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 ハムさんが話し終えた後、僕は久しぶりに熟睡した。沼津から来た三人の男性のうち、二人の男性が下痢をもよおした人を運び、外で下痢便を出す事を手伝ってくれる事になったからだ。一人は何があったのか知らせるため、沼津の村へと帰っていった。
「俺たちの村でも、似た事が起きるかもしれないしな。それに、水を沸かして飲めという口伝が正しかったとわかった。その礼さ」
トイさんがそう言って、僕たちに休むよう言ってくれた。
 次の日の朝、僕は頭の回転が良くなった気持ちで朝日を浴びた。
「やっぱり、助け合う方が良いね」
 僕が呟くように言うと、ハムさんが「そうだが、もし俺たちが来なくて、沼津の人たちが仁斗田島の様子を見たら、それこそ呪われた人たちだったと思いそうだな」と言い、僕を不安にさせた。
「じゃあ、どうなっていれば良かったと思うんですか?」
 僕が口を尖らせると、ハムさんは「まあ、そんなに言わないでくれよ。俺だって、今悩んでいるんだから」と言い、珍しく不安そうな顔つきになった。
「俺たちが来たから、仁斗田島の人たちは助かった。これに異論はないだろ?」
 ハムさんの問いに、僕は頷いた。
「でも、俺が対処法を知らず、適当にヨモギで虫下しをするしか方法を知らなかったら、ずっと病は続いていた。そして、呪われたと思って、逃げ帰るか、島で祈りを捧げて、死ぬのを待つ日々だっただろう」
 ハムさんはそこまで言って、口を閉じた。僕も何となくだが、ハムさんの言いたい事がわかってきた。
「知識が無いと、駄目って事ですか?」
「そうだな。交流を深めるのには人と人との争いの他に、今回の様に知らなかっただけで、呪いだと思われてしまう事態に陥ってしまうかもしれない。俺は正直、それが恐い。自分が何も出来ない、知らなかったために何かが起きる。身近な人が傷つき、失ってしまうかもしれない事が怖いんだ」
 ハムさんはそう言って、顔を曇らせた。
「そうならないためには交流して、知識を得なければなりませんよね?」
「それはわかる。だが、それは交流をしなければ済む話だ。一つの村だけで生きていければ、それでいいじゃないかって思いも、仁斗田島の現状を知る前まであったんだ」
 ハムさんはため息をつき、眼前に見える島を見つめた。
「一つの村でも、争いは起きてしまうのかよ」
 ハムさんは悔しそうに、近くにあった小石を海に向かって放り投げた。
 仁斗田島の人たちを看病している間、日常生活の事も尋ねていた。当初、村は安定していたものの、定住しようと提案したシイさんを中心とした、巫子による神様のお告げで暮らしを決める派閥と、人間が相談し合って決める派閥に分かれていたのだ。
「そう言えば、昨日ハムさんもお爺さんから神様扱いされていましたね」
 僕がからかう様に言うと、ハムさんは「二度とごめんだ」と言い、首を横に振った。
「レイも、こんな気持ちだったんだろうな」
「そうですよ。それにハムさんにも嫌われているように感じられて、辛かったそうですよ?」
「もう、よしてくれよ」
 僕が追求するように言うと、ハムさんは本当に困ったような顔になった。
「それを知っていたから、サキさんの臭い物も、初めは誰も食べなかったんですね」
 僕が話題を変えると、ハムさんは頷いた。
「そうだな。臭い物にはだいたい寄生虫がついていたりする。うろ覚えだが、お前の父親、是川の酋長もお前が食べた時には吐き出すように言っていたっけ」
 僕はその時の事を思い出そうとしたが、あいにく覚えていなかった。
「まったく、俺は入江に戻ったらなんて説明したらいいんだか」
「ハムさんの、見聞きした事を包み隠さず言えばいいと思いますよ」
僕がそう言うと、ハムさんは僕の顔を見つめてきた。
「それだけで、良いと思うのか?」
「はい、決めるのはハムさんだけじゃなくて、入江の人たちですから」
 僕が言うと、ハムさんは「やっぱり、俺はお前が嫌いだ」と言った。
「でも、ありがとうございます。一昨年、僕の体調を気遣って、サンおばさんに薄味のご飯について言ってくれた事」
「当然の事をしただけだ。自分の知っている知識で助かる命が助からなかったら、そっちの方が後味悪いからな」
ハムさんは軽く鼻を鳴らし、立ち上がった。
「ほら、まだ下痢が続いている人が多いんだ。嫌いな人の手も借りたいんだ」
 ハムさんはそう言って、僕に手を差し伸べてきた。僕はその手に掴まり立ちあがった。
「お、親愛の握手か?」
 ザシさんがやってきて、僕たちを見つめた。

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