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第24話 ハンスレットの秘密
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革張りの手帳を読み切り、なんとも言えない感情に支配される。
重苦しいくすぶりが胸の中で渦を巻き、ロディアスはふっと息を吐いた。
カルドラ公爵はおそらく、ルディルのスペアとして王家に連れ去られたのだ。
前王妃はルディルのほかは王女しか産んでいない。
そう考えると、母親だけでなく、公爵自身も人生を狂わされていると言える。
「ロディー?」
「ああ、すまない。ぼんやりとしていた」
立ち尽くしたままのロディアスに気づいたリュミザが、いつの間にか傍へ来ていた。
心配そうな表情に笑みを返すが、彼の表情が晴れない。
「なにかよくない内容だったのですか?」
「よい悪いと言えば、悪い話だろうな。王家はこれまでどれほどの人の人生を、狂わせてきたのか。この手帳に公爵の生い立ちが書いてあった」
「叔父上の?」
「ああ、元を辿ればカルドラ公爵はハンスレットの血筋であるらしい」
簡潔に話を説明してやると、リュミザはすぐに内容を把握したのか深く頷く。
「それで今回、重い腰を上げたわけですね」
「王家の不始末はおそらくこれだけではないんだろうな」
「――そうだ、ロディー! これを見てください」
しばらく考え込むそぶりを見せていたけれど、リュミザは急に一冊の本をロディアスへ差し出してくる。
ここ、と指さされた場所には古い文字が書かれていた。
「あんたは古代語もわかるんだな」
「言葉の違いが面白くてつい……じゃなくて! 初代大公の書いた日記です、これ」
「初代の、すまないが翻訳してくれるか?」
「わかりました。場所を移動しましょうか」
「そうしよう。ソファへ行こうか」
長らく立ちっぱなしだったことを思い出し、ロディアスは二人掛けのソファへ腰を下ろす。
隣に腰掛けたリュミザは、さっそくと文字を指先で辿りながら、本を読み上げてくれた。
初代大公ヘイディリアン――彼の日記はハンスレットへ向かう前から書かれている。
一文目に彼はこう宣言していた。
『彼女を護るために私はすべてを投げ打つつもりだ』
ヘイディリアンには、大公になる以前から親密にしている女性がいた。淡雪のように儚く美しい女性、ミンティナ。
(初代大公妃の名だな)
ヘイディリアンは当時ひどく焦燥した気持ちだったのか、書き殴りのような文字が並んでいる。
どうやら恋人を王家から隠さなければと思っているようだ。
彼は父王へ願い出た。自身の王位継承権を放棄する代わりに、平民の女性との結婚を許してくれるように。
恋人と一緒になれるなら、国の盾となっても構わないと。
(自ら王位を譲り渡した経緯はこれなのか)
父王は、そんなヘイディリアンにさげすみの笑いを含ませ、弟は精霊の女を捕まえたのに、お前はその程度の男なのだなと言った。
(捕まえる? もしかして精霊鳥が降りて来なくなった、原因じゃないよな?)
話を聞くたび疑問が湧いてくるが、都度、腰を折るのも時間の無駄だ。
あとでまとめて聞こうと思っていたロディアスは、次の一文で思わず声を発した。
「ここでヘイディリアンは精霊族の女性に対し胸を痛めます。ですがミンティナを護るためと心を無にした。なぜならミンティナは希有な神族だから」
「初代大公妃は神族の女性だったのか?」
「そうなんです! ハンスレット大公家は神族の血筋なんですよ。しかも――三代までヘイディリアンとミンティナが大公領を治めているんです」
「姿を偽ることは可能だろうからな。いま俺で十代目だが、四代くらい前に確か王子が婿入りしている」
「となればハンスレット家の人間は、神族と精霊族――二つの系譜を持つんです! どうりで優れた者たちばかりだと思いました」
興奮気味に語るリュミザの瞳がキラキラとしている。
新しい知識で心が躍る研究者気質でもあったようだ。
「そうなるとカルドラ公爵も、ハンスレット直系ほどではないが、二種族の気質を持ち合わせているんだな。リュミザが無属性なのは精霊族の母を持ち、俺の魔力が核になっているゆえか。……やけに情報量の多い日だ」
急激に色々な内容を知ったため、ロディアスは頭が重たくなる。
