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獣たちの悲痛な叫び
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起こす際にリトに水を掛けたのは、ある種の嫌がらせだったようだ。しかしなんだかんだと男は、体や服を乾かして即席の温石までくれた。
彼のほうがよほど寒そうな格好なのにと、月が浮かぶ暗い空を見上げる横顔にリトは視線を向ける。
ボロボロで痩せているため、はっきりとわからないものの、彼の水色の瞳があまりにも自分に似ていて気になって仕方がない。
誰が親かなんてわからないのかもしれないけれど、もしかしたらと言うこともある。
「あの……」
「来たみたいだな」
男の呟きと同時にふっと空気が変わったのがわかった。決して身を潜める真似をしない、それはこちらへ向ける威嚇の気配だ。
ぐるりと谷底を囲い複数の魔力が集まっている。中でも強烈なほど存在を放っているのは間違いなくロヴェだった。
「待って! なぜわざと僕を盾にするの? 助けを求めるんじゃないの?」
まるで人質をみせつけるみたいにきつく腕で引き寄せられ、リトは驚きで男を見上げた。
話し合いをすれば解決するかもしれないと思っていただけに、彼の行動に狼狽える。
「静かにしてろ。無抵抗にあんたを帰してしまったら水の泡だろう」
「――っ!」
とんと指先で喉元を触れられた途端、リトは声を奪われた。
慌てて無効化しようとするも、普段どのように使っているか自分でもよくわかっておらず、意識するとなおさら焦りばかりが湧く。
(こっちは自動発動だと思って鍛錬してこなかった僕の馬鹿! ……水の泡ってなに?)
身体強化を使おうにも、完全に彼のほうがスキルの扱いに長けている。
いざというときにまったく役に立たない自分が情けなくて、リトは涙がにじみそうになった。
「大丈夫だ。ちゃんとあんたは帰してやるからな」
小さな囁きのような声と、微かに親指で撫でられた頬の感触。
温かくも優しい感情が伝わり、リトは喉の奥が締めつけられ、さらに涙が込み上がった。
(死ぬ気だ。……自分の存在をロヴェに知らしめてから、殺される気でいるんだ)
なんの抵抗もせずに男が指示に逆らうと、首輪の仕組みで処分される可能性がある。
それでは多才なスキルを扱える、認識されていない獣人の存在を国に示すことができない。だからこそ彼はロヴェの前へ出ようというのだ。
止めたくとも有効な方法が思い浮かばず、リトの思考がグルグルと空回っている中、ついに谷底に獅子が舞い降りてしまった。
黒い軍服のマントが風になびき、月明かりの下でもオレンジブラウンの髪が輝く様がひどく美しい。触れた地面から、肌がビリビリとするほどの威圧が伝わってきてリトまで息を飲んだ。
ゆっくりとロヴェの視線が持ち上がれば、いつもリトを優しく見つめていた黄金色の瞳が、激しい怒りの炎を宿しているのが見えた。
ふっと視線が合うと彼は目を見開き、なおも怒りを膨らませる。
(泣いているのに気づかれた? そうじゃないのに、どうしよう)
「手足を落とされたくなければ、いますぐリトを離せ」
地を這うような低い声。すらりと引き抜かれた長剣を前に、リトを抱き寄せる男はぐっと一瞬息を詰めた。
おそらく彼はいま一身にロヴェの威圧を受けているはずだ。膝をついてもおかしくない状況でなおも立ち続ける様子を見て、黄金色の瞳がすっと細められる。
「二度は言わない」
短い宣言と共に剣先が滑らかに空を切った。
寸分の狂いもなく、まっすぐと向けられる殺意を間一髪で避けながら、傍にいる男は岩場を利用してロヴェの足止めをする。
しかし隆起した岩がロヴェを一瞬で取り囲んだかに見えたが、瞬く間に壁は砕け散り粉々になった。
