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第14話 白き獣の咆哮

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 駆け込んできた偵察隊の背後から、気圧されるほどの魔力の圧を感じ、無意識のうちに皆、足がじりじりと後退する。

「本体の姿は見えたか?」

「……あ、あれは、おそらく。……聖獣さま、です」

「は?」

 顔を青くした、団員の思わぬ返答に、さすがのリューウェイクも雑な返ししかできない。

 彼が言う聖獣とは女神の使役獣とされていて、最後に姿が確認されたのは二百年近く前だ。
 当時の王が独裁で戦争を起こしかけた時に、軍隊の前に現れ進軍を止めたと記録されている。

 その上、聖獣が王を玉座から引きずり下ろしたので、神殿や家臣たちの奏上ですぐさまの王を退位させ、傍系から新たな王が誕生したとある。
 現在の王家は傍系の者と、直系の姫が婚姻をし血筋を繋いでいた。

「なぜいまの世に聖獣さまが?」

(聖女召喚は禁忌ではないし、ユキさんへの対応は目に余るが怒りを買うほどではないはずだ。聖獣が現れるのは国の厄を祓うためと言われているけれど、今代の原因がわからない)

「リュイ」

「ユキさん?」

 意識が思考の波へと落ちかけたところで手を握られ、リューウェイクは隣に立つ雪兎を見上げる。
 真剣な眼差しを向けられ、ハッとした。

 もしやいまの状況こそ彼が恐れていた出来事なのか――だとしたら原因はこの場にいる、現在の王家の血脈なのでは。
 思い至ったリューウェイクは顔を強ばらせるが、黙ったままの雪兎に腕の中へ体を抱き寄せられる。

「なに? ユキさん?」

「リュイ、君のせいじゃない。女神が憂い悲しんでいるのは、リュイのせいじゃないんだ」

「それは、どういう意味?」

 神殿の祈りの間で頭上に降り注いだ光を見た時、雪兎と女神の繋がりを感じた。
 喚び出された彼は、いま聖獣が現れた理由を知っているように思える。

 だがリューウェイクが答えを知る前に、獣の咆哮が辺りに響き渡り、いまは警戒態勢をとらざるを得ない。

 鼓膜が痛くなるほどの音を立て、木々がなぎ倒され、大地が震えるほどの振動が伝わる。
 どんどんと近づく気配。
 全身の神経が張り詰め、誰もが背に冷や汗を滲ませているだろう。

「部隊長! こ、これが聖獣さまだったら、傷をつけちゃまずいですよね?」

「うーん、確かにそうだな」

「待った、待った、待った! こんなにデカいの無傷で止めるの無理です!」

 部隊の目前に現れたのは木々と変わらぬ、大きな体躯の獣。
 ネコ科の動物を思わせる三角の耳に縦長の瞳孔、純白の体から連なる長い尾を持っている。

 聖獣の証しである紫水晶の瞳は、冷静さを失っているのか光が感じられない。
 一振りで木をなぎ倒せる腕力と、なにものも引き裂いてしまいそうな鋭い爪。

 聖獣としての分別を、持ち合わせていないように見える恐ろしい獣を前に、撤退すべきか対峙すべきか。
 魔物の狂暴化と同様に魔力の濁りだけであるなら、浄化の力で正気に戻っても良いはずだが。

 聖獣の心を乱しているのが、女神の憂いから生まれた負の感情であれば、どれほどの影響があるのか計り知れない。
 状況を把握すべく聖獣を見つめると、足元の団員たちに気を取られていた、紫色の瞳がリューウェイクを捉えた。

 視線が合った――と感じた途端に、巨躯がこちらへ突進してくる。
 驚きで構えが遅れるが、とっさに雪兎がリューウェイクの体を引き寄せて、背後へ飛び退いた。

 先ほどまで立っていた場所が爪で深く抉れていて、あまりの素早さに場数を踏んでいても心拍数が上がる。
 しかも聖獣は再びリューウェイクに視線を定めると、標的を見つけたとばかりに低い唸り声を上げた。

「ベイク部隊長! 全員下げろ!」

「リューク、だがっ」

「おそらくいま手を出せば、余計な被害が出る!」

 原因は自分ではないと雪兎は言ったけれど、いま標的とされているのが自身であることを、リューウェイクは強く感じていた。
 どういった感情が起因しているのか、判断がつかないものの、聖獣から強い排除の意思が感じ取れる。

