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第30話 運命の当日
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リュミザの公開処刑は様々な憶測が飛び交っている。
第二王子を王太子へ任命するのに、リュミザが邪魔になったのだ、と言う声。
王家とリュミザの溝を鑑み、第一王子の謀反という声。
世論は錯綜しているが、ロディアスが思っていたよりも前者の声が多かった。
そして平民たちから上がる声はありえない、というものがほとんどだ。
彼は陰日向で人一倍、国民のために善意を尽くしてきた。ゆえにこれは不当なものだと、反対の声が多く上がっていたのだ。
しかし普段から国民の声など届いていないルディルが、その程度で決行を取りやめるなど、するはずもない。
秋晴れの天候の中、王宮前の広場に作られた舞台へ集まる人は多かった。
けれどそれは見物ではなく、ほとんどが反対の声を上げる平民たち。
「閣下、馬車でお待ちになったほうが」
「大丈夫だ、近くまで行く」
広場の入り口で馬車が止まり、ロディアスはフード付きのマントをまとい、広場へ向かうために歩む。
最近、すっかり体が衰え、杖なしでは歩けない。カツンカツンと石畳に音を響かせ、なるべく舞台の近くへ向かう。
「リュミザ王子殿下が謀反なんて信じられない」
「あの方はとても公平で、わたしたちの声に耳を傾けてくれたのに」
「相手が陛下ならありえるけれど、皇太子さまでしょう?」
「精霊族の一番目の子を害すなんて罰当たりな」
そこかしこから聞こえてくる声。平民たちのあいだで不安や疑念が渦巻いている。
これまで溜まっていた鬱憤が溢れ出しているようにも感じた。
(ここまで国民に信用されていない国王も珍しいな)
少しずつ前のほうへ進んでいくと、簡素な舞台が見えた。
片隅には研ぎ澄まされた剣を握る処刑人がいる。
仮面をつけ、漆黒の衣装を身にまとっているのは返り血が飛んでも目立たないようにだ。
ロディアスが上を向き、黙って立っていると、主治医が支えるように背中へ手を置く。
カルドラ公爵が派遣してくれた医師は今日まで随分と尽くしてくれた。
魔法省の人間だけあって魔法の扱いに優れており、体力維持に癒やしの魔法は効果的だった。
「――リュミザ」
体を冷やす風が広場に吹き抜ける。
後ろ手に拘束されたリュミザが現れると、周囲は息を飲み、しんとなった。
美しい容貌は衰えていないけれど、長く美しかった髪は不揃いのまま、肩先で揺れている。
(すべてが終わるまで、こうして見ているしかできないのか)
いますぐにでも駆け寄って、リュミザを自分の手の中に取り戻したい。
ロディアスはそんな葛藤と戦う。
偽りだらけの罪状が読み上げられ、膝をつかされる少し前――リュミザは一瞬、広場を見回した。
そしてロディアスを見つけ、まっすぐに視線を向けてきた。
彼の唇が〝待っていて〟と小さく動く。
ロディアスはそれ以降、いっときも目を離せなくなった。
屈強な処刑人が剣を振り下ろす瞬間まで。
ダンッと刃が舞台の床に当たった。静寂の中に息を飲む声と悲鳴が響く。
その直後、処刑人の様子もうろたえたものになった。
確かに頭と胴体が切り離されたのに、一滴も血がこぼれなかったのである。
人垣の先頭からどんどんとざわめきが拡がり、それとともに晴れ渡っていた空に雲が集まり出す。
ついにはポツンポツンと雨まで降り出してきた。
(これは、どういう状況だ。リュミザは、どうなる?)
