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1巻
1-1
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「綺麗……」
初めてライアスを見た時、自然とそう思った。俺を縋るように見つめる青い瞳。ボロボロな服にボロボロな体。倒れ込み、今にも天に召されそうなその姿。だというのに吸い込まれそうなほど力強く輝くその碧眼。
それに囚われた俺は彼を欲しいと思った。
クリステン王国。俺が生まれ育った国。そこそこの国土と人口があり、歴史も古く建国されてからおよそ三百年が経つ。王国という名の通り王制で、臣下として公爵をはじめ貴族の各階級が王に忠誠を誓い仕えていて、中には土地を治める領主もいる封建制度をとっている。
この国は割と平和で過ごしやすい一方、貴族階級と平民階級に分かれた格差社会でもある。そのせいで王都の中にはスラム街も存在し、それはこの国の問題の一つでもあった。そして目の前に倒れている子供も恐らくスラム街にいた子供なのだろう。
「父上! 僕、この子を従者にしたい!」
気が付けば俺は自然とそう口にしていた。子供だった俺はこの子が孤児だとかスラム街の子供だとか全くわかっていなかった。ただこの綺麗な青が欲しいと思ったのだ。
俺はこのクリステン王国でも屈指の公爵家の次男。そろそろ従者を選定せねば、という父上の言葉をつい先日聞いていた。どうせ従者が付くのならこの青い瞳の子が欲しい。
「あっ! この子生きてる! 綺麗……父上! 僕、この子を従者にしたい!」
「何を言うんだエレン! ダメだ、死にかけのこんな汚い奴は。従者ならエレンに相応しい子を探しているから諦めなさい」
「やだ! 僕はこの子がいい! この子の目が綺麗なの! 綺麗な青色で、だから、だからこの子がいい!」
父上は俺に甘い。最初はダメだと言いながらも、俺が必死でお願いをすれば聞いてくれるとわかっていた。だからこの子供が孤児で身元がよくわからなくとも、俺が望むならとうんうん悩んでいる。
「ぐぅ……はぁ……わかった、わかったよエレン。その子を連れて帰ろう。だが見込みがなかったら諦めるんだよ」
「うん! ありがとう父上! 父上大好き!」
そうしてライアスはフィンバー公爵家に引き取られることになったんだ。
たまたま父上と外に出かけた帰り道。偶然通りかかったところにライアスは倒れていた。いつもなら気にかけることもなかったのに、どうしてかあの青い瞳から目が離せなかった。
もしかしたらそれが『運命』というやつだったのかもしれない。今になってそう思うほど、ライアスとの縁はこの日から始まり、後に大きく交わることになる。
◇
「フィンバー公爵令息エレン! 私、クリストファー・ダウニー・クリステンは、お前との婚約を破棄することをここに宣言する!」
「え……? な、に……?」
今、なんて……? 僕の、僕のクリス様が、僕との婚約を破棄……?
今日は貴族の子息が通う王立貴族学園の卒業パーティーだ。僕もクリス様も主役である卒業生。そしてこのパーティーが終わった一年後に僕達の結婚式があげられる。なのに婚約、破棄……?
「っ⁉」
これはなんだ⁉ 知らない男の……記憶……? え? 僕の頭の中に、知らない男の記憶が流れていく……? なんなんだ……僕の頭の中は一体何が起こってるんだ……
手で頭を押さえ、ぶんぶんと横に振ってみてもそれは一向に止まる気配がない。ただひたすらにとある男の記憶が目まぐるしく場面を変えて流れていく。
「お前がここにいる、ラウラーソン男爵令息イアンに非道な行いをしたことはわかっている! そんな人物を王子妃にすることは我が国にとっても不利益でしかない!」
クリス様が何か仰っているけど、僕は頭の中に知らない誰かの記憶が嵐のようにぐるぐる回っていてそれどころじゃない!
