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初めての王宮

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 運命の日、とも言える王宮へ招かれる日取りは、思っていたよりも早く決まった。
 ハンナがすぐさま書簡を送ったのだが、驚くことに翌日には返事が来たのだ。

 それから場を整えるのに時間はかかったものの、手紙を預かった七日後のいま、リトは王宮が用意した馬車に揺られている。
 そっと窓の外を見ると、馬車と並行して馬を操るダイトの姿が見えた。

 宿屋に迎えに来た使者兼護衛が彼だったのだ。
 思わぬ再会に驚いたけれどダイトの反応は至って平常で、さすが騎士だけあって取り乱さないのだなと感心した。

 西地区から王宮まで、馬車でもそれなりに時間がかかる。馬に乗っているダイトの背後で黒く細長い尾が揺れているのが見え、リトの緊張する気持ちが和んだ。
 尻尾を有する獣人の制服は、長いジャケットの裾から臀部近くまで生地が分かれていて、尻尾の邪魔にならないよう縫製されている。

「ふふ、獣人の尻尾って結構感情が表れるから面白いんだよな」

 何事もないみたいに涼しい顔をしていたダイトだけれど、尻尾の揺れを見る限り機嫌が良いように見えた。

 獣人は裏表があまりない。ないというのは語弊があるかもしれないが、感情が身体特徴に表れやすいので基本素直な性質だ。
 尻尾や耳の動きで機嫌がなんとなく感じられるだけでなく、それらを持たない獣人でも髪色に関してだけは、番へ対する感情は一目で見て取れる。

 ゆえに誤魔化す行動をしないので、裏表がなく素直という見解になるわけだ。
 そんなところもまたリトが獣人を好ましく感じる部分だった。

「リト殿、これから正門を通過します」

 ふいに振り向いたダイトと目が合うと声をかけられ、リトは大きく何度も頷いた。
 遠くから見たことがあっても、王宮の近くへ行くのはこれが初めてで、さらにはその中へ入るとなれば落ち着いた緊張が戻ってくる。

 声をかけられてからしばらくすると、馬車が止まり、やや間を置いてからダイトの手で扉が開かれた。大きく息を吸って気持ちを抑えたリトは、差し出された手を取る。
 本来は淑女に差し出されるエスコートだが、乗る時にリトがもたついたため、ダイトの配慮だろう。

「ようこそおいでくださいました」

 馬車を降りてほっと息をつけば、見計らったように言葉をかけられた。
 振り向いた先にいたのはすらりとした細身の男性で、平民には高級品と言われている眼鏡が非常に似合う、知的な雰囲気を感じさせる。

(銀ギツネの獣人さんだ。狐の中でも銀色ってすごく珍しいんだよね)

 首元で結われた青銀色の髪がさらりと揺れ、リトは思わず美しさに見とれてしまった。
 ロザハールの民族衣装もまたとても珍しく、そちらにも目を奪われる。

 今時の貴族は他国と流行を合わせた衣服が主で、ジャケットにベスト、ズボンに革靴というのが一般的なため、この衣装を着ている人は少ない。

 ロザハールの服は首元まで覆うシャツに腰までのなかと、丈が長く裾がひらひらとしたうわけの組み合わせ。
 上掛けは前合わせにして帯を締める形でも、羽織るだけでも着付けとしては正解だ。彼は刺繍の美しい帯を締めている。裾はもちろん身体特徴に合わせて調整されていた。

 ズボンはゆったりとしていて、足首やふくらはぎで絞る形が多いらしい。獣人の体格は獣種によって異なるため、無難な形であるとも言える。
 足元はブーツや、かかとの高くない平たい靴を合わせるのが主流だ。

「リトさま、私はベルイ・ファンバス・エディード。国の宰相を務めております。本日はよろしくお願いいたします」

「……っ! 宰相さまっ?」

 すぐに挨拶を返さなければならないのに、ぼんやりと衣装に気をとられていたところに、衝撃の事実。
 出たのは裏返った声で、とっさにリトが自分の口を塞ぐも時すでに遅し、変化のない静かな笑みを返されて気まずさが広がる。

 目の前にいるベルイは二十代後半くらいの、まだ年若い青年に見えていた。実際にそのくらいの年齢なのかもしれないが、まさか宰相さま直々のお出迎えは予想だにしない。

(王宮の官僚については全然知らないんだよな。また粗相があったらどうしよう)

