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第19話 二人の時間に

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 初めての口づけにためらいがなかった。
 自身の行動にロディアスはいささか驚きがあったものの、自分が思うよりずっと、リュミザに心を許しているのだと気づく。

 誰にも渡したくない。先ほどの言葉を表すみたいに、リュミザはロディアスをぎゅうぎゅうと抱きしめている。
 少し苦しくても、可愛らしく思えてしまうのが不思議だ。

 しかし二人の逢瀬を遮るようにノックの音が響いた。
 最初は無視をしていたリュミザだけれど「カルドラ公爵」の言葉で、しぶしぶ離れていく。

「公爵が来たのか? ここへはよく?」

「たまにしか来ません。もしかしたらロディーがここにいると踏んで来たのかも」

 上着のポケットから取り出したハンカチで、律儀にロディアスの唇を拭きながら、リュミザはかすかに舌打ちをする。
 意外な反応を見て、ロディアスは苦笑した。

「俺に用なのか?」

「どうでしょう。あの人の考えていることはイマイチ読めません」

 最後に自分の唇を拭い、リュミザは着衣を調えてから部屋の鍵を開ける。
 応対している様子をしばらく見ていたロディアスは、立ち尽くしているのもなんだと、部屋のソファに腰掛けた。

 リュミザの部屋は、王族の部屋にしては簡素なのではないだろうか。
 華美を好まない性格だとしても、物が少ない。

(自分で片付けられる範囲、とも言えるな)

 ハンスレット領にいた時も、身支度だけでなくベッドメイクも自分で済ませていた。
 時間の経過とともに、屋敷の従者たちに気を許したのか、そのあたりは任せていたようだが。

(これでは子爵や男爵あたりの令息と変わらないな。ともすればそれより簡素な生活をしてる)

 このような場所で過ごすくらいなら、ハンスレットの屋敷にいたほうが気も楽だろう。
 ロディアスは改めて納得し、来た際にはもっともてなしてやろうと決めた。

「叔父上がやはり来たみたいです。……会いたいですか?」

 顔に「ものすごく嫌」と書いているかの如くしかめっ面で、リュミザは大きなため息とともに振り返った。彼としては断ってほしいのだろうけれど、ロディアスは正直に答える。

「会わせたくない口ぶりだな。せっかくだから俺は顔を合わせたいが」

 直接、ロディアスがカルドラ公爵の元へ赴くのは避けるべきだったので、ちょうどよい機会だ。

「わかりました」

「そんなに嫌ならば、俺は帰るが?」

「……それもなんだか嫌ですね」

「困ったやつだな」

 結局は追い返すわけにもいかないので、部屋へ通すことにしたようだ。
 従者が去って行くと、リュミザは足早にこちらへ歩み寄ってくる。

 ぽすんと隣に座り、どうするのかと思いきや。
 おもむろにまた口づけてきた。これから公爵が来るのではないか。そう思いはしても、ロディアスは拒むほど嫌ではない。

 しかし奥へ押し入ろうとしてくるのだけは止めた。

「ロディー、意地悪しないでください」

「時と場所を考えろ」

「叔父上は間が悪い。これから二人の時間を過ごすつもりだったのに」

 頬をぷっくり膨らませたリュミザは、可愛いとしか言いようがない。
 かなり体格や声音に変化が出てきたけれど、元々顔立ちが中性的。幼い表情をすると、愛らしいが先に来る。

 肩にもたれて腕に抱きついてくるリュミザは、少し前のピリッとした雰囲気がなくなった。
 それだけでロディアスとしては安心ができる。

 元恋人と二人きり――侍女はいるが――心配と不安があったのだろう。
 思えばきちんと言葉にしていなかった。

「リュミザ」

「なんですか?」

「俺はいま、アウローラのことは――」

 安心させてやろう、そう思って口に出したのに、本当に間の悪いところで公爵がやって来た。
 ノックの音が響き、リュミザはますます膨れた顔をしながら「どうぞ」と返事をする。

「おや、今日は随分と不機嫌だね」

 しばらくして感じた人の気配。
 振り向こうにも、リュミザが腕に抱きついているので動けない。ロディアスは首だけで後ろを向いた。

「大公閣下、そのままで構わないですよ。甘えん坊がぐずっているのでしょう」

 ゆっくりとした足取りでソファまでやって来て、向かい側に腰掛けたペリオーニ・カルドラ公爵は、穏やかな面立ちをしている。

 初めてこうして向かい合うが、優しげな雰囲気はリュミザと似ていた。
 王家の人間はわりと眼光が鋭く、きつい印象の顔立ちが多いため、二人が親子――と言ったほうが納得できる。

 小さな煌めきを宿す、淡い金髪は編んで腰元へ垂らされている。青に近い緑色の瞳は美しい水面のようだ。
 知的な印象を与える眼差しに、すらりとした体型。一見した容姿に既視感があった。

