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第25話 付き合う記念日
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数種類のケーキを買って、マンションへ帰宅した頃には日が暮れていた。
これから食事の支度をするのは面倒なので、ついでに夕飯も調達してある。
弁当屋の出来合いだけれど、なんであれ味が良ければすべて良し。
「はあ、やっぱり家が一番落ち着くな」
荷物は希壱に任せ、一真は早々にソファに身を預けた。七月初旬は夏本番前だが、まだ梅雨が明けきらず、蒸し暑い日が続いている。
帰宅してすぐにエアコンを入れ、いま徐々に空気が冷まされているところだ。
エアコンの風に当たりながら、ごろんと転がっていれば、キッチンへ行っていた希壱が、ソファの背面から覗き込んできた。
「今日は、なんかよくわからない集まりになってごめん」
「いいさ。あの二人は俺たちに発破をかけたかったんだろ。俺のことが好み云々は、たぶん嘘だと思うから、次に会うとき、お友達と喧嘩するなよ」
「え? そうなの?」
「やっぱり気づいてなかったんだな。あいつら、俺の台詞のあと目配せしてた」
思いがけなかったらしく、希壱の目が丸くなる。若干細目の彼が、瞳の表情を変える瞬間が一真は好きだ。
無意識に笑みを浮かべていたら、からかわれたと思ったのだろう。希壱は少しムッとする。
そんな可愛い恋人を、一真はぽんぽんと座面を叩き呼び寄せた。
「なに怒ってんだよ。希壱が可愛いなって思っただけだろ?」
「ほんと? 呆れてない?」
「ガッチガチに隙がないやつより、たまに抜けてるくらいが俺はいい」
一真の腹の辺りで腰を下ろした希壱が、真上から見下ろしてくる。
しょんぼりした顔がこれまた可愛くて、ニヤニヤしそうになったが、さすがに口元を引き締めた。
「完璧そうに見える一真さんも、時々可愛いもんね」
「そういうの大事だろ? ギャップ」
手を伸ばし、手のひらで頬を撫でてやると、すり寄るみたいに顔を寄せてきた。
(デカい黒猫だな。可愛い)
しまいには甘えて上に覆い被さってきたので、一真はぎゅっと背中を抱きしめてやる。
「キス、したい」
「いくらでも」
絶妙なトーンで発せられるおねだり声は、イエスしか返せないのが不思議だ。
そっと顔を寄せてきた希壱にならい、一真はゆっくりと目を閉じる。それとほぼ同時かやんわりと触れる唇。
ちゅっちゅとついばむ仕草を繰り返し、希壱は少しずつ一真の唇を味わっていく。
「はっ……ん」
存分に唇を食らった希壱は、次に口内を侵略してくる。するりと舌をすべり込ませ、たっぷりと粘膜を愛撫してきた。
「き、いち」
「なに?」
「……舌」
「うん」
ぎゅっと希壱のTシャツを鷲掴みすれば、一真の気持ちを見透かした彼は、差し伸ばした舌を丹念に舐めてくれる。
ざらざらとした感触と、表面を撫でられる感覚に一真はゾクゾクとした興奮を覚えた。
きつく希壱の体を抱き込み、今度は彼の唇の奥へ忍び込む。
ピクリと体が反応したけれど、希壱はされるがまま、一真のキスを受け入れた。
「んっ、やっぱり一真さんのほうが……上手いよね」
「こんなとこでヤキモチを妬くなよ?」
「我慢はするけど、完全に感情を消すのは無理。一真さんの唇に触れた相手が恨めしい」
「困ったやつだな」
よしよしと両手で頭を撫でてやったら、ぎゅうっと抱きしめ返される。恋愛一年生は色々な葛藤があるのだろう。
しかしそう思って甘やかしていたら、希壱は一真の襟元に鼻先を埋めてきた。
「希壱、外から帰って、汗、掻いてるから」
「一真さんのいい匂いがする」
「……お前、ちょっと変なフェチだよな」
「酷い。俺が変態みたいな言い方しないで。お風呂上がりの匂いも好きだけど、汗に混じった匂いも好きなだけ!」
汗にはフェロモンが含まれていると言うから、おそらくそういう意味なのだろうけれど。
汗ばんだ体を思いきり嗅がれる側は、はっきり言ってたまったものではない。