「中へご案内いたします」

「は、はい。よ、よろしくお願いします」

 深々と頭を下げてからリトはベルイと、彼に付き従う騎士たちのあとへ続いた。
 自身の斜め後ろにダイトが控えているのに気づき、最後まで面倒を見てくれるようでほっとする。

 王宮の中は派手さはなく、上品で美しい調度品や装飾で彩られ、廊下の絨毯すらふかふかで場違い感を覚えて仕方がない。
 なるべくキョロキョロとしないよう、リトはベルイの背中に視線を集中させる。

 触れたらフワサラしていそうな、毛並みが良い青銀色の尻尾は歩く動きで揺れるものの、感情は読み取るのは不可能に思えた。
 宰相ともなれば自分の感情、耳や尻尾の動きまで制御できるものなのか、と新たな発見にリトは興味津々だ。

「こちらで色々と確認やお話をいたしましょう」

 大きな二枚扉の前で立ち止まったベルイが振り向き、慌ててリトが視線を上げれば、再び静かな微笑みを向けられる。

 明らかに作り笑いなのがわかる上に、表情の下にある感情が察することができないので、ある意味、笑みの美しさが恐ろしい。
 すぐさまリトは王宮で逆らってはいけない人、として脳内に刻んだ。

 室内にはソファやテーブルがあり、応接間だろうと推測できる。なぜか部屋の端に衝立があるのは謎だけれど、勧められるままにリトはソファに腰掛けた。
 向かい側に優雅な仕草で座ったベルイは、背後に控えた補佐らしき人から、書類を受け取ったのちリトに向き合う。

(あれ? 宰相さまの瞳って金色? 眼鏡かけてるからわかりにくいけど)

「リトさまは好奇心旺盛でいらっしゃるようですね」

「あっ、あぁ、すみません! ……いえ、ええと、申し訳ありません。気になったらとことん気になってしまう性質で」

 粗相しないよう気をつけるつもりだったのに、うっかりいつものように自分の考えにのめり込んでしまい、リトは顔から火が出る勢いで頬が熱くなる。

「なるほど、いまはなにを気にされていたのですか?」

「……宰相さまの、瞳が、金色に見えたので」

「この色の意味はご存じだったのですね」

「いえ、ごく最近、知りました」

「そうでしたか。リトさまは少し前まで小さな村で暮らしておられたそうですね。失礼ながら出自を簡単に調査させていただきました」

「いえいえ、当然の対応かと」

(そっか、こういった調査もあったから、返事から時間を置いての招待だったんだな)

「環境などを踏まえ、事実にたどり着くのに時間がかかったのは理解しました。国としても、廃村とされる場所に人が住んでいた現状を把握しておりませんでしたので、隅々まで伝達が行き渡らなかった旨をお詫びいたします」

 なかなかの厚みがある書類を捲るベルイの指を見ながら、たった七日程度でこれほど調べられる調査能力にリトは素直に驚く。
 王家に輿入れするかもしれない人物の調査だからこそではあるが、徹底されていて信頼が置ける気がした。

「どうやらリトさまは教会の洗礼を受けていないようですね」

「洗礼、ですか?」

「これをご存じないとは、どこまで情報が遮断されていたのかと心配になりますね」

「村に教会がなくて、ほかの村にはあったんですが、詳しく話を聞いた覚えがなくて。もしかして僕は、あえてなにも教えられていなかったのでしょうか」

 獣人の存在も教会も洗礼も、村で暮らすのなら知らなくとも困りはしない。
 当然のように村で一生を終えると思っていたのはなぜなのか。
 パルラが亡くなってからマーサが村を出る将来を勧めてくれ、ほかの人たちもこぞって賛同した。

 亡くなった人に問うのは不可能だが、パルラの行動からベルイが情報の遮断と言ってもおかしくはない。

「調査の際に村民から話を伺いました。祖母とされるパルラ殿は、頑なに貴方を村の外へ出すのを拒んでいたそうです」

「される、って……おばあちゃんは僕の祖母じゃないんですか?」

「可能性が高いです。二十年ほど前、村にパルラ殿を訪ねてきた者がいたそうです。当時を覚えていた方の話では質素な馬車だったが、おそらく貴族の従者だったのではないかと。パルラ殿はすでに没落した子爵家出身ですので、そこからの繋がりが予想されます。こちらは引き続き調査をしております」

「おばあちゃんって、貴族出身だったんだ」

 こんな情報は村の誰一人として知らなかっただろう。
 ソファに腰掛けてさほど経っていないのに、もう処理能力の許容量を超える話が飛び出して、額を抑えたリトは小さく唸ってしまった。

