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カラSide 8-1

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カラSIDE
8―1
是川の村に帰ってから、一番忙しく動いたのはナホさんだった。
「さあ、やるわよ!」
 ただ、ナホさん自身も何を改良して装飾品造りをすればいいのか分からず、秋田出身のお母さんとも話し合いを重ねた。
 キドさんは狩りをする練習のため、特別に山の奥まで入れてもらい、弓が得意なロウさんと、石斧の使い方の上手いウドさんと動き回った。誰もがみな、新しい何かに挑戦しているようであった。
ただ、変わらない人もいた。キノジイもその一人だ。
「最近、ワシの家に勝手に上がり込むのはカラだけになったわい」
キノジイは寂しげに言いつつ、僕の入江に行った時の話を聞いてくれた。
「キノジイは、入江や三内に行きたいとは思わないの?」
 僕が尋ねると、キノジイは「もう行く気は無い」と、即答した。
「どうして?」
「どうしてか。ワシのように年をとると、あまり新しい事に挑戦する意欲は無くなり、いつも通りの日常を望んでしまうんじゃ」
「いつも通り?」
「そうじゃ。入江との交流は、今のところ上手くいっておるが、もしも大変なこと。例えば、入江の人たちの流行病も持ってきたら大変じゃ。新しい物を手に入れられるかもしれんが、代わりに危険な物も運んでくるかもしれん。なら、今まで通りの生活を続けていれば安全だと思ってしまうんじゃ」
 キノジイは少し悲しげに言い、家の隅に生えていたキノコを火の中に投げ入れた。
「でも、もし10年前と同じような事が起きたとしたら、みんなで助け合えるんじゃないの?」
 僕が言うと、キノジイは「別の可能性もある」と、何かを思い出すように言葉を続けた。
「もし、交流のある村の中でたった一つだけ、いつも通りに食料がとれたとしたら、どうする。ただし、その食料はその村の冬を越す分の『いつも通り』じゃ」
「キノジイは、食料の奪い合いになるかもしれないって、考えているの?」
 僕の言葉にキノジイは「そうじゃな」と、短く答えた。
「カラ、お前は入江に行って『覚悟』を決め、『責任』を負う人間となった。じゃが、ここが終わりでは無くて、ここからが始まりなんじゃ。よいか、まだお前は一歩進んだか進んでいないような状態じゃ」
 僕はキノジイの言葉を聞き、自分にはまだ何かが足りないのかと思った。
「僕には、まだ何が足りないの?」
 僕が思った事を口にすると、キノジイは火に焼けて、焦げたキノコを木の枝で突っついている。
「足りないものは勝手にやってくるぞ。それをどう乗り越えられるか、その時に今まで積み重ねてきた『覚悟』が試されるんじゃ。この様に燃えカスとなるか、食べられるくらいの焼き加減になるか」
キノジイの持っている枝の先には、焦げて真っ黒になっているキノコと、食べられそうな位に焼けているキノコがあった。キノジイは両方とも手で摘まみ、家の外に放り捨ててしまった。
「え、食べないの?」
「何を言うんじゃ。家に勝手に生えるキノコは食べられないと、以前言ったじゃろうが。これはキノコで、お前は人間じゃ」
 キノジイはそう言って、家の屋根から吊るしてある干しキノコを取ってくれるよう僕に頼んだ。キノジイの身体は、何だか小さくなっている気がした。
「お前が大きくなったんじゃ」
 その事を言うと、キノジイはこう言った。でも、本当にキノジイの身体は小さくなっている気がして、何だか心もとなかった。
「あと何度、雪が見れるかのう?」
キノジイは空を見上げて呟いた。
 人間はいつか、必ず死ぬ。僕の様に生き残った子供もいれば、産まれてすぐに亡くなる赤ん坊や、冬を越せずに亡くなる子供もいる。中にはキノジイの様に、何歳なのか分からないほど長く生きている人間もいる。
「キノジイは、何歳なの?」
「数えるのを忘れとった」
「あと、どれくらい生きたい?」
 僕は自分で言って、失礼な言葉だったと後悔した。でも、キノジイの顔は不快そうな顔には見えなかった。木の面を被っていて見えないけれど。
「ワシにもわからん」
 キノジイの言葉は、たぶん本心だと思った。
「僕はキノジイに、長生きしてほしいと思っているよ」
 僕が言うと、キノジイは「なら、黄色くてぬめぬめとしたキノコが食べられるか、毒なのかをちゃんと聞いて来ておくれ。それを知れば、栽培しようとしてみようと思い、長生きしてやるわい」と言い返してきた。僕はまだ、初めて三内に行くと決まった時に交わした約束を、果たしていなかったのだ。イバさんや、他の子供たちも聞き忘れていたのだ。
「でも、栽培できるようになったら、キノジイは何か挑戦する事が無くなって、何のために生きるのかわからなくなるんじゃない?」 
 僕が少し冗談っぽく言うと、キノジイは「人間はいつか、必ず死ぬんじゃ」と、冗談無く答えた。
「わかった。僕は来年、三内に行けないと思うけど、行ける事になった子どもに頼んでおくよ」
「それはいいのう。マオとカオだったならば、たぶん忘れるじゃろうがな」
 キノジイの嫌味ともとれる発言に、僕は舌を出して応えた。

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