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おいしい恋はあなたの傍で
新しい場所といつもの風景
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思いがけない志織の本音を聞いて、その日は感情が爆発したものの、いま考えると引っ越しが決まるまでもっと出入りしておけば良かった。
――と雄史が思ったのは、引っ越し当日だ。
部屋の明け渡しまで、三ヶ月近くあると高をくくっていたが、あっという間だった。
部屋の片付けはもちろん。引っ越し業者と打ち合わせしたり、新居に足りない物を揃えたり。
本当に引っ越しができるのか、雄史は正直プチパニックになった。
思えば一人暮らしの最初は、母親がすべてを仕切ったので、大学を卒業後は大した支度をせず新居で暮らし始めたのだ。
住所が確定したあと、引っ越しをすると連絡をしたら、母親に手伝いに行くと言われたので雄史は丁重にお断りした。
本日はカフェの営業時間が終わったら、志織がにゃむと一緒に引越祝いをしに来てくれる。
「おー! いままでの荷物が全部入っても広いなぁ」
これまではよくある一人暮らし用の八畳間とキッチンの1K。
今度の部屋は元2Kのワンルームなのだから、当然ではあるけれど。
引っ越し業者の作業が終わり、残りは雄史が段ボールの中身を家具やクローゼットに移すだけだ。
スーツは業者のハンガーボックスから移動が終わっているので、とりあえず確実に利用する寝室とキッチンをメインに――
「あっ、そうだ。にゃむのトイレとご飯のやつと」
思い出したように雄史は〝にゃむ用〟と書かれた段ボールを開く。
猫用トイレや爪とぎ、ふわふわベッドなど猫グッズがたくさん詰まっている。
雄史は引っ越し先の条件にペット可〝猫〟を入れていた。志織と一緒に休みの前日、泊まりに来てもらえるようにだ。
それとは別に、志織が外せない用事で家を空ける場合に、いつでも預かれるだろうとも考えた。
にゃむが喜ぶかは疑問だが、喧嘩相手でも独りぼっちよりはマシだろう。
「えーと、調理器具は志織さんに任せておいたけど。とりあえず棚とか引き出しにしまっておけばいいかな?」
少し前に届いた宅配便の中身は、ここへ来た際に志織が使う品々。
いままでまともに家事をしてこなかった雄史は、調理用品がほぼ皆無だったので、彼にお願いした。
「んー、ベッドが広い」
寝室サイドのスペースで存在を主張する真新しいベッド。
最近、志織の家でもベッドを買い替えたけれど、雄史ももれなく新調した。二人ともセミダブルからダブルにワンサイズアップ。
高さのあまりないフロアベッドは、通常のタイプより広々して見える。
なぜこれを選んだかと言えば、リフォーム済みで床も張り替えたものの、マンションの三階なため、最中に音が響かないようにだった。
「志織さんの家では気にしてなかったけど、ご近所に迷惑はダメだよな」
角部屋なので壁は問題ない。ただ床は念には念を入れて、ベッドの下に防音マットを敷いた。
自身が気をつけることが可能であればまだいいのだが、雄史は一度スイッチが入ると目の前の志織しか見えなくなる。
「引っ越しって大変だけど。なんか新しい場所へ来るとウキウキするなぁ」
朝からずっと動き回り、気づくと日が沈んでいた。大体片付いたところで風呂でさっぱりと汗や埃を流す。
以前の浴室よりも断然広くなった湯船で、しばし雄史は疲れを癒やした。
余裕が出てリビングスペースの片付けをしているあいだに、インターフォンの音が聞こえた。
オートロックなので階下の志織だろうと思ったら、案の定だ。
疲れた一日の終わりに志織の顔を見た瞬間、雄史の疲れは吹っ飛び、玄関のチャイムが鳴ったと同時に、廊下に繋がる扉を開いていた。
「思ったよりも元気だな」
「えへへ、志織さんの顔を見たら元気になりました。どうぞ」
「ああ」
「にゃむは大丈夫そうですか?」
「置いてこようかとも思ったんだが、雄史の所へ行くと言ったら、キャリーバッグを引っ張り出してきた」
引越祝いの料理を作りながら、にゃむに今日は雄史の家に泊まりに行くと説明した結果、ついてくることになったようだ。
棚の奥にしまってある、自分用のバッグを無理やり出してくるあたり、にゃむの根性はさすがである。
