侯爵様と家庭教師

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3 親友との再会

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 リュネットは、ぽかんとマシューのことを見つめ返した。

(ここで働く……?)

 彼が示すこことは、即ちこのカートランド邸のことだと思われる。
 この屋敷で、自分が必要とされる仕事とはいったいなんなのか――想像がつかずに自然と眉根を寄せた。

「もちろん変な仕事じゃないよ。きちんときみの能力を活かせる仕事だと思う」

「はあ……」

 微妙な表情になったリュネットに、なにか誤解を与えたようだと感じたのか、訂正を入れてくる。
 小さな子供のいないこの屋敷でリュネットにも出来そうな仕事となると、メイドか厨房の下働きくらいだと思ったのだが、この口振りだとそういうことでもないようだ。ますますわけがわからない。

「きみ、家庭教師ガヴァネスをしていたくらいだから、読み書きと計算は出来るだろう?」

「もちろん出来ますけど」

「帳簿つけは?」

「……経験はありませんけど、やり方がわかれば出来ると思います」

「やり方はちゃんと教えるよ」

 頷きながらようやく身体を離し、真面目な顔をして正面から見据えられる。こちらもなんとなく居住まいを正した。

「きみに、我が家の領地の帳簿整理を任せたいと思う」

 告げられたのは意外な仕事だった。

「管理を任せている会計士のゴードンという男がいるんだが、父の代から仕えてくれているんで、もういい年なんだ。そろそろ隠居させてやるのにいい時期で、後継を探しているんだが……なかなかいい人材がいなくてね。中継ぎでいいから、きみがやってくれると助かるんだけど」

「でも……私、資格とか、そういうの持っていないんですけど」

「ああ、気にしなくていいよ。完全に任せるわけじゃなく、ゴードンの仕事を減らす為の補佐みたいなものだから。もう結構なお爺ちゃんだから、最近は目もよく見えなくなっているし、疲れやすいみたいでね」

 その間にちゃんとした引き継ぎ相手を探すので、それまででいいと言われる。それならば、半年か、長くても一年程のことだろう。
 丁度いいかも知れない、とリュネットは思う。それくらいの期間があれば、次のことをゆっくり考えられる。

「わかりました。私でお役に立てるのなら、よろしくお願い致します」

 世話になりたくないという気持ちに変わりはないが、有難く引き受けさせてもらうことにする。貯金を食い潰しながら仕事を探す手間が省けるのは、素直に有難かった。

「よかった。これで僕も安心だ。ちゃんと給料も出すよ。年俸は計算が合わなくなるかも知れないから、月割りがいいかな? 月に……五ポンドくらいでどうかな?」

「そんなに頂けません! 二ポンドでも多いくらいです」

 今まで家庭教師として勤めていて、年収が三十ポンドくらいの契約がほとんどだった。管理人の補佐役で、特に技能も経験もなく、帳簿つけの手伝い程度だったら、そんなにもらうような仕事内容ではないと思われる。

「そう? じゃあ、三ポンドで手を打とうか」

「……二ポンド」

「わかった。二ポンドにしよう」

 住み込みで働かせてもらえるのなら、それで本当に十分だ。
 にっこりと微笑んで右手を差し出される。一瞬躊躇ったが、握り返した。

「きみの今後は取り敢えずこれでいい。きみは望むとおりに田舎に引っ込めるし、その間にノースフィールド伯爵のことは僕がなんとかするよ」

「え? なんで……っ」

 リュネットは表情を強張らせた。そんなことまでさせるつもりはないし、そういうことをして欲しくないから、管理人補佐の仕事を引き受けたのに。

「大丈夫。そんな顔をしなくても、きみに悪いようにはしないよ」

「そうじゃなくて」

「雇用契約書は夕食の前までに用意しておく。あとでサインしてくれ。客間の用意がしてあると思うから、メグが戻るまでそちらで休んでいるといいよ」

「侯爵!」

 リュネットの抗議の声は聞かず、マシューは呼び鈴を鳴らした。すぐにノックの音があり、従者のバーネットが入って来た。

「彼女を部屋に案内してやってくれ」

「畏まりました。お嬢様、どうぞこちらへ」

「いいえ、話は終わっていません。侯爵」

 ドアを開けた姿勢で、バーネットが退室を促してくる。しかしそれには従わず、机の方へ戻るマシューを睨みつけた。

「お仕事をくださるだけで十分です。あの人達のことは自分でどうにかしますから、どうぞ、放っておいてください」

 赤の他人のマシューに、実家のごたごたまで解決してもらうわけにはいかない。これはリュネット自身が切り抜けなければならない問題だ。
 そんなリュネットの言葉に、ふっとマシューは口許を歪める。嘲笑っているかのような表情だ。