「風呂に入ってくる。どけ」
「えぇ? せっかく一真さんを堪能してたのに、酷い」
「酷いのはお前だ」
押し離されて、ブーブー文句を言う希壱をリビングに残し、一真はバスルームへ向かった。
このままでは夕食の前に、希壱に食われそうだと、そそくさと洗い場に足を踏み出す。
念のため扉の内鍵をかけた。
結局、互いに風呂を済ませてひと息ついたのは、帰宅して一時間以上も過ぎたあとだ。
時刻も二十時だったため、腹が減っては戦はできぬ状態だ。
風呂に入り、色々とすっきりした希壱は、大人しく食事をする旨を了承してくれた。
弁当は簡単に温め、缶ビールで乾杯をする非常にシンプルな夕食。それでも希壱と二人、向かい合ってなにげない話をしている時間が心地いい。
(希壱と再会するまで、ほんとにこうやってゆっくり飯食うような相手、いなかったな)
そもそも一真はずっと、誰とも付き合う気が起きなかった。希壱とバーで偶然会ったあともしばらく、そう思い続けていたのだ。
これはひとえに希壱の粘り勝ち。
(ほだされたんだろうな)
一真は黙々としょうが焼きとご飯を口に運びながら、うまそうにカツ丼とうどんを食べている希壱を眺める。
一ヶ月くらい逃げたあの頃が、本当に申し訳なく感じた。おそらく口説く、という希壱の言葉に恐れを抱いたのだろう。
無意識の防御反応――この男には絶対捕まる。逃げなければ――のような感覚だ。
おねだりをホイホイと、受け入れているいまの状況を鑑みれば、考えるまでもない。
「どうしたの一真さん。さっきから視線がビシバシ刺さってるんだけど」
ずっと様子を見て黙っていた希壱も、一真の視線が気になりすぎたらしい。
「いや、ちょっといままでのことを振り返ってた。希壱には最初から捕まる運命だったんだろうなって、再確認」
「あー、そういやめちゃくちゃ避けられてたもんね、俺」
「あの時は悪かったな。色々といっぱいいっぱいだった」
「だろうね。他人に言われて俺を振ろうとかしちゃうくらい、どうかしてたよね」
「まったくだ」
いまでも思い出すと自分が恥ずかしい。
夏樹に言われて、これ幸いと感じた部分もあったのだ。断る口実が見つかったと。
ああでもしなければ、希壱に断りの台詞は言えそうになかった。
「でも俺、もう少しだけ気持ちにゆとりを持てるようにする。一真さんの深い部分、察してあげられなかったし」
「馬鹿か。そんなに簡単に、心の中を察せられてたまるかよ」
(それでなくとも、たまに鋭くてドキッとするのに)
しゅんと肩を落とした希壱に、一真はわざとらしく鼻で笑って見せた。すると希壱はすぐに「そうだよね」と納得して笑う。
「あっ、そろそろケーキを食べよう」
「よし、持ってこい」
「ちょっと、俺は犬じゃないからね」
もう、と軽いため息をつくものの、希壱は言われるままに立ち上がり、キッチンへ足を向ける。
買ってきたのはチョコレートケーキと苺ショート、フルーツロールケーキ。それぞれワンピースずつ。
ホールで買うほど、お互いに甘党というわけでもない。それでもショーケースを眺めていたら、あれこれ食べたくなった。
二人で三つをつつき合う予定である。
「ビールとケーキ。ちょっと微妙だったかな? コーヒーでも淹れる?」
「いやいい。わりと平気だ」
まず始めに、ショートケーキの端っこにフォークを刺した一真は、生クリームとスポンジを味わってからビールを流し込んだ。
「チョコだったらもっと合うんじゃないか」
「……うん。いける」
選んだのはビターチョコのケーキ。
ほろ苦い感じが、ビールの苦みに丁度いいような気がした。黒ビールだったらさらに合いそうに思える。
「はあ、こうやってのんびり、一真さんと一緒にケーキをシェアしながら過ごすひととき、幸せすぎる」
「希壱はいつでも幸せそうだな」
「言ったでしょ。俺は一真さんといるのが幸せなの。一真さんという存在が傍にいる、同じ空気を吸ってるだけで幸せなの」
「壮大だな」