一気に雨が降り出すと、周囲にいた者たちが屋根を求めて散り散りになる。
呆然と立ち尽くすロディアスに、主治医は馬車へ戻るよう促すが、いまは一歩も動けない。
そうこうしているうちに空がますます暗くなり、聞き覚えのある鳥の鳴き声が聞こえた。
とっさに空を見上げれば、旋回する精霊鳥の姿。
日の陰った空では、美しい姿が幻想的なほどだ。
ホゥイ山の方角から一羽二羽と数が増える。
空を飛び交う精霊鳥に気づいた者たちは、あんぐりと口を開き、空を見つめていた。
「待て、待ってくれ!」
ロディアスも空の精霊鳥に気を取られたが、最初の一羽がゆっくりと下降し、リュミザに近づいた。
甲高い鳴き声を上げ、横たわる体に向けて羽ばたけば、キラキラとした粒子がリュミザを包む。
ふわりと浮いた様子を見て、ロディアスは慌てて舞台に駆け寄った。
「連れて行かないでくれ!」
よろめきつつも舞台の傍へたどり着いたロディアスに、精霊鳥は一瞬だけ目を向ける。
しかし羽ばたきをやめず、リュミザを光の繭に閉じ込めてしまった。
「リュミザ!」
完全な繭になると、精霊鳥はそれを足で掴み、再び天高く羽ばたいていく。
ロディアスがどんなに手を差し伸ばしても、二度と振り返ることがなかった。
「閣下、これ以上は体に触ります」
「俺はリュミザを二度も失うのか」
「まだ決まったわけではありません。情報を待ちましょう。此度の件は聖王国へも連絡がいくはずです」
力なく地面に膝をついたロディアスの瞳からは、涙がこぼれ落ちる。
船の上でもリュミザを為す術なく奪われた。
虚脱感で立ち上がることすらできずにいると、御者も気づいたのか駆けてきて、主治医とともにロディアスを馬車へと導いてくれる。
雨の中、王都の屋敷に帰り着くと、気を揉んでいただろうヘイリーやウィレバたちが待っていた。
しかし気力を失ったロディアスはなにも語れない。
「体がひどく冷えています。湯の用意を!」
「……父上」
一歩後ろで控えていたヘイリーの声が聞こえ、ロディアスは顔を横に振った。
するとぐっと唇を噛んだ彼が涙をこらえたのがわかる。
「ヘイリー、おいで」
「――っ、父上!」
たまらず、といったように駆け寄ってきたヘイリーを抱き寄せると、彼は泣き声をこらえながらも強く抱きついてきた。
「待っていてくれとリュミザは言っていた。だが精霊鳥に連れて行かれてしまったから、いまはなんとも言えない。もし待っても無駄なら、迎えに行く」
「はい」
「服を濡らしてしまったな。温かくして休め」
サラサラとしたヘイリーの髪を撫で、ロディアスはぽんぽんと背中を叩いてやった。
こくんと頷いた彼は一歩後ろへ下がる。
「父上も、温かくしてお休みください」
「ああ、ありがとう」
「閣下、参りましょう」
様子を見ていた主治医に促されて、ロディアスは止めた足を踏み出す。
階段を上るのが辛いくらいに節々が痛んだけれど、心配そうな眼差しを向けてくる従者たちに、恥ずかしい姿は見せられない。
(俺が皆に不安を与えてもよくないな)
冷えた体を温め、ベッドで横になるまでロディアスは気が抜けなかった。
周りはそんな強がりに気づいているのか、程なくして皆、部屋から下がる。
「これは明日にでも熱が出そうだな。最近は心配をかけることばかりだ」
節々の痛みは初期症状だ。
寝込む羽目にならなければいいと、ロディアスは息をつく。
リュミザが傍にいなくなってひと月以上経っている。これまで幾度、無茶をして倒れたかわからない。
領地にいる家令のシュバルゴには、戻らず暖かい王都でしばらく休むよう言われたくらいだ。
「ヘイリーが成人するまでもつだろうか。それよりも前に、俺はホゥイ山までリュミザを迎えに行けるんだろうか」
具合が悪くなるとやけに不安が募る。
ぬくもりが恋しく心細くなる。
「リュミザはほんのり温かくて、心地良かった」
独りになり、そろそろ限界が来た。
くっと声を飲み込み、ロディアスは腕で目元を覆う。ぎゅっと閉じた目からは幾筋も涙が伝い落ちた。
「情けないな」
海の上で誓約が断ち切れた瞬間でさえ、こんなにも泣きはしなかった。
それ以上に咎の苦しみや重さがあったせいで、泣いている場合ではなかったのだけれど。
精霊の咎人は長く生きられない。
