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サキSide 2
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サキSIDE 2
弟を連れて湖まで行った。もちろん、弟は歩く事が出来ないので、父に背負ってもらってだ。
「久しぶりだなぁ」
弟の言葉に、私は胸を痛めた。この湖には、村の子供なら一人でも来る事が出来る。それが、弟には出来ないのだ。
「お父さん、レイを湖の中に入れてあげたら?」
弟は完全に立てなくなってから、海に入れてもらえなくなり、川にも入れてもらえなくなった。弟の身体は、たまに土器の水をかけてやる程度でしか洗ってやれない。
両足が動かなくなるにつれ、排せつも難しくなった。自分からは横になった状態でしか、尿や便を出せなくなった。座って排泄をした方が出やすいが、家の中で出来ないので、もよおす度に父か私の手を借りて、外に掘った穴の中に出すのだ。赤ん坊のように無臭な尿や便ではないので、木の灰を後から入れて消臭している。
弟は、最近無口になった。冬の間は「暖かくなったら海に入りたい」などと言っていたが、いざ春になると、みな自分たちの仕事が忙しく、なかなか弟の要望には応えられなかった。
「僕は、わがままなのかな?」
皆が忙しく動き回る中、弟は木の板に寄り掛かって粘土を捏ねていた。
「そんな事は無いわ。だって、あなたの造った土器で村のみんなは生活しているんだし、もう少ししたら、是川の子に渡す石器も完成するんでしょ?」
弟が熱中すると事と言えば、是川に住んでいるカラに渡す石器造りだ。今は未完成だけれども、恐ろしく鋭く、磨くために使っている石の台座は深く摩耗していた。
弟は、是川の子供らと交流を深めようとしている。それも、他の子供には出来ない手段を使っての交流だ。それが出来るのは弟しかいない。それなのに、弟の要望は誰も応えられず、弟も次第に周りを気にして、口に出さなくなった。
今日は私から「家族で湖に行きたい」と言った。まるで、弟の代わりに言ったようなものだ。弟は私が代わりに言ったのだろうと思い、何だか複雑な顔をしていたけれど、湖を一目見るなり目に生気が戻り、明るくなった。
私はここに来て、正解だと思った。
しかし、湖に着いて父は口を開いた。
「いや、レイを湖に入れてやる事は出来ない」
父の言葉に、私はすぐさま「どうして?」と反発した。
「もし、レイが溺れたりしたら誰が『責任』をとるんだ」
父の言う事はもっともだが、それならば弟を身体にしがみ付かせるような格好で入れてやればいいと思った。
「いいよ。ここに来られただけで」
弟は寂しげに言った。
「レイは村のみんなで守らなくちゃいけないんだ。危険な目にあわすわけにはいかないだろう?」
私は父の言葉に反発したかった。でも、出来なかった。弟は私の物でも無く、父の物でも無い。今は、村のみんなが代わる代わる介助を行っている。
入江の村の人たちは、父と私に負担をかけないよう弟の排便の処理や、土器や石器の制作場所まで運んで行ってくれる。いつの間にか、弟を介助する役割分担が、私の知らない所で行われていたようだ。
私は何だか、自分がのけ者にされているようで悔しかった。弟も、自分の事なのに、自分で何一つ決められず、ただ村の人たちの好意を受ける事しか出来ない。その悔しさは、同じ年頃の子どもが走り回り、山菜や魚や小動物を獲ってきた時の目つきを見れば明らかだった。
「さあ、日も暮れてきたし。まだ朝晩寒いから帰ろう」
弟は病人ではない。病人ならば、自分の意見を言う事は出来ないが、他人の好意を受けるだけで満足し、快方に向かうだろう。
だが、弟は病人ではない。自分の意見を持ち、やりたい事を言う事が出来る。しかし、弟は大事にされるあまり、他人の好意を受けるだけの病人になりつつある。
「帰ったら、石器を完成させましょうね」
私は弟に向かって言った。
「そうだね。カラが驚くような石器を造らないと」
お父さんが言うには、秋頃に是川から入江に交易に来るという話だ。
早く秋にならないかと、私は思ってしまう。カラが来れば、弟にも何か変化があるかもしれない。春先に弟が完成させた石器を見て、カラ自身も石器を造り、持ってくるかもしれない。そうすれば、また負けじと弟も新しい石器を造りだし、自分から何かを生み出す、受け身ではない生活を送れるかもしれない。
私はここまで考えて、自分が弟に対してこれ以上、何も出来る事が無いんじゃないだろうかという考えが頭をよぎった。
弟は父に背負われて、私はその後ろを歩いている。
『弟に何かが起きたら、誰が責任をとるのか』
ならば、弟は何も責任を取らなくていいのか。責任を取らされるような事を、してはいけない人生を歩むのか。
誰だって、責任を自分から取りたいなんて人はいないだろう。だが、責任を取る事が出来ない子供が、大人になる儀式を受ける事は出来ない。形式的だが、海の神様に向かって弓を使う、儀式的な行為を行うとも聞いたことがある。
と言う事は、弟は一生子供のままなのだろうか。弟が大人になれない責任は、誰が取るのだろうか。
