上 下
23 / 44
極甘彼氏を喜ばせる方法

何度だって言える

しおりを挟む
 二ノ宮家に帰り着いたのは日の暮れた頃だった。成治たちの心配をしていた天希は、すぐさま二人を居間に呼んだ。
 田島の顔に青あざの一つや二つ、想像していたのに、現実はそれとは大きく異なっていた。その有様を見て、天希は自分を膝に乗せる恋人を睨み付ける。

「伊上! あんた、成治のこと殴ったのか!」

「殴ってなんかないよ」

「嘘つけ! 成治の顔、腫れてるじゃねぇか! 子供を殴るなんて大人としてサイテーだぞっ」

 並んで正座する田島と成治は、伊上を前に緊張したような面持ちだ。確かに反省中というのがありありとわかる。
 そして田島の顔に、痣はあった。あったけれど、それよりも成治の頬のほうがひどく腫れて、口の端にガーゼが当てられている。

「僕が悪いんじゃないよ」

「なに子供みたいなこと言ってんだよ!」

 たとえ親でも、志築が手を上げることは考えられない。そうすると犯人は伊上しか考えられないのだ。だが彼は拗ねた顔をしてそっぽを向く。

「天希さん! こ、これは俺が自分で」

「自分で殴ってそんなに腫れるわけねぇだろ」

「そうじゃ、なくて。俺が伊上さんと田島さんの、合間に入ったのが悪いんです」

「え?」

 オロオロとする成治の言葉に、天希は驚きのあまり、開いた口が塞がらなくなった。あの伊上の前に、思わずだとしても飛び込める成治の度胸は、相当なものだ。
 伊上は田島相手に手加減したとは思えない。成治の行動で、とっさに手を緩めたとしても、かなりの勢いで殴られているだろう。

 好きな男のためと言え、いささか無謀すぎる。顔が変形したり、歯が折れたりしなかったのは不幸中の幸いだ。
 ある意味、伊上だったからこそ、この程度で済んだのかもしれない。反射神経が鈍い相手であったら、もっと大事故になっていた、とも考えられる。

 目の前にいる二人を見比べれば、いままで黙っていた田島が両手をついて、深々と頭を下げた。

「すみませんでした。新庄さんを危険な目に遭わせたのも、成治さんに怪我をさせたのも、自分の不注意です」

「ま、待て! やめろ! そういう緊迫した雰囲気はもういらねぇ!」

 いまにも腹を捌いてお詫びを、とでも言い出しそうな田島の言葉を、天希は両手で制する。しかし彼は一向に頭を上げようとはしなかった。
 隣の成治が不憫なほど心配していて、逆に申し訳なさが湧いた。

「というか、二人は悪くねぇだろ。俺が勝手に二人の傍を離れたんだし」

「いえ、二ノ宮さんに新庄さんを任されていたのに、目を離した自分の責任です」

「だからそれは!」

 頑なな田島の様子に天希は言葉が続かない。彼が頭を上げられないのは致し方ないことだ。自分の責務を忘れて、成治に気を取られてしまったのだから。
 だとしてもそれを責められるわけがない。あんなに楽しそうな成治の顔を見たら、無下にはできないだろう。

「伊上、なんとか言え!」

「なぜ? どうして僕が、田島に言葉をかけてやる必要があるんだい?」

「それは、その」

 伊上が顔を上げろと言えば上げるはずだ。しかし彼が言うように、それは御門違いというもの。彼は田島を責めても許される立場であり、言い訳を許してあげる必要はない。
 顔には出さないが、まだ苛立ちを抱えているはずで、天希も許してやれよ、とは口が裂けても言えない。

 こんな状況で、田島が半殺しの目に遭っていないのは、奇跡だとさえ思う。ということは、それなりに伊上の酌量があったことを意味する。
 これ以上、彼に許しを求めることはできない。