ちらっと志織が視線が向けた先は、リュック型のキャリーバッグ。
料理など荷物があったため、彼は車で来た。普段は近くの駐車場に駐めているらしい。
「手の荷物は預かるので、にゃむを自由にしてあげてください」
部屋に入り、雄史はキッチンへ料理の入ったバッグを置き、志織はそっと下ろしたキャリーバッグの口を開く。
途端にぴょこっと頭が飛び出て、耳がピクピクと動かされる。辺りをしばらく警戒したにゃむだが、数分後には部屋の中を探索し始めた。
「そういえばにゃむって、よその家に行ったことは?」
「実家くらいだな。それも数度だから覚えてるかどうか。あとは定期検診で病院に行く程度だ」
「そっか、ストレスにならないといいけど」
「あの調子なら大丈夫だろう」
にゃむが自由気ままに部屋を歩き始めたので、志織もキッチンにやってくる。
この部屋はカウンターキッチンで、室内がよく見渡せた。
志織の言葉でにゃむの姿を視線で追ってみると、彼女は用意したトイレを覗き込みチェックしたのち、マーキングなのかしっかり用を足している。
「さすがにゃむ、大物だ」
「新しい部屋だが、雄史の匂いもするからだろうな」
「俺の匂い、嫌いなのかと思ってた」
「いまはそうでもないんじゃないか?」
「だったら嬉しいな」
雄史は元々動物好きでわりと全般に好かれる。唯一嫌われたのがにゃむだと言ってもいいくらいだった。
いまでも喧嘩は絶えないけれど、当初に比べたら確かに手心を加えられている気もする。
以前は志織の部屋に泊まるたび生傷が増えて、会社の人にも心配されたほどだった。
最近は爪を立てても抉られることはあまりない。
にゃむが部屋の中を歩き回っているあいだに食卓が整った。
ほぼ志織が準備してくれたので、雄史は皿を出したり食材を冷蔵庫へしまったりのみだが。
志織の部屋と同じくローテーブルに皿と器が並び、テーブル近くの小さなマットの上にはにゃむの食器が置かれる。
場所は違えどいつもと似た風景が出来上がり、雄史と志織はまずビールの入ったグラスを手に取った。
「引っ越し、お疲れさま」
「ありがとうございます! これでやっとゆっくり志織さんに会えます」
「雄史が変な我慢をしたからだろう?」
「あの時の俺をひっぱたいて止めたいです」
くっ、と喉の奥で笑った志織に、雄史は情けない表情でため息をついた。
それでも次の言葉で完全復活を果たす。
「明日は予定をまったく入れていないからのんびり過ごそう」
「志織さーん! 愛してますー!」
「ほら、早く食え。朝も昼も大して食べてないんだろう? にゃむはもう食ってるぞ」
「いただきます!」
ぐいっとグラスのビールをあおってから、雄史は箸を取って手を合わせた。皿の上にある品はどれも好きなもの。
自分のことを考えて作ってくれた。そう思うだけで胸がいっぱいになる。
「ん~! やっぱり志織さんのご飯は美味しい!」
今日は和風メインで、芋の煮っ転がしや煮浸し、和え物、酢の物、白米と炊き込みご飯のおにぎりが二種類。
もちろん志織は、雄史に肉は欠かせないと理解しているため、鶏ももと手羽先の唐揚げもある。
「はああ、ビールが最高に染みる」
「あまり飲み過ぎるなよ?」
「んんー! 最高に幸せすぎて、俺、どうしよう」
「どうするんだ?」
ふわふわと酒に酔いつつ、へらへらと笑っていたら、頬杖をついた志織がじっと見つめてきて、雄史の心臓が大きく跳ねた。
綺麗なブルーグレーの瞳。耳元には、去年のクリスマスにプレゼントした〝グレームーンストーン〟のピアス。
つい見惚れるようにぼーっとしていると、志織はわずかに片眉を上げる。
小さな仕草にハッとした雄史は、なぜかとっさにグラスのビールをあおり、正座していた。
「もう酔ったのか?」
「いや、そんなはずは……あるかもしれないです」
問いかけを否定しかけて、思ったよりも酔いが回っている自分に気づく。
あはは、とわざとらしい笑い声を上げ、後頭部を掻いた雄史に、志織は些か重たい息をついた。
「まあ、このところずっと忙しかったしな。仕方ない」
「ん? 志織さん?」
どこか残念そうに見える表情で箸を動かす志織を、訝しく思った雄史はこてんと首を傾げる。
しばしそのまま考えてから、一つの答えにたどり着く。
「え! 待って! 仕方なくないです! 今夜はお預けとか言いませんよね? 酔ってても志織さんならしっかり勃ちます!」