なんだこれは⁉ お前は一体誰でなんなんだ! 新手の呪いか? ふざけるなよ! 公爵家のこの僕に対してこんなことして許されるとでも思って…………ッ⁉
違う……これは……俺、だ。僕の……俺の記憶。俺の……前世の記憶……
こことは違う別の世界。地球の日本という国に生まれ育ち、そして死んでいった男の記憶。
「そして私は、ラウラーソン男爵令息イアンとの婚約をここに宣言する!!」
クリス様の声ではっと正気を取り戻す。未だ頭の中は混乱しているが、一旦考えるのはやめよう。それよりも今の状況だ。
姿勢を正し視線を前に向けると、クリス様の隣で彼にぴったりと寄り添うイアンの姿が目に入る。薄いピンクの髪に小柄な体。大きな茶色の目をうるうると潤ませ、クリス様の服をギュッと掴む彼は誰もが守りたくなるような庇護欲をそそる姿だ。
婚約破棄……そうか。まぁ、なんと言うか……
実際酷いことをしていたのは事実だし、俺の記憶が戻る前の僕は、マジで我儘で傲慢でヒステリックな手を付けられない奴だったしな。婚約を破棄されても仕方がない。今思い返してみても、よくあんなことを平気でやっていたなと驚くくらいだ。
イアンが現れてからというもの、『ブス!』だの『貧乏人!』だのの暴言なんて当たり前。まぁよくある、教科書などの私物の損壊や足を引っかけて転ばせるなんかもやってたな。転んだイアンの体を思いっ切り踏んづけたこともあったっけ……それから泥水を頭からぶっかけたり、食堂では手に持っていたランチのトレーをひっくり返したり。
そこまでならまだしも、最近じゃ、父上にお願いして暗殺計画なんかも立てようとしていたくらいだしな……いや、マジで前の俺やべーだろ……
確かに以前の俺は本当にバカでアホで、人の迷惑なんて知ったこっちゃないとくだらないことばっかりする我儘放題な野郎だったさ。
だがな!! 俺という婚約者がありながら、そこのイアンと堂々とイチャイチャしてたお前も悪いんだぞ!! わかってんのかこの野郎!!
クリス様、いやクリストファー王子はこのクリステン王国の第二王子だ。そして俺はその王子様と子供の時に婚約した。金髪翠眼のザ・王子様! な風貌のこいつに僕はあっという間に恋に落ちた。
だがこいつは婚約してからというもの、普通婚約者同士ならあるであろう贈り物や手紙、パーティーでのダンスだって、何一つとしてしてくれなかった。月に二度ある交流会という名のお茶会もいつもいつもすっぽかされる。たまに気が向いた時だけ訪ねてきて、滞在時間わずか五分とかで帰りやがる。
なのにそこのイアンとは毎日毎日イチャイチャベタベタと異様なほどくっつき、俺を無視してパーティーでの衣装を贈るわ、エスコトートはするわダンスをするわで俺のプライドは粉々にされた。
だから僕は寂しくて悲しくて、クリス様になんとか振り向いてほしくてどんどん我儘になったんだ。……今にして思えば、それもおかしいのだと痛いほどにわかるのだけど。
あー……俺って本当に今まで何やってたんだろ。こんな男のどこがよかったんだ、前の俺。
「おいエレン! なんとか言ったらどうなんだ!!」
おっと。今は婚約破棄の断罪真っ只中だった。姿勢を正して慌てて意識を切り替える。
「……クリス様。いいえ、クリストファー殿下。婚約破棄を承諾いたします。今までご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした」
そう言って俺は深々と頭を下げた。
途端に周りがざわざわと騒がしくなる。それはそうだろう。今までの俺ならば、きっと癇癪を起こしてこの場で誰が見ていようと関係なく喚き散らしていたに違いない。……実際今までの俺はそうだったからな。
公爵家の人間だったことと王子の婚約者だったことで、俺はかなり好き勝手にやってきた自覚がある。
でも前世の記憶が戻った俺は、それが如何に自分の首を絞めるはめになるかをよくわかっている。今回の婚約破棄だって俺の性格が悪いことが原因の一つでもあるのだから、ここは素直に受け入れた方がいい。それに記憶が戻って冷静になった今、本当になんであんな男が好きだったのか全然全くわからないしな。
確かに顔はいい。素晴らしくいい。ものすっごくいい! 背も高いし筋肉だってしっかりついてて、立ち居振る舞いも流石王族と言わんばかりの美しさだ。そりゃーもう絵に描いたような王子様なんだ。見てくれだけなら惚れ惚れするくらいにめちゃくちゃ格好いい。
