28 / 29
第28話 大きなすれ違い
しおりを挟む
八月に入り、うだる暑さが続く毎日。
学校は夏休みなので、一真は休みをとって希壱の誕生日に二人でのんびり過ごす――つもりだったのだが。
なぜかお誕生会に様変わりしていた理不尽を、なんと表現しようか。
「峰岸の相手が、まさか希壱くんとは思わなかったよな。駅のホームで飛んでくる勢いで駆けてきた時、びっくりした」
「希壱は趣味がいいんだか、悪いんだか」
本日の集合場所は定休日の優哉の店。
タイミング良くレストランの定休日にぶち当たるとは、腹立たしい、と思いながら一真はテーブルで頬杖をついている。
そんな様子を、向かいの席で笑い話のタネにしているのが、優哉の恋人である西岡と、希壱の姉であるあずみ。
主役と、その兄である弥彦はまだ到着していない。いっそ来られないなにかがあれば、などと思ってしまうのは悪あがきか。
なぜこんなにも一真がヤキモキしているかと言えば、希壱が優哉に会うのは久しぶりだ、と話していたからだ。
しかも少し瞳を輝かせて。
希壱の以前の想い人が優哉かもしれない。というのは一真の予想であったのだけれど、予想が的中していそうで落ち着かない。
「さっきからなにカリカリしてんの?」
「うっせぇな」
「やっぱり二人きりで過ごしたかったんじゃないのか?」
「……別に、希壱がいいって言ってんだから、いいんだよ」
あずみに投げやりに言葉を返し、西岡には素っ気なくしつつも言葉を選ぶ。
(自分のこういう部分、希壱は嫌がるだろうか。優哉とは普通に話せるんだけどな)
自分のもやもやする部分が、希壱も同じく感じたらと気づいて、胸で渦巻くものが、さらにモクモクとした暗雲になりそうだった。
唸りながら一真がテーブルに突っ伏すと、目の前の二人は顔を見合わせた様子だ。
「えー、なに? 峰岸なにか悩みごと?」
「希壱くんについてなら、来る前に、僕たちに話してくれてもいいぞ」
「……遠慮しておく」
(あんたのことだよ、あんたの)
とさすがに一真でも西岡本人に言えない。
あずみのほうはなんとなしに気づいて、どこかしたり顔に見える。
高校時代、一真が優哉や西岡にべったりだったのは有名で、あずみや弥彦は二人を本気で好きだったのを知っている。
はたから見れば二股だが、好きのベクトルがそれぞれ違ったのだ。
あずみは特にそのへんをよく理解していたように思う。
(そういえば希壱ってどこまで知ってんのかな。あー、早いうちに腹を割って話し合いすべきか。俺が落ち着かねぇ)
遠慮すると言っておきながらも、いまだぐぬぬっと唸っている一真に、西岡は心配顔。あずみは呆れた顔だ。
「おい、佐樹さんを除く二人。手が空いてるなら手伝え」
「うわ、あからさまな贔屓、すごい」
うだうだしていると、厨房で作業をしていた優哉の声が飛んできた。オープンキッチンなのでよく声が通る。
あずみはまったく腰を上げようとしないが、一真はのろのろと立ち上がった。ここで唸っているよりマシに思えたのだ。
「なにすればいい」
「……自分で言っておいてなんだが、本当に手伝うとは思わなかった」
「おまっ、失礼なやつだな」
「まあ、手伝ってくれるなら、これハンドミキサーで混ぜてくれ」
ホール側から厨房へ入れば、優哉に驚きの表情で迎えられた。それでも遠慮なくものを頼んでくるのは彼らしい。
「ケーキ付きか。豪勢だな。会費を取らなくていいのか?」
