春の落とし子

suomi

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第1章 春の遅れ②

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「では、さっそく皆に知らせましょう。先程から、外に集まっているようです」
デズヤが扉を開けると、確かに、館の前に村人が全員集まっていた。村長が館の入り口に、その横にンドレが立つと村人は、誰も口を開こうとはせず、押し黙った。上空では冷たい風がうなっている。
「皆のもの、やはり、この世界に異変が起こっているようだ。春の神は、いまだどこにも春をもたらしていないらしい。そこで、わがフェルテ村より、春の祝福を受けた者であるンドレを春の神のもとに遣わすことになった。ンドレならば、必ずや春を導いてくれようぞ」
村長のこの発表は、それを聞く村人全てを沸きたてた。ンドレも、それに答えるように、笑顔を見せながら右腕を挙げた。
この村で、ンドレほど腕が立ち、勇敢な心を持つ者はいない。そのしなやかな筋肉は、数々の実戦を通して鍛え上げられたものだった。近隣の都市を行き交う商人などは、報酬を払い、わざわざンドレを指名してまで護衛を頼むほどである。春の神のもとへンドレが向かうということが決まっただけで、その場にいた者は安心感を抱いた。
「お待ち下さい」
その歓声の中、一人の少年が進み出た。外でずっと待っていたため、まだ幼さが残るその頬はほのかに赤く染まっていた。少年は、村長の前まで来ると、片ひざをつき、頭を下げた。
「その旅に、僕も加えてください」
少年の申し出に村長もさすがに驚いたようであったが、顔には出さなかった。
「ならぬ。ンドレの旅は、さもすれば、我らの存亡を懸けたものになるやもしれぬ旅。お前のような子供の出る幕ではない」
村長のこの言葉にも、少年は引き下がらなかった。
「この旅の重大性はわかっています。ですがお願いです、どうか私も加えて下さい。私も、竜の年、上春の月、一日に生まれた春の祝福を受けた者。春の神と話す事を許された者の一人です。ご迷惑はかけません。このような時に備えて、日頃から鍛練を積んできました」
少年の両目は、ンドレと同様に緑色をしている。すると、若い一人の女性が少年のもとに駆けより、少年をいさめた。
「申し訳ございません、村長様。弟の無礼なふるまいを、姉である私が代わりに謝ります」
少年の肩に置いたその手は、ひび割れていた。
「いいんじゃないでしょうか、村長。俺は、こいつを連れて行くのは構いませんよ」
ンドレの言葉は、誰にとっても意外なものだった。森の中にも村人の驚きが伝わったのか、数羽のカンダシ鳥が飛び立った。
「この旅は、確かに重大な意味を持つ旅です。けれど、商隊の護衛をするわけでもありませんし、伝え話のように魔物を退治しに行くわけでもありません。季節の神に会うことは、われらにとっても最上のほまれ。それに、なにより俺一人で行くよりも旅の仲間が欲しいですしね」
ンドレが、あまりにも簡単に少年の申し出を承諾したので、村長は目を見開き、ンドレの顔をまじまじと眺めた。
「しかし、同行者ならば、デズヤやアックロなどの方が心強よかろう。この子を連れて行くということは、おまえが旅親になるということだぞ」
その場にいた者には、村長の意見の方がもっとものように思えた。
「確かに、デズヤやアックロがいると俺も心強いです。でも、俺達が出払ってしまったら、護衛や行商なんかの外の仕事は誰がやるのですか。春がいつやってくるのかわからないからこそ、外の仕事は、この村の春までの貴重な収入源です。今は、一人でも多くの働き手が残ったほうがよいでしょう」
 ンドレの顔にはひとかけらの迷いも漂っていなかった。この顔をしている時のンドレは、もう誰に何を言われようと考えを変えないことを村長もわかっていた。
「……わかった。ただし、その最後の決定は姉のポメに委ねよう」
少年の隣に座っている女性は、一瞬、口を開き何かを言おうとしたが、それを呑み込み、一度ゆっくりと息を吸い込むと、再び口を開いた。
「ンドレ、本当にいいの? この子を、こんな旅についていかせるなんて。きっと、あなたの足手まといになるわ。もしも、この子があなたに迷惑をかけてこの旅を失敗させてしまったら、私はどうすればいいの」
この言葉を隣で聞いた少年は、少しむっとした表情をした。
「俺は春の神のもとへ行き、必ず春を呼んでくる。まかせてくれ。でもポメ、君が本当に心配しているのは旅のことじゃないだろ。君が本当に心配しているのは弟のことだ」
自分の本心をンドレに言い当てられたポメは、下唇を少しかんだ。
「ポメ、大丈夫さ。危険なことからは、俺が護る。それに、こいつは君が思っているほど、もう子供じゃない。ずっと、俺が稽古をつけてきたからわかるよ。必ず、無事に帰ってくるさ。約束する」
ンドレの優しい笑顔に負け、ついにポメも決心がついた。ンドレが、これまでポメとの約束を破ったことがないことを、ポメはしっかりと覚えていた。
「姉さん、お願いだ。僕も、世界を見てみたいんだ。どのみち、あと二年もすれば、絶対に僕も外に旅立つようになるんだから。ンドレも、ああ言ってくれてるじゃないか」
 ポメは、ンドレと少年の顔を交互に見合わせた。二人の緑色の目には、強い意志が宿っていた。
「……わかったわ。私も、許可します。でも、絶対に無茶をしないで。いい? 必ず元気に帰ってくるのよ」
ポメは、少年の目を正面からしっかりと見つめながら力強く言い聞かせた。
「ありがとう、姉さん」
少年は、飛び上がらんばかりに喜んだ。いままで、ンドレたちの会話に集中していた村人たちも、まるで声を思い出したかのように一斉に歓声をあげ、少年のはじめての旅を祝福した。もはや旅の主役は少年のようになってしまい、少年は村人たちにもみくちゃにされた。
「明日の出発は早いぞ。今日はよく眠っておけよ。旅は、初日が一番疲れるもんだ」
ンドレの言葉は、村人の歓声にかき消されそうになったが、少年には、はっきりと聞こえていた。
 少年の名はアルザ。これが、アルザの旅の始まりだった。
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