手のひらで額を押さえ、息を吐きながら天井を見た。
「これはうっかりとでも外に出せない話だな」
「そうですね。特にいまは、ハンスレットのほうが軍事力も、財力もあります」
「……そうなのか?」
「はい、財政状況を最近調べました。見た目は豪奢に装ってますけど、国の財政は芳しくないですよ」
「それは、民の税が重くなる前に手を打たなくてはいけないな」
気の重い話がさらに加わって、ロディアスは眉間を揉む。
この話をもっと早く知っていれば、出た杭を打たれないよう対処していた。
(少々ハンスレットを大きくし過ぎたか。父は欲のない人だと思っていたが、王家に目をつけられないようにしていただけだったんだ。しかし将来、カルドラ公爵が統治してくれれば、ヘイリーの時代は安泰だろう)
考えを巡らせて、しばらくロディアスが唸っていれば、リュミザは本を閉じ、突然ソファから立ち上がった。
「ロディー、体を動かしましょうか。頭がすっきりしますよ」
手振りで剣を振る仕草をするリュミザを見たロディアスは、いい提案だと続いて立ち上がる。
「よし、あんたの腕前を確かめてやろう」
「手加減してくださいね。僕はまだ初心者ですから」
「俺も昔に比べたら、半分以下の体力だ。心配するな」
現役の頃に比べたら機敏さも、腕力も落ちている。
リュミザの相手にはちょうどいいくらいだろうと思ったけれど――いざ、庭に出て剣の打ち合いを始めると。
「嘘つき! ロディーは嘘つきです!」
と、リュミザに大きな声で文句を言われた。
久しぶりに、ロディアスの剣を振るう姿が見られるとあって、休憩中、非番中の者たちが庭先へ集まっている。
そんな中で、リュミザは防戦一方ながらもしっかりと、ロディアスの木剣を受け止めていた。
これは驚くべき成長である。
最初は長く剣を握っていられないほど手が繊細で、素振りをするだけで音を上げていたのだ。
筋力も、体力もないので準備運度である、走り込みでさえすぐ息を乱していた。
それがいまや、全力でロディアスに打ちかかって来ても、体幹が安定している。
(練習をしているのを何度か見たが、やはりリュミザは体が柔軟なんだよな)
剣を受けてそこでなんとかしようと踏ん張るのではなく、上手く払い落とす器用さがあった。
リュミザのように細身の剣士は、力任せでは自分より大きな相手に敵わない。
剣を払い、懐に飛び込める速さ、剣筋を見通せる目のよさ。
たった数ヶ月でここまで育つのだから、幼い頃から教えていれば、いまごろは――
「勝負あり!」
「うわーん、ロディーの意地悪! 恋人に花を持たせてくれてもいいのに!」
緊張した声が響き渡ったと同時、リュミザの情けない声も響く。
目前まで迫った剣先を、ロディアスは無意識に叩き落としていたようだ。
「すまない、とっさに」
「……ちょっとは本気を出してくれたって意味ですか?」
「ああ、あんたは本当になんでもこなしてしまうんだな」
リュミザも長らく才能が眠っていただけで文武の才がある。
せめて親に恵まれていたら将来が違っていたかもしれない。いまさらではあるけれど、ロディアスはもったいないと感じた。
「ふぅん。でも、ロディーの格好いい姿が見られたので、よしとします!」
地面に座り込んで文句を連ねていたリュミザが、顔を上げてじっと見つめてくる。
ふて腐れた顔も可愛いと、ロディアスは素直に引き起こしてやろう、と手を伸ばすが――差し出した手を両手で掴み、リュミザが勢いよく引っ張ってきた。
「おっ、おい、こら!」
慌てて踏みとどまろうとしたロディアスだけれど、叶わずリュミザの腕の中へ倒れ込んだ。
「ふふっ、いまにロディーよりも強ーい男になりますから、楽しみにしていてください」
「――楽しみにしてる」
ぎゅうっと力任せに体を抱きしめられ、宣言されるのは悪い気がしない。
正直なところ、物理的にどんどんロディアスが弱っていくから、黙っていても強くなる。
しかし彼はロディアスが迎える未来よりもきっと早く、強くなれる。
「俺はリュミザ、あんたの常に前を向く、向上心が好きだ」
「僕はあなたのためなら」
「そういうのは部屋に帰ってからな」
「あっ、そうですね」
甘い言葉を囁きかけたリュミザの背中をぽんぽんと叩き、ロディアスは集まっていた屋敷の者たちを片手で追い払う。