 だとすれば、リューウェイクの存在が女神の憂いに繋がっている、という結論に達するのではないか。
 いま聖獣は憂いの元を払おうと行動をしている。

「ユキさん、離してくれ!」

「駄目だ! リュイが傷を負えば女神の、聖獣の憂いが深まる!」

 リューウェイクの腕を取り突如、走り出した雪兎をいさめるが、彼は止まる様子がない。
 背後に気配を感じて、後ろを振り返ると目前まで爪が迫っており、リューウェイク自ら剣を抜く前に、淡く輝く剣が受け止めた。

「ユキさん! 片手で耐えきるなんて無理だ! 離してくれっ」

「断る、俺は絶対に離さない! 聖獣バロン! 目を覚ませ! 彼はお前が護るべき存在だ」

 振り下ろそうとする聖獣の爪で、ギリギリと雪兎の長剣が軋む。
 白い刀身が目に見えるほど発光し始めて、受け止めながら刀身に聖魔力を流し込んでいるのがわかった。

 だがいまの状態では防戦一方になるのは明らかだ。
 自分を抱き寄せ離さない雪兎を諭すのを諦めて、聖獣の気を逸らすため、リューウェイクは指先から炎を立て続けに放ち、相手の目元ではじけさせた。

 瞬間、わずかに隙が生まれて奇跡的に爪をはじき返した雪兎が、懐から取り出した透明な石を、聖獣の眉間に向けて投げつける。
 直撃したそれは粉々に砕け散ると共に、強い浄化の光を放った。

いと、フィーが泣いて、いる』

 グルグルと低い唸り声を発しながら、聖獣はうな垂れ、身を伏せる。
 繰り返し「愛し子」と悲しげな声で呟き、涙をこぼす姿に全員が息を飲んだ。

 聖女の陰に隠れて忘れがちだが〝女神の愛し子〟というものが、この国には存在する。

 起源は定かではなく、ラーズヘルムの始祖の生まれ変わりとも、始祖と女神のあいだにできた、子の生まれ変わりとも言われていた。
 聖女ほど目立たない存在なのは、滅多に生まれ落ちないからだ。

 もし生まれれば女神の愛が一心に降り注ぎ、その時代は富と豊穣、幸福が約束される。

「愛し、子?」

 王家の書庫に残る一文を思い出し、リューウェイクはぞくりとするほどの震えを覚えた。

「リュイ、君のせいじゃない」

 きつく後ろから雪兎に抱きしめられて、耳元で言い聞かせるように囁かれる。
 まだ頭では理解しきれないけれど、リューウェイクはひどく腑に落ちてしまった。

 なぜ父と母に手を離され、自身がいまの環境に置かれたのか。
 愛し子が生まれ、彼らはきっとこう思ったに違いない――

 この子は生まれながらに、女神の愛と加護を与えられるのだから、我らが手をかけずとも幸せになれる。
 王族は背負う物が多いのだから、むしろ自由を与えれば幸せに違いないと。

 退位してから王都を離れた二人は、いまリューウェイクが置かれている状況を、おそらくまったく把握していないはずだ。
 二人がいた頃は彼らの手前、王族らしい対応を受けていたものの、二人が他領へ移住してから、どんどんとリューウェイクは居場所を失っていった。

 十歳を過ぎたばかりだというのに、王城へ捨て置かれた親に見捨てられた子供。
 いらない子供は軽んじていい、そんな風潮が出てきたのはそれからだ。

 末っ子に関心のない兄たちが、家族の話題として上げるなど万一にもなく、いまも未来の幸せを疑わず両親は安穏と暮らしている。

 だが女神の嘆きと、聖獣の狂暴化の原因を知ったところで、いまさらどうやって自分を大切にして愛してくれ、と言えるのだろうか。

 半分は血の繋がった兄弟だったとしても、橋渡しをするべき親がなんの説明もないまま放置すれば、いまある結果になるのは目に見えてわかる。

 乱れる感情に翻弄されて、リューウェイクは上手く呼吸ができなくなる。
 いまは抱き寄せてくれる、雪兎の腕に縋るしかできなかった。
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