「舞踏会であった仮面の彼は」

「ライックと会ったそうですね。彼はわたしの影です」

 見覚えがあると感じたのは間違いではなかったようだ。
 ロディアスの問いに、カルドラ公爵は淀みなく答える。

 ひと言に影と言っても、諜報としての影、影武者としての影の役割がある。ライックの場合は両者を兼ねているに違いない。
 顔立ちははっきり見て取れなかったが、彼は全体的なシルエット、声の質、目元がカルドラ公爵によく似ている。

 髪の色や瞳の色を変えてしまえば、公爵の代わりができそうだ。
 彼は普段、あまり表舞台に立たないゆえ、ライックと入れ替わって気づく者はいないだろう。

「公爵の影。なるほど、とても頷ける」

「ふふっ、そういえば、大公は彼に嫉妬したそうですね」

「それは」

「ロディー? ライックに嫉妬とは、なんですか?」

 二人で話しているあいだ、ロディアスにべったりだったリュミザがようやく顔を上げる。
 こういうところだけ反応しなくともよいのに、と思えど、自身も同じことがあればきっと反応するだろう、とロディアスは諦めた。

「普段、リュミザのパートナーを務めているのがライックだと知って嫉妬したそうだ。その様子だと、いまはもうすっかり報われたようだな」

「なぜそんなに可愛いんですか、ロディー! 僕はあなただけのものです」

「わかった。わかったから、すり寄るな。時と場所を考えろと言っただろ?」

 体を起こし、両手を広げて抱きついてくるリュミザを避けたら、わざとらしく舌打ちをする。

「……叔父上、今日はどんなご用ですか?」

「いまにも帰れと言わんばかりだね。今日は王妃殿下の宮殿に大公が招かれると聞いたから、会えるかと思ってきたんだ」

「へぇ」

 素っ気ない返事をするリュミザを見ても、カルドラ公爵は気にした様子も見せず、にこにこと穏やかな笑みを浮かべている。
 気心知れた間柄、であるのが伝わり、少しばかりロディアスはもやっとした。

「例の場所へ行く件だけれど。ライックに動いてもらうよ」

「なぜですか! ロディーも行く予定です。だったら僕でいいじゃないですか!」

「君、そこに公務をねじ込まれただろう。どうするんだい?」

「じゃあ、ロディーは行かなくてもいいですよね?」

(もしかしたら最近のリュミザは動きが活発だから、制限され始めたか。魔法省のトップだから自由は利くのだろうが、少々自由すぎたのかもな)

 ロディアスが王都に来てから、リュミザは表向き、ハンスレットのタウンハウスに滞在中となっていた。
 しかし実際いるのは三分の一程度。大半は魔法省に出勤しているか、諜報の仕事をしている。

(俺と懇意にしているのが気になりだしたんだろうな、ルディルは)

 屋敷の者たちには特別説明をしていないけれど、心得たように居なくとも居るように振る舞ってくれている。
 四六時中、ロディアスと一緒だと思っているのだ。

「招待状は二人ひと組ですし、大公は興味ありませんか?」

「ん? そうだな。興味はある」

「ロディー! そこはないというところじゃないですか?」

「仕方ないだろう。あるんだから」

 次回の潜入場所は会員制の遊戯場だが、ロディアスはこれまで足を踏み入れたことがない。
 カードやルーレットなどがある大人の遊び場。

 遊戯に興味があると言うよりも国の裏の顔が気になる。そもそもこんなときでなければ、足を踏み入れられない。
 興味を持つなというのが無理である。

「では決まりだね。リュミザはきちんとお仕事をしておいで。大公のことは任せてくれて大丈夫。ライックなら失敗はない」

「僕は失敗することもあると言いたげですね。最初の頃だけです」

 煽るようなカルドラ公爵の言葉で、不機嫌をあらわにするリュミザは、ふんと顔を背けてロディアスの胸元に顔を埋める。

「君がそんなに甘えん坊だったとは知らなかったよ」

「ロディーは僕の特別で唯一無二です」

「溺愛だね。大公はこんな甘えん坊でよいのですか?」

「よいも、悪いも、これがリュミザだからな。俺はひねくれ者より、素直なほうが好みだ」

「ロディー! 愛してます」

 ぽんぽんと、ロディアスがあやすみたいに黄金色の髪を撫でれば、感極まったリュミザが頬に口づけてきた。
 またあからさまに避けるのも可哀想なので、彼の頭を撫でながらロディアスは好きにさせる。

「あなたは精霊に愛される気質をお持ちなのでしょうね」

「どうだろうな。精霊族に縁があるのは確かだろうが」

「神経質な精霊が寄ってくるだけでも貴重ですよ」

「俺は、自分のものは甘やかしたい性質なんだ。公爵もあまりリュミザをこき使ってくれるなよ。これはあんたの手駒じゃない」

「肝に銘じます」

 感心した様子を見せるカルドラ公爵に、ロディアスは肩をすくめる。そして隣でしつこく、口づけてくるリュミザを、額に唇を落として黙らせた。
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