「もういい。田島、顔を上げろ」

 沈黙が続いてどれほどか。いつまでも田島が畳に額を擦りつけていると、しゃがれた低音が響く。

「聞こえなかったか?」

「いえ」

 再び声が響くと、田島はゆっくりと頭を上げる。その背後には着物姿の志築が、腕組みをして立っていた。彼は口にくわえた煙草をつまむと、細く息を吐き出す。

「まったく、とんだトラブルメーカーを持ち込んでくれたな」

「いい機会だから、僕は足を洗おうかな」

「くそ面白くない冗談だな」

 苛立ったように舌打ちした志築にも、伊上はどこ吹く風だ。天希を強く抱きしめて、髪に頬ずりしてくる。
 その様子にため息を吐いた親分に、田島は無言のまま携帯灰皿を差し出した。そこに灰を落とし、志築はまた煙を立ち上らせる。

「お前たちは帰れ。俺はもう疲れた。まったく、桂崎さんまで動かす羽目になるなんてな。あの人には明日謝罪に行く。伊上、忘れずに手土産持参で来い。田島の処分はそのあと決める」

「えっ? ちょ、処分って」

「なんだ? 自分の持ち物をどう扱おうが俺の勝手だ。子供が口出すことじゃない」

「だ、だけど」

「あまちゃん、帰ろうか」

「伊上!」

「これは僕たちの領分じゃないよ」

 立ち上がった恋人をすがるように見るが、冷静な言葉が返ってくる。言われる通り、他人の自分が首を突っ込むことではない。
 それでも天希は、不安そうな顔をする成治が気になって、なかなか立ち上がることができなかった。

「あまちゃん」

「……うん」

 伊上の手に促されてその場を立つと、成治と目を合わせられないまま、天希は部屋を出た。だがとぼとぼと恋人の背中についていけば、廊下の途中でそれにぶつかる。
 驚いて顔を持ち上げたら、振り向いた伊上に覗き込まれて、天希は訳もわからず首を傾げた。

「いが、み……っ」

 自分を見つめる瞳を見つめ返すと、ふいに顔が近づき、唇を塞がれる。その先を想像していた天希は身構えるが、やんわりと触れただけで離れていく。

「怖い思いを、させたね」

「え? あっ、大丈夫だ。俺、わりと図太いし」

「この先、同じことが起きても、同じ台詞を言える?」

「……言える、よ。それに、あんたが守ってくれるんじゃなかったのかよ」

 考えなしの言葉だったけれど、きっと同じことが起きても、目の前の男を見捨てることはできそうにない。そっと手を伸ばして、天希は切なげな目をする恋人を引き寄せた。
 首に腕を回して抱きつけば、伸ばされた腕にきつく抱きすくめられる。

「そう、だったね」

「忘れんなよ」

「ごめん」

 珍しく恋人が弱っているのが感じられる。怖い思いをさせられたのは天希だけれど、それ以上に恐ろしい思いをしたのは、きっと彼のほうだ。

「早く帰って仕切り直そうぜ」

「ん?」

「今日はあんたの誕生日だぞ」

「忘れてたよ」

「だと思った」

 思わずふっと息を吐くように笑えば、つられたように伊上も笑みをこぼした。その顔がなぜだか可愛く思えて、天希は両頬を包んで唇にキスをする。
 ついばむように触れて、口づけを何度も繰り返せば、彼は天希の身体を抱き上げた。

「な、なんだよ。いきなり」

「早く帰ろう。あまちゃんが食べたい」

「飯が先じゃねぇの?」

「それよりも先」

「日付が変わっちまう」

「寝るまでは今日だよ」

「なんだそれ! 子供か!」

 途端にウキウキした表情を浮かべる恋人に呆れる。とはいえ重たくなった空気が払拭されて、ほっとした気持ちにもなった。
 これから先、なにが起こるかなんて、想像もつかない。助けに来る彼が運良く間に合うとも限らない。

 それでも別れるという選択肢が、一ミリも心に浮かんでこなかった。

「あんまりあんたに、迷惑かけないようにするな」

「急に、どうしたの?」

「ううん、なんでもねぇ」

「あまちゃんは、あまちゃんらしくいてくれさえすれば良いよ」

 屋敷の前に出ると、止まっていたのはいつもの車ではなかった。出会ってから今日まで、伊上が自分以外の車に乗るところを見たことがない。
 驚きつつ後部座席に乗り込めば、彼は隣で少し重たいため息を吐き出した。