領地はどうする、後継者はどうなる。そんな感情が先だった。
海から地上へ戻ったあと、アウローラが行方不明になったと知らされ、すぐにルディルとの婚姻が国中に広まった時はもう――あ然とするほかなかった。
「――誰だ」
昔のことを思い返しながら、ロディアスが寝返りを打った瞬間、カーテンの向こうで人の気配がした。
ほんのわずかな間だったけれど、他人の気配にロディアスは敏感だ。
とっさに体が反応し、ベッドから素早く降りる。しかしカーテンの先はバルコニーがあるものの、簡単に忍び込める場所ではない。
そもそもハンスレットの屋敷はどの貴族宅よりも警備が厳重だ。
まだ陽も落ちていない時間に、ロディアスの部屋に近づくなど本来はひどく困難である。
枕の下から短剣をとり、ロディアスはゆっくりと窓に近づく。気配はもう感じないけれど、油断はできない。
壁に背を預け、剣先でカーテンをわずかに捲ると、バルコニーの真ん中に封筒が一つ置かれていた。
第二王子を王太子へ任命するのに、リュミザが邪魔になったのだ、と言う声。
王家とリュミザの溝を鑑み、第一王子の謀反という声。
世論は錯綜しているが、ロディアスが思っていたよりも前者の声が多かった。
そして平民たちから上がる声はありえない、というものがほとんどだ。
彼は陰日向で人一倍、国民のために善意を尽くしてきた。ゆえにこれは不当なものだと、反対の声が多く上がっていたのだ。
しかし普段から国民の声など届いていないルディルが、その程度で決行を取りやめるなど、するはずもない。
秋晴れの天候の中、王宮前の広場に作られた舞台へ集まる人は多かった。
けれどそれは見物ではなく、ほとんどが反対の声を上げる平民たち。
「閣下、馬車でお待ちになったほうが」
「大丈夫だ、近くまで行く」
広場の入り口で馬車が止まり、ロディアスはフード付きのマントをまとい、広場へ向かうために歩む。
最近、すっかり体が衰え、杖なしでは歩けない。カツンカツンと石畳に音を響かせ、なるべく舞台の近くへ向かう。
「リュミザ王子殿下が謀反なんて信じられない」
「あの方はとても公平で、わたしたちの声に耳を傾けてくれたのに」
「相手が陛下ならありえるけれど、皇太子さまでしょう?」
「精霊族の一番目の子を害すなんて罰当たりな」
そこかしこから聞こえてくる声。平民たちのあいだで不安や疑念が渦巻いている。
これまで溜まっていた鬱憤が溢れ出しているようにも感じた。
(ここまで国民に信用されていない国王も珍しいな)
少しずつ前のほうへ進んでいくと、簡素な舞台が見えた。
片隅には研ぎ澄まされた剣を握る処刑人がいる。
仮面をつけ、漆黒の衣装を身にまとっているのは返り血が飛んでも目立たないようにだ。
ロディアスが上を向き、黙って立っていると、主治医が支えるように背中へ手を置く。
カルドラ公爵が派遣してくれた医師は今日まで随分と尽くしてくれた。
魔法省の人間だけあって魔法の扱いに優れており、体力維持に癒やしの魔法は効果的だった。
「――リュミザ」
体を冷やす風が広場に吹き抜ける。
後ろ手に拘束されたリュミザが現れると、周囲は息を飲み、しんとなった。
美しい容貌は衰えていないけれど、長く美しかった髪は不揃いのまま、肩先で揺れている。
(すべてが終わるまで、こうして見ているしかできないのか)
いますぐにでも駆け寄って、リュミザを自分の手の中に取り戻したい。
ロディアスはそんな葛藤と戦う。
偽りだらけの罪状が読み上げられ、膝をつかされる少し前――リュミザは一瞬、広場を見回した。
そしてロディアスを見つけ、まっすぐに視線を向けてきた。
彼の唇が〝待っていて〟と小さく動く。
ロディアスはそれ以降、いっときも目を離せなくなった。
屈強な処刑人が剣を振り下ろす瞬間まで。
ダンッと刃が舞台の床に当たった。静寂の中に息を飲む声と悲鳴が響く。
その直後、処刑人の様子もうろたえたものになった。
確かに頭と胴体が切り離されたのに、一滴も血がこぼれなかったのである。
人垣の先頭からどんどんとざわめきが拡がり、それとともに晴れ渡っていた空に雲が集まり出す。
ついにはポツンポツンと雨まで降り出してきた。
(これは、どういう状況だ。リュミザは、どうなる?)
