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王宮暮らしのはじまり
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二人でつかの間のお茶会を楽しんだあと、ロヴェの対応は早かった。
最初にあてがわれた客室ではなく王族の居住区、獅子の宮殿に部屋を改めて用意され、今度は部屋の広さにリトは慄く羽目になったのだが。
広すぎて落ち着かないし、こんな空間でたった一人きりで過ごすのは寂しすぎると訴えれば、常に傍に控える侍女としてミリィを、専属の護衛としてダイトを付けてくれた。
彼らは部屋から続く従者用の寝室でそれぞれ寝起きしてくれるらしい。
一緒の部屋でなくていいのかと問えば、一日中一緒に行動できるので問題ないと揃って言葉を返すあたり、相変わらず似た者同士だ。
休みも必要ないと言われて焦ったものの、交代で取る形で合意してくれた。
二人で一緒に休むとリトが心配で落ち着かないので、信頼できる番がついているほうが安心だとか。
「改めましてわたし、ミリィ・ユニス・ハウゼンはリトさまが心地良く過ごせるよう、誠心誠意お仕えさせていただきます」
「ダイト・ガゼイン・ハウゼン、陛下の騎士として番さまの剣と盾になりお仕えいたします」
「こちらこそよろしくお願いします。二人が専属になって僕も嬉しいです」
「お任せください! わたしは以前、諜報部隊の黒の騎士団にいましたので、多少の戦闘は対応できます」
「え?」
拳を握り突き上げたミリィの言葉に、リトはとっさにダイトへ視線を向けた。
わずかに眉間にしわを寄せ、頷いた様子から退団させたのは彼だとわかり、番の過保護はやはりすごいと乾いた笑いが出る。
とはいえミリィは一見すると可憐な女性なので、ダイトが過分に心配しても仕方ない。
短めのふんわりとしたピンク色の髪にぱっちりとした緑の瞳。ほっそりとしていて間違っても戦闘ができそうには見えないので、相手は大いに油断しそうである。
番について訊ねた時、ダイトのためなら乗り込む、と言っていたミリィの言葉は冗談ではなかったのだな、と納得もした。
「そういえばリトさま。教会への訪問について、ベルイさまからお聞きになりましたか?」
部屋の移動や、滞在中の衣服を準備する作業を数日かけて終わらせ、のんびりとミリィの淹れてくれた薬草茶を飲んでいると、彼女はお菓子を取り分けながら小さく首を傾げた。
普段食べられない、クリームを使った甘いお菓子に目移りしていたリトだが、大事な話だと気づき慌てて顔を上げる。
「聞きました。二日後に、大司教さまが洗礼を行ってくださるそうで」
「まあ、さすがベルイさま。大司教さまがいらしてくれるなんて、ごり押ししたんですね。当日の予定が決まったらわたしたちにも知らせがあるわね」
「ああ、教会までの経路や警備などの調整が出来次第だろう」
「えっ、そんなに大がかりなんですか?」
窓際で控えていたダイトと、傍にいるミリィが頷き合っているのを見て、リトは口に入れようとしたお菓子をフォークからこぼしそうになる。
王宮から王都の教会まではさほど離れていない。徒歩でも行ける距離だが、馬車での移動だろうと予想はしていたものの、まさかダイト以外の護衛までつくとは思っていなかった。
「もちろん、万一のときがありますので。ちなみに私はこうして窓からの危険に備えておりますが、扉の外にも王宮警護の赤の騎士団が常に立っています」
「リトさまは慣れない環境な上に不便ですよね。ですが王宮内外で完全に安全な場所は陛下の傍だけと覚えていてください。わたしたちも最大限の配慮をしているのですが、陛下が成人するよりも前には、何度も獣人統治の反対派による襲撃があったそうです」
思いがけない物騒な話で、暢気にお菓子を頬ばっている場合ではなくなった。
二人は怖がらせるつもりはなく、いざというときにリトが怯えないよう前もって言ってくれているのだろう。知らないより知っていたほうがいい話だ。
「……もしかしてロヴェの傷って」
「はい。当時傷が深く傷跡を消すに至らなかったそうです。いまは治療スキルも高度な研究がされ、消すことは可能になったのですが、自身のせいで多くの騎士が亡くなったので、戒めだと」
