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サキSide 2

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サキSIDE
 2―1
 カラがレイに「一緒に冬を越す」と言った。レイは、自分が死ぬかもしれないと思い始めている。痰が絡まると、呼吸が出来なくなるからだ。もし風邪をひいてしまえば、痰が完全にのどに絡まり切り、出てこなくなるかもしれない。
 そうなれば、レイは死んでしまう。だからこそ、ヌイさんはカラが入江で冬を越す事を許したと言える。最後まで、親友のカラと一緒にいる事を許したのだ。
 皮肉な話だが、レイと一緒にいる時間がカラよりも、圧倒的にムウの方が長い。それにもかかわらず、レイはムウよりもカラを好いているのだ。
その事をどう思っているか、直接ムウに尋ねると、ムウは「僕にもわからない。でも、レイが笑っていてくれれば、僕は嬉しいんだよ」と答えた。
 この場にはカトやユウ、ボウといった子供たちもいたが、みな同じ気持ちの様だった。 
 私たちはレイの介助で、心身が疲れた事もあった。それが、私たちを成長させた。言い方は悪いが、レイという重荷があったからこそ、私たちは、入江は変わっていった。
 その重荷が無くなったとしたら、私たちの身体は軽くなるのだろうか。私は、ならないと思う。自分の身体が軽くなり過ぎて、地に足がつかないような、不安感や空虚な思いが過ぎるだろう。
「カラ。あなたは是川の人間だけど、私たちの家族と考えてもいいかしら?」
 私は少し不安そうな顔をしているカラに尋ねると、カラは笑顔をつくり、大きく頷いた。

2―2
 レイは朝起きると、ゴウさんとカラが家の外に出し、海と山をゆっくりと、ぐるりと見渡して、海岸で海風にあたる。
レイの天候の予測はほぼ当たる。ボウも早起きをして、レイと一緒に辺りを見渡し、海風に当たる事が多い。ボウは、レイが死ぬと悲観してはいない。いや、死ぬかもしれないという事から、目を逸らしているだけかもしない。
 子供の仕事の時には、カラはムウと共に狩猟や漁をして帰って来る。獲ってきた魚や採ってきた植物をレイに見せ、レイは季節の変わり目を、回遊してくる魚などを予測した。
 夜は寒くない様に、鹿の皮を何重にも巻いて外に出た。たまに、レイは誰かの上に乗りながら空を見上げる。ハムがやってから、真似する子供が増えた。今回は、カラが真似をした。
「ハムさんは頭がいいね。こうすれば、レイが何処を見ているかよくわかるよ」
 カラが感心した様に言うと、カトとユウが「自分で探すのが、面倒だっただけだよ」と言い、集まっている子供たちを茶化した。
どうして、夏から冬になるのは早いのだろう。それがこんなにも恨めしく思った事は、生涯無いだろう.
 レイが風邪をひく兆候は無かった。カラが是川から持ってきた干しキノコの効果なのか、リウさんが北の人たちからもらってきた毛皮のおかげなのか、はたまた私の臭い物のおかげだろうか。雪が降る冬になり、レイは家の中で小さく燃える、炉の火で輝く、マオとカオが持ってきた漆で造った櫛を眺めている。
 今は、カラも含めた大人たちがアザラシやトドを狩りに行っている。夜になれば、小さな子供が集まって、レイから石器や骨角器の造り方。天候の予測の仕方。創作話を聞きに来るだろう。
「お姉ちゃん、そろそろみんな帰ってきたよね?」
レイが息苦しそうに、私に尋ねてきた。
「ええ、明日には入江の人たちは、久しぶりに全員いるわよ」
 私が言うと、レイは「明日、みんなで集まりたいんだ」と言った。
「雪が降るかもしれないわよ?」
 私が言うと、レイは「たぶん、振らないよ」と言った。
 次の日、珍しく雪が降らず、青い空が見えた。
 ゴウさんが村のみんなを集めてくれ、サンおばさんが土器に使う粘土を持ってきた。
「ここに、自分たちの知っている場所を描いていってほしいんだ」
レイが言うと、グエさんが「前に、やった事のあるやつだな」と言い、最初に粘土板に指をなぞっていった。
「大洞村は、ここだね」
 カラが是川よりも南の方に指をなぞらせた」
「なら、仁斗田島と沼津村はこの辺りだな」
ハムもカラにならい、指をなぞった。
 次々に入江の人たちが指をなぞっていったが、北と南はある程度までいったところで止まり、高い山のある地域では、ほとんど指がなぞられなかった。
「知らない所が、たくさんある。僕は、知りたいと思う。だから、みんなの意見が聞きたいんだ」
 レイがそう言うと、最初に口を開いたのはハムだった。
「俺は北の方に、ゆっくりと行くさ。食べる物もほとんど同じだし、鞭虫とか寄生虫に悩まされる事も無いだろうからな」
 ハムはそう言って、北の方の何も描かれていない地域の粘土版を削り取り、自分の手に取った。
「じゃあ、僕は南に行くよ。仁斗田の辺りにはロウさんがいるし、秋田にはお母さんの故郷があるしね」
 カラが言うと、ハムが「東と西、どっちから行くんだ?」と、少し意地悪そうに尋ねた。
「僕も、ゆっくりと行きますよ。東も西も。ハムさんより、少し早いかもしれませんけどね」
 カラは舌を出しつつ、粘土板の南の方を手で削り取った。
ハムはその様子を見て、「やっぱり、お前は嫌いだ」と言い、トウさんやムウが「みんなも、色んな場所に行きたいんだよ」と付け加えた。
 この粘土板が、完成する事はあるのだろうか。少なくとも、レイは完成を見る事を出来ないだろうし、カラやハム、私も、この場にいる赤ん坊も見る事は出来ないかもしれない。
 それでも、私たちには新しい何かが生まれていた。言葉には出来ないけれど、カラとレイが出逢った事で、レイが生きた事で、レイが最後まで生きる事を選んだ事で生まれた何かが、入江の村を包み込んだ様な気がした。

