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10 メグの企み
しおりを挟むメグの結婚式の日は、朝からいい天気だった。
曇り空や霧雨の降る天気の多い土地柄なのに、晩秋のやわらかな陽射しが降り注いでいる。まるで天候すらもメグの結婚を祝福しているかのようだった。
さすがのメグも、前日はなかなか寝つけなかったようだ。一緒に寝ていたリュネットも何度か起こされ、少し話をしてはうとうとするのを繰り返して朝を迎えた。
お互いに少し寝不足だったが、目許の隈は化粧でなんとか隠せる。普段あまり化粧などしないリュネットだったが、メイドに手伝ってもらって薄っすらと白粉に紅を引いた。
「メグ」
支度を終えたリュネットは、まだ念入りな準備をしている花嫁の許へ赴く。
「六ペンスを持って来たわ。靴を貸して」
「ああ、ありがとう」
鏡台の前で髪を結っている途中のメグに声をかけ、左側の靴を脱いでもらう。左の靴に六ペンス銀貨を忍ばせておくのは、花嫁が幸せに暮らせますように、というおまじないだ。
「なにかひとつ古いもの、なにかひとつ新しいもの、なにかひとつ借りたもの、なにかひとつ青いもの。そして靴の中には六ペンス銀貨を」
リュネットは結婚式のときに用意すると幸福になれるという歌詞の童謡を歌いながら靴の中に銀貨を入れ、メグの足許へ戻した。
その歌声にメグも微笑む。歌が苦手なリュネットは恥ずかしそうに笑った。
「大好きなメグの幸せを願って、これを渡したいの」
そう言って、いつも胸許に隠している小さな袋を取り出し、中身をメグへと渡した。
「青くて、借りたもの、ね」
受け取ったのは、リュネットの母の形見であるスターサファイアの首飾りだった。
借りるものは、先達である既婚者から幸せな結婚生活に導いてもらうという意味があり、もう亡くなっているとはいえ、大恋愛の末に結婚したリュネットの両親の形見は、このおまじないに最適なものだ。
「こんなに大切なものを借りてもいいの?」
「ええ。メグの幸せを願ってのことなのだから、亡くなった母も喜ぶわ」
「ありがとう」
メグは嬉しそうに微笑み、侍女に言って首飾りをつけてもらう。繊細な銀細工に縁取られたそれは、レースの襟元によく似合った。
「新しいものはそのドレスよね。古いものは?」
「お母様が使っていたティアラよ。お兄様が持って来てくれることになっているんだけれど……」
遅いわね、と溜め息交じりに呟く。そろそろ式場となる花婿の家に向かって出発しなければならない時間なのに、マシューはまだ来ていないようだ。
そんな折にノックの音が響く。マシューかと思って一瞬身構えるリュネットだったが、ドアを開けて入って来たのは二人の女性達だった。
「久しぶり。いい朝ね、メグ」
「カトレアお姉様! マリゴールドお姉様!」
優雅に入って来た二人を鏡越しに見たメグは、驚きの表情と共に嬉しげな声を上げた。十年近く前に嫁いだ姉達だ。
「お式の前にゆっくり顔を見ておきたくて、少し早めに出て来たの。時間あるかしら?」
「ええ、大丈夫よ。支度はもうほとんど終えているから」
あとはティアラとベールを被るだけになっているので、少しは余裕がある。
「私、侯爵を探しに行って来るわね」
その大切なティアラを持って来る筈のマシューがまだ来ないので、リュネットはメグに向かって申し出る。本当はそんなことしたくないが、久しぶりに会う姉妹水入らずで話をしたいだろうから、気を利かせたのだ。
ごめんね、ありがとう、というメグの声を聞きながら、彼女の姉達に軽く会釈し、部屋の外へと出て行った。
リュネットの足音が静かに遠ざかって行くのを注意深く聞き、二人の姉が口々にドレスのことを褒め始めたのを遮ると、メグは二人を傍まで呼び寄せた。
「すっごく唐突に言うけど、お姉様達、降誕祭の予定は?」
「本当に唐突ね。うちは特に決まっていないわ。いつも通り領地で過ごすけど……カトレア姉様は?」
「うちはフランスに行く予定だったのだけど、三人目が出来てしまったから」
ようやく安定期に入ろうかというところなので旅行は中止となったのだ。まだまったく目立たないお腹を摩り、カトレアは嬉しげに微笑む。
「あら、そうだったの?」
「おめでとう、カトレアお姉様」
妹達は口々に祝いの言葉を述べた。カトレアはこれまた嬉しそうな笑みを浮かべて頷く。
「じゃあ、どうしよう……マリゴールドお姉様だけでも大丈夫だと思うんだけど」
ちょっとだけ当てが外れてしまい、メグは唇に指先を当てる。考え込むときの癖だ。