「その件はさておき、早めに教会で洗礼を受ける手筈を整えましょう」

「洗礼を受けるとなにかあるんですか?」

「はい、加護と洗礼名を授かります。洗礼名は二番目の名前で、平民でも洗礼名を名乗っていますが、気づかれませんでしたか? また魔力持ちの場合、固有スキルが発現します」

「獣人の固有スキルって、教会で授かるんですね! てっきり生まれつきだとばかり思ってました」

「魔力自体は生まれ持ったものですが、洗礼を受けないと力を発揮できません」

「とても興味深いですね。僕も魔力があったりするんでしょうか? ずっとないのだと思っていたんですが」

 王都に来てからスキル持ちの人たちが羨ましい気持ちがあった。もしあるならとリトが期待した視線をベルイに送ると、彼は一瞬だけ眉間にしわを寄せる。

「なぜないと思い込んでいたのでしょう?」

「え? なんでだったかな。えーと、そうだ! 村によく来る商人さんが、僕にはまったく魔力がないって言ったので」

「村に来ていた商人、ですか。頻繁に訪れていたのなら、貴方へ対する監視の可能性がありますね。そちらも詳しく調べてみましょう。ちなみに魔力の保有量が多い者しか、洗礼前の魔力持ちには気づけません。それほど微弱なんです。一介の商人ではまったくと断言するのは到底、不可能ですね」

「不可、能……ですか」

(魔力に興味を持つと獣人の存在に繋がるから、ないって言われた? 僕をおばあちゃんに預けた人が商人さんを通して、村を出ようとしていないか確かめに来てたの?)

 再び処理能力が停止しそうになり、リトの口がぽかんと開く。
 長い期間、親しいと言える交流があった人物が怪しいと聞かされれば、当然の反応でもある。リトの心情を理解しているのか、小さく息をついてベルイは書類を膝に置いた。

「一息ついてください」

「は、はい。……ありがとうございます」

 礼を告げるといつの間にか傍に来ていたメイドが、温かいお茶を注いだティーセットを目前に置いてくれた。

 視線を向ければ、ピンク色の髪をした彼女は優しくにっこりと微笑みを返してくれる。
 衝撃の連続で疲れた気持ちに、愛らしい猫耳をしたメイドの存在が染み入った。

「甘くておいしい」

「そちらは心身の疲れを取る薬草茶ですよ。お口に合って良かったです」

「薬草茶?」

「はい、魔力を持った者が解放しないままでいると、体に大きな負担がかかるんです。甘くておいしいと感じるなら、リトさまのお体は大層お疲れのようですね」

「ははっ、そうなんですね。もしかしたら華奢すぎるって言われる原因って」

 まさかと思ったけれど、リトの言葉にメイドが深く頷いたのを見て、がっくりと肩が落ちる。
 いままで体質と思い諦めていたのに、単なる栄養不足、体調不良だったのは驚きと落胆が隠せない。

「では、落ち着かれたようですので、最後に確認をさせていただけますか?」

 お茶をゆっくり二杯ほど飲んだところで、ベルイが音もなく立ち上がった。つられてリトが顔を上げれば、彼は部屋の隅にある衝立を手で示す。

「……確認。あっ、番紋の確認ですね! でも最後に? もしなかったらとか」

「いえ、あるのは確信しています。一目でわかりました」

「そうなんですか? 一目でわかるんですね」

「ええ、まず王族は番が現れた瞬間に髪色の一部が変化します。なにより隠しようがない決定的な証拠は匂いです。番の魔力は王族の持つ魔力と同じ匂いがしますので」

「獣人は番の匂いを嗅ぎ分けるって聞いたんですが、魔力によるものなんですね。……髪色、えっ? 待って、このくすんだ草色を陛下がお持ちなんですか? なんて残念な! もっと綺麗な髪色に生まれたかった!」

 今日、最も大きな衝撃にリトは両手で顔を覆いうな垂れた――途端、室内に吹き出すのをこらえた、喉を鳴らす音がいくつも響く。
 ベルイの咳払いで周囲の騎士たちが姿勢を正したのが感じられ、リトはますます己が恥ずかしくなった。

「陛下は気にされていません。獣人という生き物は番が世界で一番尊いのです」

「……はい」

 落ち込みつつもしっかりと番紋を確認してもらい、陛下の番で間違いないと証明された。
 リトもあれから自分でも確認したので、番紋の存在は自覚し認識していたものの、実際に公的な証明をされるとまた違った気分になる。

 いよいよ陛下との謁見する段階へ進む緊張で、握った手のひらに汗を掻いた。
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