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思いやる優しい心
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案内された病室は一人部屋の静かな空間。柔らかな陽射しが降り注ぐベッドの上で、窓の外を眺める横顔があった。
リトの気配に気づいたのか、ゆっくりと振り向いた彼が小さく微笑んだ。
痩せこけてボロボロだった肌は栄養が行き渡り始めたらしく、わずかにふっくらして以前より随分とマシに見える。
短くなった髪は落とされた耳の部分が上手く隠れるように整えられており、パッと見た感じは人族のようだ。
なによりも目に留まったのは艶のある濃い灰緑色の髪。
汚れが落ちてすっきりとした彼を改めて目の前にし、リトはロヴェが会えばわかると言った意味を理解した。
緑がかった髪の毛、澄んだ水色の瞳。色だけではなく、面立ちまでもが自分によく似ているのだ。
(ロヴェが何回も謝った本当の理由って、これだったんだな)
我に返ったロヴェは彼を目にして、可能性に気づいたのだろう。
もしかしたら唯一かもしれない、リトの血縁を自分の手で害してしまうところだったのではと。
「体調はどうですか?」
「ああ、いままで生きてきた中で一番いい。時間があるなら座れば?」
「ありがとうございます。あの、貴方については僕に一任されたのですが、これからどうしたいとかありますか?」
同行していたダイトがベッド脇に椅子を用意してくれ、腰掛けてからリトが大事な用件を伝える。しかし問いかけられた彼は、少し考え込むように目を伏せた。
「完全に王宮の監視は外れないかもしれませんけど、静かな場所でゆっくり暮らすでもいいし、望むなら同盟国とか」
「正直自分がどの程度回復するのかわからない。生きる目的とか言われてもよくわからないし、なにをすべきかもわからない。ただ役に立つのなら国で俺を使って欲しい」
ぽつぽつと言葉を紡ぐ横顔を見つめながら、リトはぐっと唇を噛んだ。
彼は利用される生き方しか知らないので、自分の手がなにを掴めるかもわからないでいる。
「リト殿、彼を黒の騎士団に預けてはいかがですか?」
「え?」
「いまの彼が生きるために必要なのは、平穏ではなく自分が必要とされる環境です。黒はわりと変わり者が多いところですが、騎士団長はまともですし、仲間に囲まれていれば情緒も育ちます」
(確かにダイトの言うとおりかもしれない。一人きりで外に出してしまうと、どうやって生きていったらいいかわからなくて、逆に路頭に迷いそう。だったら集団の中に入れたほうが学ぶ機会も多いし)
ちらりと視線を向けると、言葉を待つかのように彼はリトの表情を見ている。
ここは彼に考えさせるのではなく、自分が場所へ導いてあげるべきなのだろうと悟った。
「黒の騎士団は特殊部隊みたいな感じで、諜報とか隠密行動をしてる騎士団です。表舞台に立つことが少ないですし、僕も良い案だと思います」
「あんたがそれが良いというなら、俺もそれでいい」
「わかりました。では話を通しておきますね! あ、そういえば名前は」
「ない」
「……ダイト、彼もいずれ洗礼を受けるんですよね?」
「はい。その際に洗礼名をいただけるかと」
彼を前にしていると、リトは胸がヒリヒリとしてたまらなかった。
目の前にいる自分とよく似た彼はある意味、もう一人の自分なのだ。
番紋を持たずに生まれていたとしたら己も彼と同じ状況下で、もしかしたらとっくに息絶えていたかもしれない。
ほんのわずか運命の分岐が違っただけで、ここまで人生が変わる。
「ありがとう。王様の番があんたで良かったよ」
「しっかり治療を受けて、栄養をたくさんとって元気になってくださいね」
「わかった」
はにかむように笑った、彼の穏やかな表情を見たリトは鼻の奥がツンとしてしまい、涙声になりそうな声をこらえて笑みを返した。
ロヴェとの約束の時間が近づき、急いで向かえばすでに一行は揃っていた。
二人で遠乗りとはいえ、二人きりはさすがに許されないため、最小限ながら白の騎士団が同行する。
ダイトだけでなくミリィも一行に加わることになったらしく、騎士の装いをする彼女を初めて見た。
彼女曰く「リトさまのお茶を淹れる役目は誰にも譲らない」だそうだ。