「そんなに大声で宣言することじゃないだろ。疲れてるんじゃないのか?」
「お預けされるほうが俺は元気が出ないです」
雄史の訴えるような眼差しに納得したのか。
志織はかすかに苦笑しながらも「お預けはしない」と言ってくれた。
――と雄史が思ったのは、引っ越し当日だ。
部屋の明け渡しまで、三ヶ月近くあると高をくくっていたが、あっという間だった。
部屋の片付けはもちろん。引っ越し業者と打ち合わせしたり、新居に足りない物を揃えたり。
本当に引っ越しができるのか、雄史は正直プチパニックになった。
思えば一人暮らしの最初は、母親がすべてを仕切ったので、大学を卒業後は大した支度をせず新居で暮らし始めたのだ。
住所が確定したあと、引っ越しをすると連絡をしたら、母親に手伝いに行くと言われたので雄史は丁重にお断りした。
本日はカフェの営業時間が終わったら、志織がにゃむと一緒に引越祝いをしに来てくれる。
「おー! いままでの荷物が全部入っても広いなぁ」
これまではよくある一人暮らし用の八畳間とキッチンの1K。
今度の部屋は元2Kのワンルームなのだから、当然ではあるけれど。
引っ越し業者の作業が終わり、残りは雄史が段ボールの中身を家具やクローゼットに移すだけだ。
スーツは業者のハンガーボックスから移動が終わっているので、とりあえず確実に利用する寝室とキッチンをメインに――
「あっ、そうだ。にゃむのトイレとご飯のやつと」
思い出したように雄史は〝にゃむ用〟と書かれた段ボールを開く。
猫用トイレや爪とぎ、ふわふわベッドなど猫グッズがたくさん詰まっている。
雄史は引っ越し先の条件にペット可〝猫〟を入れていた。志織と一緒に休みの前日、泊まりに来てもらえるようにだ。
それとは別に、志織が外せない用事で家を空ける場合に、いつでも預かれるだろうとも考えた。
にゃむが喜ぶかは疑問だが、喧嘩相手でも独りぼっちよりはマシだろう。
「えーと、調理器具は志織さんに任せておいたけど。とりあえず棚とか引き出しにしまっておけばいいかな?」
少し前に届いた宅配便の中身は、ここへ来た際に志織が使う品々。
いままでまともに家事をしてこなかった雄史は、調理用品がほぼ皆無だったので、彼にお願いした。
「んー、ベッドが広い」
寝室サイドのスペースで存在を主張する真新しいベッド。
最近、志織の家でもベッドを買い替えたけれど、雄史ももれなく新調した。二人ともセミダブルからダブルにワンサイズアップ。
高さのあまりないフロアベッドは、通常のタイプより広々して見える。
なぜこれを選んだかと言えば、リフォーム済みで床も張り替えたものの、マンションの三階なため、最中に音が響かないようにだった。
「志織さんの家では気にしてなかったけど、ご近所に迷惑はダメだよな」
角部屋なので壁は問題ない。ただ床は念には念を入れて、ベッドの下に防音マットを敷いた。
自身が気をつけることが可能であればまだいいのだが、雄史は一度スイッチが入ると目の前の志織しか見えなくなる。
「引っ越しって大変だけど。なんか新しい場所へ来るとウキウキするなぁ」
朝からずっと動き回り、気づくと日が沈んでいた。大体片付いたところで風呂でさっぱりと汗や埃を流す。
以前の浴室よりも断然広くなった湯船で、しばし雄史は疲れを癒やした。
余裕が出てリビングスペースの片付けをしているあいだに、インターフォンの音が聞こえた。
オートロックなので階下の志織だろうと思ったら、案の定だ。
疲れた一日の終わりに志織の顔を見た瞬間、雄史の疲れは吹っ飛び、玄関のチャイムが鳴ったと同時に、廊下に繋がる扉を開いていた。
「思ったよりも元気だな」
「えへへ、志織さんの顔を見たら元気になりました。どうぞ」
「ああ」
「にゃむは大丈夫そうですか?」
「置いてこようかとも思ったんだが、雄史の所へ行くと言ったら、キャリーバッグを引っ張り出してきた」
引越祝いの料理を作りながら、にゃむに今日は雄史の家に泊まりに行くと説明した結果、ついてくることになったようだ。
棚の奥にしまってある、自分用のバッグを無理やり出してくるあたり、にゃむの根性はさすがである。
ちらっと志織が視線が向けた先は、リュック型のキャリーバッグ。
料理など荷物があったため、彼は車で来た。普段は近くの駐車場に駐めているらしい。
「手の荷物は預かるので、にゃむを自由にしてあげてください」
