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第05話 国民と聖女の存在

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 雪兎の両手を掴んだまま、リューウェイクは集中を高めて彼の体内を探る。
 手のひらからは温かな魔力が感じられ、意外にも循環する道ができている。

 魔力は血液と同じく体内を流れており、循環が良いほど効果を大きく発揮するのだ。本来は道を作る訓練をしなくてはならないのだが。
 リューウェイクが自身の魔力を、雪兎の手のひらから流し込んでみれば、詰まらずに流れた。

「魔力を感じるし、ちゃんと魔力の道もできているので、扱い方を学べばすぐに魔法が使えそう」

「色々と試すことができて、時間を持て余さずに済みそうだ」

「オウカさんは神殿で魔法の使い方を習うので、ユキさんには僕が教えるよ」

「それとは別に剣も教えてくれるか?」

「いままでに経験が? 最初は木剣での鍛錬とかなら、問題ないかな?」

「リュイが持っている長剣は扱った経験がない。実戦なんてない世界だし、競技だな。レイピアみたいな形状とか木刀に似た武具を使うやつ。あとこっちで対応できそうなのは乗馬、それと弓とか?」

 記憶を思い返すように、首を傾げた雪兎はあれこれ指折り数える。
 見た目から感じる印象だけでなく実際に万能な男だったと、驚きのあまりほうけたリューウェイクの口がぽかんと開いた。

 同時にこれは絶対、元の世界へ帰さなければいけないと焦りも湧く。
 有能な雪兎の帰りを待っている人は、きっと一人や二人ではないはずだ。

「要望を最大限、叶えられるよう最善を尽くすよ。……って、オウカさんはどこに?」

「さっき注文するって席を立って、どうやら絡まれてたみたいだな」

「は? なにを暢気な!」

 向かい側の席でメニューを見ていた桜花の姿が見当たらなく、リューウェイクが店内を見回していると、先に見つけた雪兎が後ろを指さした。

 視線を向けた先で、桜花が多くの客たちに囲まれており、思いがけない状況にリューウェイクは慌てて立ち上がる。

 大切な客人に大事があっては取り返しがつかない――と急いでそちらへ足を向けるが、実の兄は取り乱す様子もない。
 のんびりとした足取りは、桜花のあっけらかんさと同じ匂いがする。

「おいしーっ! このお肉、最高!」

 人だかりに近づくと、心配をよそに上機嫌な声が響き渡る。
 リューウェイクが呆気にとられた顔をして立ち尽くせば、周囲の客たちが王弟殿下の存在に気づいた。

 彼らはすぐさまぱっと笑みを浮かべ、麦酒や果実酒の入ったカップを掲げて見せてくる。
 揚々とした雰囲気にリューウェイクはまさか、と焦りが湧く。

「リューウェイク殿下! 聖女さまはとてつもなく可愛くて人懐こいんだな」

「ここの食事は口に合うみたいですぜ! あっ、副団長もこれをどうぞ」

「……はあ、なぜ早々にバラすような真似を」

 周りの客を巻き込み、陽気に騒いでいる姿に頭が痛む。大仰なため息を吐いて、リューウェイクは眉間を揉んだ。
 ついでに、なだめすかすように肩を叩いてくる雪兎を横目で睨む。



 リューウェイクはこれから先の、二人の行動を制限しないよう配慮し、顔見せを大々的にするつもりはなかった。
 国の対応はおそらく、民へ文書で存在を知らせる程度だ。

 ただし貴族に対しては、いずれ王家主催の夜会でお披露目がある。長く過ごしていれば、顔を知られるのはどうしようもないけれど。

 今回の件は急な外出で十分な対処ができなかった、リューウェイクの完全なる落ち度だ。

 結果として食事処は、桜花を中心に大盛り上がりとなった。
 人の輪に交じるのが得意で、誰とでも気安く話せる社交性がある――となれば言わずもがなといった結末であった。