「ロヴェ、お待たせしました! あっ、この子がロヴェの相棒?」
「ああ、そうだ。フィリッツと言う」
普段とは違う、騎士のようないでたちのロヴェと、艶やかな黒毛の馬が並ぶ姿は非常に絵になる。
長身のロヴェに見劣りしない軍馬、フィリッツは近づいたリトを見てそっと鼻先を寄せてきた。
見上げるほど大きいため迫力があるけれど、黒い瞳が意外なほど優しい。
「初めましてフィリッツ。今日は君の背中に乗るけれど許してくださいね」
恐る恐るリトが鼻先を撫でたら、ぐいぐいと顔に押しつけられ、周りで笑い声が上がった。
「問題はなさそうだな。では行こうか」
ひらりとフィリッツにまたがったロヴェに手を差し伸ばされて、ぎゅっと握り返せば一気に馬上へ引っ張り上げられる。
想像以上に高い視野にリトは思わず感嘆の声を上げた。
「怖くはないか?」
「全然! 遠くまで見渡せそうな感じが気持ちいいです」
「頼もしい限りだ」
後ろから腰に腕を回し、顔を覗き込んできたロヴェは、リトの素直な返答に目元を和らげて微笑んだ。
片手を上げたロヴェの合図と共に、王都の近くにある森まで馬たちが駆け出す。
経路は城下を通らない道が選ばれた。
現在もリトは非公式な婚約者なため、あまり民の目に触れないよう配慮されたのだ。
これから行われるルダール伯爵家への処断が終われば、国を挙げての大々的な公表となる。
すでにくだんの家門には騎士団が派遣され、主要人物の捕縛は為されていた。もちろん非道に扱われていた獣人たちの保護も完了している。
「彼と話はできたか?」
「はい、できました。彼を黒の騎士団へ預けようと思うのですが」
「そうか、いい判断かもしれないな。いまはまだ大手を振って日の下を歩けるほど、心が回復していないはずだ。あそこなら裏方業務も多い。いずれ彼が望むのならリト、君の傍に置いてもいい」
「ロヴェは気づきましたか?」
「……そうだな。間違いなく彼は片親、もしくは両親が同じリトの兄弟だ。顔立ちだけでなく魔力の質が似ていた。公表はできないが、彼が拒まなければ親しくしても構わない」
「ありがとうございます」
ロヴェと話すたびに彼の深い優しさを感じる。
一方向の気持ちだけでなく、双方の気持ちを慮って言葉をかけてくれる、この気遣いは容易くできるものではない。
リトが満足できればいいという考えは決して持たず、相手の心を尊重するロヴェの思いやりがたまらなく胸に沁みる。
共に過ごす時間が増えるほどに、リトはロヴェへの愛しさが加速していく気がしてならなかった。
「ほら、リトもうすぐで森に入るぞ」
「さすが温暖なロザハール。季節が冬でも緑に溢れてますね」
「春になるともっと生い茂って草花の香りが漂って爽やかだ。森の奥に王族専用の屋敷もあるからあとで行こう」
リトは北の地方で育ったので、村にいた頃は季節を感じる機会が多かった。しかし王都へ来てから、正直言って季節感がよくわからない。
城下町は二の月――他国で冬の月――であっても至る所で花を育てているし、王宮では王族の庭園のみならず通常の庭園も緑が絶えないのだ。
「森の出入りは自由なんですか?」
「ほとんどの区画は開放されている。貴重なものが生えている場所は、乱獲を禁止するために申請がなければ入れないが。もしまた訪れたかったらいつでも言うといい」
景色を見せようと気遣ってか、森に入ってから速度を落としゆっくりと進んでくれる。
頬に触れる風はさすがに冷たさを感じるけれど、鼻先をかすめる森の匂いに心が癒やされ、リトは大きく息を吸い込んだ。
「ロヴェ、この辺りはもしかして一般立ち入り禁止区?」
「そうだ。よくわかったな」
「なんだかほかと空気が違った気がして」
しばらく森の中を進んだのち、たどり着いたのは広々とした草原だった。
まるで空間を切り拓いたかのような、青空が覗くそこはあちこちに白い小さな花が咲いていて、なんとものどかで素朴な景色だ。
(この景色、どこかで見たような)
「リト、おいで」
馬上から下りたロヴェに支えられて地面に足をつけると、ふわりと優しい風が通り抜けた。
途端に「ようこそ」と耳元で囁きかけられた錯覚がする。
「建国以前、この草原一帯に始まりの村があったと言われている」
「始祖の獅子と家族が暮らした場所、ですね」
「ああ、屋敷がある場所は彼らの住まいがあったらしい。少し散歩をしようか」