「リト殿、不自由ですが王宮で過ごされるあいだは決して、一人で行動なさらないでください。警護対象を把握できないと、騎士たちも最善の動きができなくなります」
「僕がロヴェの弱点になりますよね。でも、もし僕がここに残らないと選択したら」
番である以上は一生、ロヴェに迷惑がかかるのではないか。
何気なくリトが疑問を投げかけた途端、予想以上に二人は酷く暗い表情を浮かべた。
聞けばなんでも答えてくれた彼らが言い淀むほど、言葉にしづらくリトには伝えにくい内容なのが推測できる。
それは番にならないのが残念だ、という単純なものではなく、リトは息を飲む。
「僕が城下で暮らしていけるようにするために、ロヴェは自分を犠牲にするような」
「おそらく番の絆を断ち切られるかと思います」
いつまでも口を噤んだままのミリィの代わりに、ダイトが一歩前へ足を踏み出した。
「どうやって?」
「番紋を焼き消すのです。そうすると相手の番紋は消失します。番に拒まれても、大抵の王族は繋がりを失いたくないと消したりはしませんが」
「……はあ、なんでそういう大事な話をしてくれなかったんだ」
「申し訳ありません。滞在の決定早々、リト殿の選択を狭めるような」
「違います! 僕はそういった非難をしているんじゃなくて。また自分を犠牲にするような選択肢を隠していたあの人に、怒ってるんです」
(焼き消すだなんて言葉では簡単に言えるけど。紋様が完全にわからなくなるほど肌を焼くって意味じゃないか。治癒したら紋様は戻りそうだし、ロヴェの体に傷をつけてまで僕は逃げたいとは思わない。そもそも相手が彼とは知らなくて、動転して判断を誤っただけで、僕はロヴェを好意的に思ってるんだ)
陛下のために、必死になれるほど心を寄せられるか不安だったけれど、相手がロヴェであれば話は別だった。
王宮に滞在しようとリトが決めたのは、彼を理解し歩み寄って関係を築きたかったからだ。
「駄目です! ロヴェは諦め癖がついてるに違いない! のんびり過ごすなんて無理です! ミリィさんもダイトさんも、必要と感じる情報はどんなに言いづらくても僕に教えてください。あと今後、僕にとって必須になる勉強がしたいです」
大きなため息と共に額を抑え、うな垂れていたリトが突然体を起こしたので、二人は驚きに目を丸くした。続いて早口でまくし立てる新しい主人に、揃って呆気にとられた顔をする。
「僕はちゃんとした勉強をした経験がないんです。読み書きも普通の平民より劣るし、歴史も地理も疎いです。教養や作法なんて論外だし。……だけどそのせいでロヴェを馬鹿にされたり、彼に恥ずかしい思いをさせたりしたくないんです」
どうひっくり返してもリトはロヴェに対し好意を持っている。好きになる努力は不要であり、いまするべき行動は将来、彼の隣に立っても恥ずかしくない人間になることだ。
お互いまだ恋だ愛だという感情に至っていないので、気持ちを育むのも大切だけれど、優先順位を見誤るわけにはいかない。
ロヴェイン・ディル・ロザハールという人物は、リトの番というだけではなく、ロザハール王国の、獣人の王様なのだから。
「よし、まずは手紙の書き方を教えてください。ミリィさん、便せんありますか?」
「え? 手紙ですか? どこへ出すんですか?」
「もちろん、ロヴェにです。彼はいまのところ忙しいようだから、直接会うより手紙のほうがいいかと思って」
「いえいえ、会いたいとおっしゃってください! 陛下もリトさまに会いたいはずです」
「そうだったんですか?」
二人だけのお茶会をしてから数日経っているが、まったく音沙汰がないのでリトは忙しすぎて自分を構う暇などないのだろうと思っていた。
常日頃から激務の人に、時間を割けと言えずにいたリトだったけれど、ふと彼の言葉を思い出す。
――リトが望むならいくらでも
「えぇ? そういう意味? 僕が会いたいと思わなければ顔を見せないの? ロヴェも会いたいならいくらでも会いに来てよ! もう!」
「リト殿、どうか陛下に甘えてください。我々もあの方の働きすぎが気になって仕方がないのです。番さまが言えば陛下も休憩を取ってくださるでしょう」
「ぜひ! わたしからもお願いします!」
二人の懇願を聞いたリトは宰相や騎士たちが、王宮の抜け出しに目をつぶっていた理由がよくわかった。
仕事にのめり込むくらいなら、少しでも羽を伸ばして欲しいと思っていたのだろう。
