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 二ツ森の村についたのは、もう夕暮れだった。
「やっぱり、不便だよ」
 イケが湖で足を冷やしつつ呟いた。
「でも、これが二ツ森の人たちの生き方なんだし、あれを見てみてよ」
 僕はイケに、湖の一部を指した。
「あそこが湖に流れている川で、そこに集まっている小さな虫を小さな魚が食べ、その小さな魚を大きな魚を食べる。その大きな魚を育てるために、湖の一部に網を仕掛けておいて、大きめの魚が遠くに逃げないようにしているんだ」
 僕は二ツ森の人たちが仕掛けたと思われる、長くて大きな網の罠に注目した。網の目は荒く、小魚は逃げられるようになっていた。
すぐに魚は大きくならないが、数年経てば自然と大きくなり、逃げようとしても網に引っかかり、簡単に獲ることが出来る。そしてまた、次に来るときには魚が大きくなっているだろう。
「よくわかっているわね。さすが、アラさんの弟さんね」
二ツ森の酋長の孫娘のリンが、僕に話しかけてきた。
「リン、お兄ちゃんはどうしてる?」
 僕が尋ねると、リンはため息をつきながら「どこか二人で、色々と話しているんじゃない?」と言い、僕を見つめてきた。
「あなたの前で言うのはおかしいけど、あなたのお兄さんの何処を、姉さんは気に入ったのかしら?」
 リンさんは、僕の顔をまじまじと見つめ、「私なら、選ばないわね」と言った。
「リンさん、アラさんは是川の村でも女性に人気があるんですよ」
イケがお兄ちゃんを、擁護する事を言った。
「うーん、それはわかっているんだけど、私なら可愛い男性がいいわね、例えば、あなたの様な」
 リンは僕から、イケに目を移した。その瞬間、イケは顔を赤くした。
「冗談よ」
 リンは笑いつつ、イケの頬を指で小突いた。
 夕食は僕たちの持ってきた鳥の燻製と、湖の魚だった。
「入江の湖でも似たような魚を食べましたが、こっちの方が美味しいです」
 イケはここの魚を気に入ったのか、「たくさん食べてね」と言った酋長の妻の言葉を受け取り、三匹も食べてしまった。
 僕が『食べ過ぎじゃないかな』と心配していると、酋長の妻が「いいのよ。私はたくさん食べる子供を見るのが好きだから」と言い、じっとイケの食べっぷりを見ていた。
「カラと言ったな。初めて来た時に見つけ、今も交易をしておる石は役に立っているか?」
 酋長から尋ねられ、僕は「みんなが使っています」と、脚色なく答えた。
 二ツ森で取れる石は固くて。加工が難しい。しかし、一度造り上げてしまえば壊れることが無く、切れ味も鋭い石器が造れた。
「ここでとれた石は、俺の愛用品ですよ」
 ウドさんは持ってきていた石斧を、集まっている人の前に出した。
「おお、きれいに磨き上げられているな」
二ツ森の男性らが、ウドさんの担ぎ上げた石斧を、目を輝かせながら見つめた。
「どれだけ磨いたんだ?」
 ウドさんはその問いかけに、「冬の間、ずっとだ」と、胸を張って答えた。
 すると、イケが僕にそっと囁いた。
「磨いたのはウドさんですけど、形を造る作業をしたのはカラさんですよね?」
 僕はイケに「別に構わないさ」と言い、ウドさんら男性を眺めた。
「いいよな。俺の村でもあんな石が欲しいけど、代わりになる物が無いんだ」
 ラドさんが残念そうに、首を横に振った。
「なに。弓が得意なバクと交換なら、いくらでも持っていっていいぞ?」
 酋長が言うと、ラドさんは「絶対無理です」と、即答した。
「当然じゃが、残念じゃな」
 酋長は笑いつつも、「代わりに、湖を往復できる小型の船はないかのう?」と、代案を出した。
「はい、村に戻ったら提案してみます」
 ラドさんはそう言って、「まあ、小型の船なら造れるかな」と、軽く呟いた。
「ラドさん。交換は冗談で、酋長の孫娘に嫁がないかって話じゃないですか。バクさんは、久慈村の酋長の息子さんですし」
 僕が言うと、ラドさんは「それでも、石と交換でバクを使う気がして嫌だった」と答えた。
「ごめんなさい。お祖父ちゃんが変な事を言って」
リンがラドさんに謝った。
「いや、君のせいじゃないし、酋長も本気じゃなかっただろう。ところで、姉のランがいないが。おい、アラもいないじゃないか?」
僕はいつの間にか、お兄ちゃんとリンの姉のランさんがいなくなっている事に気がついた。
「まったく、アラは何しに来たんだか」
ロウさんが少し、口を尖らせた。
「何か知っているんですか?」
 僕が尋ねると、ロウさんは大きなため息をついた。
「カラ、男女が揃っていなくなったんだ。もう、これ以上何か言う事はあるか?」
 ロウさんに言われ、僕はようやくお兄ちゃんがいなくなった理由に気がつき、隣りにいたイケが顔を赤くした。
「そう言えば、コシさんの姿も見えませんね?」
 顔が赤くなったイケの隣りにいたコシさんも、いつの間にか居なくなっていた。
「コシなら向こうにいるぞ。あいつ、大丈夫か?」
 ラドさんが心配そうに、大人の男性らがいる場所を指した。
 そこにはお酒に酔ったコシさんが、何やら踊りを踊っていた。
「これはぁ、是川でアワが育つように祈るための祈願ですぅ」
 コシさんの踊りに合わせ、いつの間にか手拍子が加わっていた。皆が楽しそうであり、人の輪が出来上がっていた。
「コシに酒を飲ませてはいけない。と思っていたんだが、飲ませた方がいい時もありそうだな」
 ロウさんが、輪になって踊っているコシさんらを見ながら言った。
しかし、アワを育てているイバさんは、コシさんの様な祈願をしてはいない。

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