「名前を変えて、ただ逃げ回っていただけのきみに、いったいなにが出来るって言うんだい? 是非教えて欲しいな」

「…………っ!」

 彼が言う通りだった。返せる言葉がなく、リュネットはぐっと押し黙るしかない。
 リュネットが反論出来ずにスカートを握り締めたのを見ると、今度は満足げに微笑み、行け、とバーネットに手振りで示す。
 さあ、と忠実な従者に促され、渋々書斎を後にした。
 リュネットを部屋に送り届けて戻って来たバーネットに、マシューは溜め息を零す。

「見た目は大人になっていても、考え方はまだ子供だな」

 その呟きに、さすがにバーネットは同意を見せなかったが、否定もしなかった。
 マシューの中では、リュネットは初めて会ったときの十一歳の少女のままだ。残念ながら彼女は身長もたいして伸びなかったので、七年前の面影が色濃く残っている。それなのに、身体の方は十分すぎるほどに女らしい丸みを帯びて育ち、そのアンバランスさがまた危うく感じられた。

 メグのことが原因で、リュネットに昔からよく思われていないことは知っている。寧ろ、今までのことに一応の感謝はされていても、嫌われているくらいであることは、今日再会してみて改めて思い知らされた。
 それでもマシューは、妹の親友であることを抜きにしても、後見人のいない彼女のことを案じている。今から三年近く前に、卒業後のリュネットの為に、何人か結婚相手を見繕っていたくらいには。
 リュネットの実家とは直接に関わりはなかった。何処かの家の食事会や夜会などで招待されたときに会い、挨拶をする程度の間柄だったことは覚えている。仲睦まじく、いつも幸せそうな夫婦だった。そんな人達の娘が不遇な目に遭っていると聞き、思わず憐れんでしまったことが、彼女を気にかけるきっかけになったと言える。

 出してあった報告書に目を向ける。この報告書によると、彼女は今、かなり面倒な立場に立っているようだ。リュネット本人は情報に疎いのかどうか、詳しくはわかっていないようだが。

「明日にでも探偵を呼んでおいてくれ。追加の報告を聞きたい」

「畏まりました。すぐに行って参ります。お時間は……午後一番でよろしいでしょうか?」

「ああ、いや。昼食を摂りながらでいい。店はお前に任せる」

「畏まりました」

 一礼したバーネットが出かけて行き、マシューは革張りの椅子に深く身を預ける。
 報告書には一通り目を通した。ノースフィールド伯爵邸のメイドの口が軽くて調査は捗ったようだが、まだ憶測の部分も多くあり、確証を得るには足りない。
 なにかの折に、リュネットは家財どころか、両親の形見の品まで取り上げられているという話を聞いた。頼み込んでなんとか譲ってもらえたのが、結婚したときに父親が母親に贈った思い出の首飾りと、事故に遭う前に三人で撮った写真だけだという話だ。
 この報告書のことが事実ならば、リュネットはもう少し財産を手にすることが出来るかも知れない。
 顧問弁護士と、伯爵家の顧問弁護士にも話をしておかなければ、とペンを手にする。




 リュネットに用意された部屋は、窓から車宿りのあたりがよく見える位置だったので、窓際で荷物の整理をしながら、メグの帰りを待つことにした。
 詰め込んだ着替えを鞄の中から取り出し、皺を伸ばしてベッドの上に広げる。急ぎめで雑に詰め込んでいたので、畳み直したいのだ。
 ここでようやく、今の状況が理解出来てきたような気がする。
 今日は朝からいろいろありすぎて、少し頭の中で情報の処理が追いついていないような状態だった。一人になって荷物の整理をしているうちにゆっくりと気持ちが落ち着いてくる。今まで起こったことをようやく振り返ることが出来る状態になって来たのだろう。
 深い深い溜め息が零れた。

(どうしてこんなことになってしまったのかしら……)