力説するみたいに拳を握りしめた希壱へ、一真は曖昧な相づちを返し、続けてフルーツロールケーキにフォークを刺した。
「希壱と、一緒だと飽きないな」
「大丈夫、飽きさせないし、俺は一真さんに飽きるとか一生ないから」
もぐもぐとケーキを咀嚼していると、任せろと言わんばかりに胸を張る希壱。
おどけた風であるけれど、確かに彼の言葉なら信じられる気になる。
「ふふ、一真さんの笑顔、可愛い」
「いま笑ってたか?」
「うん。すごくいい感じにふわって」
「ふぅん」
これまで一真は周囲に皮肉っぽい、嘘くさい笑みだと言われることが多かった。だというのに、希壱は毎回可愛い可愛いと褒める。
彼に見せている笑みは、きっとほかと違うのだろう。一真自身が意識していなくとも。
「一真さんがずっとそうやって、笑えるようにするから」
「そうだな。楽しみにしてる」
「一真さん、大好き」
「俺も好きだぞ」
「――っ!」
「なんだよ自分から言っておいて」
ボンと発火したかの如く、真っ赤になった希壱の顔に一真は目を細める。
『早くこの口から、俺もって言われたい』
希壱がそう言っていたのを、一真は忘れていない。
彼も覚えていただろうが、まさかここで返されると予想していなかったのだろう。
「心臓に悪い。今度、言うときなにか合図してほしいかも」
「合図ってなんだよ。面倒な男だな」
「一真さんの好きは破壊力がすごいんだよ! 今日もカフェで言われたの、息の根が止まるかと思った!」
「息の根って、息じゃねぇのかよ」
心臓への衝撃を誤魔化しているのか。耳まで赤くしながら、希壱はブスブスとケーキにフォークを突き刺し、次々と平らげる。
そして最後の一欠片――
「あーん、ここにくれ」
「ひぃ、一真さんに俺、殺される」
希壱のフォークに刺さったチョコレートケーキ。一真があーっと口を開けて待てば、ぷるぷると震えた手でケーキが口の中へ収められた。
濃厚なチョコを味わい、一真はぐいっと缶ビールの最後をあおる。
「ごちそうさん」
締めにべろっと唇についたチョコを舌で舐め取ると、希壱は昼間と同じく口元を押さえて俯いた。
「一真さん! 俺のノミのような心臓を握りつぶさないで!」
「失礼なやつめ。俺は全部平らげる勢いだったお前から、一欠片もらっただけだ」
「なんなの? 急にデレ増量されるの、困るんだけど。困る? いやいや、困らない。心臓がやばいだけ」
「デカい独り言」
一人でブツブツ呟いている希壱を尻目に、一真は冷蔵庫からもう一本、缶ビールを持ってくる。
目の前で繰り広げられている独り言劇場。
とりあえず希壱が落ち着くまで、ビールを飲んで待つべきだろう。少しだけからかうつもりだったのに、ここまで動揺するとは思わなかった。
「一真さん、なんでそんなに平常心? 経験値の差?」
「ん?」
「俺はずっと、そわそわドキドキして大変なのに」
「なんだよ、希壱はずっとベッドの上のことばっかりか?」
「意地悪く言わないで! 知ってる? 俺、初めてなんだから!」
「……ああ、そういやそうだ」
うっかりと忘れていたが、希壱は一真が初めての恋人。キスも初めてだったのだから、もれなく童貞であるのは間違いなしだ。
「ちゃんと俺が教えてやるから」
「うっ、よろしくお願いします」
男としては情けなく感じるかもしれないけれど、誰しも最初はあるものだ。
「それを言うなら、俺も初めてだな」
「あっ! そっか、一真さんも……」
「急にニヤニヤしやがって」
「ご、ごめん。痛くないように、頑張るから。痛かったら蹴飛ばしていいから」
そわそわしていた雰囲気が、途端にふわふわしだして、わかりやすい希壱の反応が面白い。
頬を染めながら、わたわたと身振り手振り言い訳して、可愛いとしか言えない。
食事が終わり、記念のケーキも希壱がほぼ一人で平らげたので、そろそろ夜の時間だ。
「ほら、先に向こうへ行ってろ」
「う、うん」
テーブルの上を片付けつつ、希壱をリビングから追い出す。
ちらちらと振り返りながら「早く来てね」という表情をする彼に対し、一真は追い払うように手を振った。
