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 忙しい日が続いたある日、しとしとと雨が降る空模様だった。雨粒は冷たくて、もうすぐ冬になるだろうと、子供の自分でも判った。
「今日は、ゆっくり休むように」
 お父さんは村のみんなにそう言って、自分は家の中で寝ころんだ。
 僕はようやく休めるという思いと共に、どうして急に休むなんて言い始めたのだろうという不思議な思いがあった。雨風の強い日でも、家の中でドングリの皮をむく作業をしていたからだ。
 そんな僕の考えを読みとったかのように、お母さんが口を開いた。
「お父さんは、みんなが疲れてきた頃を見計らっていたのよ。カラの所にも、毎日何度か様子を見に来ていたでしょ?」
 お母さんに言われ、僕ははっとした。お父さんは毎日海か山に行っているのにも関わらず、僕たち子供の仕事や、女性たちの土器造りの様子を見に来ていた。毎日、村人全員の顔を見に来ていたのだ。
「お父さんも、疲れているのにね」
 僕は自分のことで精一杯で、どれだけお父さんが疲れていて、村のみんなを気にしていたのかを考えていなかった。
 家の中はお父さんのいびきが聞こえ、お兄ちゃんも昼寝をし、起きている僕に手足をぶつけた。僕はわざとじゃないかと疑って、お兄ちゃんの鼻をつまんだら苦しそうだったので、本当に寝ているのだろう。
お母さんは静かに植物の繊維を紡ぎ出し、一本の長い紐を造っている。僕には真似できない芸当だ。
 外の雨は徐々に止み、家から這い出てみると、薄く太陽の光がさしこんできて、地面が黄色く見えた。土を触ると、なんだかねばねばとしているようだった。
「お母さん、ちょっとキノジイの所に行ってきてもいい?」
 僕が尋ねると、お母さんは「疲れていないの?」と、聞き返してきた。
「ちょっと、聞いてきたいことがあるんだ」 
 僕がそう言うと、お母さんは「そうねぇ、最近寒くなってきているし、腰が痛くなっているかもしれないから、様子を見に行ってくれる?」と言い、僕に小さなお湯の入っている土器を手渡してきた。
「うん、行ってくるね」
 僕は黄色くて、少しぬめぬめしている地面を蹴って走り出した。僕はキノジイとの約束を、完全に忘れていたのだ。
 キノジイの家に着くと、キノジイはつまらなそうな顔をしながら空を眺めていた。
「キノジイ、どうしたの?」
 僕が家の中にあがりこんで尋ねると、キノジイは「キノコがみんな、枯れてしまったわい」と言い、また空を見上げた。
 僕はキノジイの家の中で座り込み、「約束を忘れていてごめんなさい」と、今さらながら謝った。キノジイはそれを聞いて「そんな事だと思っておった」と、短く答えた。
 僕とキノジイは一緒になって、昏い空を見上げた。
「キノジイ、冬に育つキノコは無いの?」
 僕が尋ねると、キノジイは「キノコも植物みたいなもんじゃからな」と言い、僕の持ってきた土器のお湯を飲んだ。
「キノコを生えなくする方法なら、わかっておるんじゃけどな」
「え、どうするの?」
 僕は、キノコはどこでも生えるものだと思っていた。食べられるか、毒だかは別としてだけど。
「このお湯に混じっている塩を、土や木にかけておくと、そこには生えなくなるんじゃ。海にキノコが生えないのも、そういうことじゃろう」
 キノジイはそう言って、口の中から海藻の欠片を指で摘み出した。
「どうしてだろうね」
 僕が言うと、キノジイは「何故だろうな」と言い、また空を見上げた。
「来年こそちゃんと聞いてくるし、海にキノコが生えないかも聞いてくるよ」
僕が言うと、木の面を被っているキノジイの顔が、少し笑った気がした。
「何を言う。ワシに海にまでキノコの管理をさせようとするのか?」
「大丈夫だよ。僕も手伝うよ」
 僕の言葉に、キノジイは「やれやれ」と呟いた。
「もう、毒キノコかどうかの毒見をする体力は残っていないんじゃがなぁ」
 その言葉を聞いて、僕は『僕がやるよ』とは言えなかった。キノジイが育てたキノコ以外のキノコを食べ、お腹をこわした人の苦しんだ顔つきや、数日間ずっと下痢をしていた人を見た記憶があるからだ。
「キノジイ、ありがとう」
 僕の言葉に、キノジイは「何じゃ急に?」と、僕の考えが分かっていないようだった。僕自身も、どうしてキノジイにお礼を言ったのかよくわからない。でも、キノジイのおかげで、僕たちはキノコを食べて、元気に暮らしている。それだけは確かだと思った。

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