部屋に入り、雄史はキッチンへ料理の入ったバッグを置き、志織はそっと下ろしたキャリーバッグの口を開く。
途端にぴょこっと頭が飛び出て、耳がピクピクと動かされる。辺りをしばらく警戒したにゃむだが、数分後には部屋の中を探索し始めた。
「そういえばにゃむって、よその家に行ったことは?」
「実家くらいだな。それも数度だから覚えてるかどうか。あとは定期検診で病院に行く程度だ」
「そっか、ストレスにならないといいけど」
「あの調子なら大丈夫だろう」
にゃむが自由気ままに部屋を歩き始めたので、志織もキッチンにやってくる。
この部屋はカウンターキッチンで、室内がよく見渡せた。
志織の言葉でにゃむの姿を視線で追ってみると、彼女は用意したトイレを覗き込みチェックしたのち、マーキングなのかしっかり用を足している。
「さすがにゃむ、大物だ」
「新しい部屋だが、雄史の匂いもするからだろうな」
「俺の匂い、嫌いなのかと思ってた」
「いまはそうでもないんじゃないか?」
「だったら嬉しいな」
雄史は元々動物好きでわりと全般に好かれる。唯一嫌われたのがにゃむだと言ってもいいくらいだった。
いまでも喧嘩は絶えないけれど、当初に比べたら確かに手心を加えられている気もする。
以前は志織の部屋に泊まるたび生傷が増えて、会社の人にも心配されたほどだった。
最近は爪を立てても抉られることはあまりない。
にゃむが部屋の中を歩き回っているあいだに食卓が整った。
ほぼ志織が準備してくれたので、雄史は皿を出したり食材を冷蔵庫へしまったりのみだが。
志織の部屋と同じくローテーブルに皿と器が並び、テーブル近くの小さなマットの上にはにゃむの食器が置かれる。
場所は違えどいつもと似た風景が出来上がり、雄史と志織はまずビールの入ったグラスを手に取った。
「引っ越し、お疲れさま」
「ありがとうございます! これでやっとゆっくり志織さんに会えます」
「雄史が変な我慢をしたからだろう?」
「あの時の俺をひっぱたいて止めたいです」
くっ、と喉の奥で笑った志織に、雄史は情けない表情でため息をついた。
それでも次の言葉で完全復活を果たす。
「明日は予定をまったく入れていないからのんびり過ごそう」
「志織さーん! 愛してますー!」
「ほら、早く食え。朝も昼も大して食べてないんだろう? にゃむはもう食ってるぞ」
「いただきます!」
ぐいっとグラスのビールをあおってから、雄史は箸を取って手を合わせた。皿の上にある品はどれも好きなもの。
自分のことを考えて作ってくれた。そう思うだけで胸がいっぱいになる。
「ん~! やっぱり志織さんのご飯は美味しい!」
今日は和風メインで、芋の煮っ転がしや煮浸し、和え物、酢の物、白米と炊き込みご飯のおにぎりが二種類。
もちろん志織は、雄史に肉は欠かせないと理解しているため、鶏ももと手羽先の唐揚げもある。
「はああ、ビールが最高に染みる」
「あまり飲み過ぎるなよ?」
「んんー! 最高に幸せすぎて、俺、どうしよう」
「どうするんだ?」
ふわふわと酒に酔いつつ、へらへらと笑っていたら、頬杖をついた志織がじっと見つめてきて、雄史の心臓が大きく跳ねた。
綺麗なブルーグレーの瞳。耳元には、去年のクリスマスにプレゼントした〝グレームーンストーン〟のピアス。
つい見惚れるようにぼーっとしていると、志織はわずかに片眉を上げる。
小さな仕草にハッとした雄史は、なぜかとっさにグラスのビールをあおり、正座していた。
「もう酔ったのか?」
「いや、そんなはずは……あるかもしれないです」
問いかけを否定しかけて、思ったよりも酔いが回っている自分に気づく。
あはは、とわざとらしい笑い声を上げ、後頭部を掻いた雄史に、志織は些か重たい息をついた。
「まあ、このところずっと忙しかったしな。仕方ない」
「ん? 志織さん?」
どこか残念そうに見える表情で箸を動かす志織を、訝しく思った雄史はこてんと首を傾げる。
しばしそのまま考えてから、一つの答えにたどり着く。
「え! 待って! 仕方なくないです! 今夜はお預けとか言いませんよね? 酔ってても志織さんならしっかり勃ちます!」
「そんなに大声で宣言することじゃないだろ。疲れてるんじゃないのか?」
「お預けされるほうが俺は元気が出ないです」
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