上 下
371 / 375

サキSide 2

しおりを挟む
サキSIDE
 2―1
 カラがレイに「一緒に冬を越す」と言った。レイは、自分が死ぬかもしれないと思い始めている。痰が絡まると、呼吸が出来なくなるからだ。もし風邪をひいてしまえば、痰が完全にのどに絡まり切り、出てこなくなるかもしれない。
 そうなれば、レイは死んでしまう。だからこそ、ヌイさんはカラが入江で冬を越す事を許したと言える。最後まで、親友のカラと一緒にいる事を許したのだ。
 皮肉な話だが、レイと一緒にいる時間がカラよりも、圧倒的にムウの方が長い。それにもかかわらず、レイはムウよりもカラを好いているのだ。
その事をどう思っているか、直接ムウに尋ねると、ムウは「僕にもわからない。でも、レイが笑っていてくれれば、僕は嬉しいんだよ」と答えた。
 この場にはカトやユウ、ボウといった子供たちもいたが、みな同じ気持ちの様だった。 
 私たちはレイの介助で、心身が疲れた事もあった。それが、私たちを成長させた。言い方は悪いが、レイという重荷があったからこそ、私たちは、入江は変わっていった。
 その重荷が無くなったとしたら、私たちの身体は軽くなるのだろうか。私は、ならないと思う。自分の身体が軽くなり過ぎて、地に足がつかないような、不安感や空虚な思いが過ぎるだろう。
「カラ。あなたは是川の人間だけど、私たちの家族と考えてもいいかしら?」
 私は少し不安そうな顔をしているカラに尋ねると、カラは笑顔をつくり、大きく頷いた。

2―2
 レイは朝起きると、ゴウさんとカラが家の外に出し、海と山をゆっくりと、ぐるりと見渡して、海岸で海風にあたる。
レイの天候の予測はほぼ当たる。ボウも早起きをして、レイと一緒に辺りを見渡し、海風に当たる事が多い。ボウは、レイが死ぬと悲観してはいない。いや、死ぬかもしれないという事から、目を逸らしているだけかもしない。
 子供の仕事の時には、カラはムウと共に狩猟や漁をして帰って来る。獲ってきた魚や採ってきた植物をレイに見せ、レイは季節の変わり目を、回遊してくる魚などを予測した。
 夜は寒くない様に、鹿の皮を何重にも巻いて外に出た。たまに、レイは誰かの上に乗りながら空を見上げる。ハムがやってから、真似する子供が増えた。今回は、カラが真似をした。
「ハムさんは頭がいいね。こうすれば、レイが何処を見ているかよくわかるよ」
 カラが感心した様に言うと、カトとユウが「自分で探すのが、面倒だっただけだよ」と言い、集まっている子供たちを茶化した。
どうして、夏から冬になるのは早いのだろう。それがこんなにも恨めしく思った事は、生涯無いだろう.
 レイが風邪をひく兆候は無かった。カラが是川から持ってきた干しキノコの効果なのか、リウさんが北の人たちからもらってきた毛皮のおかげなのか、はたまた私の臭い物のおかげだろうか。雪が降る冬になり、レイは家の中で小さく燃える、炉の火で輝く、マオとカオが持ってきた漆で造った櫛を眺めている。
 今は、カラも含めた大人たちがアザラシやトドを狩りに行っている。夜になれば、小さな子供が集まって、レイから石器や骨角器の造り方。天候の予測の仕方。創作話を聞きに来るだろう。
「お姉ちゃん、そろそろみんな帰ってきたよね?」
レイが息苦しそうに、私に尋ねてきた。
「ええ、明日には入江の人たちは、久しぶりに全員いるわよ」
 私が言うと、レイは「明日、みんなで集まりたいんだ」と言った。
「雪が降るかもしれないわよ?」
 私が言うと、レイは「たぶん、振らないよ」と言った。
 次の日、珍しく雪が降らず、青い空が見えた。
 ゴウさんが村のみんなを集めてくれ、サンおばさんが土器に使う粘土を持ってきた。
「ここに、自分たちの知っている場所を描いていってほしいんだ」
レイが言うと、グエさんが「前に、やった事のあるやつだな」と言い、最初に粘土板に指をなぞっていった。
「大洞村は、ここだね」
 カラが是川よりも南の方に指をなぞらせた」
「なら、仁斗田島と沼津村はこの辺りだな」
ハムもカラにならい、指をなぞった。
 次々に入江の人たちが指をなぞっていったが、北と南はある程度までいったところで止まり、高い山のある地域では、ほとんど指がなぞられなかった。
「知らない所が、たくさんある。僕は、知りたいと思う。だから、みんなの意見が聞きたいんだ」
 レイがそう言うと、最初に口を開いたのはハムだった。
「俺は北の方に、ゆっくりと行くさ。食べる物もほとんど同じだし、鞭虫とか寄生虫に悩まされる事も無いだろうからな」
 ハムはそう言って、北の方の何も描かれていない地域の粘土版を削り取り、自分の手に取った。
「じゃあ、僕は南に行くよ。仁斗田の辺りにはロウさんがいるし、秋田にはお母さんの故郷があるしね」
 カラが言うと、ハムが「東と西、どっちから行くんだ?」と、少し意地悪そうに尋ねた。
「僕も、ゆっくりと行きますよ。東も西も。ハムさんより、少し早いかもしれませんけどね」
 カラは舌を出しつつ、粘土板の南の方を手で削り取った。
ハムはその様子を見て、「やっぱり、お前は嫌いだ」と言い、トウさんやムウが「みんなも、色んな場所に行きたいんだよ」と付け加えた。
 この粘土板が、完成する事はあるのだろうか。少なくとも、レイは完成を見る事を出来ないだろうし、カラやハム、私も、この場にいる赤ん坊も見る事は出来ないかもしれない。
 それでも、私たちには新しい何かが生まれていた。言葉には出来ないけれど、カラとレイが出逢った事で、レイが生きた事で、レイが最後まで生きる事を選んだ事で生まれた何かが、入江の村を包み込んだ様な気がした。

