7 / 44
知らなかった素顔
しおりを挟む
無遠慮に口の中に突っ込まれた舌に、好き勝手に撫で回される。舌を噛んでやろうか、そう思うけれど、それもできずに天希は身体をよじる。
それでも振り上げた手で雪雄の身体を力一杯叩いた。
しかし天希をその気にさせるのに必死なのか、怯んだ様子を見せない。それどころか勝手に身体をまさぐりだして、肌が粟立つ。
乱雑に股間に手を伸ばされ、ベルトを外されそうになり、天希は彼の唇を噛んだ。
「サイテーだ、お前」
辛うじて目尻に留まっていた、涙がこぼれ落ちる。悔しくて唇を引き結ぶと、雪雄の顔は戸惑いに変わった。
しかし彼がとっさに天希に手を伸ばした瞬間、さらに後ろから手が伸びてくる。その手は雪雄の後頭部を鷲掴んだ。
「触るな。誰のものに手を出している」
地を這うような声――形容するにはぴったりな言葉だ。ひっと小さな悲鳴を上げた雪雄は顔を蒼白にして、顔を歪める。そして力ずくで身体を沈められ、地面に膝をついた。
逃げるように彼が身体を丸めると、容赦なく横っ腹を蹴り飛ばされる。呻いた雪雄は腹を抱えて、胃液を吐いた。
「ゆ、雪雄っ」
驚いた天希が声を上げれば、目の前に立つ人物が雪雄の襟首を掴んだ。
「ああ、早川雪雄、か。……お前の借金、チャラにしてやってもいいぞ。その代わり、四肢を刻んで魚の餌にしてやる」
「おい、物騒なこと言うんじゃねぇよ」
「物騒? どこが? 当然の代償だ」
暗がりに射し込んだ月明かりで、ようやくそこに立つ人の顔が見えた。いつものにこやかさが欠片もない、冷ややかな表情。
大きな手で雪雄の首を掴んだ彼は、そのまま指先に力を込める。それにためらいなど微塵もない。
どんどんと白くなっていく幼馴染みの顔を見て、天希は慌てて彼の背中に飛びついた。
「伊上っ、やめろよ。死んじまう」
「殺してやろうと思っているからな。人のものに手を出した挙げ句、泣かせておいて、ただで済むと思ってるのか?」
「い、が……み?」
ひゅっと息を吸い込んだ、雪雄がガタガタと震え出す。視線を持ち上げ、彼の顔を見た瞬間、もがくように暴れ出した。けれど伊上はそんな彼を虫けらのように壁に叩きつける。
「伊上! やめろよ! 俺は、こういうの嫌いだ!」
額から血を流しながら後ずさる雪雄に、さらに追い打ちをかけようとする。彼を天希は必死で引き止めた。身体に腕を回して、力一杯抱きつくと、伊上は踏み出す足を止める。
「はあ、本当に君はお人好しだな」
「伊上」
「そういうところが、気に入っているんだけれどね」
大きくため息をつき、呆れた顔で振り返る。けれど天希を見る顔が次第にいつもの笑顔を浮かべ、優しい手に目尻に溜まっていた涙を拭われた。
ほっと息をつくといきなり両手に抱え上げられ、天希は慌てて首にしがみつく。
「まったく、デートの予定が総崩れだ」
「伊上、あの」
「君の幼馴染みにはそれ相応の対価は払ってもらう」
「さっきみたいなこと、すんの?」
「いや、僕は温厚なただのサラリーマンだからね」
ちらりと後ろに視線を送ったけれど、伊上は天希を腕に抱いたまま路地を抜けた。車道にはいつもの車が止まっていて、すぐ傍に見慣れない顔の男たちが立っている。
二人の男に伊上が目配せすると、彼らは先ほどの路地裏へと消えた。
「眼鏡、作りに行こうか」
「えっ? あ、ああ、うん」
数分前の緊迫が嘘のような穏やかさ。いつものふんわりとした空気に、いささかついていけないけれど。ここはこの空気に従うのが正しいのだろう。
運転席に乗り込んだ伊上を見ながら、天希は小さく息をついた。
争いごとを好まなさそう、なんてとんだ勘違いだ。人を一人くらい、簡単に握りつぶしてしまいそうな一面を持っている。
これまで彼の側面しか、見ていなかったのだと痛感した。現実味のなかった彼の肩書きが、いまになって突きつけられる。
自分の平凡な日常――それとは大きくかけ離れている世界。きっと想像なんて追いつかないような。それなのに優しく笑いかけられるから、天希は離れられない気持ちになる。
「あまちゃんの眼鏡姿、ちょっとえっちで可愛いよね」
「えっ、ちっ? どこが!」