「三人からもらってる」
「ふぅん、俺はなにも言われなかったけど」
「お前も主役みたいなもんだろ」
「なんだそれ」
渡されたボウルの生クリームを混ぜながら、一真は少し前の出来事を思い返す。
案の定、付き合って数日後。弥彦とあずみに呼び出しを受けた。
出会い頭に文句を言われるかと思ったが、弥彦はなんとも複雑な顔で黙っていた。
あずみはニコニコとしており、第一声が「聞いたわよ」だったのは、予想どおりだ。
しばらくしてようやく口を開いた弥彦は、微妙な顔のまま「希壱を頼む」と言ったので非常に驚かされた。
最初は文句言う気満々だったらしいのだけれど、希壱に気づかれ「一真さんに酷いことを言ったら、もう兄ちゃんとは口を利かない!」と言われたらしい。
さらにたたみ掛けるように「やっと一真さんを落としたのに! 別れる原因になったら絶縁してやる」とまで言われ、絶賛微妙な心中だったのだ。
しかし希壱にロックオンされて、ついに捕獲された一真の気持ちもおもんばかり、円満解決になった。
ただ希壱の気が長いのは知っていたけれど、あそこまで執着心が強いとは思わなかった、とあずみは笑っていた。
「なに唸ってたんだ」
「あんたが悪い」
「なんで俺のせいなんだよ」
「希壱の初恋が――」
「ああ、そういうことか」
調理の片手間で問いかけてきた優哉にむっつりとしたら、彼は思いっきり苦笑した。
「希壱のあれは、思春期特有の憧れみたいなもんだ」
「気づいてたのかよ」
「気づくだろ。家が近いから毎日のように会ってたし、ひよこみたいに俺について回ってたしな」
「希壱って昔から執着心が強いのか」
幼馴染みで、物心つく頃から顔を合わせていた相手。いつ恋心に変わったのかは知らないが、あずみの結婚式の日まで希壱の心の片隅にあった。
そう思うと、また心の中で暗雲がモクモクとしてくる。
「お前がヤキモチとか珍しい。希壱もだけど、峰岸も本命なんだな」
「…………」
「希壱は子供の時分から執着心が強いと思うが。今回ほどじゃない。一度失ったから二度目はなくさない、って意志が強いんだろう」
(三年のあいだで、完全に接点がなくなったと思ってたみたいだしな。再開した時、俺に声をかけられて、謙遜なしに嬉しかったんだろうな、たぶん)
とはいえ兄と友達をやめたのかと思った、なんて言われた時には、一真はぽかんとしてしまった。
友達はやめるやめないとか、そういうものなのかと笑いそうになったのは、希壱にも内緒だ。本人は真剣に悩んでいたのだから。
「終わった過去に囚われるのは、お前の悪い癖なのか?」
「……そうかもしれねぇな」
恋をしようとしなくなった原因はすべて過去の出来事。いつまでも、何年も何年も引きずっていた。
自分ではもう気にしていない、なんて無意識に言い聞かせて。
「希壱は大丈夫だ。よそ見するタイプじゃないから心配するな」
「ん、そうだな」
手を止め、励ますようにぽんぽんと頭を撫でられる。昔から一真の気持ちを断固受け取る気がなかった優哉だが、こうして友人としては付き合ってくれた。
「か、一真さん?」
「あ、希壱」
「タイミングが悪かったか」
急に大きな声が店内に響き、視線をホールの入り口に向けたら、希壱と弥彦が立っていた。一真はなにごともない顔でいたけれど、優哉の言葉でハッとする。
(もしかしたらいま、優哉に頭を撫でられてるところを見られたか?)
