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サキSide 6

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サキSide 6

「嘘をついているって、どういう事ですか?」
 弟の排便の時に何があったのかはわからないが、カラの目は赤くなり、今にも泣きだしそうだった。それを、私はさらに追い詰めようとしている。残酷だが、このまま入江の村にいても、カラは自分の村に帰れないだろう。
そして、壊れてしまいそうだった。
「さっき言った通りよ。あなたは嘘をついている。漁を学びたいなんて嘘よ。本当は、単なる家出よ」
 私の想像だが、カラは父親と直接の喧嘩はしていない。しかし、父親の子供の頃の話を聞き、何か思うところがあったのだろう。その思いとは、『もし自分が私の弟と同じだったならば、父親にぞんざいに扱われやしないだろうか』という思いだろう。
 そして、ぞんざいに扱われないためには『特別な何かでなくてはならない』という思いもあるだろう。カラは、弟が神聖視されているとも聞いた。私にはまだよくわからないが、そこもどこか関係しているのだろうと思った。
 しばらくカラも私も、弟もサンおばさんもゴウさんも黙ったままだった。ただ、カラだけが身体を震わせ、目に溜まった涙はこぼれ落ちて、徐々に地面を濡らしていった。
「ごめんなさい」
カラは絞り出す様な声を出し、すとんと膝が落ち、手を地面につけて泣き始めた。
私は弟の非難ともつかない目線を感じつつ、サンおばさんに抱きしめられながら泣いているカラを見つめていた。
「レイは、何か気がつかなかったかしら?」
 私が尋ねると、弟は「ちょっと、頑張りすぎている気がした。あと、ハムさんと仲が悪いように見えた」と答えた。
ハムの父親は、入江の発展を嫌う一派の先鋒だ。入江が発展している原因の一つにカラと弟を挙げており、リウさんら弟を神聖視する人たちと同じく、質が悪いように私は感じていた。
「サキ、どういう事なんだ?」
 一人、全く状況を理解していないゴウさんに尋ねられ、私は弟とサンおばさん、カラにも聞こえるように、自分の想像を話した。
『カラは、子供の頃の父親が赦せなかった』
『もしカラが、弟のように身体に不自由があったならば、飢饉の時にどのような扱いを受けていたのだろうと思った』
『カラのせいで、レイが神様扱いされた事が赦せなかった』
 私は、この三つの理由を挙げた。これが全てではないだろうとは思うが、私が今考えられるのはこれだけだった。後は、カラから直接言ってもらうしかないだろう。
 私が三つの考えを述べると、少しずつ落ち着いてきたカラが口を開いた。
「はい。僕はお父さんを軽蔑して、自分が何も出来ない人間だったら、シキさんのように仲間外れにされるかもしれないと思って、怖くなりました」
 カラの言う『シキさん』とは誰なのかは分からなかったが、おそらくカラの父親が仲間外れにしたという人の名前だろう。
「でも、カラならお父さんと話し合いが出来るんじゃないの?」
レイが不思議そうに、カラに尋ねた。私も、それが一番の大きな疑問だった。
「レイが神様扱いされているって聞いて、自分が、もしレイみたいに身体が動かなくなったらって考えたら、何だかもう訳が分からなくなって。レイの事を神様扱いしているって聞いて、特別扱いされないと、レイは生きていけなくなっているのかと思って。でも、僕はレイに『立派な大人になる』って言ったのに、結局僕は、立派な子供にもなれず、大人にもなれていなかったんだ。あと、レイは人間だと思っているし、神様扱いしている入江の人たちが赦せなくて。僕は、自分でもよくわからないまま入江に来ちゃって。ごめんなさい」
 カラの言葉はたどたどしく、要領の得ないものも多かった。だが、カラが『子供』だという事が、私にははっきりと分かった。
子供ならば、自分の意見を言うだけでいい。大人ならば、自分の意見を言うのはもちろんだが、相手の意見も聞き、受け入れ、それを元に話し合いをしなければならない。
私も大人になり、サンおばさんやエイさんから、厳しい言葉を投げかけられた事もあった。それを乗り越えたからこそ、大人になった今の私がいるのだ。
 しかし、カラは自分の父親と話をせず、是川の村に来ていた入江の人たちとも話し合わなかった。話す機会は十分にあっただろう。
要するに、カラは自分の考えの中で一人悩み込み、誰にも自分の考えを話さず、相手の話の内容も考えず、家出のような形で入江に来てしまったのだ。
「カラ、あなたはどうしたいの?」
 私は先ほどの問い詰める様な口調を止め、なるべく優しく、カラに話しかけた。
「正直、わかりません。僕は、何をしたいのかもわかりません」
カラは俯いたまま答えた。
「じゃあ、自分の村に帰りたいか、帰りたくないかで答えてくれないかしら?」
「・・、帰りたいです。でも、どう言って帰ればいいのかわからないです」
 カラのこの言葉を最後に、再び家の中は静寂が支配した。
「僕にはまだ、カラの言っている事がよくわからないけど、カラは僕の事を人間だと思っているんだよね?」
弟の問いかけに、カラは頷いた。
「お姉ちゃんは、カラに必要なのは何だと思う?」
 弟の問いに、私は「自分の村の人と、お父さんとよく話す事ね」と答えた。
「でも、カラはそれが出来ないから困っているんだよ。だから、まず僕はカラと協力してやってみたい事があるんだ」
 弟の言葉に、私は『いったい何を言うのだろう』という、少しばかりの不安が襲った。
「カラ。僕の事を普通の人間だって、入江の村にみんなと話し合ってほしいんだ」
 弟のやって欲しい事は、とても難しい問題だ。それも、村の人間ではないカラが、口を出していい事なのか私にも分からなかった。
「サンおばさん、ゴウさんも僕の事を人間だと思っていますよね?」
レイの言葉に、二人は頷いた。
「カラ、僕からのお願いを聞いてくれる。僕は人間なんだ。神様の使いなんかじゃない。僕が石器や釣り具造りが上手いのは自分の努力と、カラからの協力があって出来たものなんだ。それを神様扱いされちゃ、僕は気分が良くないし、カラも可哀そうだよ」
弟の言葉で、少しだけカラの顔が上を向いた。
「そして、僕は入江の村を発展させたい。いつか、僕の身体は全く動かなくなるかもしれない。だから、後悔しないためにも出来る事は全部やっておきたいんだ。カラにはリウさんらと、ハムさんらと話し合って欲しいんだ」
 弟の続く言葉に、カラは一度完全に顔を上げ、また顔を伏せた。
「僕には、出来ないよ」
 カラの即答に、弟は「じゃあ、ずっと是川に帰れないよ?」と、言葉を続けた。
 私は弟の言っていることが、とても難しい問題だと思った。しかし、カラに今足りないものは、自分の事を考えると同時に、相手の事も考え、話し合う事だ。それが出来なければ、自分の村に帰っても意味は無いだろう。
「そうね。私も、あなたに足りないものは自分の意見を言うだけじゃなくて、相手の意見も聞いて考える事だと思っているわ。互いに相手の主張を理解してからじゃないと、互いに理解される事はないわ。それは是川に戻るためにも、必要な事だと思うわ。その練習って言ったら変かもしれないけど、やってみないかしら。もちろん私も手伝うけれど、あなたにやる気はあるかしら?」
 私は無意識に、カラに向かって手を伸ばした。カラは少し迷うような仕草をした後、私の手を握った。思ったよりも、大きな手だった。

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