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30 ゼフィロside

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「緊急事態だって言ったら?」

「なに…?」

 その一言で一瞬で場が凍り付く。リコも何かわからないなりに何かを感じたのか、私を掴む手に力が籠った。そっと顔を伺い見れば、眉を下げ不安げな表情を浮かべている。そんな顔も可愛いが、安心させるために背中を撫でておいた。

「緊急事態とは…穏やかじゃない言葉だな」

「まあね。実際全く穏やかじゃないから」

「ゼフィロ。大国であるフェルスト帝国が動き出した。お前ならこれだけで大体の事は察するんじゃないか?」

「……なるほど」

 フェルスト帝国と言えば、このレトナーク王国から一つ国を跨いだところにある大国だ。周辺国を武力で制圧し、一気に勢力を広げ統治した。そしてこの国も帝国の一部とする動きがあることも事実のため、昔から帝国の動向にはかなり気を配っていた。

 そこが動いたということは、本格的に乗っ取りに来ていると言う事か。

「つい先日、帝国のフェリシア皇女様が大勢の騎士を連れてお見えになった。表向きはゼフィロ、お前との婚約を希望するという形で。
 だが、お前と婚姻関係になって、この国を支配下に置くことが本来の目的だ。そしてそれを手引きしている奴がいる。」

「…宰相のボルテンハーゲンか。
 私たちが魔王を討伐してからあまり日が経っていないにも関わらず、その大勢の騎士を連れて皇女が訪ねてくるなど、以前から計画を立てていて直ぐ実行できるよう隣国で待機していた可能性が高いな」

「そうだ。そして俺達の動向を報告し、魔王討伐が終わって直ぐに動いたのだろう」

 以前からあの皇女との婚約の打診は送られてきていたことは知っている。そしてそれを後押ししていたのが宰相だ。

 この国が支配されることを分かっているのだろうか。……いや、全て承知の上でやっているんだろうな。
 何か弱みを握られたか、うま味のある話を持ち掛けられたか…。まぁそんなことはどちらでもいい。結果、国が乗っ取られるということに違いはないのだから。

「そして僕とソニアの事だけど、僕たちも帝国の高位貴族との婚約を打診された。それで僕たちは婚約したんだ。いちゃもん付けられる覚悟はしてたけど、そこはあっさりと引き下がったよ」

「お前たちは仮の婚約という事か?」

「いや、このまま本当に結婚するつもり。僕もソニアも、結局婚約に関して煩わしい思いをしている同志だし、知ってる仲だし、他の誰かと結婚することと比べたらこっちの方が良い。っていうお互いが了承した形」

「なるほど。まぁその方が良いだろう」

 ギルエルミもソニアも、そして私も。周りが取り込もうと躍起になっている。陛下が私たちの事に関して一切関知しないと約束して下さっても、だからと言ってあっさりと諦める奴らなんかじゃない。

 本当に人間というのは欲深い生き物だ。自分達が如何に有利に立てるか、そればかりを考える。

 だからこそリコの心遣いが心地いいのだ。自分よりも私を優先してくれる。私の事を考えてくれる。そんなリコが愛おしい。
 私の心を温もりで一杯にしてくれる優しいリコを、また抱きしめて頬をすりつけた。

「…ゼフィ様?」

「リコがリコで、本当に嬉しいと実感していたところ」

 なんですかそれ。とくすりと笑うリコ。君はずっとそのままでいてくれ。

「皇女がお前に会いたいとご希望だ。陛下がお前との婚約は本人の意思に任せると仰って、それならば何としてもお会いしなければ、と会えるまでは国へ帰らないそうだ。
 それで何度かお前に連絡をしたが、音信不通。それで陛下に頼まれて迎えに来たという訳だ」

「皇女を蔑ろにするわけにもいかないしね。しかもあの女、本当にゼフィロに会うまで王宮に居座る気だから」

 皇女は相変らずだな。なんという自分勝手な女だ。そんな女と私が結婚したいと思う訳がない。それにリコという最高に可愛く愛しい存在がいるのに、他に目移りするなんてことは絶対にない。

 以前、勇者としての能力を開花させる直前頃だったか。一度王宮で開かれたパーティーであの皇女に会ったことがある。その時も、是非婚約をと言われた。その時は魔王討伐出来るかもわからないので、と断ったのだが。

 あの時の皇女は『勇者としての優秀な子孫を残さなければ。それはあなたの使命ですわ。そしてその相手はわたくしこそ相応しい』と言っていたことを覚えている。
 強国である帝国の皇女。何事に関しても、断られたことや拒否された経験のない女。強国相手にそんなことが簡単に出来る国や人間など、そうそういるものではない。

 だからこそ助長し、傲慢になった。私はそういう人間が嫌いだ。

「ここへ来るのは誰か一人でも良かったんだが。それこそ転移の使えるギルエルミだけで。だが、帝国の望みがお前だけではなく、ギルエルミもソニアにも何かあるかもしれないと、避難する意味で一緒に来た。
 2人の婚約に関して帝国が引き下がったとはいえ、あの国の言う事を素直に受け取るわけにはいかないからな」

 それはそうだろうな。強かなあの国のことだ。卑怯な手を使う事を厭わない。ならば警戒しすぎるくらいがちょうどいいだろう。

「はぁ…。面倒くさいな。またあの女に会わなければ行けないのか」

「仕方ないね、こればっかりは」

「ゼフィロ様はもう心に決めた方がいらっしゃいますが、そう簡単に引き下がるとは思えませんし」

 ソニアは少し申し訳ない様子でリコを見つめている。

「皇女は確か既に夫がいるんだったか。だが確か子供はまだいなかったな」

 確か、既に3人の夫がいた記憶が…。それぞれ支配下に置いた国の貴族だったはず。それも飛び切り顔の良い男ばかりを。

「その通りだ。お前との子供を産むまで、今いる夫とは子供を作るつもりはないそうだ。お前の優秀な遺伝子を残すことが先決らしい」

「あー、確かなんかそんな事言ってたね。『勇者としての優秀な子孫を残すのは使命』だみたいな。何言ってんだコイツ、って思ったけど」

 その時、ピクリとリコが動いた。「どうした?」と尋ねるも「…なんでもありません」としか答えない。

 なんでもありません、って顔じゃないのだが…。

「リコ、何か思うことがあるのなら言って欲しい」

「いえ…。あ、そうだ。俺、お茶淹れなおしてきますね。なので、いい加減下ろしてもらえますか? 恥ずかしいです…」

「…わかった。じゃお願い」

 ずっと膝の上に乗せているつもりでいたけど、リコに可愛く睨まれたら仕方がない。するりと膝から降りると、キッチンの方へと駆けて行った。

「……わたくしもお手伝いしてきます」

「え。逆に迷惑になるんじゃない?」

「ギルエルミ! わたくしだってお茶くらいは淹れられます!」

 本当にもう…。とぶつぶつ言いながらソニアもリコの後を付いていった。

「数日中に王都に戻るぞ。そのつもりで用意しておいてくれ」

「……はぁ…流石に戻らないといけないだろうな。だがリコも連れていく」

 王都へ戻るのならリコも一緒だ。ここに1人残しておく方が不安で仕方ない。

「…いいだろう。だが、お前がちゃんと守れよ。あの皇女の事だ。ウルリコの命を狙ってくることは想像に難くないぞ」

「当たり前だ。そんなことをしようものなら、指一本触れる前に消してやるさ」
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