希壱の嫉妬を甘く見てはいけない。
ここ最近は付き合いたてなのもあり、周りへの牽制が半端ではないのだ。一真から見ると可愛いなぁとしか思わなかったのだが――これはあまり良くない。
「希壱、あのな」
「一真さん! まだ優兄が好きなのっ?」
「は?」
言い訳はきちんとしておこうと思った一真は、希壱の一言で目が点になりそうだった。なぜそうなるのだ、と頭の上に疑問符が飛び交う気分にもなる。
少し視線を動かして弥彦を見ると、両手で顔を覆っているので、ここが原因だと気づいた。おそらく学生時代の話をしたのだ。
「一真さん!」
「希壱、一旦落ち着け!」
「うっ――はい」
つかつかと歩み寄り、カウンター席から、オープンキッチンに身を乗り出してきた希壱を止めた一真は、自身の頭を押さえつつため息を吐き出した。
「なにを聞いたか知らねぇが、お前の言ったことは事実無根だ。それは過去の話だ」
(なんかややこしい。自分に言い聞かせてるみたいだな)
「ほんとに? なんだかさっきすごく安心した表情をしてたけど。俺には向けてくれたことがない顔だった」
「まあ、実際、安堵した気分だったのは嘘じゃねぇなぁ」
「やっぱり!」
「だから違うって言ってるだろ。なんでそんなに気にするんだよ」
昔好きだった相手が、西岡だと知った時はそこまで強い反応ではなかった。一緒の職場が辛くないのかと、どちらかと言えば心配そうな。
だと言うのにこの差はなんなのか。
「だって! 優兄は駄目だよ。俺の勝ち目ないじゃないか。スペックが違いすぎる!」
「うん? どういうことだ」
「優兄は俺と比べてなにもかも秀でてるから、だから駄目なんだ! 俺が頼りなくて不安になるのはわかるけど」
なにやら二人のあいだに、大きな齟齬が生じている気がした。
「うわぁ、優哉ったらモテモテじゃない。って言うか昔からだけど。ほら、そこのバカップルにちゃんと説明してあげなさいよ」
希壱と二人で顔を見合わせて固まっていると、あずみのヤジが飛んできた。
その声に、隣にいた優哉がひどく面倒くさげにため息をつく。
「お前たちは人をあいだに挟んで、同じヤキモチを妬いてるだけだろう」
「同じ」
「ヤキモチ?」
優哉の言葉に、一真と希壱は二人で揃って首を傾げた。そんな反応に優哉は再び、今度は盛大なため息を吐く。
「峰岸は希壱の初恋とやらが気になっているんだろ。希壱は峰岸が過去に惚れた相手が気になってるんだろう? 俺をあいだに挟まず向き合え。面倒くさい。お前らはあっちへ行け、邪魔だ!」
二人してきょとんとしていたら、優哉はホールの向こう。玄関のほうを指さした。さらには一真の背中を押して厨房から追い出す。
「話し合いが済むまで戻ってくるな!」
「お、おう」
ものすごい剣幕でバシッと背中を叩かれ、一真はわずかに上擦った返事をする。まだ状況が完全に飲み込めていないものの、この場所にいても解決にならない。
仕方なく希壱に目配せをして、玄関スペースへ移動する。
そこには席が空くまで待てる椅子があるため、二人でとりあえず並んで腰掛けた。
「希壱?」
「……あっ、うん」
俯いて、なにか考えている様子だった希壱に声をかけたら、一瞬ビクッとした。
「どうした?」
「えっと、ごめんなさい」
「なにがだ?」
顔を上げた希壱に突然謝られて、一真は思わず訝しげな表情を浮かべる。
「自分のこと棚に上げて責めちゃった」
「ん? 希壱はまだ、優哉のことが好きなのか?」
「まさか! そうじゃなくて。俺、一真さんになにも話してないなぁと思って」
「というか。普通は過去に惚れた相手とか、言わないよな。あずみや弥彦がペラペラ喋るから、希壱が混乱するんだ」
(いくら弟の恋路が心配だからって、これはプライベート侵害ってやつじゃねぇの?)