こんな時間に眼鏡屋などやっているのか、そんなことを思ったけれど。平凡なサラリーマン、ではない彼には造作もないことだ。
閉店した店でのんびり選びたい放題だった。
しかし天希としては、眼鏡など毎日かけるわけではないので、なんでも良かった。それなのに自分のことのように、真剣に悩んでいる横顔がある。
「このフレームの色、いいね。あまちゃんに似合うよ」
「って、何本目だよ。俺は一本あれば十分だ」
「んー、また壊しちゃったら困るしねぇ」
「そうそう壊れねぇよ! てか、近いって」
先ほどから伊上は天希の腰に腕を回し、べったりだ。店内に誰もいないけれど、そわそわとした気持ちにさせられる。
しかし文句を言いながらも、気分はいい。近づくほどに伊上の甘い匂いが香って、天希は胸をときめかせた。
とろみを感じるような甘い香り。たとえるなら蜂蜜のような。けれど匂いはきつくない。それどころかその匂いに包まれてみたいとも思う。
「あまちゃん? 顔を赤くしてどうしたんだい?」
「な、なんでもねぇよ。それより、そんなにいらねぇからせめて二本にしろ」
「そうだね。あ、眼鏡は明日でも平気?」
「え? まあ、バイトの時にあれば」
「じゃあ今日はお願いして、明日取りに来ようか」
数本のフレームの中から、さっと二本だけ取り上げた伊上は、カウンターへと向かう。あんなにあれこれ悩んでいたのに、一瞬だ。
端からもう決まっていたかのような、早さ。
それに面食らい、天希は肩をすくめる。
視力検査は先に済ませてあるので、彼が注文をしているあいだ、店内をぶらぶらとした。店の時計を見ると二十二時を回っている。
このあとは? なんてことを考えると、落ち着かない気持ちにさせられた。数時間でクリスマスイブ――お預けはクリスマスまでか。
あの時の反応を見たあとでは、期待をせずにはいられない。少しは自分に執着してくれている。そう思わずにいられなかった。
「あまちゃん、お待たせ」
「うん」
「ご飯、食べに行く? お腹空いただろう?」
「うん」
小さな期待を湧かせながら、天希は彼の隣に並び立つ。そっと手を握られて、胸を高鳴らせたのは言うまでもない。
それでも振り上げた手で雪雄の身体を力一杯叩いた。
しかし天希をその気にさせるのに必死なのか、怯んだ様子を見せない。それどころか勝手に身体をまさぐりだして、肌が粟立つ。
乱雑に股間に手を伸ばされ、ベルトを外されそうになり、天希は彼の唇を噛んだ。
「サイテーだ、お前」
辛うじて目尻に留まっていた、涙がこぼれ落ちる。悔しくて唇を引き結ぶと、雪雄の顔は戸惑いに変わった。
しかし彼がとっさに天希に手を伸ばした瞬間、さらに後ろから手が伸びてくる。その手は雪雄の後頭部を鷲掴んだ。
「触るな。誰のものに手を出している」
地を這うような声――形容するにはぴったりな言葉だ。ひっと小さな悲鳴を上げた雪雄は顔を蒼白にして、顔を歪める。そして力ずくで身体を沈められ、地面に膝をついた。
逃げるように彼が身体を丸めると、容赦なく横っ腹を蹴り飛ばされる。呻いた雪雄は腹を抱えて、胃液を吐いた。
「ゆ、雪雄っ」
驚いた天希が声を上げれば、目の前に立つ人物が雪雄の襟首を掴んだ。
「ああ、早川雪雄、か。……お前の借金、チャラにしてやってもいいぞ。その代わり、四肢を刻んで魚の餌にしてやる」
「おい、物騒なこと言うんじゃねぇよ」
「物騒? どこが? 当然の代償だ」
暗がりに射し込んだ月明かりで、ようやくそこに立つ人の顔が見えた。いつものにこやかさが欠片もない、冷ややかな表情。
大きな手で雪雄の首を掴んだ彼は、そのまま指先に力を込める。それにためらいなど微塵もない。
どんどんと白くなっていく幼馴染みの顔を見て、天希は慌てて彼の背中に飛びついた。
「伊上っ、やめろよ。死んじまう」
「殺してやろうと思っているからな。人のものに手を出した挙げ句、泣かせておいて、ただで済むと思ってるのか?」
「い、が……み?」
ひゅっと息を吸い込んだ、雪雄がガタガタと震え出す。視線を持ち上げ、彼の顔を見た瞬間、もがくように暴れ出した。けれど伊上はそんな彼を虫けらのように壁に叩きつける。