差し出された手を再び握り返して、ぎゅっと繋ぎ合わせればロヴェはゆっくりと歩き出した。その後ろ姿をしばし見つめ、リトも足を踏み出し彼の隣に並んだ。
リトの気配に気づいたのか、ゆっくりと振り向いた彼が小さく微笑んだ。
痩せこけてボロボロだった肌は栄養が行き渡り始めたらしく、わずかにふっくらして以前より随分とマシに見える。
短くなった髪は落とされた耳の部分が上手く隠れるように整えられており、パッと見た感じは人族のようだ。
なによりも目に留まったのは艶のある濃い灰緑色の髪。
汚れが落ちてすっきりとした彼を改めて目の前にし、リトはロヴェが会えばわかると言った意味を理解した。
緑がかった髪の毛、澄んだ水色の瞳。色だけではなく、面立ちまでもが自分によく似ているのだ。
(ロヴェが何回も謝った本当の理由って、これだったんだな)
我に返ったロヴェは彼を目にして、可能性に気づいたのだろう。
もしかしたら唯一かもしれない、リトの血縁を自分の手で害してしまうところだったのではと。
「体調はどうですか?」
「ああ、いままで生きてきた中で一番いい。時間があるなら座れば?」
「ありがとうございます。あの、貴方については僕に一任されたのですが、これからどうしたいとかありますか?」
同行していたダイトがベッド脇に椅子を用意してくれ、腰掛けてからリトが大事な用件を伝える。しかし問いかけられた彼は、少し考え込むように目を伏せた。
「完全に王宮の監視は外れないかもしれませんけど、静かな場所でゆっくり暮らすでもいいし、望むなら同盟国とか」
「正直自分がどの程度回復するのかわからない。生きる目的とか言われてもよくわからないし、なにをすべきかもわからない。ただ役に立つのなら国で俺を使って欲しい」
ぽつぽつと言葉を紡ぐ横顔を見つめながら、リトはぐっと唇を噛んだ。
彼は利用される生き方しか知らないので、自分の手がなにを掴めるかもわからないでいる。
「リト殿、彼を黒の騎士団に預けてはいかがですか?」
「え?」
「いまの彼が生きるために必要なのは、平穏ではなく自分が必要とされる環境です。黒はわりと変わり者が多いところですが、騎士団長はまともですし、仲間に囲まれていれば情緒も育ちます」
(確かにダイトの言うとおりかもしれない。一人きりで外に出してしまうと、どうやって生きていったらいいかわからなくて、逆に路頭に迷いそう。だったら集団の中に入れたほうが学ぶ機会も多いし)
ちらりと視線を向けると、言葉を待つかのように彼はリトの表情を見ている。
ここは彼に考えさせるのではなく、自分が場所へ導いてあげるべきなのだろうと悟った。
「黒の騎士団は特殊部隊みたいな感じで、諜報とか隠密行動をしてる騎士団です。表舞台に立つことが少ないですし、僕も良い案だと思います」
「あんたがそれが良いというなら、俺もそれでいい」
「わかりました。では話を通しておきますね! あ、そういえば名前は」
「ない」
「……ダイト、彼もいずれ洗礼を受けるんですよね?」
「はい。その際に洗礼名をいただけるかと」
彼を前にしていると、リトは胸がヒリヒリとしてたまらなかった。
目の前にいる自分とよく似た彼はある意味、もう一人の自分なのだ。
番紋を持たずに生まれていたとしたら己も彼と同じ状況下で、もしかしたらとっくに息絶えていたかもしれない。
ほんのわずか運命の分岐が違っただけで、ここまで人生が変わる。
「ありがとう。王様の番があんたで良かったよ」
「しっかり治療を受けて、栄養をたくさんとって元気になってくださいね」
「わかった」
はにかむように笑った、彼の穏やかな表情を見たリトは鼻の奥がツンとしてしまい、涙声になりそうな声をこらえて笑みを返した。
ロヴェとの約束の時間が近づき、急いで向かえばすでに一行は揃っていた。
二人で遠乗りとはいえ、二人きりはさすがに許されないため、最小限ながら白の騎士団が同行する。
ダイトだけでなくミリィも一行に加わることになったらしく、騎士の装いをする彼女を初めて見た。
彼女曰く「リトさまのお茶を淹れる役目は誰にも譲らない」だそうだ。
「ロヴェ、お待たせしました! あっ、この子がロヴェの相棒?」
「ああ、そうだ。フィリッツと言う」
普段とは違う、騎士のようないでたちのロヴェと、艶やかな黒毛の馬が並ぶ姿は非常に絵になる。
長身のロヴェに見劣りしない軍馬、フィリッツは近づいたリトを見てそっと鼻先を寄せてきた。