 聖女という存在はいまの時代、平和の象徴程度で国の命運をかけた使命など、過度な期待が少ないのが幸いだ。
 桜花が帰ったあとの喪失感は大きくないと願うばかり。

「それにしても、女性が潰れるほど飲むなんて」

 大いに湧いた皆の気持ちを思うと、店で口に出せなかった言葉が、夜の静寂しじまに乗じリューウェイクの口からこぼれる。
 集まった客たちと次々に乾杯する姿は、男性労働者の勢いそのものだった。

 女性で酒が好きな人も酒豪も少なくないとはいえ、人前で酔い潰れるのはさすがに羞恥を覚えるのが普通だろう。

 帰りは馬車寄せまで、桜花を雪兎におぶらせるわけにもいかず、御者に知らせて店まで迎えに来てもらった。
 向かい側で兄の膝を借り、すやすやと眠る姿にリューウェイクはため息をつく。

「すまないな。これでも色々と戸惑いが多いんだ」

「あっ……こちらこそ察せず、すみません」

 見るからに元気であっても心の中に不安を抱え、空元気な場合もある。
 配慮に欠けた言葉であったことを頭を下げて謝ると、ぽんとリューウェイクの頭に雪兎の手が乗せられた。

「リュイもお疲れさん」

「……私は、いえ、いや僕はなにも」

「なんか遠征に出ていたらしいじゃないか。俺たちのせいでとんぼ返りしてきたんだろう?」

「それは」

 陛下や次兄のせいだ――と言いたいところだが、誰も聞いていなくともそんな不敬な発言はできない。
 言葉に詰まり視線がさ迷ったリューウェイクを見て、雪兎は黙ってなだめるように頭を撫でてくれた。

「春だから、僕よりも残してきた部隊長や団員たちのほうがきっと大変だと思う」

「遠征に戻るのか?」

「いえ、一度任せたのだから最後まで成し遂げてくれると思うので。それに」

「俺の面倒を押しつけられたから身動きがとれない、か」

 言いづらそうにしているのを見抜かれ、雪兎に言葉を先回りされた。

 これまでではありえない失態が何度も続いてしまい、無意識に奥歯をきつく噛む。すると今度はリューウェイクの眉間を、雪兎は指の腹でぐりぐりと押してくる。

 鬱陶しいと感じつつも、なるべく邪険に扱わないようにそっと手を押し退けたら、なんとも言いがたい表情で見つめられて戸惑う。

 呆れでもなく優しさでもなく――そこまで考えて、含まれる感情が哀れみだと気づいた。

 途端に苛立ちが湧き、リューウェイクの眉間のしわが深くなった。
 だがあからさまな反応にも雪兎は気分を害した様子がなく、考えを読もうと探る目を向けてもまったく動じない。

「悪い。なんというか、その歳で上下からの圧力に疲弊する、老成した中間管理職のようで」

 無言の訴えに降参したのか、雪兎はため息交じりに再びリューウェイクの頭を撫でる。
 しかも「ふわさらの金髪が薄くなりませんように」などと、失礼な発言をし始めた。

(王家に薄毛の遺伝はない、はずだ。人の頭をしげしげ見て言うことじゃないだろう!)

「それでチュウカン、カンリショクとは?」

 不満が口から出そうになりかけて、リューウェイクは咳払いで声音を誤魔化し、じっとこちらを見つめる雪兎を見つめ返した。
 向けられた視線に一度目を瞬かせたが、ここでは通じない言葉と気づいたのか、彼は「ああ、そうか」と頷く。

「現場に出て部下を管理する立場だ。上に自分の上司がいて、下には自分の部下がいる。上からも下からも要望やら苦情やらを訴えられて、どちらにも耳を傾けないといけない。板挟みになりやすい窮屈な立場と言えばわかるか?」

「ぐっ……」

「ふはは、なんだその声」

 返事を求め、小さく首を傾げた雪兎は、潰れた蛙みたいな声を出すリューウェイクを見て、思いきり吹き出した。
 あまりにも自分の立場を表すのに的を射すぎていて、リューウェイクは言葉にならなかったのだ。

 雪兎によると中間管理職の人間は心労で白髪になったり、薄毛になったりする場合があるらしい。
 最近髪の手入れを怠っているので、些か自分の未来に不安を覚えた。だがリューウェイクはそこから意識を切り離し、気持ちを切り替える。