その隙をついて瞬時に間合いを詰めた獅子が目前まで迫り、今度は振り下ろされた剣が風の盾に遮られる。
ロヴェの狙いは男が防御に回り、リトを手放さなければならない状況を作ることだろう。
息をつく間もない攻撃では、確かに防戦一方で手も足も出ないかもしれない。けれど逆に男は、リトを手放す頃合いを測っている。
確実なロヴェの剣先がリトに及ぶ可能性は絶対にないものの、男は自分の防御だけでなく、リトの防御もおろそかにしていない。
(なんでこんなにも有能で優しい人が、理不尽に死ななくちゃいけないの)
リトに危害を加えないよう、力を最小限に抑えているとはいえ、ロヴェ相手に躱し防ぎきっている様子に、周りの騎士たちからも緊張が感じられた。
自分が手放されたらきっと一瞬だ――そう思えばしがみついてでも離れたくない。
だと言うのに男の盾にヒビが入った途端、リトは勢いよく突き放された。
投げ出され遠ざかる瞬間、水色の瞳がこちらを向いて笑った気がする。
「――やめて!」
ロヴェに気圧され男が地面に倒れた音と、剣先が地面に突き刺さる音が、張り詰めていた空間に響く。
投げ出された体を起こしてリトが慌てて顔を上げれば、ロヴェが男に手を伸ばしているところだった。
「ロヴェ、やめて! お願い、その人を殺さないで! ロヴェ!」
男の首元を無造作に掴む、ロヴェにリトは悲鳴のような声を上げる。
意識がないのか、だらりと細い手足が垂れている姿は死を連想させ、血の気が引く思いがした。
「錬成物の解除に長けてる者を早急に呼び出せ。魔力を遮断したから起こさず、慎重に王宮へ運ぶんだ」
「はい」
いつの間にか周囲に集まっていた騎士たちが、男の手足に拘束用の枷をはめ連れて行こうとする。思わず止めかけたリトだけれど、そっと肩に外套を掛けられ我に返った。
「リト殿、ご無事でなによりです。力及ばず申し訳ありません」
「ダイト」
「ミリィも心配をして待っています。帰りましょう」
「……うん」
意識を失っている男は、リトなどよりもずっと折れそうなほど華奢に見え、胸がズキズキとした痛みを伴った。
騎士に担がれ遠ざかる姿を見つめていたリトは、近づく気配に気づいて顔を上げる。
「リト、帰るぞ」
「ロヴェ」
「悪いようにはしない。……すまない、リト」
「なぜ、謝るんですか?」
地面に座り込むリトを抱き上げたロヴェは、両腕で強く番を抱きしめながら首筋に顔を埋めてくる。
言葉の意図するところが、リトにはさっぱりわからないものの、そっとなだめるよう髪を撫でるとまた小さく謝られてしまった。
「君が止めなければ、俺は怒りにまかせて剣を突き立てていた。状況がおかしいと頭で理解していたのにもかかわらず、理性ではなく衝動を優先しようとしたんだ」
「……ロヴェ」
「俺が愚かなばかりに、すまない」
「もしそうだとしても、踏みとどまれたロヴェは愚かじゃありません。僕を救いに来てくれてありがとうございます」
ようやく出会えた番を失うかもしれないと感じた、ロヴェはどれほど怖かっただろうか。
痛んだ芽をすべて摘み取らなかった、これまでの自分の判断が間違っていたと自身を責めただろうか。
触れ合う部分から不安や恐れが伝わってくる気がして、リトは優しくロヴェの頭を抱きしめ頬を寄せた。
どんなに賢王と言われても、神の現し身だと崇められていても、等身大のロヴェはまだ年若い青年なのだ。すべてを完璧にこなせるはずがない。
それでもあの男は言っていた。
リトの伴侶は有能だからあと数年もすればきっと、国は本当の意味で平和になると。
「僕はロヴェを信じています」
「リト、この先も必ず、君の信頼に応えよう」
真摯な黄金色の瞳に心が震えて瞳が潤みそうになる。
誓いの言葉に返事をする代わりに、ロヴェの額にやんわりと口づけを落とし、リトはもう一度彼を抱きしめた。