これは恥ずかしさではない。あまりにも惜しいからだ。
リュミザが愛を囁く、その表情を誰かに見せるのが。
重苦しいくすぶりが胸の中で渦を巻き、ロディアスはふっと息を吐いた。
カルドラ公爵はおそらく、ルディルのスペアとして王家に連れ去られたのだ。
前王妃はルディルのほかは王女しか産んでいない。
そう考えると、母親だけでなく、公爵自身も人生を狂わされていると言える。
「ロディー?」
「ああ、すまない。ぼんやりとしていた」
立ち尽くしたままのロディアスに気づいたリュミザが、いつの間にか傍へ来ていた。
心配そうな表情に笑みを返すが、彼の表情が晴れない。
「なにかよくない内容だったのですか?」
「よい悪いと言えば、悪い話だろうな。王家はこれまでどれほどの人の人生を、狂わせてきたのか。この手帳に公爵の生い立ちが書いてあった」
「叔父上の?」
「ああ、元を辿ればカルドラ公爵はハンスレットの血筋であるらしい」
簡潔に話を説明してやると、リュミザはすぐに内容を把握したのか深く頷く。
「それで今回、重い腰を上げたわけですね」
「王家の不始末はおそらくこれだけではないんだろうな」
「――そうだ、ロディー! これを見てください」
しばらく考え込むそぶりを見せていたけれど、リュミザは急に一冊の本をロディアスへ差し出してくる。
ここ、と指さされた場所には古い文字が書かれていた。
「あんたは古代語もわかるんだな」
「言葉の違いが面白くてつい……じゃなくて! 初代大公の書いた日記です、これ」
「初代の、すまないが翻訳してくれるか?」
「わかりました。場所を移動しましょうか」
「そうしよう。ソファへ行こうか」
長らく立ちっぱなしだったことを思い出し、ロディアスは二人掛けのソファへ腰を下ろす。
隣に腰掛けたリュミザは、さっそくと文字を指先で辿りながら、本を読み上げてくれた。
初代大公ヘイディリアン――彼の日記はハンスレットへ向かう前から書かれている。
一文目に彼はこう宣言していた。
『彼女を護るために私はすべてを投げ打つつもりだ』
ヘイディリアンには、大公になる以前から親密にしている女性がいた。淡雪のように儚く美しい女性、ミンティナ。
(初代大公妃の名だな)
ヘイディリアンは当時ひどく焦燥した気持ちだったのか、書き殴りのような文字が並んでいる。
どうやら恋人を王家から隠さなければと思っているようだ。
彼は父王へ願い出た。自身の王位継承権を放棄する代わりに、平民の女性との結婚を許してくれるように。
恋人と一緒になれるなら、国の盾となっても構わないと。
(自ら王位を譲り渡した経緯はこれなのか)
父王は、そんなヘイディリアンにさげすみの笑いを含ませ、弟は精霊の女を捕まえたのに、お前はその程度の男なのだなと言った。
(捕まえる? もしかして精霊鳥が降りて来なくなった、原因じゃないよな?)
話を聞くたび疑問が湧いてくるが、都度、腰を折るのも時間の無駄だ。
あとでまとめて聞こうと思っていたロディアスは、次の一文で思わず声を発した。
「ここでヘイディリアンは精霊族の女性に対し胸を痛めます。ですがミンティナを護るためと心を無にした。なぜならミンティナは希有な神族だから」
「初代大公妃は神族の女性だったのか?」
「そうなんです! ハンスレット大公家は神族の血筋なんですよ。しかも――三代までヘイディリアンとミンティナが大公領を治めているんです」
「姿を偽ることは可能だろうからな。いま俺で十代目だが、四代くらい前に確か王子が婿入りしている」
「となればハンスレット家の人間は、神族と精霊族――二つの系譜を持つんです! どうりで優れた者たちばかりだと思いました」
興奮気味に語るリュミザの瞳がキラキラとしている。
新しい知識で心が躍る研究者気質でもあったようだ。
「そうなるとカルドラ公爵も、ハンスレット直系ほどではないが、二種族の気質を持ち合わせているんだな。リュミザが無属性なのは精霊族の母を持ち、俺の魔力が核になっているゆえか。……やけに情報量の多い日だ」
急激に色々な内容を知ったため、ロディアスは頭が重たくなる。
手のひらで額を押さえ、息を吐きながら天井を見た。
「これはうっかりとでも外に出せない話だな」
「そうですね。特にいまは、ハンスレットのほうが軍事力も、財力もあります」
「……そうなのか?」