「心労や髪の毛の話は横に置いて、僕がユキさんの世話役になるのは納得してそうすべきと判断したからだ。なので面倒とは思っていないから、自分が厄介者とか言わないでほしい」

「リュイは、ほんといい子だな。こんなに真面目で優しい子はなかなかいない」

「あまり、子供扱いをしないで」

「甘やかされるのは嫌なのか? 大人だってたまには甘やかされたい時はあるぞ」

「……慣れないから、落ち着かない気分になる。できたらあまりされたくない」

 生まれてこの方、リューウェイクは子供らしく甘やかされた記憶がなかった。

 前国王である父と、後妻として他国から嫁いできた前王妃の母。
 二人はとても仲睦まじく、あいだにできた唯一の子、リューウェイクの誕生を心から喜んだらしい。

 だというのになぜか、二人は息子を育てずに放任したのだ。
 目をかけることも手間暇かけることもなく、好きなように生きていいと幼子のうちに、人生の責任をリューウェイクに丸投げした。

 頼めば一流のものを用意してくれたが、指針も目標も与えられず、歳が離れすぎて異母兄たちは気にかけてもくれない。
 リューウェイクから見れば、彼らは自由と放置をはき違えている、と思わずにいられなかった。

 異母姉もいたが、結局交流もないまま彼女たちは同盟国へ嫁いだ。

「僕は、人の優しさに慣れたくない」

「そうか、わかった。できるだけ気をつける」

 無償の優しさを与えてもらいながら拒否をする。
 それでもやめてくれと拒絶できなかったのは、リューウェイクの弱さだろう。

 わかっているからこそ雪兎ももうしない、とは言わない。
 揺らぐ心に気づかぬフリをし、馬車の窓から外を眺めれば、高い城壁に囲い守られた優美な王城が見えた。

 華やかな場所へ戻るたびに、息苦しい気持ちになるのは昔から変わらず、リューウェイクは身の置き場がない現実を何度も再認識する。
 だがいまはこの世界の現実に当てはまらない、雪兎の存在に少しばかり救われた。

(まるで僕のために女神さまが遣わしてくれたみたいだ。なんて言ったら女神さまに怒られるだろうか)

 城へ帰還すると宮殿の玄関ホールで、聖女である桜花を数人の侍女や護衛が待っていた。
 馬車を降りた頃に目覚めた彼女は、雪兎の部屋の前で別れると、さらに王族の居住スペースに近い部屋へ案内されていった。

「兄上の考えが透けて見える嫌な采配だな」

「国王ともう一人の兄は妻帯者だろう? 子供たちはそれなりに大きいのか?」

「甥たちは歳のわりにしっかりしているけど、まだ幼いよ。第一王子のルーベント殿下は十四歳だし、おうせい殿下でさえ十三歳だ。僕は聖女召喚反対派だから、歳が近いけど話を振られる確率は低い。なるべく手元に置きたいだろうから、一番確率が高いのは陛下の第二妃、かな」

「それはもちろん断れるんだよな? 妹は向こうに婚約者が、恋人がいるんだが」

「当然だよ。僕は必ず二人を元の世界に帰すから」

 勝手に呼び出し、相手の意思を無視して人生の道筋を決めるだなんて、絶対にしてはならない。
 憤る気持ちに呼応して、リューウェイクの言葉に力がこもる。

「いまも十分平和なのに、自分たちの安心のためにほかの世界の人を利用するなんて。そもそも選択肢を与えずに、相手の未来を決めるやり方は許せない。どんな生き物も親離れはするものなんだし、女神さまにばかり頼る体制は改めるべきだ」

「リュイ、一人で無理はするなよ」

「……うん。ユキさん、今日はお疲れさまでした。寝室や浴室の支度はできていると思うので、今夜はゆっくり休んでください。また色々と案内しますね」

 昂ぶる気持ちと比例し、リューウェイクが拳をきつく握りしめると、雪兎は強ばった肩にそっと手を置いてなだめてくれる。

 いたわる気遣いを感じ、優しさに笑みを返したリューウェイクは、部屋の扉が閉じられるのを見届けてから踵を返した。
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