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村で一番病気の知識がある人は誰かと考えた時、真っ先に思い浮かんだのはキンさんだった。キンさんは村の産婆さんを務め、母子の体調管理を徹底している。
僕は子供の仕事が終わった後、ヨウも連れてキンさんの家を訪ねた。キンさんの家にはガンさんも暮らしており、夫婦ではないけれど共同生活をしている。たまにシキさんも一緒に居り、薬草を煮込んだ苦いお湯をのんびりと日向で飲んでいる事が多い。
僕たちがキンさんの家に行くと、キンさんとガンさんの二人が家にいた
「何かあったのかい?」
キンさんが少し不安そうな顔で、僕とヨウを見つめた。
「子供の仕事に、問題はありません。でも、聞きたい事があるんです」
僕の口ぶりを聞き、ガンさんは「何処かに行きたいのかい?」と、少し揶揄するように尋ねてきた。
「行きたいのもありますが、今は病気の前兆について知りたいんです」
「病気って、熱が出たりして身体が動かなくなったりする事かい?」
「はい」
僕が返答すると、キンさんもガンさんも悩むような顔つきになった。
「難しい事ですか?」
「難しいわねぇ」
キンさんも考え込むような表情になり、自分の額に手を当てたり、ガンさん額に手をやったりした。
「私は村の妊婦の体調をつぶさに見ているつもりでいるけど、突然体調が悪くなる時もあるし、正確な事は分からないのよ」
キンさんが言うと、ガンさんも「夜中に悪くなったと思ったら、朝になるとよくなっている時もあるしのう」と言い、頭を掻いた。
「それは、お酒を飲んだ時じゃないの?」
キンさんに言われ、ガンさんは「そうじゃかな?」と、覚えていないような仕草をした。
「でも、僕のお母さんやお父さんは、僕の体調が悪いとすぐにわかりますよ。僕自身は、体調が悪いと思っていないのに」
ヨウの言葉に、僕も頷いた。
「それは家族だから・・、と言いたいところだが、家族でも分からない時がある。しかし、一つだけ確かなことがある」
キンさんの言葉に、僕とヨウは耳をキンさんの口元に近づけた。
「嫌な気持ちでいると、病に罹りやすくなる」
キンさんは、はっきりとした口調で言った。何か、確信がある様な口ぶりであった。
「嫌な気持ち、ですか?」
僕が繰り返すように言うと、キンさんは頷いた。
「カラならわかるんじゃないかね。自分が嫌な気分や気持ちでいる時、何となく身体が思うように動かなくなる経験はないかね?」
キンさんに言われ、僕は去年の自分を思い返した。自分の仕事を大人に取られたような気持になって、気分も身体も重かったのだ。
「何となくですけど、わかります」
僕が言うと、キンさんは続けて口を開いた。
「妊婦が流産や死産をすると、自分を責めて病に罹ることがある。私が精のつく物を持って行っても食べようとせず、自ら病を呼び込んでいるようじゃった」
キンさんはどこか遠い目で、悲しそうだった。
「元気でいるのが一番じゃ」
ガンさんが言葉を続けた。
「その、元気がなくなる前兆が知りたいんです」
僕が続けて尋ねると、ガンさんは「それがわかったら苦労はせん」と、首を横に振った。
「ただ、嫌な気持ちでいると怪我や病が治りにくいのは分かっておる。ワシが幼い時、骨を折った大人が『手の感覚が無い。もう助からない』とふさぎ込んでしまい、本当に身動きせずにおった」
ガンさんは思い出すように言った。
「それで、どうして治りが遅いって分かったんですか?」
僕の問いかけに、キンさんが「二人が怪我をしたんだけど、大怪我をした大人の方の治りが早かったのよ」と、話を引き継いだ。
「私が二人の看病をしていたんだけど、大怪我をした大人は『肉や鹿の乳を飲食すれば治る』って気合を入れながら自分に言い聞かせて、当時の酋長にたくさん持ってこさせたのよ。一方、骨を折った大人は『手が動かせなければもう弓が使えない。俺はもうおしまいだ』って悲観に暮れて、飲食も少なくて治りが遅かったのよ」
僕はそれを聞いて、食欲が無くてもお母さんから「少しでも食べなさい」と言われたことを思い出した。
「じゃあ、毎日楽しく、怪我や病気をしても気合で乗り切ればいいですか?」
ヨウがよくわからないといった表情で、二人に尋ねた。
「そうじゃな。ヨウは毎日海に潜って楽しく食物を獲る。怪我や病気をしたら、イバの育てたアワを食べればすぐに治るかもしれないのう」
ガンさんが少し面白がりつつ、半ば本気で答えた。
去年、イバさんが育てたアワの収穫量は少なかったけれど、ヒエよりも甘みがあり、熱が出た村人に優先的に食べさせたら、すぐに治ったという実績もあった。
しかし、問題はズイとオクが怪我や病気、いわゆる『死』について恐怖を抱いているという現実だ。