こうなってはロヴェに毎日の休憩と、できれば昼寝をさせてみせるとリトは決意を固めた。
最初にあてがわれた客室ではなく王族の居住区、獅子の宮殿に部屋を改めて用意され、今度は部屋の広さにリトは慄く羽目になったのだが。
広すぎて落ち着かないし、こんな空間でたった一人きりで過ごすのは寂しすぎると訴えれば、常に傍に控える侍女としてミリィを、専属の護衛としてダイトを付けてくれた。
彼らは部屋から続く従者用の寝室でそれぞれ寝起きしてくれるらしい。
一緒の部屋でなくていいのかと問えば、一日中一緒に行動できるので問題ないと揃って言葉を返すあたり、相変わらず似た者同士だ。
休みも必要ないと言われて焦ったものの、交代で取る形で合意してくれた。
二人で一緒に休むとリトが心配で落ち着かないので、信頼できる番がついているほうが安心だとか。
「改めましてわたし、ミリィ・ユニス・ハウゼンはリトさまが心地良く過ごせるよう、誠心誠意お仕えさせていただきます」
「ダイト・ガゼイン・ハウゼン、陛下の騎士として番さまの剣と盾になりお仕えいたします」
「こちらこそよろしくお願いします。二人が専属になって僕も嬉しいです」
「お任せください! わたしは以前、諜報部隊の黒の騎士団にいましたので、多少の戦闘は対応できます」
「え?」
拳を握り突き上げたミリィの言葉に、リトはとっさにダイトへ視線を向けた。
わずかに眉間にしわを寄せ、頷いた様子から退団させたのは彼だとわかり、番の過保護はやはりすごいと乾いた笑いが出る。
とはいえミリィは一見すると可憐な女性なので、ダイトが過分に心配しても仕方ない。
短めのふんわりとしたピンク色の髪にぱっちりとした緑の瞳。ほっそりとしていて間違っても戦闘ができそうには見えないので、相手は大いに油断しそうである。
番について訊ねた時、ダイトのためなら乗り込む、と言っていたミリィの言葉は冗談ではなかったのだな、と納得もした。
「そういえばリトさま。教会への訪問について、ベルイさまからお聞きになりましたか?」
部屋の移動や、滞在中の衣服を準備する作業を数日かけて終わらせ、のんびりとミリィの淹れてくれた薬草茶を飲んでいると、彼女はお菓子を取り分けながら小さく首を傾げた。
普段食べられない、クリームを使った甘いお菓子に目移りしていたリトだが、大事な話だと気づき慌てて顔を上げる。
「聞きました。二日後に、大司教さまが洗礼を行ってくださるそうで」
「まあ、さすがベルイさま。大司教さまがいらしてくれるなんて、ごり押ししたんですね。当日の予定が決まったらわたしたちにも知らせがあるわね」
「ああ、教会までの経路や警備などの調整が出来次第だろう」
「えっ、そんなに大がかりなんですか?」
窓際で控えていたダイトと、傍にいるミリィが頷き合っているのを見て、リトは口に入れようとしたお菓子をフォークからこぼしそうになる。
王宮から王都の教会まではさほど離れていない。徒歩でも行ける距離だが、馬車での移動だろうと予想はしていたものの、まさかダイト以外の護衛までつくとは思っていなかった。
「もちろん、万一のときがありますので。ちなみに私はこうして窓からの危険に備えておりますが、扉の外にも王宮警護の赤の騎士団が常に立っています」
「リトさまは慣れない環境な上に不便ですよね。ですが王宮内外で完全に安全な場所は陛下の傍だけと覚えていてください。わたしたちも最大限の配慮をしているのですが、陛下が成人するよりも前には、何度も獣人統治の反対派による襲撃があったそうです」
思いがけない物騒な話で、暢気にお菓子を頬ばっている場合ではなくなった。
二人は怖がらせるつもりはなく、いざというときにリトが怯えないよう前もって言ってくれているのだろう。知らないより知っていたほうがいい話だ。
「……もしかしてロヴェの傷って」
「はい。当時傷が深く傷跡を消すに至らなかったそうです。いまは治療スキルも高度な研究がされ、消すことは可能になったのですが、自身のせいで多くの騎士が亡くなったので、戒めだと」
「リト殿、不自由ですが王宮で過ごされるあいだは決して、一人で行動なさらないでください。警護対象を把握できないと、騎士たちも最善の動きができなくなります」
「僕がロヴェの弱点になりますよね。でも、もし僕がここに残らないと選択したら」