「はい、財政状況を最近調べました。見た目は豪奢に装ってますけど、国の財政は芳しくないですよ」
「それは、民の税が重くなる前に手を打たなくてはいけないな」
気の重い話がさらに加わって、ロディアスは眉間を揉む。
この話をもっと早く知っていれば、出た杭を打たれないよう対処していた。
(少々ハンスレットを大きくし過ぎたか。父は欲のない人だと思っていたが、王家に目をつけられないようにしていただけだったんだ。しかし将来、カルドラ公爵が統治してくれれば、ヘイリーの時代は安泰だろう)
考えを巡らせて、しばらくロディアスが唸っていれば、リュミザは本を閉じ、突然ソファから立ち上がった。
「ロディー、体を動かしましょうか。頭がすっきりしますよ」
手振りで剣を振る仕草をするリュミザを見たロディアスは、いい提案だと続いて立ち上がる。
「よし、あんたの腕前を確かめてやろう」
「手加減してくださいね。僕はまだ初心者ですから」
「俺も昔に比べたら、半分以下の体力だ。心配するな」
現役の頃に比べたら機敏さも、腕力も落ちている。
リュミザの相手にはちょうどいいくらいだろうと思ったけれど――いざ、庭に出て剣の打ち合いを始めると。
「嘘つき! ロディーは嘘つきです!」
と、リュミザに大きな声で文句を言われた。
久しぶりに、ロディアスの剣を振るう姿が見られるとあって、休憩中、非番中の者たちが庭先へ集まっている。
そんな中で、リュミザは防戦一方ながらもしっかりと、ロディアスの木剣を受け止めていた。
これは驚くべき成長である。
最初は長く剣を握っていられないほど手が繊細で、素振りをするだけで音を上げていたのだ。
筋力も、体力もないので準備運度である、走り込みでさえすぐ息を乱していた。
それがいまや、全力でロディアスに打ちかかって来ても、体幹が安定している。
(練習をしているのを何度か見たが、やはりリュミザは体が柔軟なんだよな)
剣を受けてそこでなんとかしようと踏ん張るのではなく、上手く払い落とす器用さがあった。
リュミザのように細身の剣士は、力任せでは自分より大きな相手に敵わない。
剣を払い、懐に飛び込める速さ、剣筋を見通せる目のよさ。
たった数ヶ月でここまで育つのだから、幼い頃から教えていれば、いまごろは――
「勝負あり!」
「うわーん、ロディーの意地悪! 恋人に花を持たせてくれてもいいのに!」
緊張した声が響き渡ったと同時、リュミザの情けない声も響く。
目前まで迫った剣先を、ロディアスは無意識に叩き落としていたようだ。
「すまない、とっさに」
「……ちょっとは本気を出してくれたって意味ですか?」
「ああ、あんたは本当になんでもこなしてしまうんだな」
リュミザも長らく才能が眠っていただけで文武の才がある。
せめて親に恵まれていたら将来が違っていたかもしれない。いまさらではあるけれど、ロディアスはもったいないと感じた。
「ふぅん。でも、ロディーの格好いい姿が見られたので、よしとします!」
地面に座り込んで文句を連ねていたリュミザが、顔を上げてじっと見つめてくる。
ふて腐れた顔も可愛いと、ロディアスは素直に引き起こしてやろう、と手を伸ばすが――差し出した手を両手で掴み、リュミザが勢いよく引っ張ってきた。
「おっ、おい、こら!」
慌てて踏みとどまろうとしたロディアスだけれど、叶わずリュミザの腕の中へ倒れ込んだ。
「ふふっ、いまにロディーよりも強ーい男になりますから、楽しみにしていてください」
「――楽しみにしてる」
ぎゅうっと力任せに体を抱きしめられ、宣言されるのは悪い気がしない。
正直なところ、物理的にどんどんロディアスが弱っていくから、黙っていても強くなる。
しかし彼はロディアスが迎える未来よりもきっと早く、強くなれる。
「俺はリュミザ、あんたの常に前を向く、向上心が好きだ」
「僕はあなたのためなら」
「そういうのは部屋に帰ってからな」
「あっ、そうですね」
甘い言葉を囁きかけたリュミザの背中をぽんぽんと叩き、ロディアスは集まっていた屋敷の者たちを片手で追い払う。
これは恥ずかしさではない。あまりにも惜しいからだ。
リュミザが愛を囁く、その表情を誰かに見せるのが。
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