「受け手はなにかと面倒だが、仕方ない」
洗い物を片付けてから、意を決したように一真はリビングを出た。
これから食事の支度をするのは面倒なので、ついでに夕飯も調達してある。
弁当屋の出来合いだけれど、なんであれ味が良ければすべて良し。
「はあ、やっぱり家が一番落ち着くな」
荷物は希壱に任せ、一真は早々にソファに身を預けた。七月初旬は夏本番前だが、まだ梅雨が明けきらず、蒸し暑い日が続いている。
帰宅してすぐにエアコンを入れ、いま徐々に空気が冷まされているところだ。
エアコンの風に当たりながら、ごろんと転がっていれば、キッチンへ行っていた希壱が、ソファの背面から覗き込んできた。
「今日は、なんかよくわからない集まりになってごめん」
「いいさ。あの二人は俺たちに発破をかけたかったんだろ。俺のことが好み云々は、たぶん嘘だと思うから、次に会うとき、お友達と喧嘩するなよ」
「え? そうなの?」
「やっぱり気づいてなかったんだな。あいつら、俺の台詞のあと目配せしてた」
思いがけなかったらしく、希壱の目が丸くなる。若干細目の彼が、瞳の表情を変える瞬間が一真は好きだ。
無意識に笑みを浮かべていたら、からかわれたと思ったのだろう。希壱は少しムッとする。
そんな可愛い恋人を、一真はぽんぽんと座面を叩き呼び寄せた。
「なに怒ってんだよ。希壱が可愛いなって思っただけだろ?」
「ほんと? 呆れてない?」
「ガッチガチに隙がないやつより、たまに抜けてるくらいが俺はいい」
一真の腹の辺りで腰を下ろした希壱が、真上から見下ろしてくる。
しょんぼりした顔がこれまた可愛くて、ニヤニヤしそうになったが、さすがに口元を引き締めた。
「完璧そうに見える一真さんも、時々可愛いもんね」
「そういうの大事だろ? ギャップ」
手を伸ばし、手のひらで頬を撫でてやると、すり寄るみたいに顔を寄せてきた。
(デカい黒猫だな。可愛い)
しまいには甘えて上に覆い被さってきたので、一真はぎゅっと背中を抱きしめてやる。
「キス、したい」
「いくらでも」
絶妙なトーンで発せられるおねだり声は、イエスしか返せないのが不思議だ。
そっと顔を寄せてきた希壱にならい、一真はゆっくりと目を閉じる。それとほぼ同時かやんわりと触れる唇。
ちゅっちゅとついばむ仕草を繰り返し、希壱は少しずつ一真の唇を味わっていく。
「はっ……ん」
存分に唇を食らった希壱は、次に口内を侵略してくる。するりと舌をすべり込ませ、たっぷりと粘膜を愛撫してきた。
「き、いち」
「なに?」
「……舌」
「うん」
ぎゅっと希壱のTシャツを鷲掴みすれば、一真の気持ちを見透かした彼は、差し伸ばした舌を丹念に舐めてくれる。
ざらざらとした感触と、表面を撫でられる感覚に一真はゾクゾクとした興奮を覚えた。
きつく希壱の体を抱き込み、今度は彼の唇の奥へ忍び込む。
ピクリと体が反応したけれど、希壱はされるがまま、一真のキスを受け入れた。
「んっ、やっぱり一真さんのほうが……上手いよね」
「こんなとこでヤキモチを妬くなよ?」
「我慢はするけど、完全に感情を消すのは無理。一真さんの唇に触れた相手が恨めしい」
「困ったやつだな」
よしよしと両手で頭を撫でてやったら、ぎゅうっと抱きしめ返される。恋愛一年生は色々な葛藤があるのだろう。
しかしそう思って甘やかしていたら、希壱は一真の襟元に鼻先を埋めてきた。
「希壱、外から帰って、汗、掻いてるから」
「一真さんのいい匂いがする」
「……お前、ちょっと変なフェチだよな」
「酷い。俺が変態みたいな言い方しないで。お風呂上がりの匂いも好きだけど、汗に混じった匂いも好きなだけ!」
汗にはフェロモンが含まれていると言うから、おそらくそういう意味なのだろうけれど。
汗ばんだ体を思いきり嗅がれる側は、はっきり言ってたまったものではない。
「風呂に入ってくる。どけ」
「えぇ? せっかく一真さんを堪能してたのに、酷い」
「酷いのはお前だ」
押し離されて、ブーブー文句を言う希壱をリビングに残し、一真はバスルームへ向かった。