「どうしたら、子供が『死』について怖がらなくなると思いますか?」
僕の問いかけに、ガンさんは「怖がっていて、いんじゃないか?」と即答した。
「でも、ズイとオクはそれで、元気が無くなっています」
僕が二人の顔を思い出しながら言っても、ガンさんの顔つきは変わらなかった。
「カラよ、お前さんは出来ない事をしようとしておるぞ?」
ガンさんは、僕の目をジッと見つめた。
「自分の考えを相手に話すことは出来るが、相手の考えを変えることは出来ん。変えられるのは自分だけじゃ」
ガンさんの言葉に、キンさんも頷いた。
「いくら私たちが『あなたは病気にかからない。死ぬ事は無いわ』って言っても、ズイやオクの不安は取り除けないわ。これは、自分で乗り越えないといけない問題よ」
キンさんの言う事はもっともだろう。でも、僕は何かしてあげたかった。
「じゃあ、僕たちが出来ることは無いんですか?」
ヨウの言葉に、僕も追随するようにして「何かありませんか?」と言葉を続けた。
「いつも通りで、いいんじゃないか?」
ガンさんは、僕とヨウの目を見つつ答えた。揶揄しているようにも見えなかった。
「いつも通りで、いいんですか?」
「そうじゃ。カラにヨウ、お前さんらは毎日『自分は、今日怪我や病気で死ぬかもしれない』と、思いながら生きておるのか?」
ガンさんの言葉に僕は首を横に振り、ヨウも「そんな事はありません」と答えた。
「いつ死ぬかわからない事を悩んでいたってしょうがないわ。私たちに出来ることは、何があっても大丈夫なように準備をしておくことよ」
キンさんは家の隅に行き、土器の中から枯れた草の様なものを取り出した。
「これは今年の春、シキが採ってきた薬草を乾かしたものよ。これは高熱が出た時に効く薬草で、シキだけじゃなくて、ウドやジンにも、見つけたら持って来てくれるように頼んであるのよ」
キンさんは薬草を大事そうに土器にしまい、僕とヨウに向かって座り直した。
「ズイとオクが『死』を怖がるのは仕方がない事よ。でも、それをあなた達まで怖がると、余計に二人は気分が悪くなると思うわよ。だから、ね。もうどうすればいいかわかるでしょ?」
キンさんはこれで話はおしまいという様な口ぶりをし、ガンさんも炉に木の枝を放り込み始めた。
「ありがとうございました」
僕は二人にお礼を言って、ヨウを連れて家から出た。
村で一番病気の知識がある人は誰かと考えた時、真っ先に思い浮かんだのはキンさんだった。キンさんは村の産婆さんを務め、母子の体調管理を徹底している。
僕は子供の仕事が終わった後、ヨウも連れてキンさんの家を訪ねた。キンさんの家にはガンさんも暮らしており、夫婦ではないけれど共同生活をしている。たまにシキさんも一緒に居り、薬草を煮込んだ苦いお湯をのんびりと日向で飲んでいる事が多い。
僕たちがキンさんの家に行くと、キンさんとガンさんの二人が家にいた
「何かあったのかい?」
キンさんが少し不安そうな顔で、僕とヨウを見つめた。
「子供の仕事に、問題はありません。でも、聞きたい事があるんです」
僕の口ぶりを聞き、ガンさんは「何処かに行きたいのかい?」と、少し揶揄するように尋ねてきた。
「行きたいのもありますが、今は病気の前兆について知りたいんです」
「病気って、熱が出たりして身体が動かなくなったりする事かい?」
「はい」
僕が返答すると、キンさんもガンさんも悩むような顔つきになった。
「難しい事ですか?」
「難しいわねぇ」
キンさんも考え込むような表情になり、自分の額に手を当てたり、ガンさん額に手をやったりした。
「私は村の妊婦の体調をつぶさに見ているつもりでいるけど、突然体調が悪くなる時もあるし、正確な事は分からないのよ」
キンさんが言うと、ガンさんも「夜中に悪くなったと思ったら、朝になるとよくなっている時もあるしのう」と言い、頭を掻いた。
「それは、お酒を飲んだ時じゃないの?」
キンさんに言われ、ガンさんは「そうじゃかな?」と、覚えていないような仕草をした。
「でも、僕のお母さんやお父さんは、僕の体調が悪いとすぐにわかりますよ。僕自身は、体調が悪いと思っていないのに」
ヨウの言葉に、僕も頷いた。
「それは家族だから・・、と言いたいところだが、家族でも分からない時がある。しかし、一つだけ確かなことがある」
キンさんの言葉に、僕とヨウは耳をキンさんの口元に近づけた。
「嫌な気持ちでいると、病に罹りやすくなる」
キンさんは、はっきりとした口調で言った。何か、確信がある様な口ぶりであった。
「嫌な気持ち、ですか?」
僕が繰り返すように言うと、キンさんは頷いた。