一気に雨が降り出すと、周囲にいた者たちが屋根を求めて散り散りになる。
呆然と立ち尽くすロディアスに、主治医は馬車へ戻るよう促すが、いまは一歩も動けない。
そうこうしているうちに空がますます暗くなり、聞き覚えのある鳥の鳴き声が聞こえた。
とっさに空を見上げれば、旋回する精霊鳥の姿。
日の陰った空では、美しい姿が幻想的なほどだ。
ホゥイ山の方角から一羽二羽と数が増える。
空を飛び交う精霊鳥に気づいた者たちは、あんぐりと口を開き、空を見つめていた。
「待て、待ってくれ!」
ロディアスも空の精霊鳥に気を取られたが、最初の一羽がゆっくりと下降し、リュミザに近づいた。
甲高い鳴き声を上げ、横たわる体に向けて羽ばたけば、キラキラとした粒子がリュミザを包む。
ふわりと浮いた様子を見て、ロディアスは慌てて舞台に駆け寄った。
「連れて行かないでくれ!」
よろめきつつも舞台の傍へたどり着いたロディアスに、精霊鳥は一瞬だけ目を向ける。
しかし羽ばたきをやめず、リュミザを光の繭に閉じ込めてしまった。
「リュミザ!」
完全な繭になると、精霊鳥はそれを足で掴み、再び天高く羽ばたいていく。
ロディアスがどんなに手を差し伸ばしても、二度と振り返ることがなかった。
「閣下、これ以上は体に触ります」
「俺はリュミザを二度も失うのか」
「まだ決まったわけではありません。情報を待ちましょう。此度の件は聖王国へも連絡がいくはずです」
力なく地面に膝をついたロディアスの瞳からは、涙がこぼれ落ちる。
船の上でもリュミザを為す術なく奪われた。
虚脱感で立ち上がることすらできずにいると、御者も気づいたのか駆けてきて、主治医とともにロディアスを馬車へと導いてくれる。
雨の中、王都の屋敷に帰り着くと、気を揉んでいただろうヘイリーやウィレバたちが待っていた。
しかし気力を失ったロディアスはなにも語れない。
「体がひどく冷えています。湯の用意を!」
「……父上」
一歩後ろで控えていたヘイリーの声が聞こえ、ロディアスは顔を横に振った。
するとぐっと唇を噛んだ彼が涙をこらえたのがわかる。
「ヘイリー、おいで」
「――っ、父上!」
たまらず、といったように駆け寄ってきたヘイリーを抱き寄せると、彼は泣き声をこらえながらも強く抱きついてきた。
「待っていてくれとリュミザは言っていた。だが精霊鳥に連れて行かれてしまったから、いまはなんとも言えない。もし待っても無駄なら、迎えに行く」
「はい」
「服を濡らしてしまったな。温かくして休め」
サラサラとしたヘイリーの髪を撫で、ロディアスはぽんぽんと背中を叩いてやった。
こくんと頷いた彼は一歩後ろへ下がる。
「父上も、温かくしてお休みください」
「ああ、ありがとう」
「閣下、参りましょう」
様子を見ていた主治医に促されて、ロディアスは止めた足を踏み出す。
階段を上るのが辛いくらいに節々が痛んだけれど、心配そうな眼差しを向けてくる従者たちに、恥ずかしい姿は見せられない。
(俺が皆に不安を与えてもよくないな)
冷えた体を温め、ベッドで横になるまでロディアスは気が抜けなかった。
周りはそんな強がりに気づいているのか、程なくして皆、部屋から下がる。
「これは明日にでも熱が出そうだな。最近は心配をかけることばかりだ」
節々の痛みは初期症状だ。
寝込む羽目にならなければいいと、ロディアスは息をつく。
リュミザが傍にいなくなってひと月以上経っている。これまで幾度、無茶をして倒れたかわからない。
領地にいる家令のシュバルゴには、戻らず暖かい王都でしばらく休むよう言われたくらいだ。
「ヘイリーが成人するまでもつだろうか。それよりも前に、俺はホゥイ山までリュミザを迎えに行けるんだろうか」
具合が悪くなるとやけに不安が募る。
ぬくもりが恋しく心細くなる。
「リュミザはほんのり温かくて、心地良かった」
独りになり、そろそろ限界が来た。
くっと声を飲み込み、ロディアスは腕で目元を覆う。ぎゅっと閉じた目からは幾筋も涙が伝い落ちた。
「情けないな」
海の上で誓約が断ち切れた瞬間でさえ、こんなにも泣きはしなかった。
それ以上に咎の苦しみや重さがあったせいで、泣いている場合ではなかったのだけれど。
精霊の咎人は長く生きられない。
領地はどうする、後継者はどうなる。そんな感情が先だった。
海から地上へ戻ったあと、アウローラが行方不明になったと知らされ、すぐにルディルとの婚姻が国中に広まった時はもう――あ然とするほかなかった。
「――誰だ」
昔のことを思い返しながら、ロディアスが寝返りを打った瞬間、カーテンの向こうで人の気配がした。
ほんのわずかな間だったけれど、他人の気配にロディアスは敏感だ。
とっさに体が反応し、ベッドから素早く降りる。しかしカーテンの先はバルコニーがあるものの、簡単に忍び込める場所ではない。
そもそもハンスレットの屋敷はどの貴族宅よりも警備が厳重だ。
まだ陽も落ちていない時間に、ロディアスの部屋に近づくなど本来はひどく困難である。
枕の下から短剣をとり、ロディアスはゆっくりと窓に近づく。気配はもう感じないけれど、油断はできない。
壁に背を預け、剣先でカーテンをわずかに捲ると、バルコニーの真ん中に封筒が一つ置かれていた。
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