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 土器の中が空っぽになる頃、ジンさんが口を手で押さえながら戻ってきた。口の周りは血で滲み、植物の皮を口の周りに巻いていた。 
「ジンさん、大丈夫ですか?」
 僕が心配そうに尋ねると、ジンさんは笑顔で「ははは、はははいじょうぶだよ」と、まるで熱い物を口に含んだ時のような声を出した。
「何か、食べられるかしら?」
 お母さんが優しく尋ねても、ジンさんは「ははは、はいじょうふへす」と言い、口を押さえながら自分の家に向かって行った。
 僕たちはジンさんの事が気になりつつ、コシさんは「ちょっと、様子を見に行かないか?」と、不安げに言った。僕も『そうだね』と言おうとしたけど、イバさんが手で制した。
「ジンさんは、心配されて喜ぶような人か?」
 イバさんに言われ、僕ははっとした。今思うと、ジンさんは痛みを必死に堪えながら僕たちのところに来て、大丈夫な姿を見せに来たのだ。それも、笑顔でだ。
 もし今、ジンさんの家に行ったら、ジンさんは一人、痛みで呻いているかもしれない。そんな姿を、ジンさんは見られたくないだろう。
「でも、出来るなら何かしたい」
 僕が呟くと、お母さんは「何もしない事も、あなたの出来る事よ」と、僕にはよくわからないことを言った。きっと、この言葉がわかった時に僕は大人になるんだろうと、何となく感じた。
 ジンさんが立ち去ってしばらくすると、お父さんたち大人も戻ってきた。
「今日から、ジンは大人の仲間入りだ」
 お父さんはそう宣言し、僕たち子どもとの役割分担が、変わる事を話した。お兄ちゃんも、二手に分かれる時にはジンさんの代わりにイバさんが班長になる事を話した。
「そうか。海が落ち着いたら、今回はアラとイバ、それとコシを子供の代表として三内を経由して、入江に行くぞ」
 お父さんの言葉を聞いて、イバさんとコシさんは喜色をあらわにしたけど、僕はがっかりした。
「お父さん、僕は行けない?」
 思ったことをそのまま口にすると、お父さんは「順番に、子供らがみんな行けるようにしたいからな」と言い、さっきまで僕たちが食べていた土器の中を覗いた。
「全部食べたのか?」
 お父さんは少しがっかりとした口調で言い、お母さんは「ジンの大人になったお祝が夜中にあるんだから、それまで我慢よ」と言った。
「お祝って、何をするの?」
 僕は大人になったお祝を見たことがなかった。他の村でお祝いをしていた時、僕は幼くて、連れて行ってもらった事もなく、以前の儀式の事も覚えていないからだ。
「まずお酒を運んで、海の神様にお祈りをするのよ」
「お酒って、誰が造るの?」
 僕は数回、お父さんら大人がお酒を飲んでいる所を見た事がある。でも、お酒を造っている所は見たことがなかった。
「お酒はタケさんと、キンさんが造るのよ」
 お母さんが二人の名前を言ったけど、一人『タケさん』という人は知らなかった。
「タケさんって、他の村の人?」
 僕が首を傾げていると、お兄ちゃんは「ああ、そう言えば言っていなかったな」と呟いた。
「お兄ちゃんは知っているの?」
 僕が尋ねると、お兄ちゃんは「キノジイの事だよ」と答えた。
「え、キノジイって『タケ』って名前だったの?」
 僕の言葉に、コシさんも「そうだったの?」と続いた。
「そうよ、タケさんとキンさんは、昔は夫婦だったのよ」
 僕はあまりの急展開で、頭がついて行かなかった。キノジイは村はずれに住んでいて、キノコの栽培をやっていることしか知らなかったし、キンさんも村の女性たちのまとめ役としか見ていなかった。
「でも、夫婦ならどうして一緒に住んでいないの?」
 僕の言葉に、お母さんは「色々あったのよ。絶対、タケさんやキンさん、他の大人の人に理由を聞いちゃだめよ」と言った。声色は優しかったけど、強い口調だった。
 僕は何だか、少し寂しい気持ちになった。キノジイはよく会う相手だし、キンさんはたまに怖いけど、優しいお婆さんだ。どうして二人は一緒にいなくて、その理由も聞いてはいけないんだろう。
僕も村の一員なのに、どうしてなのだろうという気持ちになった。
「さあ、キンさんとタケさんが一週間前から酒を仕込んでおいたんだ。今日は大人たちみんなでお酒を飲むぞ。子供たちも、一杯までなら許す」
 お父さんはそう言って、僕以外の子供は「お酒って美味しいのかなぁ?」と言ったり、「あんまり美味しくなかったなぁ」と、囁き合っている。
 僕は一人、何だかもやもやした気持ちが晴れなかった。

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