(彼の治世で悲しい思いをする獣人たちがいなくなりますように。ロヴェが悲しみませんように)
雲一つない月夜――番の誘拐事件はひとまず幕を下ろした。
次は獣王による狩りが始まるはずだ。
彼のほうがよほど寒そうな格好なのにと、月が浮かぶ暗い空を見上げる横顔にリトは視線を向ける。
ボロボロで痩せているため、はっきりとわからないものの、彼の水色の瞳があまりにも自分に似ていて気になって仕方がない。
誰が親かなんてわからないのかもしれないけれど、もしかしたらと言うこともある。
「あの……」
「来たみたいだな」
男の呟きと同時にふっと空気が変わったのがわかった。決して身を潜める真似をしない、それはこちらへ向ける威嚇の気配だ。
ぐるりと谷底を囲い複数の魔力が集まっている。中でも強烈なほど存在を放っているのは間違いなくロヴェだった。
「待って! なぜわざと僕を盾にするの? 助けを求めるんじゃないの?」
まるで人質をみせつけるみたいにきつく腕で引き寄せられ、リトは驚きで男を見上げた。
話し合いをすれば解決するかもしれないと思っていただけに、彼の行動に狼狽える。
「静かにしてろ。無抵抗にあんたを帰してしまったら水の泡だろう」
「――っ!」
とんと指先で喉元を触れられた途端、リトは声を奪われた。
慌てて無効化しようとするも、普段どのように使っているか自分でもよくわかっておらず、意識するとなおさら焦りばかりが湧く。
(こっちは自動発動だと思って鍛錬してこなかった僕の馬鹿! ……水の泡ってなに?)
身体強化を使おうにも、完全に彼のほうがスキルの扱いに長けている。
いざというときにまったく役に立たない自分が情けなくて、リトは涙がにじみそうになった。
「大丈夫だ。ちゃんとあんたは帰してやるからな」
小さな囁きのような声と、微かに親指で撫でられた頬の感触。
温かくも優しい感情が伝わり、リトは喉の奥が締めつけられ、さらに涙が込み上がった。
(死ぬ気だ。……自分の存在をロヴェに知らしめてから、殺される気でいるんだ)
なんの抵抗もせずに男が指示に逆らうと、首輪の仕組みで処分される可能性がある。
それでは多才なスキルを扱える、認識されていない獣人の存在を国に示すことができない。だからこそ彼はロヴェの前へ出ようというのだ。
止めたくとも有効な方法が思い浮かばず、リトの思考がグルグルと空回っている中、ついに谷底に獅子が舞い降りてしまった。
黒い軍服のマントが風になびき、月明かりの下でもオレンジブラウンの髪が輝く様がひどく美しい。触れた地面から、肌がビリビリとするほどの威圧が伝わってきてリトまで息を飲んだ。
ゆっくりとロヴェの視線が持ち上がれば、いつもリトを優しく見つめていた黄金色の瞳が、激しい怒りの炎を宿しているのが見えた。
ふっと視線が合うと彼は目を見開き、なおも怒りを膨らませる。
(泣いているのに気づかれた? そうじゃないのに、どうしよう)
「手足を落とされたくなければ、いますぐリトを離せ」
地を這うような低い声。すらりと引き抜かれた長剣を前に、リトを抱き寄せる男はぐっと一瞬息を詰めた。
おそらく彼はいま一身にロヴェの威圧を受けているはずだ。膝をついてもおかしくない状況でなおも立ち続ける様子を見て、黄金色の瞳がすっと細められる。
「二度は言わない」
短い宣言と共に剣先が滑らかに空を切った。
寸分の狂いもなく、まっすぐと向けられる殺意を間一髪で避けながら、傍にいる男は岩場を利用してロヴェの足止めをする。
しかし隆起した岩がロヴェを一瞬で取り囲んだかに見えたが、瞬く間に壁は砕け散り粉々になった。
その隙をついて瞬時に間合いを詰めた獅子が目前まで迫り、今度は振り下ろされた剣が風の盾に遮られる。
ロヴェの狙いは男が防御に回り、リトを手放さなければならない状況を作ることだろう。