だけど今までされてきたことを考えたら中身はマジでありえねー奴だなって思うし、最低だなって思うじゃん。婚約者がいるのに見せつけるように堂々と浮気してるんだぜ? ありえねーだろ。
「本気で、言っているのか……? こ、婚約破棄だぞ⁉」
俺の態度が予想の遥か斜め上を行きすぎていたのか、思わず確認してくる第二王子。隣に寄り添っていたイアンも驚きすぎて目玉が落ちそうになっている。ま、そうなるのもわかるわ。
「はい、ご心配なさらずともわかっております。クリストファー殿下との婚約破棄、しかと承りました。婚約破棄に際しての書類は後日お送りくださいませ。イアン様との未来が幸多きことをお祈りいたしております」
そう言って、これ以上ない満面の笑みで俺は二人に背を向けた。
するとまた一斉に回りが騒がしくなる。父上の「エレン待ちなさい!」という声が聞えるが、ここで話すよりも家で話した方が断然いい。だから俺は足を止めない。向かう先は会場の出口。
「エレン様……本気ですか?」
会場の出入り口まで来ると、俺の従者であるライアスが呆然と佇んでいた。
「どうして……どうして素直に受け入れたんですか?」
質問には答えずにそのまま横を通りすぎる。
前の俺は従者であるライアスにそれはもう酷い真似をしてきた。子供の時に街で孤児だったライアスを拾い、奴隷のようにこいつを扱った。だからライアスの俺への心証は最悪だ。
でも俺は、こいつが屈辱に顔を歪める様を見て優越感に浸っていた。誰も僕に逆らえない。皆僕の言うことを聞くんだって。
こいつにこんな仕打ちをしていたのは、単なる俺のストレス発散だ。婚約者である愛しい王子と上手くいかないストレスを、ただただこいつにぶつけていたんだ。ホントになんて酷いことを平然としていたんだ俺は……ごめんな、ライアス。
「……とりあえず、家に帰って話をしよう」
黙って後ろを付いてくるライアスにそう声をかける。そしてそのまま公爵邸に帰る馬車へと乗り込んだ。
家に着いてしばらくすると、同じ会場にいた父母も帰ってきた。その知らせを聞き俺は自分の部屋から出る。
公爵家当主である父上ウィラードと、公爵夫人である母上のヴィンス、公爵家嫡男の兄上ランドルフに使用人トップの執事チェスター、そして兄上の従者バイロンと俺の従者のライアス。応接間にその全員が集まりこれから家族会議が開かれる。
「エレン、私は前から言っていたよな? こんなことを続けていたら大変な結果になると。それが現実になったんだぞ! お前はこの公爵家に泥を塗る真似をしたんだ! わかっているのかッ⁉」
口火を切ったのは兄のランドルフ。いつもは冷静な兄上も、今回の件にはかなり怒り心頭で目の前にあるテーブルをバン! と叩き怒鳴りつけてきた。俺は兄上に嫌われている。品行方正で真面目な兄上は俺が我儘放題やってきたことを決して許さなかった。
それとは違い、両親は俺を溺愛している。俺の我儘も何もかも許して止めることはしなかった。だから俺に苦言を呈してきたのは兄上だけ。そのせいで俺と兄上の兄弟仲は最悪だ。
今の俺だからわかるけど、こんな俺を止めようともしなかった両親も最悪だ。俺の我儘放題を「いいよいいよ」と受け入れてきたせいで俺の態度は増長したんだから。
なんというか、俺の見た目はそりゃあ傾国の美女、いや男だから美男? と言われるくらいの美形だ。さらっさらのつやっつやの腰まで届く銀髪に、アメジストと見紛うかのような煌めく紫の瞳。肌は陶器のように白く滑らかで、唇は口紅を差していなくともほんのりと赤く瑞々しい。体つきは華奢で小柄。身長が百七十センチほどしかなく、平均身長が百八十センチを超えるこの世界ではかなりの小柄だ。
そして俺は自分の見た目が人の目を惹くことをよくわかっていた。それに第二王子の婚約者だからと美容には人一倍気を遣ったし、髪は特にこだわっていた。
俺の銀髪や紫の瞳はお祖母様から引き継いでいる。お祖母様は他国の王族に連なる、それはそれは美しい人だったそうだ。俺が生まれた時には既に他界していて直接会ったことはない。
だからお祖母様の色を引き継いだ、お祖母様みたいに美しい俺を、両親はまさしく目に入れても痛くないほど可愛がっていたんだ。