知られても、なんてことないので一真は気にしていなかったけれど、希壱にとっては感情を乱される情報だったのだろう。
「自分が惚れてた相手を、はちょっとなぁ、気になるよな」
「ち、違う。そうじゃなくて。好きだったからわかるんだよ。こういう人が一真さんの理想だったら、俺……一生叶わないって」
「なるほど、確かに同じことで悩んでたな」
(まったく同じすぎて逆に笑える)
急に一真が腹を抱え笑いだせば、希壱は目を瞬かせてあ然とした。
「同じって、もしかして」
「あー、マジで笑えるわ」
「一真さんは、自分じゃ俺にふさわしくないとか、まさか思ってたの?」
「そのまさか、だな」
なんて馬鹿げた悩みだったのだろうか。
一言、二言、話し合うだけで解決した。単純な悩み――いや、悩みにもならないものだったのだ。
「えぇ? 一真さんが? そんなはずないじゃないか! 俺、何回も言ってるよね? 一真さんはスペックが高いのに、自己評価が低すぎるんだよ!」
「俺はなんでもできるわけじゃねぇし」
「なに拗ねてるの。めちゃくちゃ可愛い――じゃなくて。どうしてこんな性格になっちゃったのかな?」
「さあ?」
(周りはやけに評価を高くするけど。俺はそこまで器用じゃねぇのになぁ)
なぜか一真はどんなものでもこなせると思われがちだ。確かに先回りでフォローはしているけれど、完璧なわけではない。
なのだが――春頃に仕事が山になったのも、そういった印象が原因。
一真も一真で、頼まれると断れない性格だった。誰もそんな部分に気づいておらず、引き受けてくれるからできると思われる。
「俺にも原因があるんだろうな」
「一真さん、それは違う。実際に一真さんはスペックが高い人だよ。だけどそれは超人って意味じゃない。周りが一真さんを知ろうとしないのが原因!」
「まあ、入院したおかげでだいぶ仕事が楽になったけどな。怪我の功名?」
「それは倒れて二週間も入院した人が笑って言うことじゃない!」
ああーっと頭を抱えてうな垂れた希壱は、いまだ入院の件は自分も原因であると思っている。何度言っても納得していない。
「喉元過ぎればってやつだ。気にすんな」
自分とは違う髪質、色合いの、希壱の髪をわしゃわしゃと撫でながら、一真はやんわりと目を細めた。
自分に対し、ここまで心配をあらわにしてくれるのは、家族か希壱くらいだ。
「その優しい笑い方、好き」
「……たぶん、希壱にしか見せていない顔だ。ついでに言うと、さっきのあれは、お前はよそ見しないから大丈夫だ、って言われた瞬間だ」
「嬉しいな。一真さんが思ったより、俺を好きでいてくれた」
「俺をなんだと思ってんだ。まったく」
希壱が泣きそうに笑うものだから、呆れた物言いをしながらも、一真は彼の頭を引き寄せ、抱きしめた。
「俺はなんとも思ってない相手に体を任せない。そもそも嘘で好きだとか言わねぇよ」
「うん。そうだったね」
過去にほかの誰かと体の関係はあっても、一真が自分を委ねたのは希壱だけ。そのことは彼もよくわかっている。
伸びてきた希壱の腕がぎゅっと一真の背を抱く。すり寄るみたいに肩口に頬を寄せられ、一真はぽんぽんと背中を叩き、言葉がなくとも伝わる〝好き〟に返事をした。
学校は夏休みなので、一真は休みをとって希壱の誕生日に二人でのんびり過ごす――つもりだったのだが。
なぜかお誕生会に様変わりしていた理不尽を、なんと表現しようか。
「峰岸の相手が、まさか希壱くんとは思わなかったよな。駅のホームで飛んでくる勢いで駆けてきた時、びっくりした」
「希壱は趣味がいいんだか、悪いんだか」
本日の集合場所は定休日の優哉の店。
タイミング良くレストランの定休日にぶち当たるとは、腹立たしい、と思いながら一真はテーブルで頬杖をついている。
そんな様子を、向かいの席で笑い話のタネにしているのが、優哉の恋人である西岡と、希壱の姉であるあずみ。
主役と、その兄である弥彦はまだ到着していない。いっそ来られないなにかがあれば、などと思ってしまうのは悪あがきか。