「いったいなによ?」
末妹がなにか企んでいるらしいことに気づき、二人の姉達は怪訝そうな表情をしつつも、少し高揚とした目を向ける。
メグはちらりとドアの方へ目を向ける。リュネットはまだ戻って来ないと思われた。
「あのね、さっきの子なんだけど」
「出て行った子? 介添人をしてもらうの?」
「そうなの。寄宿学校時代の大親友よ」
「ああ。確か……リネット? だったかしら?」
「リュネットよ! あ、でも、ちょっと面倒なことに巻き込まれているから、エレノアって偽名で呼んであげて」
ふぅん、と姉達は頷いた。
「彼女がどうかしたの?」
「うん、あのね」
メグはもう一度まわりを気にして、支度を手伝ってくれていた侍女やメイドも室内から姿を消していることを確認し、姉達を更に傍へ招き寄せる。姉達は指示された通りにぐぐっと身を寄せて来た。
「お兄様と上手いこといってくれないかな、と思って」
その言葉に、二人の姉達はキラリと双眸が輝いた。
「なにそれ、なにそれ! 楽しそうねぇ」
「彼女とお兄様はそういう関係なの?」
ひそひそと声を貶めにしながらも、姉達は楽しそうな表情になる。抑えられない興奮からか、ぐいぐいと詰め寄って来た。
「ううん、全然! 寧ろリュヌはお兄様を嫌っているわ」
あっさりと否定する妹の言葉に、姉達は呆れた表情になる。
「嫌ってる相手にそういうことを望むの? メグちゃん、あなた、意外と酷い子ねぇ」
「そうよ。彼女が可哀想じゃないの」
「でも、お似合いだと思うのよ」
姉達の嘆かわしげな視線にめげず、メグはそう望む根拠を示した。
「ひとつ。お兄様はリュヌのことを随分可愛がっていると思うの。後見人を申し出たくらいだし、今日のドレスもお兄様が用意したのよ」
兄が女性に帽子や靴を贈ることはよくあるが、ドレスを贈ることは稀だ。二人は思わず顔を見合わせる。
「ふたつ。リュヌはお兄様を苦手にしているけど、本心では嫌っていないと思うの。本人に言うと嫌がるだろうけど、お兄様のことをすごく意識しているから」
「意識って、具体的には?」
「お兄様がいると、毛を逆立てた猫みたいになるの。ほら、昔飼ってたリトル・マシューみたいな」
幼い頃飼っていた白い毛並みの子猫は、何故かマシューにしか懐かなかった。それ故にマシューと同じ名前で呼んでいたのだが、その子猫が、無理矢理抱こうとすると、全身の毛を逆立ててミーミー泣き叫ぶのに、爪を立てることもなく、震えるばかりで逃げ出したりはしないちょっと臆病な子だった。
「私、よくおしっこかけられたわ」
マリゴールドがうんざりしたように呟く。
「あなたが乱暴に抱っこしたからでしょうに」
カトレアが呆れたように零すが、その言葉で幼い日の記憶を呼び起こしたらしく、メグがどういう喩えをしているのか理解したようだ。なるほど、と頷いた。
爪を立てたりせず、逃げ出しもしないのは、本気で恐がったり嫌ったりしていたわけではなく、緊張していてのことなのだろう。リュネットがマシューに対する態度は、きっとそれと同じなのだ。
「お兄様、お顔だけはいいからねぇ……若い女の子なら、ちょっとはときめいたりするものかしら?」
「そうなんじゃない? 私の友達も何人か気にしてた子がいたから。もうみんな結婚したけどね」
カトレアがおっとりと呟くと、マリゴールドは少し嫌そうに同意した。メグは押し黙る。彼女が社交界入りした頃には、兄は既にゴシップ紙の常連と化していたからだ。
「お兄様ももうすぐ三十になってしまうのよ?」
気を取り直して言うと、マリゴールドが呆れたような表情をする。
「まだギリギリ二十代でしょう。年が明けたら二十九だけど」
どっちにしろ四捨五入したら三十だ。子供の一人や二人はいて欲しい年齢だろう。
「とにかく! そろそろ落ち着いてもらう方がいいと思うの、私は!」
メグは拳を握る。兄がいくら浮名を流していても構わないし、自分には関係ないと無視してしまってもいいことなのだが、妹達は全員結婚したというのに、長男だけ独身のままというのも微妙な話だ。体面上の話だけではなく、跡継ぎのこともある。そろそろ子供を儲けてもらわないと、家系の断絶にもなりかねない。
兄妹達の母は病弱で、随分と前に亡くなってしまっている。父は健康な人だったが、夏風邪を拗らせて肺炎になったかと思ったらあっという間に息を引き取った。人生なにがあるかわかったものではない。
「……そうね。メグちゃんの言う通りね」
少し考え込む仕種をしたカトレアは大きく頷いた。