とはいえ。見た目が信じられないほどよくとも中身が最悪だったせいで友達なんて一人もいない。公爵子息でいくら美しかろうと、寄り付く人間はゼロだった。そうなるほど、前の俺がやってきたことが悲惨だったってことなんだけどな。
「兄上、返す言葉もございません。全て私の不徳の致すところです。申し訳ございませんでした」
「なっ……⁉ エレンが……謝った、だと……⁉」
俺が喚きも反論もせず、ただ静かに過ちを認め頭を下げると、兄上だけじゃなくこの場にいる全員がぎょっとしているのが手に取るようにわかった。
まぁそういう反応になるよなぁ……こんな俺、人が変わりすぎて気持ち悪いって思うよね。当事者の俺だってそう思うもん。
「エレンちゃん! あんなに大好きだった殿下と婚約破棄なんだよ⁉ 嫌ならお父様とお母様が撤回するように言うから心配しないで! ね?」
「そうだぞエレン! こんなにも可愛い我が家の至宝であるお前に婚約破棄だなんて、殿下は一体何を考えているんだ!! しかもめでたき卒業パーティーの会場で婚約を破棄した挙句、末端の男爵家の子息と婚約だと⁉ 我が公爵家を侮辱している!! 今すぐ抗議文を持って――」
「父上!!」
今にも王宮に乗り込んで暴走しそうな両親を止めるために声を張り上げ話に割り込む。確かに父上の仰る通り、あんな場所で婚約破棄を宣言するなんて、この国屈指の公爵家を侮辱する行為だ。でもこれ以上この件で騒ぎ立てればうちが負う傷はますます深くなる。
「父上、母上。これは私の自業自得です。確かに殿下の行動は褒められたものではございません。それはあの場にいた皆様にもご理解いただけているはずです。ですが、こうなったのは今までの私の行いが原因であることに間違いありません。ラウラーソン男爵令息に嫌がらせをし、暴言を吐いたことは事実です。殿下の仰る通り、そのような人間が王子妃となることは認められません」
「エレンちゃん、どうしちゃったの⁉ きっとあんなことがあってショックでおかしくなったんだよ! そうに決まってる!」
「母上。おかしかったのは今までの私です。……本当に、申し訳ございませんでした」
「エレン……」
呆然とする家族と使用人達。頭を下げているから皆の顔は見られないけど、きっと驚きすぎておかしな表情になっているだろうことは想像出来る。
執事も俺と兄上の従者二人も口を挟むことはなかったけど、いつもの冷静な顔じゃなかったもんな。もう『こいつに何が起こっているんだ』と言葉にせずとも顔が語っていた。
今までの俺が酷すぎて、急にまともな人間になると皆こんな反応になるんだな。本当に今まで好き勝手やりまくってごめんなさい……
「……それで、問題はこれからどうするかだ」
しばらく無言の後、兄上が冷静にそう言った。そう。問題はこれからどうするのか。
「それにつきましては私から提案がございます。まず、私エレンを勘当してください」
「「「っ!?」」」
もう皆驚きすぎて声が出なくなっている。まさか自分から勘当してくれだなんて言うとは思っていなかっただろうから。
「今までの行動は公爵令息として問題がありすぎました。しかも、それは隠すことが出来ないほどに貴族社会に広まっています。そして今回起こった婚約破棄。公爵家にとってはもう無傷とはなりませんが、私を勘当することにより一定の体裁は保てます。公爵家は優秀な兄上がおりますし、後継についても問題はありません。ですので私を勘当、そして国外追放とし、それをもって王家へ忠誠を示してください。それである程度は公爵家を守ることが出来ると思います」
もう俺がこの家に出来ることはこれくらいしか思いつかない。
今後まともな人間となって生活したとして、周りの貴族が俺を認めてくれるようになるまでにかなりの時間を要するだろう。その間に公爵家の威信がどこまで落ちるかわからない。それだけはどうしても防ぎたかったし、俺にはそれをする義務がある。
今まで散々迷惑をかけてきたんだ。最後は出来る限りのことをしたい。
「いや待てエレン! 勘当すればお前は平民になるのだぞ⁉」
「はい、そうですよ父上。私は平民として一人で生きていきます」
前世は至って普通の庶民だったし、普通のサラリーマンとして一人暮らししていたから仕事さえ見つかれば生きていくことは出来ると思う。むしろ貴族生活ってのは堅っ苦しすぎて一般庶民だった記憶が戻った俺は続けたいとは思わない。