なぜこんなにも一真がヤキモキしているかと言えば、希壱が優哉に会うのは久しぶりだ、と話していたからだ。
しかも少し瞳を輝かせて。
希壱の以前の想い人が優哉かもしれない。というのは一真の予想であったのだけれど、予想が的中していそうで落ち着かない。
「さっきからなにカリカリしてんの?」
「うっせぇな」
「やっぱり二人きりで過ごしたかったんじゃないのか?」
「……別に、希壱がいいって言ってんだから、いいんだよ」
あずみに投げやりに言葉を返し、西岡には素っ気なくしつつも言葉を選ぶ。
(自分のこういう部分、希壱は嫌がるだろうか。優哉とは普通に話せるんだけどな)
自分のもやもやする部分が、希壱も同じく感じたらと気づいて、胸で渦巻くものが、さらにモクモクとした暗雲になりそうだった。
唸りながら一真がテーブルに突っ伏すと、目の前の二人は顔を見合わせた様子だ。
「えー、なに? 峰岸なにか悩みごと?」
「希壱くんについてなら、来る前に、僕たちに話してくれてもいいぞ」
「……遠慮しておく」
(あんたのことだよ、あんたの)
とさすがに一真でも西岡本人に言えない。
あずみのほうはなんとなしに気づいて、どこかしたり顔に見える。
高校時代、一真が優哉や西岡にべったりだったのは有名で、あずみや弥彦は二人を本気で好きだったのを知っている。
はたから見れば二股だが、好きのベクトルがそれぞれ違ったのだ。
あずみは特にそのへんをよく理解していたように思う。
(そういえば希壱ってどこまで知ってんのかな。あー、早いうちに腹を割って話し合いすべきか。俺が落ち着かねぇ)
遠慮すると言っておきながらも、いまだぐぬぬっと唸っている一真に、西岡は心配顔。あずみは呆れた顔だ。
「おい、佐樹さんを除く二人。手が空いてるなら手伝え」
「うわ、あからさまな贔屓、すごい」
うだうだしていると、厨房で作業をしていた優哉の声が飛んできた。オープンキッチンなのでよく声が通る。
あずみはまったく腰を上げようとしないが、一真はのろのろと立ち上がった。ここで唸っているよりマシに思えたのだ。
「なにすればいい」
「……自分で言っておいてなんだが、本当に手伝うとは思わなかった」
「おまっ、失礼なやつだな」
「まあ、手伝ってくれるなら、これハンドミキサーで混ぜてくれ」
ホール側から厨房へ入れば、優哉に驚きの表情で迎えられた。それでも遠慮なくものを頼んでくるのは彼らしい。
「ケーキ付きか。豪勢だな。会費を取らなくていいのか?」
「三人からもらってる」
「ふぅん、俺はなにも言われなかったけど」
「お前も主役みたいなもんだろ」
「なんだそれ」
渡されたボウルの生クリームを混ぜながら、一真は少し前の出来事を思い返す。
案の定、付き合って数日後。弥彦とあずみに呼び出しを受けた。
出会い頭に文句を言われるかと思ったが、弥彦はなんとも複雑な顔で黙っていた。
あずみはニコニコとしており、第一声が「聞いたわよ」だったのは、予想どおりだ。
しばらくしてようやく口を開いた弥彦は、微妙な顔のまま「希壱を頼む」と言ったので非常に驚かされた。
最初は文句言う気満々だったらしいのだけれど、希壱に気づかれ「一真さんに酷いことを言ったら、もう兄ちゃんとは口を利かない!」と言われたらしい。
さらにたたみ掛けるように「やっと一真さんを落としたのに! 別れる原因になったら絶縁してやる」とまで言われ、絶賛微妙な心中だったのだ。
しかし希壱にロックオンされて、ついに捕獲された一真の気持ちもおもんばかり、円満解決になった。
ただ希壱の気が長いのは知っていたけれど、あそこまで執着心が強いとは思わなかった、とあずみは笑っていた。
「なに唸ってたんだ」
「あんたが悪い」
「なんで俺のせいなんだよ」
「希壱の初恋が――」
「ああ、そういうことか」
調理の片手間で問いかけてきた優哉にむっつりとしたら、彼は思いっきり苦笑した。
「希壱のあれは、思春期特有の憧れみたいなもんだ」
「気づいてたのかよ」