「以前からね、お兄様の女遊びには少々頭の痛い思いをしていましたのよ、私も。年齢のことを考えると、いい加減に落ち着いて頂くことを考えるのもいい頃合いなのは、確かなことだわ。あなたもそう思うでしょう?」
驚いた表情をしているマリゴールドに投げかけると、彼女もまた少し考えるような仕種をしてから軽く肩を竦め、微かに嘆息した。
「まあ、そうだけど……でも、あの兄様が私達の言うことなんか聞くと思う?」
長男であるマシューは、基本的には妹達の助言を必要とはしない。彼女達に何事か相談することもない。だからと言って、彼は我儘放題で横暴な嫡男ではなく、妹達にとても優しい兄だったが、家督を継いでから少し変わってしまった。年の離れたメグを珍しい寄宿学校などに放り込んでしまったのが、彼の変貌を物語る最たるものかも知れない。
家督を継いだ頃、まだ二十歳を過ぎたばかりだった彼には、きっといろいろ思うところがあったのだろう。悩みがあっても、妹達に弱音を吐くようなことなどしない人だったから、今のああいう人になってしまったのかも知れない。
そんなマシューに、あれこれとなにかを言っても聞いてもらえるとは思えない、とマリゴールドは零す。
「リュヌは今、うちの領地でゴードンの補佐をしているの」
外の様子を気にしながら、メグは早口に答えた。
「お兄様も今年は本邸に戻るみたいなの。だから、お姉様達も上手く理由をつけて、カートランドに行けないかしら?」
「ああ、それで降誕祭の予定を訊いてきたってわけね」
「そうなの。お兄様とリュヌをくっつけることを考えたのはいいんだけど、私はさすがにヘンリーのお家にいなきゃならないし」
新婚ですぐに実家に泊まるのもどうかと思える。親族の集まる降誕祭から新年にかけては、さすがに夫の家にいた方がいいに決まっている。妹の考えに尤もなことだ、と姉達は頷いた。
「お兄様曰く、リュヌはゴードンの後任が決まるまでの中継ぎみたいなもので、長くて一年か、もう少しくらいの滞在になるみたいなの。早ければ半年かからない筈よ。だからそれまでに、どうにかして二人の気持ちを近づけられないかな、と思って」
「兄様が彼女を気に入っていて、彼女も兄様のことが気になっていないと成立しない話だけど?」
話を聞いていたマリゴールドが僅かに顔を顰める。多少は気がある同士でもなければ、まわりが計略を巡らせてもなにも起きはしないだろう。
「そこは、ほら。お姉様達自身の目で、今日の結婚式のときにでも見極めてみて。私は脈ありだと思っているもの」
自信たっぷりにメグが宣言したとき、ノックの音が響いた。三人がぴたりと会話を止めると、なかなか現れなかったマシューが入って来る。
「やあ、メグ。遅くなってすまなかった。カティもマリーも元気そうだね」
「遅いわよ、お兄様」
笑顔で入って来た兄に文句を言いながら、彼の後ろから入って来るリュネットにちらりと視線を向ける。平静を装っているが、眉間に薄っすらと皺が刻まれていた。この兄はまたなにか余計なことを言ったようだ。
呆れながら、兄が持って来た母の形見のティアラを乗せてもらう。
「綺麗だよ、メグ」
いつも通りにキスをしようとして、化粧を崩れるといけないと思ったのか、踏み止まって微笑むだけにする。メグも鏡に向かって微笑んだ。
姉達もこのティアラを身に着けて結婚式へと臨んだ。懐かしく思って末妹の晴れ姿を見つめながら、部屋の隅に控えているリュネットの方へも視線を向け、お互いに小さく目配せし合った。
式場となるのは花婿ヘンリー・スタンフォードの屋敷で、敷地内の礼拝堂に教区の牧師を招いて行うことになっている。
花嫁は父親――は亡くなっているので、代理に兄であるマシューと同乗した馬車で向かうことになっており、リュネットは先に辻馬車を拾って向かおうと思っていたのだが、カトレアに呼び止められ、彼女の馬車に同乗することになった。
八歳になるカトレアの娘は、今日の結婚式で花嫁のベールを持つ大切な役目を任されているらしく、そのことを饒舌に語っていた。それをリュネットはにこにこと頷いて聞く。
「本当はね、指輪を渡す役がやりたかったの。でもそれは、弟のサミーがやることになっててね、私はお姉さんだから譲ってあげたのよ」
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心から褒めると彼女ははにかんだ。
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「すごいわ! 素敵!」
「うるさくてごめんなさいねぇ。興奮しているのよ」
パチパチと小さな手が打ち鳴らされる横で、カトレアが困ったように微笑んだ。式用のドレスが出来上がった二週間ほど前からこの調子らしい。
「いいえ、大丈夫です。可愛らしいお嬢様で羨ましいです」
また褒められたヴァイオレットは嬉しそうににっこりとし、母の袖を掴んで自慢気な表情を向けた。
カトレアは注意深くリュネットの様子を探ってみる。
伯爵家の出だが、親類に家を追い出され、家庭教師として身を立てているという話は妹から聞いている。職業婦人というわりにはスレた様子も、浮ついた雰囲気もなく、礼儀正しいお嬢さんという印象だ。悪い感じはない。
娘の相手をしている様子を見ても、性格は悪くなさそうだし、子供に対する言葉遣いも丁寧だ。これで仕事が長続きしないというのは、きっと本人の問題ではなく、なにか他に原因があるのだろう、と思った。
「メグちゃんのお友達なんですってね」
到着までまだ少し時間がありそうだったので、娘のお喋りも一段落した様子だし、とカトレアは何気なく話を振ってみる。もう少しリュネットの為人を見てみたい。
「はい。寄宿学校時代も、今も、とてもよくしてもらってます」
「飛び級していたと聞いたわ。とても頭がいいって」
「お恥ずかしいです。少し卒業を急いでいただけなのです」
ほんのり頬を染めて俯く。メグはいったい自分の兄姉達にどんな話をしていたのだろう。
そう、と頷いたところで、残念ながら目的地へ到着してしまったようだ。馬車がゆっくりと停まり、スタンフォード家の従僕がドアを開けた。
「お式の時間まで中でお待ちください。こちらへどうぞ」
「ありがとう。こちらの彼女は花嫁介添人で、娘は裾持ちをするのだけれど、一緒にいて大丈夫かしら?」
「では、お嬢様方はあちらに。式進行の確認があるそうですので」
「……だそうよ、ヴァイオレット。いい子にね」
「はい、お母様」
ヴァイオレットはにっこりと微笑んで頷いた。そうしてリュネットの手を取り、顔を見上げて「一緒に行きましょう」と告げる。リュネットは喜んで頷いた。
案内された部屋に通されると、中にはヴァイオレットの弟であり指輪運びを任されたサミュエルがいて、退屈そうにお菓子を食べていた。彼は父親と一緒に来たらしい。
「なに食べてるの、サミー?」
「バターファッジだよ。ヘンリーさんがくれたの」
「ふぅん。ふたつちょうだい」
サミュエルは姉の要求に嫌がりもせずに応じ、大切に抱えた缶の中からふたつ取り出して渡した。
「はい、どうぞ」
ヴァイオレットはそのひとつを口に入れ、もうひとつはリュネットに差し出した。少し驚いたが、有難く受け取る。
「ありがとうございます、ヴァイオレットさん、サミュエルさん」
礼を言うと、どうぞ、とサミュエルは微笑んだ。
「お姉様、この人誰?」
自分の分も取り出して口に放り込みながら、サミュエルは小首を傾げる。
そういえば、ヴァイオレットにもきちんとした自己紹介はしていなかった。リュネットはバターファッジを口に入れる前に、二人の前で軽く膝を折ってお辞儀をする。
「エレノア・ホワイトと言います。お二人の叔母様の友達です」
サミュエルは少しだけ目を丸くした。
「お姉さんは花嫁介添人をするのよ」
ヴァイオレットは補足するように、自分の知っている情報を開示する。しかし、サミュエルはこの情報には興味がなかったらしく、曖昧に頷いて終わる。
そんなやり取りをしていると、この屋敷の家政婦がやって来て「お嬢様、お坊ちゃま、少しお話よろしいですか?」と声をかけた。式進行の確認らしい。子供と言えど、そのあたりはきちんと把握しておかなければ。
二人が家政婦に連れられて行くと、リュネットのところにも執事がやって来る。
「花嫁介添人の方ですか?」
「はい、そうです」
「あちらで花婿介添人の方と進行の確認をしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「はい、お願い致します」
示されたのは部屋の奥の方のテーブルのあたりで、そこには何人かの男女の姿があった。
執事について男女の集団のところへ向かうと、こちらに気づいた彼等は軽く会釈してきた。その誰ともリュネットは特に面識がなかったので、少し緊張を感じながら、こちらも会釈を返した。
その集団の場所まで辿り着き、リュネットはギクリとする。
「あれ? あなたは、確か……」
振り返った花婿介添人の青年が、意外そうな表情になる。
心臓が大きく跳ね上がる。彼と向き合っている自分の表情は、強張っていないだろうか。
(ジョセフ・スターウェル……!)