「伊上! やめろよ! 俺は、こういうの嫌いだ!」
額から血を流しながら後ずさる雪雄に、さらに追い打ちをかけようとする。彼を天希は必死で引き止めた。身体に腕を回して、力一杯抱きつくと、伊上は踏み出す足を止める。
「はあ、本当に君はお人好しだな」
「伊上」
「そういうところが、気に入っているんだけれどね」
大きくため息をつき、呆れた顔で振り返る。けれど天希を見る顔が次第にいつもの笑顔を浮かべ、優しい手に目尻に溜まっていた涙を拭われた。
ほっと息をつくといきなり両手に抱え上げられ、天希は慌てて首にしがみつく。
「まったく、デートの予定が総崩れだ」
「伊上、あの」
「君の幼馴染みにはそれ相応の対価は払ってもらう」
「さっきみたいなこと、すんの?」
「いや、僕は温厚なただのサラリーマンだからね」
ちらりと後ろに視線を送ったけれど、伊上は天希を腕に抱いたまま路地を抜けた。車道にはいつもの車が止まっていて、すぐ傍に見慣れない顔の男たちが立っている。
二人の男に伊上が目配せすると、彼らは先ほどの路地裏へと消えた。
「眼鏡、作りに行こうか」
「えっ? あ、ああ、うん」
数分前の緊迫が嘘のような穏やかさ。いつものふんわりとした空気に、いささかついていけないけれど。ここはこの空気に従うのが正しいのだろう。
運転席に乗り込んだ伊上を見ながら、天希は小さく息をついた。
争いごとを好まなさそう、なんてとんだ勘違いだ。人を一人くらい、簡単に握りつぶしてしまいそうな一面を持っている。
これまで彼の側面しか、見ていなかったのだと痛感した。現実味のなかった彼の肩書きが、いまになって突きつけられる。
自分の平凡な日常――それとは大きくかけ離れている世界。きっと想像なんて追いつかないような。それなのに優しく笑いかけられるから、天希は離れられない気持ちになる。
「あまちゃんの眼鏡姿、ちょっとえっちで可愛いよね」
「えっ、ちっ? どこが!」
こんな時間に眼鏡屋などやっているのか、そんなことを思ったけれど。平凡なサラリーマン、ではない彼には造作もないことだ。
閉店した店でのんびり選びたい放題だった。
しかし天希としては、眼鏡など毎日かけるわけではないので、なんでも良かった。それなのに自分のことのように、真剣に悩んでいる横顔がある。
「このフレームの色、いいね。あまちゃんに似合うよ」
「って、何本目だよ。俺は一本あれば十分だ」
「んー、また壊しちゃったら困るしねぇ」
「そうそう壊れねぇよ! てか、近いって」
先ほどから伊上は天希の腰に腕を回し、べったりだ。店内に誰もいないけれど、そわそわとした気持ちにさせられる。
しかし文句を言いながらも、気分はいい。近づくほどに伊上の甘い匂いが香って、天希は胸をときめかせた。
とろみを感じるような甘い香り。たとえるなら蜂蜜のような。けれど匂いはきつくない。それどころかその匂いに包まれてみたいとも思う。
「あまちゃん? 顔を赤くしてどうしたんだい?」
「な、なんでもねぇよ。それより、そんなにいらねぇからせめて二本にしろ」
「そうだね。あ、眼鏡は明日でも平気?」
「え? まあ、バイトの時にあれば」
「じゃあ今日はお願いして、明日取りに来ようか」
数本のフレームの中から、さっと二本だけ取り上げた伊上は、カウンターへと向かう。あんなにあれこれ悩んでいたのに、一瞬だ。
端からもう決まっていたかのような、早さ。
それに面食らい、天希は肩をすくめる。
視力検査は先に済ませてあるので、彼が注文をしているあいだ、店内をぶらぶらとした。店の時計を見ると二十二時を回っている。
このあとは? なんてことを考えると、落ち着かない気持ちにさせられた。数時間でクリスマスイブ――お預けはクリスマスまでか。
あの時の反応を見たあとでは、期待をせずにはいられない。少しは自分に執着してくれている。そう思わずにいられなかった。
「あまちゃん、お待たせ」
「うん」
「ご飯、食べに行く? お腹空いただろう?」
「うん」
小さな期待を湧かせながら、天希は彼の隣に並び立つ。そっと手を握られて、胸を高鳴らせたのは言うまでもない。
7