このままでは夕食の前に、希壱に食われそうだと、そそくさと洗い場に足を踏み出す。
念のため扉の内鍵をかけた。
結局、互いに風呂を済ませてひと息ついたのは、帰宅して一時間以上も過ぎたあとだ。
時刻も二十時だったため、腹が減っては戦はできぬ状態だ。
風呂に入り、色々とすっきりした希壱は、大人しく食事をする旨を了承してくれた。
弁当は簡単に温め、缶ビールで乾杯をする非常にシンプルな夕食。それでも希壱と二人、向かい合ってなにげない話をしている時間が心地いい。
(希壱と再会するまで、ほんとにこうやってゆっくり飯食うような相手、いなかったな)
そもそも一真はずっと、誰とも付き合う気が起きなかった。希壱とバーで偶然会ったあともしばらく、そう思い続けていたのだ。
これはひとえに希壱の粘り勝ち。
(ほだされたんだろうな)
一真は黙々としょうが焼きとご飯を口に運びながら、うまそうにカツ丼とうどんを食べている希壱を眺める。
一ヶ月くらい逃げたあの頃が、本当に申し訳なく感じた。おそらく口説く、という希壱の言葉に恐れを抱いたのだろう。
無意識の防御反応――この男には絶対捕まる。逃げなければ――のような感覚だ。
おねだりをホイホイと、受け入れているいまの状況を鑑みれば、考えるまでもない。
「どうしたの一真さん。さっきから視線がビシバシ刺さってるんだけど」
ずっと様子を見て黙っていた希壱も、一真の視線が気になりすぎたらしい。
「いや、ちょっといままでのことを振り返ってた。希壱には最初から捕まる運命だったんだろうなって、再確認」
「あー、そういやめちゃくちゃ避けられてたもんね、俺」
「あの時は悪かったな。色々といっぱいいっぱいだった」
「だろうね。他人に言われて俺を振ろうとかしちゃうくらい、どうかしてたよね」
「まったくだ」
いまでも思い出すと自分が恥ずかしい。
夏樹に言われて、これ幸いと感じた部分もあったのだ。断る口実が見つかったと。
ああでもしなければ、希壱に断りの台詞は言えそうになかった。
「でも俺、もう少しだけ気持ちにゆとりを持てるようにする。一真さんの深い部分、察してあげられなかったし」
「馬鹿か。そんなに簡単に、心の中を察せられてたまるかよ」
(それでなくとも、たまに鋭くてドキッとするのに)
しゅんと肩を落とした希壱に、一真はわざとらしく鼻で笑って見せた。すると希壱はすぐに「そうだよね」と納得して笑う。
「あっ、そろそろケーキを食べよう」
「よし、持ってこい」
「ちょっと、俺は犬じゃないからね」
もう、と軽いため息をつくものの、希壱は言われるままに立ち上がり、キッチンへ足を向ける。
買ってきたのはチョコレートケーキと苺ショート、フルーツロールケーキ。それぞれワンピースずつ。
ホールで買うほど、お互いに甘党というわけでもない。それでもショーケースを眺めていたら、あれこれ食べたくなった。
二人で三つをつつき合う予定である。
「ビールとケーキ。ちょっと微妙だったかな? コーヒーでも淹れる?」
「いやいい。わりと平気だ」
まず始めに、ショートケーキの端っこにフォークを刺した一真は、生クリームとスポンジを味わってからビールを流し込んだ。
「チョコだったらもっと合うんじゃないか」
「……うん。いける」
選んだのはビターチョコのケーキ。
ほろ苦い感じが、ビールの苦みに丁度いいような気がした。黒ビールだったらさらに合いそうに思える。
「はあ、こうやってのんびり、一真さんと一緒にケーキをシェアしながら過ごすひととき、幸せすぎる」
「希壱はいつでも幸せそうだな」
「言ったでしょ。俺は一真さんといるのが幸せなの。一真さんという存在が傍にいる、同じ空気を吸ってるだけで幸せなの」
「壮大だな」
力説するみたいに拳を握りしめた希壱へ、一真は曖昧な相づちを返し、続けてフルーツロールケーキにフォークを刺した。
「希壱と、一緒だと飽きないな」
「大丈夫、飽きさせないし、俺は一真さんに飽きるとか一生ないから」
もぐもぐとケーキを咀嚼していると、任せろと言わんばかりに胸を張る希壱。
