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第29話 事態の急変

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 最後にリュミザと視線が合って以降の記憶がない。おそらく気を失ったか、失わされたか。
 目覚めた時にはリュミザは大罪人となっていた。

 話を聞かされ、理解するのに時間を要した。ようやく頭が回り始めると、飛び出さんばかりの勢いで起き上がったため、ベッドへ戻される羽目になる。

「長らくとこに伏していたのですから無理をなさらず」

「ウィレバ、あれから何日だ」

「五日ほどです」

「たった五日で、こうも事態が変わるのか」

 なぜリュミザに罪が降りかかったのか。あの船に国の貴賓が乗っていたというのだ。
 精霊鳥を呼び寄せ、混乱に乗じ暗殺未遂を企てた、というありえない筋書き。

 しかし船に競売へ賭けられるはずだった、令嬢や動物たちが乗っていなかったのだ。
 ロディアスは確かに倉庫ですすり泣く声を聞いたというのに。

(それこそ混乱に乗じて、彼女たちを船から逃した者がいる。俺が預かった船の鍵も行方がわからない)

「カルドラ公爵と連絡を取りたい」

「それでしたら、お預かりしている手紙がございます。目を覚ましたら渡してほしいとことかっております」

 現状を把握するには公爵が一番と思ったが、ロディアスが目覚めるまでのあいだになにかあったようだ。
 懐からウィレバが封蝋がしてある見慣れた手紙を取り出す。

 ペーパーナイフを渡され、ロディアスはすぐさま封を切った。

『影が戻らず』

 ひと言そう綴られている。その瞬間、ロディアスは自身の疑いが正しかったのだとわかる。
 公爵の影、ライックが戻っていない。

 封筒と便せんに火を付けると、ロディアスはウィレバの差し出す灰皿へ落とした。

「公爵に訪問する旨を」

「かしこまりました」

 部屋を出て行くウィレバを見送り、独りになると、ロディアスは苛立ち紛れに拳で膝を叩く。
 むざむざ目の前でリュミザを奪われ、証拠もすべて一掃されるヘマをした。

「ちくしょう、いつから寝返っていたんだ」

 これまでの彼の行動を振り返るが、怪しいと感じたのは今回の件だけだ。
 だがこれまで息をひそめているだけだったとしたら、気づかなかったカルドラ公爵やリュミザの失態。

「公爵に経緯を訊かなければ。しかしルディルがライックの存在に気づいていたとは思えない。……だとしたら自身で、裏切り寝返ったと考えるのが妥当だ」

 公爵とライックが双子で、大きく立場が異なっている境遇を――影となった経緯を、もっと踏み込み知っておくべきだった。

 ロディアスが頭を整理していると、リーンと音が響く。
 サイドテーブルのベルを取り上げれば、公爵がこちらへ向かっているとのことづてだった。

 訪問がわかると、のんびり寝ている気にはならず、ロディアスはベッドから抜け出した。
 戻ってきたウィレバに慌てられたけれど、黙っていると自己嫌悪に陥りそうなのだ。

(半身を奪われて、片羽をもがれた。俺はどんな理由があってもリュミザに手を伸ばしたことを、許さない)

 リュミザはライックを信頼していた。彼がいれば問題ないと、そう言うほどに背を預けていた。
 全幅の信頼をいともたやすく裏切ったのだ。

 苛立ちを腹の奥に抱えながらロディアスが待つと、さほど経たぬうちにカルドラ公爵はやって来た。
 応接間に通し、ほかの者には呼ぶまで近づかないよう伝える。

 向かいのソファに腰掛けた公爵は、真っ先に頭を下げた。

「此度の件は、私の落ち度です」

「謝って済まされる問題じゃない。このままだとリュミザはよくて幽閉、最悪の場合は口にも出したくない」

 船の貴賓は聖王国と並ぶ権威を持っている帝国の皇太子。
 暗殺未遂という濡れ衣は、友好国とされているレイオンテールではひどく重いのだ。

 即位間近な皇太子の命が狙われたとあれば、帝国は黙っていない。
 なにかの間違いだと、リュミザを擁護する人間がほぼいないのも状況が悪い。

 いままで王家に関わる人間から距離を置いてきた弊害。
 王家と対立していたと見なされても仕方がない。

 憔悴した様子を見せるカルドラ公爵を見ても、ロディアスの怒りは収まらなかった。

「ライックの足取りは掴めないのか?」

「おそらくどこかに身を隠しているのでしょう」

「裏切ったのは彼だけ、ではないだろうな」

「影が数人、行方をくらましています」

「あんたは存外、人望がないのだな。表に立てないとは言え、配下の者に任せすぎたツケじゃないか?」

「返す言葉もありませんね」

 公爵は優れているのだろう。これまで失敗などした経験も少ない。
 しかしそれは彼の手足となって働く者たちの功績でもある。道具も気持ちを込めて使えば長持ちするものだ。