2―3
 いつもよりも、早い雪解けと春の風が吹いてきた。飢饉の時とは、また違った風の匂いだという。
「お姉ちゃん」
 レイがカラに身体を支えてもらいながら、咳こむようにして私を呼んだ。寝たままだと、痰が絡まって、話す事が出来ないのだ。
「大人の儀式、受けてもいいよね?」
 前々から、ヌイさんにレイが春まで生き延びられたら、大人の儀式を受けられるように頼んであった。
 儀式のためのお酒は、私とカラが造った。カラはよくわからない赤い実の絞り汁を顔に塗り、是川から持ってきたアワや、貴重な甘味類を使っていた。
 私はカラが顔に塗った、赤い実がお酒の材料になるのかと思っていたが、そうではなかったらしい。
「死ぬまで、造り方は口を噤んでおこうと思っていたんだったんだけどね」
 モニさんはそう言っていたけれど、カラが「死んだら、誰にも伝えられないじゃないですか?」と言い、モニさんが「そうでした」と言い、笑っていた。
 同じく大人になるムウも、一緒に儀式を受けた。儀式には弓を使って、遠くの的に当てなければならなかった。
「ムウがレイの代わりに射ればいい。ただし、ムウは目隠しをしてな」
 ヌイさんが無茶な事を言ったが、レイは「わかりました」と言い、ムウに目隠した状態で、指示するやり方に賛同した。
 ムウは不安な顔のまま目隠しをし、レイが言葉だけで「もっと右」「少し力を込めて」と指示を出した。
 ムウの放った矢は、的の中心から少し外れた場所に当たった。射ったムウでさえ信じられないと言った顔で「本当に、見えていませんよ」と、口にしていた。
 次に、ムウが目隠しをしないで矢を射った。ムウの放った矢は的の端に当たり、もう少しずれていればやり直しだった。
「レイには負けたよ」
 ムウは悔しがるような、清々しい様な口ぶりでレイに言った。
カラと私が、レイとムウにお酒を渡した。レイは口に含んだだけで、舌を湿らせる程度だった。
 これで、入江で行われる大人の儀式は終わりだ。入江を含む渡島では、是川の様な抜歯の習慣は無い。もし今のレイに抜歯をしたら、血が出て呼吸が出来なくなるだけだろう。
大人の儀式を終えたレイは、カラと一緒に横になったまま、空を眺めている。
「死んだら、一度貝塚のお墓に入って、海に還るんだ」
レイの言葉は、いつもよりもきれいに聞こえた。
「海に還ったら、僕は、俺はいろんな事が知りたい。誰が、今までどうやって生きてきたのか。俺と同じような人はいたのか。いたとしたら、どう生きてきたのか」
 レイの言葉の後に、カラの言葉が聞こえた。
「じゃあ、僕は色々なところに行って、見聞きして来るよ。レイの知らない事も、僕の知りたい事も、全部わかるまで」
カラの言葉が終ると、二人はしばらく無言だった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

ビキニに恋した男

廣瀬純一
SF
ビキニを着たい男がビキニが似合う女性の体になる話

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活

XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。

女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』

コバひろ
大衆娯楽
前作 “雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ” (全20話)の続編。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/329235482/129667563/episode/6150211 男子キックボクサーを倒したNOZOMIのその後は? そんな女子格闘家NOZOMIに敗れ命まで落とした父の仇を討つべく、兄と娘の青春、家族愛。 格闘技を通して、ジェンダーフリー、ジェンダーレスとは?を描きたいと思います。

処理中です...