 進むべき道を間違えたのだろうか、と落ち込んで来る。
 マシューのことは苦手だった。初対面で失礼な態度を取ってしまったという負い目があったが、あのとき反省の態度を見せた筈の彼が、その後の長期休暇の度に帰宅するメグとはほとんど会話もなく、やっぱり留守がちにしていたことが、結局反省などしていなかったのだ、と落胆させられたこともあり、ずっと彼に対していい感情を抱くことが出来ないでいた。
 そんな相手の世話になることは、リュネットのなけなしのプライドが許さなかった。
 女学校を卒業するとき、リュネットは十六になっている。十六ともなれば、働いている子は世の中にいくらでもいる。貧しい家の子なら、もっと小さいうちから奉公に出ていることだろう――そう考えたら、家を失くした自分が働くことになんらおかしいところがないように思えた。
 知識も教養も、女学校にいる間に学べるだけ学び、必要なだけ身につけられた。先生方もリュネットの努力を認めてくれ、職業斡旋所への紹介状を用意してくれた。だから、それで身を立てていくことは可能だと思ったのだ。
 それなのに、今、自分は結局こうしてマシューの世話になることになってしまった。

 結局こうなってしまうのならば、初めからマシューの提案通り、社交界で結婚相手を探す方がよかったのだろうか。家督を奪われた元伯爵令嬢という立場だが、カートランド侯爵が後見人となってくれるなら、自分にはもったいないくらいの良縁も見つかっただろう。
 持参金のない娘がどうやって嫁ぐというのか、とも思うが、あの口振りだと、そのあたりもマシューが世話をしてくれるような雰囲気だった。

 リュネットもまったく貯金がないわけではない。学校に入ったときの授業料が、飛び級したお陰で余っており、それを当面の生活費にするようにと学校から返還されていて、多少は持っている。貴族の家に対する持参金とするにはあまりにも足りないことはわかっているが、中産階級や労働者階級の家なら問題ないことだろう。

 結婚するのなら、相手に爵位など望まない。裕福でなくてもいい。暴力を振るったり、リュネットのことを邪険にするような人でなければ誰でもよかった。

 そうか、とリュネットは気づく。
 家庭教師の仕事に向いていないのなら、結婚相手を探してもいいのだ。
 親友の家の世話になることが嫌で避けていたが、彼等と関わりのない普通の家庭の、普通の男と結婚すればいいのだ。
 職人でもいいし、雇われ人でもいい。芸術家はちょっと困るが。

 そこまで考えていたところで、馬車の音が近づいていることに気づいた。窓から覗いて見ると、一台の馬車が入って来るところだった。

「きっとメグだわ」

 慌てて立ち上がり、下ろしたままだった髪を纏め上げる。癖がなくさらさらしている髪を纏めるのは毎度苦労するが、さすがにこの二年ばかりの間でコツは掴んだ。いつものようにきっちりと編んで纏め上げ、多めのピンで留める。
 部屋を出て階段を降りて行くと、階下からメグの声が聞こえて来る。

「お兄様は?」

「書斎においでだと思いますよ」

「そう。門のところでバーネットとすれ違ったから、出かけたのかと思っていたわ。ああ、これ、お土産。階下のみんなで食べて」

「まあ! わざわざありがとうございます」

「いいのよ。みんなよく働いてくれているから、感謝の気持ち」

 メグだ、とリュネットは涙が出そうになる。
 二年ぶりに聞く懐かしい親友の声だ。

 逸る気持ちを抑えられずに階段を駆け下り始めると、踊り場に差し掛かったところで目の前から来た人にぶつかる。悲鳴を上げて倒れそうになったところを抱き留められ、それがマシューであったことを知った。この位置から考えると、リュネットの不注意でぶつかったわけではない。
 キッと目の前の侯爵を睨みつける。

「危ないではないですかっ」

「ちゃんと受け止めただろう? おいで」

 いけしゃあしゃあと言うと手を差し出される。エスコートしようというのか。
 結構です、と手を払い除けようとするが、

「折角の再会なんだから、僕達が仲良くしているところを見せて、メグにもっと笑顔になってもらおうじゃないか」

 などと言われる。確かにその方がメグも喜ぶかも知れない。
 なんだか騙されているような気になりながらも、仕方なくその手を取った。

「その髪型、きみには似合っていないよ」

 編み込んでひっつめになっている髪型を見て、マシューが残念そうな口調で囁く。大きなお世話だ。リュネットはその言葉に応えず、さっさと歩き出した。マシューは苦笑してエスコートに戻る。

