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8・ウォルテアside③
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それからの日々は楽しかった。ずっと手を伸ばすことの敵わなかったクルトが側にいる。年甲斐もなくはしゃいでしまって、クルトを色々と連れまわしてしまった。困ると言いながらも嬉しそうにする彼の顔を見ればもっともっとと気が逸る。
ここで私の気持ちを言ったらどうなるだろうか。だけど今それを伝えるのは卑怯だろう。辛いことがあって傷ついたクルトにそれを言うのは憚られた。
だがクルトから話があると言われ、私の気持ちを話さざるを得なくなってしまった。
「ヘルマン様。本当にここまでしていただいてありがとうございます。すごく嬉しいのですが、これ以上はどうご恩をお返しすればいいのかもわかりません。食事も自分で用意出来ますし、僕にこれ以上のことはなさらないでください。ヘルマン様の負担にはなりたくないのです」
負担ではないと、やりたいからやっていると言っても納得してくれなかったのだ。
「どうしてですか? どうして僕にここまでしてくださるのですか? 同情ですか? 僕が可哀そうな目にあったから? だったらやめてください。僕はもう大丈夫です。同情でこんなことされても僕は困ります…」
同情なんかじゃない。それは断じて違う。理由は簡単だ。クルトの事を愛しているから。
「クルト………本当は今はまだ言うべきではないと思っていたのですが」
もうこうなったら私の気持ちを伝えなければダメだろう。本当の事を言わなければ、きっとクルトは申し訳なさで苦しみ続けるだろうから。
「私があなたに色々としているのは同情なんかじゃありません。私はあなたの事が好きなのですよ」
「………え?」
クルトの前で膝を付き、愛しい人の手をそっと握る。どうか私の気持ちが伝わりますように。
「あなたの事が好きです。恋情です。ずっと恋焦がれていたんです。でもあなたには夫がいた。だから私はこの気持ちを打ち明けるつもりはありませんでした。あなたを困らせるつもりなど一切ありませんでした。
ですがあんなことがあり、あなたは夫と別れる決意をした。傷ついたあなたをあのままにしておけなかった。辛い思いをした分、あなたには幸せになって欲しかった。そしてそれは私の手でそうしたかった」
「ヘルマン様……」
まさかそう言われるとは思わなかったクルトは目を真ん丸にして私を見つめていた。
「本当は今、傷心のあなたに私の気持ちを打ち明けるつもりもありませんでした。それは傷ついたあなたに対して卑怯だと思ったからです。
ですがあなたが私のすぐ側にいてくれるこの状況で、私は恥ずかしながらも浮かれてしまいました。嬉しくてついつい、今までやりたかったことをあなたにしていたんです」
「じゃあ服を買ってくださったのも、本を買ってくださったのも、演奏を聴きに行ったりしたのも…?」
「そうです。あなたを着飾ったり、好きな物を贈ったり、楽しい時間を共有したり。私がずっとあなたとそうしたかったのです。それが思わぬ形で叶ってしまった。私はただただ浮かれていただけの、間抜けな男なんですよ」
こう言葉にするとよくわかる。自分はなんて滑稽な男なんだろうか。
「私は毎日必死で頑張るあなたの姿に好感を持ちました。あんな風にご両親を亡くし辛い幼少期を過ごしたにも関わらず、ひたむきに前を向いて笑っているあなたに恋をしました。それがあなたへ色々と行った理由です。
私はあなたへ気持ちを打ち明けましたが、今すぐに返事が欲しいわけではありません。今はゆっくりと心の傷を癒して欲しいのです。そして傷が癒えてまた誰かと恋をしたいとそう思った時、私の事を考えて欲しいのです。
もし他の誰かを好きになったとしても、私はそれを応援します。私の願いはあなたが幸せになることですからね」
もう全てを話してしまおう。私がクルトに対してどう思っているのかを。心から大切に想っているのだと。
「…僕は一度結婚をした身です。この体も綺麗な体じゃありません。それにヘルマン様は貴族です。僕はあなたに相応しくない」
「あなたもご存知でしょうが、私は4男です。結婚するもしないも、どんな身分の人と結婚しようと関係ないのですよ。私の両親も、私の結婚については諦めてますし好きにしろと言われています。
あなたが私に相応しくないというのは間違いですし、あなたの体を汚いなどと思ったことは一切ありません。どんなあなたでも、私にとっては世界一素敵な人ですから」
結婚していた事実を消す事は出来ない。だがそれでクルトが穢れたことにどうしてなるのだろうか。穢れていたのはあのクズ共だ。