私は暗い考えの中、暗くなっていく空の下を歩いていた。
弟を連れて湖まで行った。もちろん、弟は歩く事が出来ないので、父に背負ってもらってだ。
「久しぶりだなぁ」
弟の言葉に、私は胸を痛めた。この湖には、村の子供なら一人でも来る事が出来る。それが、弟には出来ないのだ。
「お父さん、レイを湖の中に入れてあげたら?」
弟は完全に立てなくなってから、海に入れてもらえなくなり、川にも入れてもらえなくなった。弟の身体は、たまに土器の水をかけてやる程度でしか洗ってやれない。
両足が動かなくなるにつれ、排せつも難しくなった。自分からは横になった状態でしか、尿や便を出せなくなった。座って排泄をした方が出やすいが、家の中で出来ないので、もよおす度に父か私の手を借りて、外に掘った穴の中に出すのだ。赤ん坊のように無臭な尿や便ではないので、木の灰を後から入れて消臭している。
弟は、最近無口になった。冬の間は「暖かくなったら海に入りたい」などと言っていたが、いざ春になると、みな自分たちの仕事が忙しく、なかなか弟の要望には応えられなかった。
「僕は、わがままなのかな?」
皆が忙しく動き回る中、弟は木の板に寄り掛かって粘土を捏ねていた。
「そんな事は無いわ。だって、あなたの造った土器で村のみんなは生活しているんだし、もう少ししたら、是川の子に渡す石器も完成するんでしょ?」
弟が熱中すると事と言えば、是川に住んでいるカラに渡す石器造りだ。今は未完成だけれども、恐ろしく鋭く、磨くために使っている石の台座は深く摩耗していた。
弟は、是川の子供らと交流を深めようとしている。それも、他の子供には出来ない手段を使っての交流だ。それが出来るのは弟しかいない。それなのに、弟の要望は誰も応えられず、弟も次第に周りを気にして、口に出さなくなった。
今日は私から「家族で湖に行きたい」と言った。まるで、弟の代わりに言ったようなものだ。弟は私が代わりに言ったのだろうと思い、何だか複雑な顔をしていたけれど、湖を一目見るなり目に生気が戻り、明るくなった。
私はここに来て、正解だと思った。
しかし、湖に着いて父は口を開いた。
「いや、レイを湖に入れてやる事は出来ない」
父の言葉に、私はすぐさま「どうして?」と反発した。
「もし、レイが溺れたりしたら誰が『責任』をとるんだ」
父の言う事はもっともだが、それならば弟を身体にしがみ付かせるような格好で入れてやればいいと思った。
「いいよ。ここに来られただけで」
弟は寂しげに言った。
「レイは村のみんなで守らなくちゃいけないんだ。危険な目にあわすわけにはいかないだろう?」
私は父の言葉に反発したかった。でも、出来なかった。弟は私の物でも無く、父の物でも無い。今は、村のみんなが代わる代わる介助を行っている。
入江の村の人たちは、父と私に負担をかけないよう弟の排便の処理や、土器や石器の制作場所まで運んで行ってくれる。いつの間にか、弟を介助する役割分担が、私の知らない所で行われていたようだ。
私は何だか、自分がのけ者にされているようで悔しかった。弟も、自分の事なのに、自分で何一つ決められず、ただ村の人たちの好意を受ける事しか出来ない。その悔しさは、同じ年頃の子どもが走り回り、山菜や魚や小動物を獲ってきた時の目つきを見れば明らかだった。
「さあ、日も暮れてきたし。まだ朝晩寒いから帰ろう」
弟は病人ではない。病人ならば、自分の意見を言う事は出来ないが、他人の好意を受けるだけで満足し、快方に向かうだろう。
だが、弟は病人ではない。自分の意見を持ち、やりたい事を言う事が出来る。しかし、弟は大事にされるあまり、他人の好意を受けるだけの病人になりつつある。
「帰ったら、石器を完成させましょうね」
私は弟に向かって言った。
「そうだね。カラが驚くような石器を造らないと」
お父さんが言うには、秋頃に是川から入江に交易に来るという話だ。
早く秋にならないかと、私は思ってしまう。カラが来れば、弟にも何か変化があるかもしれない。春先に弟が完成させた石器を見て、カラ自身も石器を造り、持ってくるかもしれない。そうすれば、また負けじと弟も新しい石器を造りだし、自分から何かを生み出す、受け身ではない生活を送れるかもしれない。
私はここまで考えて、自分が弟に対してこれ以上、何も出来る事が無いんじゃないだろうかという考えが頭をよぎった。
弟は父に背負われて、私はその後ろを歩いている。
『弟に何かが起きたら、誰が責任をとるのか』
ならば、弟は何も責任を取らなくていいのか。責任を取らされるような事を、してはいけない人生を歩むのか。
誰だって、責任を自分から取りたいなんて人はいないだろう。だが、責任を取る事が出来ない子供が、大人になる儀式を受ける事は出来ない。形式的だが、海の神様に向かって弓を使う、儀式的な行為を行うとも聞いたことがある。
と言う事は、弟は一生子供のままなのだろうか。弟が大人になれない責任は、誰が取るのだろうか。
私は暗い考えの中、暗くなっていく空の下を歩いていた。
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