息をつく間もない攻撃では、確かに防戦一方で手も足も出ないかもしれない。けれど逆に男は、リトを手放す頃合いを測っている。
確実なロヴェの剣先がリトに及ぶ可能性は絶対にないものの、男は自分の防御だけでなく、リトの防御もおろそかにしていない。
(なんでこんなにも有能で優しい人が、理不尽に死ななくちゃいけないの)
リトに危害を加えないよう、力を最小限に抑えているとはいえ、ロヴェ相手に躱し防ぎきっている様子に、周りの騎士たちからも緊張が感じられた。
自分が手放されたらきっと一瞬だ――そう思えばしがみついてでも離れたくない。
だと言うのに男の盾にヒビが入った途端、リトは勢いよく突き放された。
投げ出され遠ざかる瞬間、水色の瞳がこちらを向いて笑った気がする。
「――やめて!」
ロヴェに気圧され男が地面に倒れた音と、剣先が地面に突き刺さる音が、張り詰めていた空間に響く。
投げ出された体を起こしてリトが慌てて顔を上げれば、ロヴェが男に手を伸ばしているところだった。
「ロヴェ、やめて! お願い、その人を殺さないで! ロヴェ!」
男の首元を無造作に掴む、ロヴェにリトは悲鳴のような声を上げる。
意識がないのか、だらりと細い手足が垂れている姿は死を連想させ、血の気が引く思いがした。
「錬成物の解除に長けてる者を早急に呼び出せ。魔力を遮断したから起こさず、慎重に王宮へ運ぶんだ」
「はい」
いつの間にか周囲に集まっていた騎士たちが、男の手足に拘束用の枷をはめ連れて行こうとする。思わず止めかけたリトだけれど、そっと肩に外套を掛けられ我に返った。
「リト殿、ご無事でなによりです。力及ばず申し訳ありません」
「ダイト」
「ミリィも心配をして待っています。帰りましょう」
「……うん」
意識を失っている男は、リトなどよりもずっと折れそうなほど華奢に見え、胸がズキズキとした痛みを伴った。
騎士に担がれ遠ざかる姿を見つめていたリトは、近づく気配に気づいて顔を上げる。
「リト、帰るぞ」
「ロヴェ」
「悪いようにはしない。……すまない、リト」
「なぜ、謝るんですか?」
地面に座り込むリトを抱き上げたロヴェは、両腕で強く番を抱きしめながら首筋に顔を埋めてくる。
言葉の意図するところが、リトにはさっぱりわからないものの、そっとなだめるよう髪を撫でるとまた小さく謝られてしまった。
「君が止めなければ、俺は怒りにまかせて剣を突き立てていた。状況がおかしいと頭で理解していたのにもかかわらず、理性ではなく衝動を優先しようとしたんだ」
「……ロヴェ」
「俺が愚かなばかりに、すまない」
「もしそうだとしても、踏みとどまれたロヴェは愚かじゃありません。僕を救いに来てくれてありがとうございます」
ようやく出会えた番を失うかもしれないと感じた、ロヴェはどれほど怖かっただろうか。
痛んだ芽をすべて摘み取らなかった、これまでの自分の判断が間違っていたと自身を責めただろうか。
触れ合う部分から不安や恐れが伝わってくる気がして、リトは優しくロヴェの頭を抱きしめ頬を寄せた。
どんなに賢王と言われても、神の現し身だと崇められていても、等身大のロヴェはまだ年若い青年なのだ。すべてを完璧にこなせるはずがない。
それでもあの男は言っていた。
リトの伴侶は有能だからあと数年もすればきっと、国は本当の意味で平和になると。
「僕はロヴェを信じています」
「リト、この先も必ず、君の信頼に応えよう」
真摯な黄金色の瞳に心が震えて瞳が潤みそうになる。
誓いの言葉に返事をする代わりに、ロヴェの額にやんわりと口づけを落とし、リトはもう一度彼を抱きしめた。
(彼の治世で悲しい思いをする獣人たちがいなくなりますように。ロヴェが悲しみませんように)
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