「もう一度言いますが、返事は今すぐはいりません。ゆっくりと心を癒してください。ただ、私があなたにしたいことをこのままさせていただけると嬉しいです。どうかそのことを許していただけませんか?」
「……ずるい。ずるいですそんなの。僕はどうお返しをすればいいんですか」
お返し何て望んでいないのに。あなたが側にいてくれればそれだけでいいのに。
「お返しは要らないのですが、それであなたが困るのならそうですね……。膝枕、してくれませんか?」
「膝枕…?」
「それで私は十分ですし、とてつもないご褒美ですよ」
それはいつかして欲しいと思っていたこと。お返しをどうしてもしたいというのなら、私の望みを叶えてもらおう。クルトに膝枕をして貰う事を想像するだけで、自然と顔がにやけてしまっていた。
それからすぐにクルトの離縁が成立した。こんなに嬉しいことはないので、お祝いだとその日は使用人達に伝え食事も豪勢な物を用意させた。
クルトは持ち前の明るさで使用人達とも徐々に打ち解けていった。今では私の気持ちを知らない使用人はいない為、それとなく私のサポートをしてくれるようになった。有難い。
毎日ずっとクルトと一緒。それがこんなにも楽しく心躍ることだとは。
どこにも出かけずただ家でゆっくりと過ごす。言葉数が少なくとも、その空気感がとても気持ちが良い。クルトがいるだけで全ては変わっていくのだ。
それにお返しと称した膝枕。初めてして貰った時は天にも昇る気持ちだった。
持ち帰って来た仕事の書類を片手に膝枕を楽しむ。「それじゃあ仕事しにくくないですか?」と聞かれたが「これ以上になく捗っています」と答えた。実際は膝枕中は感触を楽しむのに精いっぱいで書類の内容など頭に入らない。だが膝枕が終わり自室に戻った後、本当にこれ以上なく捗るのだ。だから私の回答は間違いではない。
そして1月、3月、半年と月日は流れていった。クルトと共に過ごす毎日で、更に彼への気持ちは膨れ上がった。
「お前は本当に毎日が楽しそうだな」
「ええ。これ以上になく、毎日が楽しくて楽しくて。ありがとうございます、宰相様」
宰相様には私とクルトが上手くいくよう、ささやかながら手を貸してもらっていた。今までの私の働きで信頼を勝ち取った結果だ。
「クルトもあの後しばらくは沈みがちだったが、今ではすっかり明るくなった。これからもクルトの事を頼んだぞ」
宰相様はクルトを自分の子供だと思っているんじゃないかと思うくらい、クルトの事を気にかけている。冤罪で両親が処刑されたあの事件。それを止められなかった罪滅ぼしだけではなさそうだ。
クルトの人柄がそうさせているのだろう。自分の子供、とまではいかなくとも、この部署内の誰しもがクルトの事を好ましく思っている。
そのクルトが夫と親友にされた仕打ち。それを知って怒りを覚えた者は数知れず。そして私がクルトを特別慕っていることも皆にバレているため、応援という名の冷やかしを受けている。
『早く押し倒せ』だの『キスはまだか?』だの好き勝手言っては騒いでいる。私だって早くそうしたいのはやまやまだ。だがそれでクルトに嫌われてしまっては本末転倒。ゆっくり気持ちを傾けて貰えるよう努力しているのだ。
そうして日々を過ごしていくうちに、クルトも私の事を意識し始めている手ごたえがあった。手を繋げば赤くなり、膝枕の時は目を合わさない。
意識している。私を1人の男として意識している。
もうすぐだ。もうすぐで私のところへ落ちてくる。
だがそれで焦ってはいけない。自分で言ったことを反故にするわけにはいかないのだ。
そう自分を律していたものの、クルトの様子が段々と変わって来た。ため息をつくことが多くなったのだ。
何を考えてため息をついているのか。それが私とのことならいいのだが…。
「はぁ……」
「クルト、どうしたんですか? 最近ため息ばかりついているような気がしますが、何か心配事でもあるんですか?」
とうとう見かねて尋ねてみることにした。一緒に生活をするようになって1年。私たちの距離はかなり近くなり、気心も知れてきたと思う。相談もしやすいだろう。
「あ、いえ………何でもありません」
ばつが悪そうな顔で何でもないと。クルトは人に迷惑をかけることを嫌う。きっと孤児院生活があったからこそ、そう強く思うのかもしれない。
「何でもないわけじゃないでしょう? ここ最近、ずっとため息ばかりついていますよ。表情も優れませんし、何かあったのなら話してください。あなたの力になりたいんです」
どんなことであれ、力になりたいのは本当だ。どんなに小さなことでもクルトの悩みなら聞いてあげたい。
「僕は………いえ、やっぱり言えません」