 力でねじ伏せるのでないならば、もっと信頼を築くべきだった。

(ある意味、優しすぎたのが敗因だろうな)

 手足を自由にさせすぎたのだ。
 ライックは特に自身の兄弟。王家に名を連ねる者と、大公家の遠縁の子では、立場が大きく違う。
 心のどこかで後ろめたさがあり、隙ができた。

「ライックに、疑わしい部分はこれまでなかったのだろう?」

「ええ、関係は良好と思ってきました。私財を扱えるようになってからは密かに実家への援助もし――それを知ったライックは王家で、影のように息をひそめる私の力になりたいと、自ら訪ねてきてくれたんです」

「はあ、一度あんたたちは腹の内をさらけ出して語り合うべきだったな。リュミザを救う手立てはあるのか?」

 気が重くなり、片手で額を押さえるロディアスに、カルドラ公爵は少しだけ言い淀んだ。

「……大公、その件なのですが。リュミザは、牢から逃げ出すつもりはないと」

「どういうことだ? すでに接触しているのか?」

「ええ、こちらもすぐ動きました。ですが捕らわれたままが都合よいと」

「馬鹿な! ずる賢いルディルだ。幽閉なんて生ぬるい処断をせず、建前を並べ立てて――っ」

 思わずソファから立ち上がってしまったロディアスは、感情の高ぶりとともにめまいを起こす。
 ふらりとよろけると、すぐさま席を立った公爵に支えられた。

「私の推測ですが、リュミザはあなたを救いたいのだろうと思います」

「俺を救う? リュミザを失うくらいなら死んだほうがマシだ」

「船でリュミザは精霊鳥と会話をしているようだったと聞きました。あなたを救う方法を知った。――おそらくそれは、器を捨てることです」

「器を、捨てる?」

「半精霊がなぜ精霊になり得ないか。誰しも死を恐れるからです」

「だっ、だが! もしも精霊へと昇華できなかったら、リュミザは」

 もはやそれは生か死の賭けだ。上手くいけば器を捨て、精霊族として生まれ変われる。
 しかし死の恐怖、衝撃に負けたときは、本当の死が待っている。

「牢に潜入できるというなら、一度リュミザと俺も話したい」

「それはいささか難しいです。ここへ来る前に情報が入りました。リュミザの公開処刑が行われるようだと。王族の処刑は前代未聞。瞬く間に噂が広がります。警備も厚くなるでしょう」

「俺に、手をこまねいて見ていろと言うのか」

「私はあの子を尊重したい」

「もしもリュミザが戻らなかったら、あんたの兄弟の首を落としても足りない」

「公開となったのにはわけがあるでしょう。あなたを連れて行けませんが、リュミザともう一度接触をします」

「わかった。いまはあんたを頼るほか、俺にできる手立てはない」

 リュミザに万一のことがあれば、ロディアスは決起し、ルディルの――そしてライックの首をはねても足りないだろう。
 だがそれ以前に息の根が止まってしまうのでは、と思えた。

「あの子は必ず、あなたの元へ帰るでしょう」

「……俺は無力だな」

 ソファへ腰掛け直し、ロディアスは両手で顔を覆う。
 リュミザから様々なものを与えられておきながら、彼のためにしてやれるのが待つだけ。

 もどかしさとふがいなさで、胸を掻きむしりたい衝動に駆られる。

「大公、いまは体をいたわり、帰りを待ってください。あなたがいなければすべてが無になるのです」

「わかっている」

 船上での一件でロディアスはかなり無理をした。
 本当は起き上がっているだけでも、体が重く、軋むような感覚もする。残り数年だった命が、あと何日なのかと感じるほどだ。

「公開に、俺は立ち会う」

「――わかりました。あなたに魔法省から医師を派遣しましょう」

「ああ」

 ロディアスとリュミザ、二人の運命の日は刻一刻と近づいている。
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