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朝ごはんの後、僕たちは石斧や水を入れる土器だけでなく、長くて丈夫な、植物の繊維で作った太い紐を二本持ち、山に入った。
山道は昨日の雨で少しぬかるんでいるものの、歩くことに支障はなかった。
「お、結構水が溜まっているぞ」
 ヤンさんが昨日掘った穴を覗きこみ、僕たちはさっそく中の泥と土を、土器を使って掻き出し始めた。ウドさんは掻き出された土と泥を指でつまみつつ、「かなり柔らかいな。ちょっと予定を変更する必要があるかもな」と呟いた。
「ウドさん、どういうことですか?」
 僕が尋ねると、ウドさんは「ああ、これ以上根っこを斬ると、おかしな方向に倒れるかもしれない」と言い、ジンさんに持ってきた紐を準備するように言った。
 ジンさんはするすると、倒そうとしている木に登っていった。ジンさんの木登りは子供の中で一番早いだけだと思っていたけれど、大人の中でも早いみたいで、他の大人たちは「まるでリスみたいだな」と、軽口を叩いていた。
 木に登ったジンさんは、途中で二股に分かれている太い幹の両端に紐を一本ずつ結び付け、またするすると降りてきた。
「ジンさんは大人たちの中でも、木登りが一番早いんですか?」
僕が隣にいるヤンさんに尋ねると、「船を漕ぐのは俺の方が速い」と、違う対抗心を燃やしていた。
「よし、試しに引っ張ってみるぞ」
 お父さんの声に、大人たちは二手に分かれて、紐を手に取った。
「よし、引くぞ!」
 お父さんの掛け声とともに、大人たちは思いっきり紐を引っ張った。木は一瞬大きく揺れたものの、まだ倒れそうになかった。僕も引っ張るのに参加したかったけど、危ないからと言われ、お父さんに止められてしまった。
「よし、もう少し根っこを斬ってみよう」
 ウドさんとイバさんが石斧を持ち、木の根っこを再度切り始めた。
「どうじゃ、上手くいっとるかな?」
 僕たちの後ろに、いつの間にかガンさんがガイさんに支えられながら、山を登ってきていた。
「ガンさん、危ないですって」
 お父さんがガンさんの前に立ったけど、ガンさんは「お前さんらだけで、面白い事をしようとするんじゃない」と言い、立ち止りはしたけど、戻ろうともしなかった。
 その時、ミシミシという、何かが千切れる様な、断末魔の様な『何か』が壊れるような音がした。
「根っこは見えている半分以上切ったと思う。これ以上斬ると、いつ倒れるかわからない」
 崖の上からウドさんの声が聞こえ、お父さんが再び「全員、紐を手に持つんだ」と指示を出した。
 崖の上からウドさんとイバさんが戻り、ガイさんも紐を持った。
「さて、紐を引っ張る掛け声は、カラがしてみてはどうじゃな?」
「え、僕がですか?」
 ガンさんの言葉に、一番驚いたのは僕だった。
「成功するにせよ、失敗するにせよ、始まりをつくったのはカラじゃ。最後まで付き合わんといけんぞ。それとも、自分一人だけ高みの見物をしようとしておったのか?」
 ガンさんの笑いを含んだ声に、僕は「違います。僕も手伝います」と、とっさに答えた。
「よし、掛け声は任せたぞ」
 ガンさんの言葉に他の大人たちも頷いて、僕の方を見た。ぼくの心臓は脈打ち、身体が少し震えていた。
「皆が『やりたい』からやっておるんじゃ。成功するにせよ、失敗するにせよ、お前だけの責任ではない。だが、最後までやり遂げる責任はある。そして、お前は一人ではない」
 背後からガンさんの声が聞こえ、僕は今一度、大人たちの顔を見た。誰もが僕の合図を待っており、不満そうな顔をしている人はいない。むしろ、面白がっているようだった。
 僕は一度息を吐いてから、思いっきり息を吸い込んだ。
「よいしょ!」
『よいしょ!』
「よいしょ!」
『よいしょ!』
 僕の掛け声で、みんながいっせいに紐を引っ張っていた。みんなが一つになり、左右から木を引っ張り、その間に木が倒れかかっている。角度を付けて左右から引けば、木はその真ん中に倒れる。それはみんなが知っている事ではあったけど、思うようにいかない事が多かった。
 木を石斧で斬っていくと、どうしても途中で倒れそうになり、倒そうと思う方に石斧を打ち付けても、自分の方に倒れてくる事があった。紐を付けて引っ張っても思うように倒せず、平地や坂道では、木を思うように倒すことが難しかった。
 でも、今回の木は崖の上にあり、木の根っこも露出している。その分、露出している方向に傾きやすいと僕は思った。そこで、逆方向から根っこを斬り、左右から角度を付けて引っ張れば、真ん中に倒せると僕は考えた。
これは、是川ではまだ誰もやった事のない事だ。僕は掛け声をかけつつ、自分の中から湧きあがってくる不安感をかき消そうと、大きな声を出し続けた。
「おい、手ごたえが無くなったぞ?」
 誰かの大きな声が聞こえた時だった。木がミシミシという、断末魔を再びあげた。
「左右の者は力を入れろ!」
 お父さんの声で、一瞬力を抜いていた大人たちも再び紐を力強く引っ張り、木はバリバリという音をたてながら、重くて鈍いズシンという地鳴りと共に、地面に倒れ込んだ。
「・・・」
 僕は何も言う事が出来なかった。目の前で起きていることが現実かどうか、はっきりとしていなかった。
「成功じゃな」
 ガンさんの声が聞こえた瞬間、大人たちは「おー!」という叫び声をあげ、手を叩き合って喜びあった。僕もいつの間にか、ジンさんとイバさんに締め付けられるようにして抱きしめられていた。
「すごいぞ、カラ!」
 木はほぼ真っ直ぐ倒れ、根っこも崖の上から斬った分だけを除いて丸丸一本全て、傷なく横たわっている。
「本当に、出来たの?」
 僕はまだ半分夢心地であり、成功した嬉しさを実感できずにいた。
「誰か、怪我をしている人はいないか?」
 お父さんの声が響き、誰かが「誰もいません」と答えた。僕はまた、身体が震えてきた。
「どうしたんじゃ」
 僕の身体の震えに気がついたのか、ガンさんが声をかけてきた。
「これが『責任』の重みなんですね」
 少し震える口で答えると、ガンさんは「いい息子を持ったな」と、お父さんに向かって言った。
 誰も怪我をしなくてよかった。この感覚は、ここにいる大人たち誰もが子供の時に班長の役割を担い、背負ってきて大人になったのだろう。
「お兄ちゃんも、こんな感じだったのかな」
 昨日、僕はお兄ちゃんと口を聞かず、今日の朝からも、互いに口を開かなかった。
「アラは真面目すぎるところがあるからのう。父譲りかな。カラ、お前が時には支え、時には良き相談相手となり、喧嘩をしても正直に、お互いの気持ちを吐露出来る兄弟になるんじゃぞ?」
 ガンさんは、僕とお兄ちゃんが口を聞いていない事を知っていたのだろうか。僕の考えがまとまらないうちに、僕の意識はジンさんとイバさんの締め付けるような手によって、薄れていきそうだった。

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