「あら、お兄様? ただいま戻りました。あとで……」

 自分の部屋に行く為に階段を昇ろうとしていたメグが、上から降りて来た兄に気づく。帰宅の挨拶に行くつもりだったのに、と言いかけた彼女の言葉が、そこでぷっつりと途切れた。
 深い緑の双眸は、まっすぐと兄の隣へと向けられていた。

「――…リュヌ……?」

 震える声で零された問いかけに、リュネットは涙が浮かび上がってくる。

「ええ、メグ。お久しぶり」

「リュヌ!」

 悲鳴に近い声でリュネットを呼ぶと、そのまま走り出した。はしたないくらいに裾を蹴立てて、一目散にリュネットへ向かって来る。
 リュネットはマシューの手を振りほどき、駆け寄って来る親友に向かって両腕を広げた。

「ああ、リュヌ! 本当にあなたなのね?」

「そうよ、メグ」

「何処に行っていたのよ。心配したんだから!」

「ごめんなさい。ちゃんと全部話すわ」

 大粒の涙を零して泣き出した二つ上の親友の背中を撫でながら、リュネットも涙を零した。心配をかけているだろうことはわかっていたが、実際に涙を目にすると申し訳なさでいっぱいになり、胸の奥がとても痛かった。

「僕も聞きたいな」

 二人で抱き合って泣いていると、傍で見守っていたマシューが口を開いた。
 揃って潤んだ真っ赤な瞳で振り返ると、彼はにっこりと微笑んで二枚のハンカチを差し出す。こうなることを予見していて用意していたかのようだ。
 ハンカチを受け取りながら、先程見せられた報告書のことを思い出す。今のリュネットのことなど、リュネット自身よりも詳しく知っていそうだというのに。

「……お兄様、ありがとうございます」

 涙を拭きながら、メグは深々と頭を下げる。
 うん、と頷いたマシューは妹の頭を上げさせ、そっとその頭を撫でた。

「時間がかかってすまなかったね、メグ」

「いいのです。こうしてリュネットを見つけてくださったのだから」

 ありがとうございます、ともう一度頭を下げ、兄に感謝のキスをする。マシューもそれを受けながら、妹を抱き締めた。

「さあ、二人とも涙を拭いて。メグ、着替えたら書斎においで。リュネットの話を聞こう」

 外出着のままの妹に優しく囁き、彼女の荷物を持ってあとをついて来たというのに、身動きの取れなくなってしまった憐れなメイドに「お茶を」と頼むと、リュネットに向き直る。

「メグが着替えている間に、きみもその髪型を結い直してもらってくれるか? 見るに堪えない」

 確かに地味で貴族の娘らしくはない髪型だろう。華美過ぎず、今の身分としては相応しい髪型なのだが。
 そんなに言うほどのことだろうか、と思いつつも、仕方がないので言われた通りにすることにした。メグと一緒に彼女の部屋へ行き、着替えている間に彼女の侍女が結い直してくれる。
 二人して用意が整い、女学校時代のように手を繋いで書斎へと向かった。
 向かい合わせに置かれたソファのひとつに腰掛けて待っていたマシューの手には、あの報告書の封筒が握られていた。

「……いいね」

 入って来た妹達の姿を見て、彼はリュネットの髪型を褒める。
 先程までのきつく編み込んでピンで留めたものではなく、時間がなかったので控えめだが、メグの飾り櫛を挿して華やかさを出している。
 髪型などそんなに気にかかるものだろうか、と思いつつも、不機嫌なまま接されるのも面倒だから従ったのだ。なんとも言えない気持ちになるが、メグも頷いているのでよしとした。

 お茶も運ばれて来て準備が整うと、さて、とマシューが切り出す。

「僕の方でも調べていたが、それがすべてだとは思っていない。今まであったこと、すべて話してくれないか」

 後見人を申し出てくれてはいるが、実際にそうではないので、そんなことを教える義理はないのだが、と躊躇すると、

「新しい雇用主として、その経歴を知る必要はあると思うんだ」

 と笑顔で言われる。その話を出されると反論は出来ない。

「リュヌ、うちで働くの?」

 兄の言葉に驚いたようにメグが振り返った。先程そういうことになったのだ、と答えると、彼女はとびきりの笑顔になる。

「なにをするの? あ、わかった! 私の話し相手ね?」

 貴族の女性達の中には、相談役のような女性を傍に置く場合がる。多くの場合は侍女がその役割も果たしているが、未亡人になった親類の女性などをそうすることもある。
 リュネットとメグは親類ではないが、この上なく仲の良い親友であるので、そう言った意味では適任だ。
 違うよ、とマシューが苦笑しつつ、手を打って喜ぶ妹を制する。