番である以上は一生、ロヴェに迷惑がかかるのではないか。
何気なくリトが疑問を投げかけた途端、予想以上に二人は酷く暗い表情を浮かべた。
聞けばなんでも答えてくれた彼らが言い淀むほど、言葉にしづらくリトには伝えにくい内容なのが推測できる。
それは番にならないのが残念だ、という単純なものではなく、リトは息を飲む。
「僕が城下で暮らしていけるようにするために、ロヴェは自分を犠牲にするような」
「おそらく番の絆を断ち切られるかと思います」
いつまでも口を噤んだままのミリィの代わりに、ダイトが一歩前へ足を踏み出した。
「どうやって?」
「番紋を焼き消すのです。そうすると相手の番紋は消失します。番に拒まれても、大抵の王族は繋がりを失いたくないと消したりはしませんが」
「……はあ、なんでそういう大事な話をしてくれなかったんだ」
「申し訳ありません。滞在の決定早々、リト殿の選択を狭めるような」
「違います! 僕はそういった非難をしているんじゃなくて。また自分を犠牲にするような選択肢を隠していたあの人に、怒ってるんです」
(焼き消すだなんて言葉では簡単に言えるけど。紋様が完全にわからなくなるほど肌を焼くって意味じゃないか。治癒したら紋様は戻りそうだし、ロヴェの体に傷をつけてまで僕は逃げたいとは思わない。そもそも相手が彼とは知らなくて、動転して判断を誤っただけで、僕はロヴェを好意的に思ってるんだ)
陛下のために、必死になれるほど心を寄せられるか不安だったけれど、相手がロヴェであれば話は別だった。
王宮に滞在しようとリトが決めたのは、彼を理解し歩み寄って関係を築きたかったからだ。
「駄目です! ロヴェは諦め癖がついてるに違いない! のんびり過ごすなんて無理です! ミリィさんもダイトさんも、必要と感じる情報はどんなに言いづらくても僕に教えてください。あと今後、僕にとって必須になる勉強がしたいです」
大きなため息と共に額を抑え、うな垂れていたリトが突然体を起こしたので、二人は驚きに目を丸くした。続いて早口でまくし立てる新しい主人に、揃って呆気にとられた顔をする。
「僕はちゃんとした勉強をした経験がないんです。読み書きも普通の平民より劣るし、歴史も地理も疎いです。教養や作法なんて論外だし。……だけどそのせいでロヴェを馬鹿にされたり、彼に恥ずかしい思いをさせたりしたくないんです」
どうひっくり返してもリトはロヴェに対し好意を持っている。好きになる努力は不要であり、いまするべき行動は将来、彼の隣に立っても恥ずかしくない人間になることだ。
お互いまだ恋だ愛だという感情に至っていないので、気持ちを育むのも大切だけれど、優先順位を見誤るわけにはいかない。
ロヴェイン・ディル・ロザハールという人物は、リトの番というだけではなく、ロザハール王国の、獣人の王様なのだから。
「よし、まずは手紙の書き方を教えてください。ミリィさん、便せんありますか?」
「え? 手紙ですか? どこへ出すんですか?」
「もちろん、ロヴェにです。彼はいまのところ忙しいようだから、直接会うより手紙のほうがいいかと思って」
「いえいえ、会いたいとおっしゃってください! 陛下もリトさまに会いたいはずです」
「そうだったんですか?」
二人だけのお茶会をしてから数日経っているが、まったく音沙汰がないのでリトは忙しすぎて自分を構う暇などないのだろうと思っていた。
常日頃から激務の人に、時間を割けと言えずにいたリトだったけれど、ふと彼の言葉を思い出す。
――リトが望むならいくらでも
「えぇ? そういう意味? 僕が会いたいと思わなければ顔を見せないの? ロヴェも会いたいならいくらでも会いに来てよ! もう!」
「リト殿、どうか陛下に甘えてください。我々もあの方の働きすぎが気になって仕方がないのです。番さまが言えば陛下も休憩を取ってくださるでしょう」
「ぜひ! わたしからもお願いします!」
二人の懇願を聞いたリトは宰相や騎士たちが、王宮の抜け出しに目をつぶっていた理由がよくわかった。
仕事にのめり込むくらいなら、少しでも羽を伸ばして欲しいと思っていたのだろう。
こうなってはロヴェに毎日の休憩と、できれば昼寝をさせてみせるとリトは決意を固めた。
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