確かに裕福な暮らしではあるけれど、それと同時に自由はあるようでないしな。パーティーだ社交だなんだと面倒くさいことが多すぎるんだ。
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だから平民になってしまえば、俺は俺自身で結婚しないという選択が出来るのだ。
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「父上、母上、兄上。皆の言いたいこともわかります。ですが公爵家の名誉を守るためにも必要なことなんです。私もなんの覚悟もなく言っているわけではありません。今から私の覚悟をお見せしたいと思います」
そう言って腰まで届くさらっさらの髪を一つに束ね、予め用意していたナイフで躊躇なく、思いっ切りザクッと切り落とした。
「いやぁぁぁぁぁぁ!!」
「っ⁉ …………嘘、だろ……?」
自慢の銀髪は肩より少し上の長さになった。
あーさっぱりした。頭が一気に軽くなった感じがする。それにしてもこうやってまじまじ見ると、やっぱり俺の髪ってすっげー綺麗だな。銀髪なんて珍しいし、この髪もしかしたら売れるかも。髪を買い取ってくれるところがあるのかはわからないけど、こんなに綺麗で珍しい銀髪なんだ。きっとどこかが買い取ってくれるはず。
それに平民としてこの国を出た後、すぐに仕事が見つかる可能性は低いかもしれない。だったらしばらくの生活資金のためにこの髪は大事に保管しておいた方がよさそうだな。うん。そうしよう。先立つものは必要だしな。うん。
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「これでわかっていただけましたか? 平民となればこんな長い髪は邪魔でしかありません。生活は苦しくなることも理解しています。ですが公爵家を守るためにも、どうか勘当していただくようお願い申し上げます」
そしてまた、俺は皆に向かって深々と頭を下げた。しばらく無音の時が流れる。
「……父上、母上。本人がこうまでして言っているんです。エレンの言う通りにするしかないでしょう」
この無言を打ち破ったのは、ため息とともにそう発した兄上だった。
「ランドルフ! だがそれではエレンがっ……」
「こうなったのはあなた方の責任でもあるんです!!」
「「っ!!」」
兄上は今まで一度として現当主である父上に声を張り上げたことはない。俺について考えを改めるよう言いはするが、こんな風に強く出たことはなかった。どちらかというとどこか諦めているようにさえ感じていた。だけど、初めて父上に大きな声で反論した。それを見た両親も思わず体を竦ませる。
「私は今までに何度も何度も何度も何度もあなた方に言いました! エレンの我儘や傍若無人ぶりを止めなければ取り返しのつかないことになると! なのにあなた方はエレン可愛さに私の言うことになど耳を傾けなかった。そしてそれは現実となったんです。一番の元凶はエレン本人です。それは間違いありません。ですが、止めるべき親であるあなた方が何もしなかったから……何もしなかったからエレンはこうなったんです! そのことを理解しているんですか!!」
「ランドルフ……」
「そしてそれは私も同罪です。家族として、兄として。エレンを止めることが出来ませんでした。不甲斐ない兄ですよ、私は……」
「兄上……」
はぁ、と大きなため息をついて額に手を当てた兄上。兄上は以前の俺に対し、こんなことはやめろと強く言い続けていた。そして俺は、兄上は俺のことが大嫌いなんだと思っていた。
いや、思い込んでいた。でもそうじゃない。家族として兄として、愛情を持って俺と向き合ってくれていたんだ。ただ一人、家族として向き合ってくれていた。
「今日の件はもう既にほぼ全貴族に伝わっているでしょう。そしてこれから公爵である父上がどう対応するのかも注目しているでしょうね。エレンの言う通り、しっかりとした制裁を行わなければ他の貴族からどう見られるか。当主であるあなたならわかるはずです。そうでしょう? 父上」
「…………」
兄上にここまで言われて渋い顔で黙り込む両親。きっと両親だってわかってるはずだ。俺に対しては親バカ丸出しだが、先祖代々続くこのフィンバー公爵家を盛り立ててきたのは現当主だ。