「気づくだろ。家が近いから毎日のように会ってたし、ひよこみたいに俺について回ってたしな」
「希壱って昔から執着心が強いのか」
幼馴染みで、物心つく頃から顔を合わせていた相手。いつ恋心に変わったのかは知らないが、あずみの結婚式の日まで希壱の心の片隅にあった。
そう思うと、また心の中で暗雲がモクモクとしてくる。
「お前がヤキモチとか珍しい。希壱もだけど、峰岸も本命なんだな」
「…………」
「希壱は子供の時分から執着心が強いと思うが。今回ほどじゃない。一度失ったから二度目はなくさない、って意志が強いんだろう」
(三年のあいだで、完全に接点がなくなったと思ってたみたいだしな。再開した時、俺に声をかけられて、謙遜なしに嬉しかったんだろうな、たぶん)
とはいえ兄と友達をやめたのかと思った、なんて言われた時には、一真はぽかんとしてしまった。
友達はやめるやめないとか、そういうものなのかと笑いそうになったのは、希壱にも内緒だ。本人は真剣に悩んでいたのだから。
「終わった過去に囚われるのは、お前の悪い癖なのか?」
「……そうかもしれねぇな」
恋をしようとしなくなった原因はすべて過去の出来事。いつまでも、何年も何年も引きずっていた。
自分ではもう気にしていない、なんて無意識に言い聞かせて。
「希壱は大丈夫だ。よそ見するタイプじゃないから心配するな」
「ん、そうだな」
手を止め、励ますようにぽんぽんと頭を撫でられる。昔から一真の気持ちを断固受け取る気がなかった優哉だが、こうして友人としては付き合ってくれた。
「か、一真さん?」
「あ、希壱」
「タイミングが悪かったか」
急に大きな声が店内に響き、視線をホールの入り口に向けたら、希壱と弥彦が立っていた。一真はなにごともない顔でいたけれど、優哉の言葉でハッとする。
(もしかしたらいま、優哉に頭を撫でられてるところを見られたか?)
希壱の嫉妬を甘く見てはいけない。
ここ最近は付き合いたてなのもあり、周りへの牽制が半端ではないのだ。一真から見ると可愛いなぁとしか思わなかったのだが――これはあまり良くない。
「希壱、あのな」
「一真さん! まだ優兄が好きなのっ?」
「は?」
言い訳はきちんとしておこうと思った一真は、希壱の一言で目が点になりそうだった。なぜそうなるのだ、と頭の上に疑問符が飛び交う気分にもなる。
少し視線を動かして弥彦を見ると、両手で顔を覆っているので、ここが原因だと気づいた。おそらく学生時代の話をしたのだ。
「一真さん!」
「希壱、一旦落ち着け!」
「うっ――はい」
つかつかと歩み寄り、カウンター席から、オープンキッチンに身を乗り出してきた希壱を止めた一真は、自身の頭を押さえつつため息を吐き出した。
「なにを聞いたか知らねぇが、お前の言ったことは事実無根だ。それは過去の話だ」
(なんかややこしい。自分に言い聞かせてるみたいだな)
「ほんとに? なんだかさっきすごく安心した表情をしてたけど。俺には向けてくれたことがない顔だった」
「まあ、実際、安堵した気分だったのは嘘じゃねぇなぁ」
「やっぱり!」
「だから違うって言ってるだろ。なんでそんなに気にするんだよ」
昔好きだった相手が、西岡だと知った時はそこまで強い反応ではなかった。一緒の職場が辛くないのかと、どちらかと言えば心配そうな。
だと言うのにこの差はなんなのか。
「だって! 優兄は駄目だよ。俺の勝ち目ないじゃないか。スペックが違いすぎる!」
「うん? どういうことだ」
「優兄は俺と比べてなにもかも秀でてるから、だから駄目なんだ! 俺が頼りなくて不安になるのはわかるけど」
なにやら二人のあいだに、大きな齟齬が生じている気がした。
「うわぁ、優哉ったらモテモテじゃない。って言うか昔からだけど。ほら、そこのバカップルにちゃんと説明してあげなさいよ」
希壱と二人で顔を見合わせて固まっていると、あずみのヤジが飛んできた。
その声に、隣にいた優哉がひどく面倒くさげにため息をつく。
「お前たちは人をあいだに挟んで、同じヤキモチを妬いてるだけだろう」