すっかり容貌を忘れていた又従兄弟だが、ついひと月前に直接顔を合わせているので、見間違いようはない。
「カートランド卿と一緒にいらした方ですよね? 覚えていらっしゃいますか? 今月の頭くらいに、駅でお会いしたんですけど」
「え、ええ……覚えていますわ」
答える声が震えそうになる。なんとか笑顔を向けようと唇の端を持ち上げるが、上手く笑えているだろうか。
「花嫁のお知り合いだったんですね。だから、カートランド卿自ら送迎なんてなさっていたわけか」
「ええ、そうですね」
ジョセフはリュネットの動揺は気にならなかったようで、にこにこと微笑みながら言葉を紡いだ。
介添人は大抵新郎新婦の友人が務めることになっている。メグの夫になるヘンリーとジョセフが友人だとは知らなかった。メグもなにも言っていなかったところを見ると、彼女も知らなかったのかも知れない。
「ジョセフ・スターウェルです。今日はよろしく」
「……エレノア・ホワイトです……よろしくお願い致します」
握手を求めて手を差し出されたので、戸惑いながらも手を握り返す。彼はリュネットの震える手は気にせず、にっこりと目尻に皺を刻みながら笑った。
リュネットは早鐘を打つ胸を落ち着けようとしながら、平静を装って式進行の説明を受ける。隣にはジョセフが立っていて、いつ自分がリュネット・スターウェルだと気づかれやしないかと、恐怖しか感じられなかった。
打ち合わせが終わり、そのまま逃げ出したくなったが、式の開始まで時間も差し迫っている様子で、身動きが取れなくなる。
少しでもジョセフから逃げようと思って窓際に寄ると、招待客達が礼拝堂に移動していく様子が見えた。やはりもう開始の時間が近いのだ。
「僕等も行きましょうか」
すぐ後ろから声をかけられ、リュネットは飛び上がらんばかりに驚いた。ジョセフは人の好さそうな笑みを向けている。
そうですね、と短く頷いて身を翻し、若干足早になりながらドアへ向かう。
「僕は代打なんですよ」
招待客達の入場が済むまでもう少し時間がかかるらしく、入口の端の方で入場を待っていると、ジョセフが話し始めた。暇を持て余しているのだろうか。
「本来の介添人役が先週から性質の悪い風邪で寝込んでいまして、一番体格が近かった僕にお鉢が回って来たんです」
間際になっての話だったので慌てた、とジョセフは笑う。
リュネットは曖昧に頷きながら、あまり顔を見られないように、視線を逸らしてなるべく俯くようにする。
愛想のない女だと思われると思うが、構うものか。正体に気づかれる方が都合が悪い。
そんなリュネットの仕種は幸いにも悪意に取られることはなく、緊張しているのだな、と微笑ましく受け止めれらていたのだが、リュネット本人はそれどころではない。
この後、花嫁介添人は花婿介添人にエスコートされて入場することになっている。逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。
親友の喜ばしい日だというのに、どうしてこのような気持ちにならなければならなのか――リュネットは震える手脚を必死に抑えながら、早くこの時間が過ぎ去ってくれることを祈らずにはいられなかった。
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