「…………そうだな。お前の言う通りだよ、ランドルフ」
がっくりと肩を落とし、ため息とともにそう言葉にした父上。母上は、父上の腕にそっと手を当てて気遣うように身を寄せていた。その母上の手に自分の手を重ね一つ頷くと、すっと姿勢を正し俺へと向きを変える。
「エレン、すまなかった。お前がこうなったのは私達の責任だ。ならば最後にしっかりとその責任は取ろう」
「父上……」
「エレン。フィンバー公爵家当主として言い渡す。これよりお前の貴族籍を剥奪、勘当し、国外追放とする」
「委細承知いたしました。私の我儘をお聞き届けいただき感謝いたします、当主様」
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「エレン様……先ほどのお言葉は真でございますか?」
部屋に入ってくるなり開口一番そう聞いてきた。こいつはずっと俺の一番近くにいた。そして俺が今までやってきたことも、今まで俺にされてきたことも、何もかも全部わかっている。
だから俺が自分から勘当してくれなんて言ったことに一番納得出来ていないんだろう。そんな俺が最後に口にしたあの言葉も。
「もちろん。今まで本当にごめん。こんなことを言える立場じゃないけどお前はもう自由だ。なんにも縛られずに自由に生きてほしい」
さっきの家族会議の最後に、俺は従者であるライアスを解放することをお願いした。公爵家を勘当された俺にもう従者は必要ない。公爵家に残るもよし、出て自由に生きるもよし。今後ライアスがどうするのか、それを彼自身に選ばせてほしいとお願いしたんだ。
俺が連れてきておきながら、今まで理不尽すぎる扱いをしてしまっていたライアスを自由にしてやりたい。もう俺という檻から解放してやるんだ。
「どうして……どうして今更⁉ あなたは今まで俺を……!」
「うん、本当にごめんなさい。謝っても許してもらえるとは思っていないよ。ライアスにしてきたことは許されることじゃない。本当に、本当にごめん」
「……確かにあなたには酷いことをされてきました。ですが……食べるものにも困っていた俺を、ここまで養ってくれたことには感謝しています。それに俺はあなたを……」
最後はちょっと何を言っているのかよく聞こえなかったけど、あんな酷いことをされたのに感謝してくれるなんて。ああ、本当になんていい奴なんだ。
俺はこんないい奴に奴隷みたいな真似をさせていたっていうのに……前の俺、ホントに最低な野郎だな。あ、そうだ!
「ライアス、これを受け取ってほしい。今までの罪滅ぼし、になんてならないけれどお詫びとして渡したいんだ」
「これは……」
ライアスに渡したのは、自分が持つ宝飾品の中でも一番価値のあるもの。大きな青い宝石が付いたネックレスだ。これを手に取った時、まるでライアスの瞳みたいだなって思ったんだよな。だからか俺はこのネックレスが一番気に入っていた。それに宝石の等級だってぴか一だ。
「それを売ればかなりの金額になると思う。ここを出てもしばらくは生活出来る資金になるだろうからお前の好きにするといい。……今まで本当にありがとう」
「エレン様っ……!」
「さ、お前はもう僕の従者じゃないから世話はしなくていいよ。部屋に戻ってゆっくり休んで。おやすみライアス」
俺がそう言うとライアスは何か言いたそうにしていたが、しばらくの後、黙って部屋を出ていった。
ライアスside
俺は今までエレン様に何をされようと何を言われようと、それに耐え続けることでエレン様の御心が少しでも救われるならと必死に毎日を過ごしてきた。
なのにまさか、今後自由に生きていいと放逐されるなんて想像もしていなかった。
俺がエレン様の従者となったのは、八歳ごろにエレン様に拾われたことがきっかけだった。
四歳くらいの時に親が流行り病で死んで、家は元々貧しかったために食べるものもすぐに底をついてしまった。腹が減ったが幼すぎた俺はどうしていいかもわからず、彷徨っているうちにスラム街へと足を踏み入れていた。
どうか食べ物を、と出会った人間にそう乞うも、自分達の食い扶持すら満足に得られない彼らが快く渡してくれるはずはなく、逆に俺はその人達に襲われ殴られる羽目になった。大人に殴られた俺は一気に恐怖に襲われ命からがらその場から逃げ出した。