見上げるほど大きいため迫力があるけれど、黒い瞳が意外なほど優しい。
「初めましてフィリッツ。今日は君の背中に乗るけれど許してくださいね」
恐る恐るリトが鼻先を撫でたら、ぐいぐいと顔に押しつけられ、周りで笑い声が上がった。
「問題はなさそうだな。では行こうか」
ひらりとフィリッツにまたがったロヴェに手を差し伸ばされて、ぎゅっと握り返せば一気に馬上へ引っ張り上げられる。
想像以上に高い視野にリトは思わず感嘆の声を上げた。
「怖くはないか?」
「全然! 遠くまで見渡せそうな感じが気持ちいいです」
「頼もしい限りだ」
後ろから腰に腕を回し、顔を覗き込んできたロヴェは、リトの素直な返答に目元を和らげて微笑んだ。
片手を上げたロヴェの合図と共に、王都の近くにある森まで馬たちが駆け出す。
経路は城下を通らない道が選ばれた。
現在もリトは非公式な婚約者なため、あまり民の目に触れないよう配慮されたのだ。
これから行われるルダール伯爵家への処断が終われば、国を挙げての大々的な公表となる。
すでにくだんの家門には騎士団が派遣され、主要人物の捕縛は為されていた。もちろん非道に扱われていた獣人たちの保護も完了している。
「彼と話はできたか?」
「はい、できました。彼を黒の騎士団へ預けようと思うのですが」
「そうか、いい判断かもしれないな。いまはまだ大手を振って日の下を歩けるほど、心が回復していないはずだ。あそこなら裏方業務も多い。いずれ彼が望むのならリト、君の傍に置いてもいい」
「ロヴェは気づきましたか?」
「……そうだな。間違いなく彼は片親、もしくは両親が同じリトの兄弟だ。顔立ちだけでなく魔力の質が似ていた。公表はできないが、彼が拒まなければ親しくしても構わない」
「ありがとうございます」
ロヴェと話すたびに彼の深い優しさを感じる。
一方向の気持ちだけでなく、双方の気持ちを慮って言葉をかけてくれる、この気遣いは容易くできるものではない。
リトが満足できればいいという考えは決して持たず、相手の心を尊重するロヴェの思いやりがたまらなく胸に沁みる。
共に過ごす時間が増えるほどに、リトはロヴェへの愛しさが加速していく気がしてならなかった。
「ほら、リトもうすぐで森に入るぞ」
「さすが温暖なロザハール。季節が冬でも緑に溢れてますね」
「春になるともっと生い茂って草花の香りが漂って爽やかだ。森の奥に王族専用の屋敷もあるからあとで行こう」
リトは北の地方で育ったので、村にいた頃は季節を感じる機会が多かった。しかし王都へ来てから、正直言って季節感がよくわからない。
城下町は二の月――他国で冬の月――であっても至る所で花を育てているし、王宮では王族の庭園のみならず通常の庭園も緑が絶えないのだ。
「森の出入りは自由なんですか?」
「ほとんどの区画は開放されている。貴重なものが生えている場所は、乱獲を禁止するために申請がなければ入れないが。もしまた訪れたかったらいつでも言うといい」
景色を見せようと気遣ってか、森に入ってから速度を落としゆっくりと進んでくれる。
頬に触れる風はさすがに冷たさを感じるけれど、鼻先をかすめる森の匂いに心が癒やされ、リトは大きく息を吸い込んだ。
「ロヴェ、この辺りはもしかして一般立ち入り禁止区?」
「そうだ。よくわかったな」
「なんだかほかと空気が違った気がして」
しばらく森の中を進んだのち、たどり着いたのは広々とした草原だった。
まるで空間を切り拓いたかのような、青空が覗くそこはあちこちに白い小さな花が咲いていて、なんとものどかで素朴な景色だ。
(この景色、どこかで見たような)
「リト、おいで」
馬上から下りたロヴェに支えられて地面に足をつけると、ふわりと優しい風が通り抜けた。
途端に「ようこそ」と耳元で囁きかけられた錯覚がする。
「建国以前、この草原一帯に始まりの村があったと言われている」
「始祖の獅子と家族が暮らした場所、ですね」
「ああ、屋敷がある場所は彼らの住まいがあったらしい。少し散歩をしようか」
差し出された手を再び握り返して、ぎゅっと繋ぎ合わせればロヴェはゆっくりと歩き出した。その後ろ姿をしばし見つめ、リトも足を踏み出し彼の隣に並んだ。
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