「同じ」
「ヤキモチ?」
優哉の言葉に、一真と希壱は二人で揃って首を傾げた。そんな反応に優哉は再び、今度は盛大なため息を吐く。
「峰岸は希壱の初恋とやらが気になっているんだろ。希壱は峰岸が過去に惚れた相手が気になってるんだろう? 俺をあいだに挟まず向き合え。面倒くさい。お前らはあっちへ行け、邪魔だ!」
二人してきょとんとしていたら、優哉はホールの向こう。玄関のほうを指さした。さらには一真の背中を押して厨房から追い出す。
「話し合いが済むまで戻ってくるな!」
「お、おう」
ものすごい剣幕でバシッと背中を叩かれ、一真はわずかに上擦った返事をする。まだ状況が完全に飲み込めていないものの、この場所にいても解決にならない。
仕方なく希壱に目配せをして、玄関スペースへ移動する。
そこには席が空くまで待てる椅子があるため、二人でとりあえず並んで腰掛けた。
「希壱?」
「……あっ、うん」
俯いて、なにか考えている様子だった希壱に声をかけたら、一瞬ビクッとした。
「どうした?」
「えっと、ごめんなさい」
「なにがだ?」
顔を上げた希壱に突然謝られて、一真は思わず訝しげな表情を浮かべる。
「自分のこと棚に上げて責めちゃった」
「ん? 希壱はまだ、優哉のことが好きなのか?」
「まさか! そうじゃなくて。俺、一真さんになにも話してないなぁと思って」
「というか。普通は過去に惚れた相手とか、言わないよな。あずみや弥彦がペラペラ喋るから、希壱が混乱するんだ」
(いくら弟の恋路が心配だからって、これはプライベート侵害ってやつじゃねぇの?)
知られても、なんてことないので一真は気にしていなかったけれど、希壱にとっては感情を乱される情報だったのだろう。
「自分が惚れてた相手を、はちょっとなぁ、気になるよな」
「ち、違う。そうじゃなくて。好きだったからわかるんだよ。こういう人が一真さんの理想だったら、俺……一生叶わないって」
「なるほど、確かに同じことで悩んでたな」
(まったく同じすぎて逆に笑える)
急に一真が腹を抱え笑いだせば、希壱は目を瞬かせてあ然とした。
「同じって、もしかして」
「あー、マジで笑えるわ」
「一真さんは、自分じゃ俺にふさわしくないとか、まさか思ってたの?」
「そのまさか、だな」
なんて馬鹿げた悩みだったのだろうか。
一言、二言、話し合うだけで解決した。単純な悩み――いや、悩みにもならないものだったのだ。
「えぇ? 一真さんが? そんなはずないじゃないか! 俺、何回も言ってるよね? 一真さんはスペックが高いのに、自己評価が低すぎるんだよ!」
「俺はなんでもできるわけじゃねぇし」
「なに拗ねてるの。めちゃくちゃ可愛い――じゃなくて。どうしてこんな性格になっちゃったのかな?」
「さあ?」
(周りはやけに評価を高くするけど。俺はそこまで器用じゃねぇのになぁ)
なぜか一真はどんなものでもこなせると思われがちだ。確かに先回りでフォローはしているけれど、完璧なわけではない。
なのだが――春頃に仕事が山になったのも、そういった印象が原因。
一真も一真で、頼まれると断れない性格だった。誰もそんな部分に気づいておらず、引き受けてくれるからできると思われる。
「俺にも原因があるんだろうな」
「一真さん、それは違う。実際に一真さんはスペックが高い人だよ。だけどそれは超人って意味じゃない。周りが一真さんを知ろうとしないのが原因!」
「まあ、入院したおかげでだいぶ仕事が楽になったけどな。怪我の功名?」
「それは倒れて二週間も入院した人が笑って言うことじゃない!」
ああーっと頭を抱えてうな垂れた希壱は、いまだ入院の件は自分も原因であると思っている。何度言っても納得していない。
「喉元過ぎればってやつだ。気にすんな」
自分とは違う髪質、色合いの、希壱の髪をわしゃわしゃと撫でながら、一真はやんわりと目を細めた。
自分に対し、ここまで心配をあらわにしてくれるのは、家族か希壱くらいだ。
「その優しい笑い方、好き」