お気に入りに追加
483
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
君と運命になっていく
やらぎはら響
BL
母親から冷遇されている町田伊織(まちだいおり)は病気だから薬を欠かさず飲むことを厳命されていた。
ある日倒れて伊織はオメガであり今まで飲むように言われていたのは強い抑制剤だと教えられる。
体調を整えるためにも世界バース保護機関にアルファとのマッチングをするよう言われてしまった。
マッチング相手は外国人のリルトで、大きくて大人の男なのに何だか子犬のように可愛く見えてしまい絆されていく。
幸せの温度
本郷アキ
BL
※ラブ度高めです。直接的な表現もありますので、苦手な方はご注意ください。
まだ産まれたばかりの葉月を置いて、両親は天国の門を叩いた。
俺がしっかりしなきゃ──そう思っていた兄、睦月《むつき》17歳の前に表れたのは、両親の親友だという浅黄陽《あさぎよう》33歳。
陽は本当の家族のように接してくれるけれど、血の繋がりのない偽物の家族は終わりにしなければならない、だってずっと家族じゃいられないでしょ? そんなのただの言い訳。
俺にあんまり触らないで。
俺の気持ちに気付かないで。
……陽の手で触れられるとおかしくなってしまうから。
俺のこと好きでもないのに、どうしてあんなことをしたの? 少しずつ育っていった恋心は、告白前に失恋決定。
家事に育児に翻弄されながら、少しずつ家族の形が出来上がっていく。
そんな中、睦月をストーキングする男が現れて──!?
英雄の帰還。その後に
亜桜黄身
BL
声はどこか聞き覚えがあった。記憶にあるのは今よりもっと少年らしい若々しさの残る声だったはずだが。
低くなった声がもう一度俺の名を呼ぶ。
「久し振りだ、ヨハネス。綺麗になったな」
5年振りに再会した従兄弟である男は、そう言って俺を抱き締めた。
──
相手が大切だから自分抜きで幸せになってほしい受けと受けの居ない世界では生きていけない攻めの受けが攻めから逃げようとする話。
押しが強めで人の心をあまり理解しないタイプの攻めと攻めより精神的に大人なせいでわがままが言えなくなった美人受け。
舞台はファンタジーですが魔王を倒した後の話なので剣や魔法は出てきません。
しあわせのカタチ
葉月めいこ
BL
気ままで男前な年上彼氏とそんな彼を溺愛する年下ワンコのまったりのんびりな日常。
好き、愛してるじゃなくて「一緒にいる」それが二人のしあわせのカタチ。
ゆるりと甘いけれど時々ぴりりとスパイスも――。
二人の日常の切れ端をお楽しみください。
※続編の予定はありますが次回更新まで完結をつけさせていただきます。
次男は愛される
那野ユーリ
BL
ゴージャス美形の長男×自称平凡な次男
佐奈が小学三年の時に父親の再婚で出来た二人の兄弟。美しすぎる兄弟に挟まれながらも、佐奈は家族に愛され育つ。そんな佐奈が禁断の恋に悩む。
素敵すぎる表紙は〝fum☆様〟から頂きました♡
無断転載は厳禁です。
【タイトル横の※印は性描写が入ります。18歳未満の方の閲覧はご遠慮下さい。】
12月末にこちらの作品は非公開といたします。ご了承くださいませ。
近況ボードをご覧下さい。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/bl.png?id=5317a656ee4aa7159975)
オメガ修道院〜破戒の繁殖城〜
トマトふぁ之助
BL
某国の最北端に位置する陸の孤島、エゼキエラ修道院。
そこは迫害を受けやすいオメガ性を持つ修道士を保護するための施設であった。修道士たちは互いに助け合いながら厳しい冬越えを行っていたが、ある夜の訪問者によってその平穏な生活は終焉を迎える。
聖なる家で嬲られる哀れな修道士たち。アルファ性の兵士のみで構成された王家の私設部隊が逃げ場のない極寒の城を蹂躙し尽くしていく。その裏に棲まうものの正体とは。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる