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 仕事場にはレイとサキさんが細長い石を集め、網を造っている。サキさんが編んだ網を、レイが自分の左腕を物差しとして使い、サキさんが均等に石を結び付けられるようにしている。
「何だかハムさんの怒った様な声が聞こえたけど、大丈夫?」
 レイから心配されたけど、僕は「このまま是川に帰るより怖いものはないよ」と、半分本気で答えた。
「それで、こんな網で本当にいいのかしら?」
 サキさんが心配そうに、僕に尋ねてきた。それもそのはずだ。僕が頼んだ網は、半分が石の重りがあり、もう半分は何も重りが付いていないのだ。網は細長く、四隅に長い紐が付いている。
「明日の漁はレイにも協力してほしいけど、大丈夫かな?」
 僕の発言に二人は驚き、レイは「僕はもう、泳げないんだよ」と、不安そうな声を出した。 
「大丈夫。川に虫を放り込むだけだから」
「え、虫って、何処のなんの虫?」
 僕はレイの問いに、ちょっと言葉に詰まった。
「えーと、レイが排便するところによくいる虫」
 僕の言葉に、少しばかりレイとサキさんが嫌そうな顔をした。
次の日、一つの班で漁をする事になった。トウさんには、弓矢を持って来るように頼んである。僕とサキさんがレイを連れてきており、皆を驚かせた。そして、レイの背負っている籠の中身を知り、また驚いた。
「釣りのエサか?」
 ムウが僕の考えに近い事を言い、僕はレイを岩場に寄りかからせる様に座らせた。そこは、飛んでいる海鳥が見える位置だ。そして、僕は持ってきた網をみんなに見せた。
「半分重りの付いていない網で、どうするんだ?」
 ハムさんの言葉は、他の子供の代弁でもあるだろう。
「じゃあ、重りの付いている網を川の上流に持ってくよ」
 僕の声にトウさんとムウが頷き、三人で川の反対側へと泳ぎ、重りの入っていない方の網を持って戻ってきた。
 この川は時間によって、流れが速くなる時もあれば、遅くなる時もある。その時間帯をレイは知っていた。仕事場で一方しか見ていない、見る事の出来なかったレイは、海の満ち引きを完全に把握していた。
 今の時間帯、川の流れはほとんどなく、葉っぱでさえ止まっているように見える。
「網で、魚を一気に獲るんですか?」
 ボウが重しで沈んでいる網を見つつ、僕に尋ねてきた。
「そんな事出来ないだろ。網を引き揚げている間に、魚はみんな網の脇から逃げるに決まっている」
 ハムさんが言うと、ボウは落ち込んだ顔になった。
「じゃあ、レイの持ってきたのを撒いてね」
 サキさんが籠を持ってきて、皆が少し嫌な顔をした。それもそのはずで、それは汚い虫という雰囲気だったからだ。
「この虫を大きな虫が食べ、その虫を小さな動物が食べ、それを鳥や獣が食べます。そして、その鳥や獣を僕たちが食べます。それの何処が汚いんでしょうか?」
 僕は自分が最初に、昨日火で焙り、乾燥させた虫を手にとった。僕はその虫を川の中に投げ込んだ。
「さあ、みんなで一斉に投げ込んで」
 僕が言うと、ハムさん以外の子供がみな投げ込んだ。そして、乾燥した虫は流れることなく、水面に漂っている。
「これで、魚を誘き寄せるのか?」
 ムウの問いに、僕は「半分ね」と答えた。しばらくすると、魚が川の水面に集まりだしてきたのが見えた。
「おい、まだ網は引かないのか?」
ハムさんが僕を急かしてきた。
「まだです」
 僕が黙り込み、しばらくすると、レイが「来たよ!」と、大きな声をあげた。
「来たって、お前の向いている方じゃ川の魚は見えないだろ?」
ハムさんの言う通り、レイの場所からは川に沈めた網は見えない。代わりに、海鳥が見える。
「海鳥は、魚がいるところにやって来ます。僕が観察した経験ですけど」
 レイが言った通り、いつの間にか僕たちの近くには多くの海鳥がやって来て、水面の虫を食べている魚を狙って急降下し始めた。
「トウさん」
 僕はトウさんに弓矢を構えてもらい、数本射ってもらった。すると、すぐに危険を感じたのか、海鳥は逃げて行った。
「よし、今度は僕たちが網を引くんだ!」
 僕の掛け声で、皆が網をひき始めた。ここからは時間との勝負だった。早く網を引かなければ、網の両脇から魚が逃げてしまうからだ。
 魚を多く集めなければ、海鳥はやって来ない。そのために、わざと網の両脇は空けておいたのだ。石を重りとして付けておいてしまえば、魚はエサの場所までやって来れない。
僕は網を引きながら『網に、もっと工夫をすればよかったかも』という考えが浮かんできた。しかし、今はそんな事を考えている暇はなく、とにかく僕たちは懸命に網を引いた。
 結果、海鳥一匹と、数匹の魚が獲れた。
「思ったより、少なかったね」
 息を整えたカトが、残念そうに言った。
 僕もこの結果には、残念な気持ちで一杯だった。もう少し早く網を引けばよかったのか、それとも海鳥が来る前に、魚だけ獲ればよかったのか。両得しようとしたのが原因なのだろうか。
 僕が網から魚を取り外していると、ハムさんが不機嫌そうに僕に口を開いた。
「お前なぁ、網の両脇が空いていたら、逃げられるに決まっているだろ。網の両脇にも人を置いて、海鳥を射った後に水面を叩いて追い立てておけば魚は逃げないし、網もゆっくり引けるから少人数ですむだろ?」
ハムさんの意見を聞いて、僕とレイは「あ、そうだった」と呟き、サキさんも「私が片方からでもいいから、川に入って追い立てていればよかったわね」と言った。
「おいおい、そんな事も考えなかったのかよ。網の近くに人がいると海鳥が警戒して、飛んで来ないって考えていたのか?」
ハムさんは呆れ気味に、僕たち三人を眺めている。
「ハム、次からはそうしような」
「え?」
 トウさんが、ハムさんの肩を叩いた。
「網を海に敷いて、餌を撒いて、海鳥が来たら魚が集まっている証拠で、海鳥を射った後に網の両脇で水面を叩けばいい。ここより川の細い所があるから、そこでユウとカトに網の両面から叩いてもらって、僕たちが網を引けばいいんじゃないか?」
トウさんの言葉に、ハムさんは「まあ、そうだな」と、褒められて嬉しいのか、よくわからない顔をしていた。
「ハムさん、僕はハムさんの考えた方法も使って魚を獲りたいです。ハムさんは、どう思いますか?」
 僕の問いかけに、皆がハムさんの顔を見た。ハムさんの顔は、先ほどと同じで複雑だった。
「まあまあ。考えるのは後にして、早く海鳥と魚を持って帰りましょう」
 サキさんの言葉で、この場は解散となった。

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