「領地で帳簿管理の補佐を任せるんだ。ゴードンが年だからね」

「なぁんだ」

 明らかに落胆したメグだったが、音信不通になっていたこの一年半ほどのことを思うと、居場所が確定しているだけでいい。

「じゃあ、田舎に行ってしまうの?」

「ええ、そうね……」

 残念そうに尋ねるメグに頷きながら、そういうことになるのか、と改めて思う。
 なんとなくロンドンのこの屋敷で働くことになるような気がしていたが、領地の管理ということは、カートランド家のカントリーハウスに行くことになるのではないだろうか。
 メグと過ごす三度目の冬の休暇中、その領地に行ったことがある筈だ。ヨークシャーにあるそこは雪が深く、幸いにもその年はあまり積もらなかったのだが、二人でスケートやソリ遊びをしたのが楽しかった。
 夏は避暑に丁度いいの、とメグが笑っていた。だから、今度は夏の休暇に来ようね、と約束していたのだが、それが果たされることはないままになっていたのを思い出す。
 今はもう冬になるが、仕事でしばらく行くことになると、夏もそちらで過ごすことになると思われる。思いがけずあの約束が叶うことになってしまいそうだ。

 溜め息を零す妹の姿に、マシューは苦笑した。

「まあ、あと何日かはこちらにいてもらうことになるけどね。僕にも都合がある」

「本当? じゃあ、明日はリュヌとお買い物に行って来てもいいかしら?」

「いいよ。服でも靴でも、好きなものを買っておいで」

 兄の言葉でメグに笑顔が戻る。嬉しそうにリュネットの手を取り、楽しみね、と囁いた。
 女学校時代、休校になる日曜日は、二人で街の雑貨屋に足を運んでいたことを思い出す。田舎の雑貨屋だからたいしたものはなかったが、息苦しい寄宿舎から離れての買い物というだけで、心が弾んだものだった。
 メグが楽しそうに「何処に行きたい?」と話を振ってくる。音信不通だった親友の無事が確認出来て嬉しいのか、メグは饒舌だった。
 メグといると、厳しい規則に縛られていた女学校時代の中でも、つらかった思い出ではなく、楽しかった思い出ばかりが蘇ってくる。恐い先生もたくさんいたし、同級生には意地悪な子だって、付き合いの面倒臭い子だっていたが、メグといればなにも気にならなかった。
 だからメグのことは大好きだ。今でも大好きなのだ。

 二人で手を取り合って盛り上がっていると、マシューが咳払いをした。ハッとして仲間外れにしていた屋敷の主人のことを振り返る。

「買い物は大いに結構。出来ればきみの服は僕が見立てたいくらいだけれどね、レディ・リュネット」

 にっこりと微笑まれ、リュネットは思わず顔を顰める。

「恋人でもないのに失礼よ、お兄様」

 メグも同様に眉を寄せ、兄の軽口を責めた。やれやれ、と彼は肩を竦める。

「お前にとって無二の親友なのだから、僕にとっても妹のようなものだ。違うかい?」

「家族だからいいって言うの? 私の服を見立てたこともないのに?」

 つん、と兄から顔を背け、リュネットに向き直る。

「気をつけて、リュヌ。靴や帽子を贈るのはお兄様の手口よ。こうして女性を口説くの。高価な宝石を贈られたらあとがないわ」

「大丈夫。隙は見せないわ」

 しっかりと頷きつつ、横目でマシューを見遣る。彼はその遣り取りに対してはなにも言わず、テーブルに置いていた封筒を開いた。
 ハッとして思わずメグの手を握ると、マシューが微笑みかけて来る。

「少し雑談が過ぎたね。そろそろ本題に入ろうか」

 その宣言にリュネットは慎重に頷くしかない。

 あまり人に話して聞かせたい内容ではなかったが、その所為でメグには心配をかけていたし、マシューにも同様に案じられていたようだ。大切な親友を安心させる意味でも、これまでにあったことを話すのはリュネットの義務だ。
 そう思って、リュネットはゆっくりと口を開いた。



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