「篠原がせっかくのゴールドが剥奪されるから、やめておけって譲らなくてね」

「……っ」

 意外すぎる理由に、思わず天希は吹き出す。すると運転席にいた、側仕えの篠原と目が合った。涼しげな目元が印象的な男前だ。
 彼は小さく嘆息して、エンジンをかける。

「車をぶつけられても壊されても、面倒ですからね」

「よく言うよ。お前の速度制限を無視した運転もなかなかすごかったよ」

「あなたの形相のほうがよほどすごかったですよ」

「……っ、やめろ、二人とも、……笑えて泣けてくる」

 バックミラー越しに睨み合う二人に、天希は笑いが止まらなくなった。
 自分が大きな原因とは言え、いつも飄々とした人間が、子供みたいにいがみ合う姿を見ると、失礼ながら腹が痛くなる。
 涙が出るほど笑い転げると、空気が和らぎ、二人がかすかに笑ったのを感じた。

「あまちゃんは、愛されてるね」

「そうか? あんた一人に愛されてれば、俺は十分だけど?」

「君は僕を喜ばせるの得意だね」

「ちょ、ちょっと待て、車の中で変なことすんな」

「両手が空いてるのって、こういう時にいいね」

 軽々と天希を膝に乗せた伊上は、口元をにやつかせながら腰を撫でてくる。さらにはシャツの隙間に手を忍ばせて、無遠慮に脇腹を撫でた。
 成治にシャツを借りたので、あられもない格好ではないが、これではあっという間に脱がされる。

「大丈夫だよ、篠原からは見えないから」

「そういう問題じゃねぇ! ここで変なことしたら、もうなにもさせないからな!」

「それは困るな。じゃあ、キスしてごらん」

「う、まあ、……そのくらいなら」

 ひどく言葉に流されている気もしたが、恋人に熱を灯らせた目で見つめられれば、許してしまいたくもなる。
 おずおずと顔を寄せた天希は、小さなリップ音を立てて彼の唇に触れた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

捨てられ子供は愛される

やらぎはら響
BL
奴隷のリッカはある日富豪のセルフィルトに出会い買われた。 リッカの愛され生活が始まる。 タイトルを【奴隷の子供は愛される】から改題しました。

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺(紗子)
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(10/21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。 ※4月18日、完結しました。ありがとうございました。

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

薫る薔薇に盲目の愛を

不来方しい
BL
代々医師の家系で育った宮野蓮は、受験と親からのプレッシャーに耐えられず、ストレスから目の機能が低下し見えなくなってしまう。 目には包帯を巻かれ、外を遮断された世界にいた蓮の前に現れたのは「かずと先生」だった。 爽やかな声と暖かな気持ちで接してくれる彼に惹かれていく。勇気を出して告白した蓮だが、彼と気持ちが通じ合うことはなかった。 彼が残してくれたものを胸に秘め、蓮は大学生になった。偶然にも駅前でかずとらしき声を聞き、蓮は追いかけていく。かずとは蓮の顔を見るや驚き、目が見える人との差を突きつけられた。 うまく話せない蓮は帰り道、かずとへ文化祭の誘いをする。「必ず行くよ」とあの頃と変わらない優しさを向けるかずとに、振られた過去を引きずりながら想いを募らせていく。  色のある世界で紡いでいく、小さな暖かい恋──。

くまさんのマッサージ♡

はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。 2024.03.06 閲覧、お気に入りありがとうございます。 m(_ _)m もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。 2024.03.10 完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m 今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。 2024.03.19 https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy イベントページになります。 25日0時より開始です! ※補足 サークルスペースが確定いたしました。 一次創作2: え5 にて出展させていただいてます! 2024.10.28 11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。 2024.11.01 https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2 本日22時より、イベントが開催されます。 よろしければ遊びに来てください。

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

処理中です...