痛みと空腹で鳴り続ける腹を押さえ、のろのろと毎日街を彷徨った。めちゃくちゃに走り逃げ回ったことで家があった場所はとっくにわからなくなっていたのだ。
空腹に耐えかねた俺は市場で野菜や果物をくすねたり、店のごみを漁ったりして、腐りかけのものだろうが食べられるならなんでも食べていた。
毎日人気のない裏通りを転々としながら、小さな体をさらに小さく縮こまらせ一人ひっそりと眠っていた。
今なら孤児院という存在だって知っている。だが親切にそんなことを教えてくれる人はおらず、むしろ汚い、邪魔だと邪険にされ続けてきた。
あの時は確かに辛かった。でも孤児院の存在を知らなかったからこそ、俺はエレン様に出会えたのだ。きっと知っていたらあの運命的な出会いが訪れることはなかっただろう。今はそれでよかったのだと思っている。
俺が八歳のある日、とある飲食店の裏にあるごみ箱を漁り食料を探していた時だ。その時の俺は既にボロボロだった。こんな生活をしていてまともな体になれるはずがない。それに数日食べることが出来ておらずもう限界だった。
必死にごみを漁っていたら店の人間が出てきたことにも気が付かなった。その人間に見つかった途端、俺はボコボコに殴られ蹴られ地面に這いつくばった。痛みと空腹とで朦朧とする中、体を必死に動かし、その場からなんとか逃げ出した。店の人間は追いかけてこずそれ以上の暴行を加えられることはなかったが、既にボロボロだった体は耐えられずまた地面へと倒れ込んだ。
その時はもうここで死ぬのかと、父さんと母さんに会いたいと、ただぼんやりと命が終わるその時を待っていた。その時だ。耳に心地いい綺麗な子供の声がしたんだ。
「父上、この子どうしたの? 酷い怪我してる……」
「エレン、この子は孤児だろう。汚いから近づかないように。もしかしたらもう既に死んでいるかもしれないからね。さ、帰ろう…………あ、エレン⁉」
こちらへ向かって走ってくる足音に気付き、うっすらと目を開けた。視界に飛び込んできたのは天使だった。
驚いた。天使が俺に向かって走ってくる。ああ、俺を迎えに来てくれたのか。おとぎ話に出てくる天使様が見えるようになったのは、俺がもうすぐ死を迎えるからだろう。この綺麗な銀の天使様に連れていってもらえるなら、殴られ蹴られたのもよかったのかもしれない。その姿を凝視しながら頭の中ではそんなことを考えていた。
「あっ! この子生きてる! 綺麗……父上! 僕、この子を従者にしたい!」
「何を言うんだエレン! ダメだ、死にかけのこんな汚い奴は。従者ならエレンに相応しい子を探しているから諦めなさい」
「やだ! 僕はこの子がいい! この子の目が綺麗なの! 綺麗な青色で、だから、だからこの子がいい!」
天使様はエレンというのか。目が綺麗なんて初めて言われた。こんな俺の目なんかより、天使様の方がずっと綺麗なのに。
「ぐぅ……はぁ……わかった、わかったよエレン。その子を連れて帰ろう。だが見込みがなかったら諦めるんだよ」
「うん! ありがとう父上! 父上大好き!」
天使様は満面の笑みで父親に抱き付いた。その笑顔もその姿も何もかもが綺麗で、きらきらと光が舞って見えた。
「ねぇ、君はこれから僕と一緒に家に帰るからね! 早くお怪我を治してね」
天使様がそう言うと、いつの間にか現れた大人に毛布をかけられそっと抱きかかえられた。抵抗する体力も気力もない俺は、されるがまま連れ去られ口元に瓶を当てられた。流し込まれる液体を反射的にゆっくりと嚥下する。すると不思議なことにあんなに強かった痛みがすーっと引いていった。
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それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。
屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。
ただコソコソと身を隠すつまりはない。
私を軽んじて。
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後悔するのはどちらかを示すために。


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