おどけた風であるけれど、確かに彼の言葉なら信じられる気になる。
「ふふ、一真さんの笑顔、可愛い」
「いま笑ってたか?」
「うん。すごくいい感じにふわって」
「ふぅん」
これまで一真は周囲に皮肉っぽい、嘘くさい笑みだと言われることが多かった。だというのに、希壱は毎回可愛い可愛いと褒める。
彼に見せている笑みは、きっとほかと違うのだろう。一真自身が意識していなくとも。
「一真さんがずっとそうやって、笑えるようにするから」
「そうだな。楽しみにしてる」
「一真さん、大好き」
「俺も好きだぞ」
「――っ!」
「なんだよ自分から言っておいて」
ボンと発火したかの如く、真っ赤になった希壱の顔に一真は目を細める。
『早くこの口から、俺もって言われたい』
希壱がそう言っていたのを、一真は忘れていない。
彼も覚えていただろうが、まさかここで返されると予想していなかったのだろう。
「心臓に悪い。今度、言うときなにか合図してほしいかも」
「合図ってなんだよ。面倒な男だな」
「一真さんの好きは破壊力がすごいんだよ! 今日もカフェで言われたの、息の根が止まるかと思った!」
「息の根って、息じゃねぇのかよ」
心臓への衝撃を誤魔化しているのか。耳まで赤くしながら、希壱はブスブスとケーキにフォークを突き刺し、次々と平らげる。
そして最後の一欠片――
「あーん、ここにくれ」
「ひぃ、一真さんに俺、殺される」
希壱のフォークに刺さったチョコレートケーキ。一真があーっと口を開けて待てば、ぷるぷると震えた手でケーキが口の中へ収められた。
濃厚なチョコを味わい、一真はぐいっと缶ビールの最後をあおる。
「ごちそうさん」
締めにべろっと唇についたチョコを舌で舐め取ると、希壱は昼間と同じく口元を押さえて俯いた。
「一真さん! 俺のノミのような心臓を握りつぶさないで!」
「失礼なやつめ。俺は全部平らげる勢いだったお前から、一欠片もらっただけだ」
「なんなの? 急にデレ増量されるの、困るんだけど。困る? いやいや、困らない。心臓がやばいだけ」
「デカい独り言」
一人でブツブツ呟いている希壱を尻目に、一真は冷蔵庫からもう一本、缶ビールを持ってくる。
目の前で繰り広げられている独り言劇場。
とりあえず希壱が落ち着くまで、ビールを飲んで待つべきだろう。少しだけからかうつもりだったのに、ここまで動揺するとは思わなかった。
「一真さん、なんでそんなに平常心? 経験値の差?」
「ん?」
「俺はずっと、そわそわドキドキして大変なのに」
「なんだよ、希壱はずっとベッドの上のことばっかりか?」
「意地悪く言わないで! 知ってる? 俺、初めてなんだから!」
「……ああ、そういやそうだ」
うっかりと忘れていたが、希壱は一真が初めての恋人。キスも初めてだったのだから、もれなく童貞であるのは間違いなしだ。
「ちゃんと俺が教えてやるから」
「うっ、よろしくお願いします」
男としては情けなく感じるかもしれないけれど、誰しも最初はあるものだ。
「それを言うなら、俺も初めてだな」
「あっ! そっか、一真さんも……」
「急にニヤニヤしやがって」
「ご、ごめん。痛くないように、頑張るから。痛かったら蹴飛ばしていいから」
そわそわしていた雰囲気が、途端にふわふわしだして、わかりやすい希壱の反応が面白い。
頬を染めながら、わたわたと身振り手振り言い訳して、可愛いとしか言えない。
食事が終わり、記念のケーキも希壱がほぼ一人で平らげたので、そろそろ夜の時間だ。
「ほら、先に向こうへ行ってろ」
「う、うん」
テーブルの上を片付けつつ、希壱をリビングから追い出す。
ちらちらと振り返りながら「早く来てね」という表情をする彼に対し、一真は追い払うように手を振った。
「受け手はなにかと面倒だが、仕方ない」
洗い物を片付けてから、意を決したように一真はリビングを出た。
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