「……たぶん、希壱にしか見せていない顔だ。ついでに言うと、さっきのあれは、お前はよそ見しないから大丈夫だ、って言われた瞬間だ」
「嬉しいな。一真さんが思ったより、俺を好きでいてくれた」
「俺をなんだと思ってんだ。まったく」
希壱が泣きそうに笑うものだから、呆れた物言いをしながらも、一真は彼の頭を引き寄せ、抱きしめた。
「俺はなんとも思ってない相手に体を任せない。そもそも嘘で好きだとか言わねぇよ」
「うん。そうだったね」
過去にほかの誰かと体の関係はあっても、一真が自分を委ねたのは希壱だけ。そのことは彼もよくわかっている。
伸びてきた希壱の腕がぎゅっと一真の背を抱く。すり寄るみたいに肩口に頬を寄せられ、一真はぽんぽんと背中を叩き、言葉がなくとも伝わる〝好き〟に返事をした。
11
お気に入りに追加
96
あなたにおすすめの小説
【完結】炎のように消えそうな
麻田夏与/Kayo Asada
BL
現代物、幼馴染み同士のラブストーリー。
この世には、勝者と敗者が存在して、敗者となればその存在は風の前の炎のように、あっけなくかき消えてしまう。
亡き母の口癖が頭から抜けない糸島早音(しとうさね)は、いじめを受ける『敗者』であるのに強い炎のような目をした阪本智(さかもととも)に惹かれ、友達になる。
『敗者』になりたくない早音と、『足掻く敗者』である智が、共に成長して大人になり、ふたりの夢をかなえる話。
オメガ社長は秘書に抱かれたい
須宮りんこ
BL
芦原奏は二十九歳の若手社長として活躍しているオメガだ。奏の隣には、元同級生であり現在は有能な秘書である高辻理仁がいる。
高校生の時から高辻に恋をしている奏はヒートのたびに高辻に抱いてもらおうとするが、受け入れてもらえたことはない。
ある時、奏は高辻への不毛な恋を諦めようと母から勧められた相手と見合いをする。知り合った女性とデートを重ねる奏だったが――。
※この作品はエブリスタとムーンライトノベルスにも掲載しています。
幸せの温度
本郷アキ
BL
※ラブ度高めです。直接的な表現もありますので、苦手な方はご注意ください。
まだ産まれたばかりの葉月を置いて、両親は天国の門を叩いた。
俺がしっかりしなきゃ──そう思っていた兄、睦月《むつき》17歳の前に表れたのは、両親の親友だという浅黄陽《あさぎよう》33歳。
陽は本当の家族のように接してくれるけれど、血の繋がりのない偽物の家族は終わりにしなければならない、だってずっと家族じゃいられないでしょ? そんなのただの言い訳。
俺にあんまり触らないで。
俺の気持ちに気付かないで。
……陽の手で触れられるとおかしくなってしまうから。
俺のこと好きでもないのに、どうしてあんなことをしたの? 少しずつ育っていった恋心は、告白前に失恋決定。
家事に育児に翻弄されながら、少しずつ家族の形が出来上がっていく。
そんな中、睦月をストーキングする男が現れて──!?
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
その執着、愛ですか?~追い詰めたのは俺かお前か~
ちろる
BL
白鳳出版に勤める風間伊吹(かざまいぶき)は
付き合って一年三ヶ月になる恋人、佐伯真白(さえきましろ)の
徐々に見えてきた異常な執着心に倦怠感を抱いていた。
なんとか元の真白に戻って欲しいと願うが──。
ヤンデレ先輩×ノンケ後輩。
表紙画はミカスケ様のフリーイラストを
拝借させて頂いています。
Sweet☆Sweet~蜂蜜よりも甘い彼氏ができました
葉月めいこ
BL
紳士系ヤクザ×ツンデレ大学生の年の差ラブストーリー
最悪な展開からの運命的な出会い
年の瀬――あとひと月もすれば今年も終わる。
そんな時、新庄天希(しんじょうあまき)はなぜかヤクザの車に乗せられていた。
人生最悪の展開、と思ったけれど。
思いがけずに運命的な出会いをしました。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる