に隠し、当たり障りなく言葉を残して立ち去った。
こうなると予想して身の上を告げたのだが、見事なものだ。逆に感心してしまう。
掌を返したかのような友人達の態度にメグは呆気に取られる。
「ごめんなさい、リュヌ……」
「いいのよ。わかっていて言ったのだもの。私も意地が悪いわね」
出会い頭に出身を訊いて来るということは、自分達と釣り合う家柄なのか確認したかったからに他ならない。そんな人達とリュネットが付き合いを続けられる筈もないので、早々に見限って頂いたわけだ。
良家の子女を指導する立場の家庭教師は、淑女に許された唯一の職業である。それでも、働いて糧を得るというその行為は、貴族階級の人々からしてみると蔑む対象になり得るのだ。
気にも留めていない様子のリュネットの物言いに、メグは感心したような目を向ける。
「ところで、お兄様は? 一緒じゃなかったの?」
その言葉にリュネットは急に不機嫌そうな表情になる。
(――…あ、これはまた、お兄様がなにかやったんだわ)
案の定、リュネットからは「知らない」と素っ気ない答えが返ってくる。
返答にはまったく期待していなかったので、頷きながら広間の中を見回すと、半ばほどのところで女性に囲まれている姿が目についた。にこにこと微笑んで随分と愛想のいいことだ。
(リュヌと一緒にダンスを踊ってって言っておいたのに……お兄様の馬鹿!)
ほんの少し呆れて溜め息を零しつつ、リュネットには部屋の隅の方を示した。
「もう少ししたらダンスも始まるし、私も身体が空くわ。それまであのあたりで待ってて」
頷いて言われた通りに部屋の隅へと行き、空いていたソファへ腰を下ろす。
やはりこういう場は苦手だ。ホッと一息つきながら、手にしていたグラスを傾ける。
(……あら、いけない。これお酒だわ)
あまりアルコール度数は高くなさそうな感じだが、極端に酒に弱いリュネットは飲むべきではない。この一杯だけでも醜態を晒す事態になるだろう。
他の飲み物はないだろうか、と歩き回っている給仕係や、客達が手にしたグラスなどを見てみるが、どうもお酒しか見当たらない感じだ。昼間と違って子供もいないので、酒類ばかりなのかも知れない。
怒っていた所為か、少し喉が渇いているので飲み物が欲しかったのだが、これでは仕方がない。この手持ちのアルコールをもう一口だけ飲み下して我慢することにする。
「こんばんは、ミス・ホワイト。昼間はどうも」
また声をかけられて顔を上げると、そこにいたのはジョセフ・スターウェルだった。思わず表情が強張りそうになるが、相手はまだリュネットの正体に気づいていないようだし、普通を装って笑みを浮かべた。
「こんばんは……えぇと、サー・ジョセフ・スターウェル。お疲れ様です」
「ジョセフでいいですよ。お隣、よろしいですか?」
尋ねられ、本当はあまり嬉しくないが、断る適当な理由が見当たらずに頷いた。
隣に腰を下ろしたジョセフはにこにこと愛想がよかった。両親の葬儀のときに見たドナルドの高圧的な態度とは大違いだ。本当に親子なのかと疑いたくなる。
「実は昼間、もう少しお話ししたいと思っていたんですけど、なんだかカートランド卿に睨まれてまして……」
「はあ……」
「僕、なにかしましたかね? あまりカートランド卿とは交流がないと思っていたんですが、あんなに睨まれるなんて」
「さあ。私は存じ上げませんけれど」
どうやらマシューはリュネットの傍にいる間、ジョセフが必要以上に近づかないように牽制していたらしい。そのことは素直に感謝したいところだが、今はこうしてあっさり対面することになっている。もう少し徹底して欲しい、と理不尽な欲求が沸いて来た。
そのマシューはいったい何処へ行ったのだろうか。先程は広間の中程で談笑している様子が見え隠れていたが、今は見当たらない。
またふつふつと胸の奥から怒りが湧いて来て、腹立たしさからグラスの中身を一息に飲み干してしまった。
(あ、しまった。お酒だったのに)
空のグラスを眺めて後悔してももう遅い。中身はすべてリュネットの胃の中に入ってしまっている。
幸いにも細身のグラスだったので、量は然程でもない。度数もそう高くなさそうなので、気を張っていればなんとかなるだろう、と自分に言い聞かせる。
少しすると頬が火照り始めた。
これはいけない、と気持ちを引き締めて意識をしっかり保とうとするのだが、頭の中がふわふわするような感覚に陥り、なんとなく瞼がとろりと下がって来る。
「ミス・ホワイト?」
呼びかけられてハッとする。いろいろ話しかけられていたのだが、あまり聞いていなかった。
「ごめんなさい」
「いいえ。でも、どうかなさったんですか? 具合でも?」
「あの、ちょっと、酔ってしまったみたいで……」
「本当だ。お顔が赤いですね……少し、風に当たりに行きましょうか?」
ジョセフは紳士らしく手を差し出してくれた。それを少し迷惑に感じつつも、平静を装ってその手に支えられながら、ふわふわ心地でバルコニーへと案内される。
人気のないところへ男性と二人きりで行くだなんて、普段のリュネットなら身体を強張らせるところなのに、アルコールの所為で正常な判断が出来ない。取り敢えず、自分がリュネット・スターウェルだということに気づかれないように、ボロを出さないように、と神経を集めることで精一杯だった。
バルコニーに出ると、冷たい夜風が吹き抜ける。火照った身体に心地よい冷たさだが、すぐに寒く感じるようになるだろう。それまでには落ち着いて室内に戻りたい。
「寒くないですか? 上着を……」
「大丈夫です。少し冷えたら戻りますので、どうぞ、先に戻っていてください」
頭はふわふわしているのに口調はしっかりしている。よかった、と感じつつ、冬の澄んだ空気のお陰で綺麗に見える星の瞬きに視線を向ける。
ジョセフは少しの間その場にいたが、リュネットが彼を意識の外へ追い出している様子に気づき、そっと中へ戻って行った。その様子にホッとする。
今日は朝から大忙しだったし、緊張のし通しだった。午後は少し眠ることが出来たが、結局またバタバタと出かけてしまったことだし、アルコールの回りが早い原因は、そういったことで疲れている所為もあるのだろうか。
さっき飲んだのはなんだったのだろう。口当たりがよくて飲みやすかったが、もしかすると、度数が意外と高かったのかも知れない。
ふと気がつくと、リュネットと同じように夜風に当たりに来る人の出入りが次第に増え始め、宴も酣と言ったところだろうか。
(そういえば、メグが探しに来る頃かも)
ダンスが始まれば身体が空くと言っていた親友の言葉を思い出し、室内に戻ろうと思う。明日にはまたロンドンを離れる予定なので、最後にもう少し話がしたい。
まだ完全には治まっていない浮遊感に悩みながらも室内に戻ると、ジョセフがすぐ傍でリュネットの様子を窺っていたようだった。すぐにこちらに気づき、近づいて来る。
「もう大丈夫ですか?」
「えぇ、はい……」
まだいたのか、と内心で思いながら、当たり障りなく頷き返した。
そろそろ離れたいのだが、と困惑しつつジョセフを見遣るが、彼はまだ話し足りないのか、笑顔で飲み物を差し出して来た。
「お水をもらっておいたんです。どうぞ」
そのことに関しては有難く感じる。礼を言って受け取りつつ、さり気なく立ち去ろうと身を引くが、よろけたと思われて逆に手を差し伸べられた。
(どうしよう……)
本気で困って来た。
彼はそんなに悪い人ではないことはわかる。気遣いが出来る人であるし、好感も持てる。実家関係のことがなければ、年齢の近い親戚として、それなりの友好関係を築けていたかも知れない。
だがリュネットは、七年前に彼の父から受けた仕打ちが忘れられない。
無意識に母の形見の首飾りに触れ、石の部分を握り締める。幼かったリュネットに残された両親との思い出は、父が母に贈ったこの首飾りと、古びて印画紙が滲み始めている家族写真だけなのだ。
(侯爵……)
知らずうちに助けを求めてマシューの姿が脳裏に浮かび、ハッとする。
何故このような場面で、苦手な彼のことが思い浮かんだのだろう。助けを求めるのなら、こちらに向かって来ているであろう親友のメグにではないだろうか。
「大丈夫ですか、ミス・ホワイト? まだ顔色が悪いようですが」
「そ、そうですか? もう、なんともありませんけど」
脳裏に浮かんだマシューの面影を慌てて打ち消す。酔っているからおかしな思考に辿り着いたのだ、と自分に言い聞かせる。
やはりお酒には関わるべきではない。いつぞやのヒース館での夜のことといい、今回のことといい、碌なことがあった例がない。
元々あまり口にする方ではなかったが、ちょっとでも手を出す度にこのようなことが起こるのならば、これはもう禁酒するしかない。一切近寄らないことにするに限る。
「あ、いたいた。――レディ・リュネット」
そんなとき、ヘンリーの声が届いた。ふっと声のした方へ振り返ると、親友の夫となった青年が人混みを掻き分けて向かって来ているところだった。
「何処に行っていたんですか? 見当たらないって、メグが心配しているんです」
リュネットの目の前までやって来たヘンリーは、その無事な姿に心から安堵したようだ。ホッとしたような笑みを浮かべつつ、新妻の親友の様子を確かめる。
「ごめんなさい。酔いが回ってしまったので、ちょっと風に当たりに……」
「そうだったんですね。今、カートランド卿に八つ当たりしているところなんで、早く止めてあげてください」
「それは大変ですわね」
やはりメグは捜しに来ていたのだ。マシューのことはいい気味だと意地悪く思いながらも、捜しに来てくれたヘンリーには大変申し訳なく感じる。
そんな話に応えていると、急に腕を掴まれる。
何事かと思って双眸を瞠ると、手の主はジョセフだった。
彼は強張った表情で、怪訝そうに見つめ返すリュネットを見つめ、僅かに震える唇を開いた。
「レディ・リュネット……スターウェル……?」
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