2―3
 いつもよりも、早い雪解けと春の風が吹いてきた。飢饉の時とは、また違った風の匂いだという。
「お姉ちゃん」
 レイがカラに身体を支えてもらいながら、咳こむようにして私を呼んだ。寝たままだと、痰が絡まって、話す事が出来ないのだ。
「大人の儀式、受けてもいいよね?」
 前々から、ヌイさんにレイが春まで生き延びられたら、大人の儀式を受けられるように頼んであった。
 儀式のためのお酒は、私とカラが造った。カラはよくわからない赤い実の絞り汁を顔に塗り、是川から持ってきたアワや、貴重な甘味類を使っていた。
 私はカラが顔に塗った、赤い実がお酒の材料になるのかと思っていたが、そうではなかったらしい。
「死ぬまで、造り方は口を噤んでおこうと思っていたんだったんだけどね」
 モニさんはそう言っていたけれど、カラが「死んだら、誰にも伝えられないじゃないですか?」と言い、モニさんが「そうでした」と言い、笑っていた。
 同じく大人になるムウも、一緒に儀式を受けた。儀式には弓を使って、遠くの的に当てなければならなかった。
「ムウがレイの代わりに射ればいい。ただし、ムウは目隠しをしてな」
 ヌイさんが無茶な事を言ったが、レイは「わかりました」と言い、ムウに目隠した状態で、指示するやり方に賛同した。
 ムウは不安な顔のまま目隠しをし、レイが言葉だけで「もっと右」「少し力を込めて」と指示を出した。
 ムウの放った矢は、的の中心から少し外れた場所に当たった。射ったムウでさえ信じられないと言った顔で「本当に、見えていませんよ」と、口にしていた。
 次に、ムウが目隠しをしないで矢を射った。ムウの放った矢は的の端に当たり、もう少しずれていればやり直しだった。
「レイには負けたよ」
 ムウは悔しがるような、清々しい様な口ぶりでレイに言った。
カラと私が、レイとムウにお酒を渡した。レイは口に含んだだけで、舌を湿らせる程度だった。
 これで、入江で行われる大人の儀式は終わりだ。入江を含む渡島では、是川の様な抜歯の習慣は無い。もし今のレイに抜歯をしたら、血が出て呼吸が出来なくなるだけだろう。
大人の儀式を終えたレイは、カラと一緒に横になったまま、空を眺めている。
「死んだら、一度貝塚のお墓に入って、海に還るんだ」
レイの言葉は、いつもよりもきれいに聞こえた。
「海に還ったら、僕は、俺はいろんな事が知りたい。誰が、今までどうやって生きてきたのか。俺と同じような人はいたのか。いたとしたら、どう生きてきたのか」
 レイの言葉の後に、カラの言葉が聞こえた。
「じゃあ、僕は色々なところに行って、見聞きして来るよ。レイの知らない事も、僕の知りたい事も、全部わかるまで」
カラの言葉が終ると、二人はしばらく無言だった。

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