「カラならわかるんじゃないかね。自分が嫌な気分や気持ちでいる時、何となく身体が思うように動かなくなる経験はないかね?」
キンさんに言われ、僕は去年の自分を思い返した。自分の仕事を大人に取られたような気持になって、気分も身体も重かったのだ。
「何となくですけど、わかります」
僕が言うと、キンさんは続けて口を開いた。
「妊婦が流産や死産をすると、自分を責めて病に罹ることがある。私が精のつく物を持って行っても食べようとせず、自ら病を呼び込んでいるようじゃった」
キンさんはどこか遠い目で、悲しそうだった。
「元気でいるのが一番じゃ」
ガンさんが言葉を続けた。
「その、元気がなくなる前兆が知りたいんです」
僕が続けて尋ねると、ガンさんは「それがわかったら苦労はせん」と、首を横に振った。
「ただ、嫌な気持ちでいると怪我や病が治りにくいのは分かっておる。ワシが幼い時、骨を折った大人が『手の感覚が無い。もう助からない』とふさぎ込んでしまい、本当に身動きせずにおった」
ガンさんは思い出すように言った。
「それで、どうして治りが遅いって分かったんですか?」
僕の問いかけに、キンさんが「二人が怪我をしたんだけど、大怪我をした大人の方の治りが早かったのよ」と、話を引き継いだ。
「私が二人の看病をしていたんだけど、大怪我をした大人は『肉や鹿の乳を飲食すれば治る』って気合を入れながら自分に言い聞かせて、当時の酋長にたくさん持ってこさせたのよ。一方、骨を折った大人は『手が動かせなければもう弓が使えない。俺はもうおしまいだ』って悲観に暮れて、飲食も少なくて治りが遅かったのよ」
僕はそれを聞いて、食欲が無くてもお母さんから「少しでも食べなさい」と言われたことを思い出した。
「じゃあ、毎日楽しく、怪我や病気をしても気合で乗り切ればいいですか?」
ヨウがよくわからないといった表情で、二人に尋ねた。
「そうじゃな。ヨウは毎日海に潜って楽しく食物を獲る。怪我や病気をしたら、イバの育てたアワを食べればすぐに治るかもしれないのう」
ガンさんが少し面白がりつつ、半ば本気で答えた。
去年、イバさんが育てたアワの収穫量は少なかったけれど、ヒエよりも甘みがあり、熱が出た村人に優先的に食べさせたら、すぐに治ったという実績もあった。
しかし、問題はズイとオクが怪我や病気、いわゆる『死』について恐怖を抱いているという現実だ。
「どうしたら、子供が『死』について怖がらなくなると思いますか?」
僕の問いかけに、ガンさんは「怖がっていて、いんじゃないか?」と即答した。
「でも、ズイとオクはそれで、元気が無くなっています」
僕が二人の顔を思い出しながら言っても、ガンさんの顔つきは変わらなかった。
「カラよ、お前さんは出来ない事をしようとしておるぞ?」
ガンさんは、僕の目をジッと見つめた。
「自分の考えを相手に話すことは出来るが、相手の考えを変えることは出来ん。変えられるのは自分だけじゃ」
ガンさんの言葉に、キンさんも頷いた。
「いくら私たちが『あなたは病気にかからない。死ぬ事は無いわ』って言っても、ズイやオクの不安は取り除けないわ。これは、自分で乗り越えないといけない問題よ」
キンさんの言う事はもっともだろう。でも、僕は何かしてあげたかった。
「じゃあ、僕たちが出来ることは無いんですか?」
ヨウの言葉に、僕も追随するようにして「何かありませんか?」と言葉を続けた。
「いつも通りで、いいんじゃないか?」
ガンさんは、僕とヨウの目を見つつ答えた。揶揄しているようにも見えなかった。
「いつも通りで、いいんですか?」
「そうじゃ。カラにヨウ、お前さんらは毎日『自分は、今日怪我や病気で死ぬかもしれない』と、思いながら生きておるのか?」
ガンさんの言葉に僕は首を横に振り、ヨウも「そんな事はありません」と答えた。
「いつ死ぬかわからない事を悩んでいたってしょうがないわ。私たちに出来ることは、何があっても大丈夫なように準備をしておくことよ」
キンさんは家の隅に行き、土器の中から枯れた草の様なものを取り出した。
「これは今年の春、シキが採ってきた薬草を乾かしたものよ。これは高熱が出た時に効く薬草で、シキだけじゃなくて、ウドやジンにも、見つけたら持って来てくれるように頼んであるのよ」
キンさんは薬草を大事そうに土器にしまい、僕とヨウに向かって座り直した。
「ズイとオクが『死』を怖がるのは仕方がない事よ。でも、それをあなた達まで怖がると、余計に二人は気分が悪くなると思うわよ。だから、ね。もうどうすればいいかわかるでしょ?」
キンさんはこれで話はおしまいという様な口ぶりをし、ガンさんも炉に木の枝を放り込み始めた。
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