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 猪を食べ終わった後、大人たちがお父さんを中心にして、今年の予定を立て始めた。僕もお兄ちゃんに頼み、混ぜてもらった。
「今年は村の人口が増えた。いい事だが、冬の事を考えると、喜んでばかりではいられない」
 お父さんはそう言って、みなを見渡した。 
お父さんの言う通り、人口が増えれば、その分の食料が必要になる。冬は食べられる植物はなく、漁をするにも寒すぎる。狩りをしようにも、多くの動物たちは冬眠しており、姿を現さない。事前に、冬に備える食料を調達する必要があった。
「まず、この村で自給できそうな分を考えよう」
 お父さんはヤンさんに目をやり、ヤンさんが口を開いた。
「壊れている船はなく、久慈村と共同で新しく造る事も決まっています。漁に使う網や釣り具も、冬の内から女性や子供たちに造って
もらっています。魚さえいれば、いつでも出られます」
ヤンさんが報告し、お父さんは次にウドさんを見た。
「山菜が伸びるのが早いくらいで、いつも通り獣や小動物がいます。今日も、猪が獲れましたしね」
 ウドさんはそう言って、少し僕の方を見た。
「交易品となる物はどうなっている?」
 お父さんが顔を向ける前から、ナホさんが口を開いた。
「シキさんの協力もあって、手放す事が惜しいと思えるものが出来上がっています」
 ナホさんの隣には、珍しく村の会議に入って来たシキさんがいた。
「マオとカオ、二人のおかげで、今年もいつも通りに採れると思う」
シキさんは短く言い、お父さんを見つめた。お父さんもシキさんを見つめ、しばらく互いに無言だった。
「それと、ワシはアラの事が気になるが。ヲン、アラはどうするつもりなんじゃ?」
 静けさを破り、ガンさんが口を開いた。
「どうする、とは?」
「どうするもこうするも、二ツ森にいるランという女性と良好な関係だそうじゃないか。知らぬ存ぜぬじゃ済まされんぞ?」
 ガンさんがお父さんを見つめ、お兄ちゃんにも目を向けた。
「俺は、ランが好きです」
 お兄ちゃんは顔を赤くしながら答えた。
「それは村の誰でも知っておる。どうするとは、お前さんがどっちに住むかという事じゃ」
 ガンさんの言う『どっち』とは、是川にランさんを迎えるか、お兄ちゃんが二ツ森に住むかという事だろう。
「ガンさん、私はどちらでも構わないわ」
 お母さんが口を開き、お兄ちゃんの肩を叩いた。
「そうだな。決めるのはアラだ。俺からお前に、是川の酋長を継げとは言わない。まあ、なりたいなら推薦はするが、決めるのはアラとランだな」
 お父さんはそう言って、お兄ちゃんを見つめた。
「わかりました。次に二ツ森に行く時、ランと、二ツ森の酋長と話し合ってきます」
 お兄ちゃんは何かを決意したかのような、強い口調で答えた。
「わかった。アラの結婚については、しばらく本人に任せよう。他に、何か気がついていたことがあれば、遠慮なく発言してくれ」
お父さんは再び、集まっている人を見渡した。
「俺は少し、気になっていることがあります。入江に住むハウさんが言っていた、村同士の争いの事です」
 ロウさんが口を開き、知っている人が多いだろうが、ここにいるみなに黒曜石を巡って争いが起きたという話を、かいつまんで話した。
 その話に、ウドさんも続いた。
「去年、三内のハキという管理人からも詳しく聞きました。人が集まると、多種多様な意見が出ていい面もあるが、悪い面も出る。俺とヤンで例えるなら、海と山のどちらが優れているかという、いつものやり取りが喧嘩になり、殴り合いに発展する事もあるそうです」
 ウドさんはそう言って、ヤンさんを見て、ヤンさんも口を開いた。
「俺たちはいつもの事で、互いに分かり合えているからいいですけど、山奥に住んでいる集落の人は、山の神様だけを信仰している事もあるそうです。そういう時には、答えの出ない争いになるかもしれません」
 ヤンさんはそう言って、月明かりに照らされている山を見つめた。
僕たち是川に住んでいる人たちや、今まで出会った人たちは、海と山のどちらの神様も信仰していた。
 しかし、去年三内で情報と交換した土器を造っている人たちは、完全に山だけを信仰していたそうだ。
「俺たちは海も山も信仰している。だが、どちらか一方だけを信仰している人たちから見ると、俺たちをおかしく感じ、交流を拒絶するかもしれないな」
 ガイさんは少し、そわそわとしながら口を開いた。おそらく、早く家に帰って赤ん坊の顔が見たいのだろう。
「実際に、黒曜石で人を殺したという証拠を見たのはカラだけだ。その骨も、本物かどうか、確かめてもいないだろ。もしかすると、三内の人も話に尾ひれがついたのを聞いただけで、殺し合いの様な争いなんて起きていないんじゃないのか?」
 ホウさんが願望も交えた考えを口にした。僕の事を信用していないのではなく、人と人が争い、殺し合いになったという事を信じたくないのだろう。
「僕も人と人が争うのを信じたくありませんし、ハウさんの妄想だと思いたい時もあります。ですが、三内では実際に争い事が起きています。僕が直接見たという事ではありませんが、ハキさんが嘘をつく理由もありませんし、嘘をつく人だとも思いません」
 僕は少し強い口調で、みなに伝わるよう大きめの声で発言した。 
「そうだ。少なくとも、争いは大なり小なり起きる」 
 シキさんがお父さんを見ながら言い、お父さんはしばらく黙り込んだ。
「これこれ、シキはただ事実を言っているだけじゃ。ヲンを今責めているわけではない」
 ガンさんが静けさを破り、再びお父さんが口を開いた。
「俺たちに足りないのは、信頼性の高い情報だ。俺たちはこの村を発展させたい。それは、ここに住んでいるみんなの総意だと、俺は思っている」
 お父さんは一度口を閉じ、みなを見渡した。誰も、反対の声をあげる人はいなかった。
「しかし、交流を多くしすぎると、争いの種になることもあるという事実もある。誰か、それについて何か意見はあるか?」
お父さんの声に、ザシさんが口を開いた。
「俺は交流を深めるためには、是川の村が多くの交流を求めなくてもいいと思います」
 ザシさんの言葉に、ジンさんが「どういう事だ?」と、首を傾げながら尋ねた。
「俺は少なくとも、入江と二ツ森、久慈村やその周辺の村々とは争いも無く、平和に交流出来ていると思います。そして、その村の人たちは信頼できますし、その村の人たちが信頼している人たちは、俺たちも信頼できると思います」
 ザシさんの言葉に、ジンさんは「そういう事か」と呟き、僕も理解をした。
「なるほど。是川の村だけで争いも無く、平和的に交流できる村を探していくのではなく、他の信頼できる村と共同して、交流できる村を増やしていくという事か」
 お父さんがザシさんの話をまとめ、しばらく集まったみなが、それぞれ考え込んだ。
「なあ、これ以上いくら俺たちが考えた所で、久慈村や二ツ森、入江の人と相談しなくちゃ始まらないじゃないのか。今日はもう遅いし、大人になる儀式の時に、それぞれの酋長や村の人と話した方がいいんじゃないか?」
 ガイさんが口を開き、お父さんも「それもそうだな」と言い、この場を散会させようとした。
「ガイ、お前さんは早く赤子の顔を見たいだけじゃないかのう?」
ガンさんがガイさんの本心を突き、ガイさんは「あはは」と苦笑しつつ、自分の家へと走って行った。
 僕は走って行くガイさんを見つつ、お父さんに駆け寄った。
「お父さん、僕は仁斗田島に住んでいる人たちが、どんな暮らしをしているのかが気になるんだ。他の村と交流せずに暮らす。それは、本当に出来るのかどうか。そして、他の村と交流をしなければ、争いが起きないのか。確かめてみたいんだ」
 僕がお父さんに言うと、僕の後ろからロウさんも寄ってきた。
「俺も気になります。仁斗田島には俺の事を覚えている人もいるでしょうし、カラや他の人だけが行くよりも、話がしやすいと思います」
 ロウさんも賛同してくれたものの、お父さんは少し、悩むような仕草をした。
「わかった。ただ、仁斗田島に行くのは入江から人が来た後にしてくれないか。運が良ければハウか、その息子のハムが来て、人と人の争いの話を詳しく聞けるかもしれない。それに、今の内から山菜や、回遊してくる魚などを獲っておかないとならない。人との交流の前に、自分の村で自給できないと意味がないからな」
 お父さんはそう言い、「後で、他にも行きたい人がいないかも聞いておいてくれ」と言い、自分の家ではなく、ガンさんの家へと向かった。そっちには、シキさんも向かって行ったはずだった。
「お父さん、まだシキさんとわだかまりがあるのかな?」
 僕が不安そうに言うと、ロウさんは僕の頭に手を置いた。 
「そうだろうな。俺も初めて是川の村に移住した時に、アラと少しだけ喧嘩になったんだ」 
「え、そうなんですか?」
 僕はお兄ちゃんとロウさんが喧嘩をするなんて、信じられなかった。
「喧嘩と言っても、アラと少し色々とあっただけだ。互いに小さな子供だったし、小さなことで言い合いになる事も、喧嘩にある事もある年頃だったんだ」
 僕はロウさんの顔を見つつ、ロウさんが何かを隠している様な雰囲気を感じた。
「ロウさんは、お兄ちゃんの事をどう思っているんですか?」
 僕の問いに、ロウさんは「俺の分の蜂蜜を盗ったのは、今でも許せないな」と言いつつ、「ただ、色恋沙汰に現を抜かしているのはちょっとなぁ」と呟き、イバさんと話をしているお兄ちゃんを見つめた。

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