そっと手を握り「相談してほしい」と畳みかけた。
すると少し迷った挙句、諦めたのか重い口を開いた。
「……ヘルマン様は、僕の事が好きだと言ってくれました。それは今でもそう思っているんですか?」
「はい、もちろんです。あの時から、いえ、それより前から私の気持ちは変わっていませんよ」
むしろ想いは増すばかりだ。
「僕はこの1年程、ずっとここに住まわせてもらってヘルマン様と過ごしていて、毎日が本当に楽しくて幸せでした」
そう思ってくれて本当に嬉しく思う。あの時に負った心の傷が癒えたのならこんなに嬉しいことはない。
「あんなに辛いことがあったのに、今の僕はその時の悲しさ、悔しさはもうありません。ヘルマン様のお陰です。ありがとうございます」
「いいえ、あなたが少しでも救われたのなら心から嬉しいと思います」
「いつも変わらず僕の側にいてくれて、僕は寂しさを感じることはありませんでした。毎日心が温かくて居心地が良くて、ずっと続けばいいなと思ってしまったんです」
ずっと続けばいい。クルトがそう思ってくれたという事は――。
「僕はヘルマン様の事が好きです。好きになってしまいました。でもその言葉を言っていいものか迷っていました。だって僕はヘルマン様に相応しいとは思えないから。一度結婚して、体も綺麗じゃない。こんな僕なのに、ヘルマン様に想いを伝えていいんだろうかって」
好き…。今、私の事が好きだと、はっきりそう言った。でも本当に? 幻聴ではなく?
「クルト………すみません、もう一度言っていただけますか?」
「え……? 一度結婚して――」
「違います! その前、その前です!」
もう一度、はっきりと聞きたい。私の聞き間違いじゃないと証明してほしい。
「えと…ヘルマン様の事が好き、です」
「……本当ですか?」
「はい。ですが僕はそれを――」
「クルト!!」
「わっ!?」
やった! やった! ついにクルトが私のことを好きだと! 自らそう言ってくれた! 喜びが体中を巡り、クルトを思いっきり抱きしめてしまう。
「ああ、なんということでしょうか! その言葉をどれほど待っていたか…。今まで生きて来た人生の中で、これほど幸福を感じたことはありません!」
「へ、ヘルマン様…。でも僕は……」
「私に相応しくない、とそう思っているのですよね。ですが、私はそう思いませんしきっと他の人もそうは思っていませんよ」
「へ……?」
同僚たちの冷やかしや煽りがどれほどだったか。皆私たちの事を陰ながら見守って応援してくれていたことを教えてあげなければ。
「あなたは一度結婚していたことを気にしている。そして自分の体は汚いからと。私も正直言えば清い体ではありません。今まで誰とも経験がない、なんてことはないんです。あなたはそんな私を汚いと思いますか?」
「思いません! 思う訳がありません!」
「それと同じです。私もあなたのことを汚いなどと思いません。思ったこともありません。身分差のことを考えているのなら、以前も言いましたがそれも問題ありません。
それならば、大事なのは私とあなたの気持ちがどうなのか、ではありませんか?」
私たち以外の誰かがどう思うかよりも、私たち2人がどう思うのか。重要なのはそれだけだ。
「私はあなたのことが好きです。愛しています。クルト、あなたは私の事を好きだと言ってくれましたね。それに間違いはありませんか?」
「はい。ヘルマン様の事が好きです。大好きです」
「ああ、クルト。ならば私と恋人になってくれますか? あなたの恋人だと名乗る権利を与えてくれませんか?」
「……はい。僕も、ヘルマン様と恋人になりたい、です」
「クルト!」
ようやく私の願いが叶った。あなたを恋人だと、愛しい人だと堂々と言える。
絶対に誰にも渡さない。死ぬまでずっと、あなたを愛して愛して甘やかして。ずっと私だけを見てくれるように。
ここまで長かった。だけどもう私のものだ。私だけの。
愛しい人を手放さないよう、抱きしめる腕の力は自然と籠った。
ここで私の気持ちを言ったらどうなるだろうか。だけど今それを伝えるのは卑怯だろう。辛いことがあって傷ついたクルトにそれを言うのは憚られた。
だがクルトから話があると言われ、私の気持ちを話さざるを得なくなってしまった。
「ヘルマン様。本当にここまでしていただいてありがとうございます。すごく嬉しいのですが、これ以上はどうご恩をお返しすればいいのかもわかりません。食事も自分で用意出来ますし、僕にこれ以上のことはなさらないでください。ヘルマン様の負担にはなりたくないのです」
負担ではないと、やりたいからやっていると言っても納得してくれなかったのだ。
「どうしてですか? どうして僕にここまでしてくださるのですか? 同情ですか? 僕が可哀そうな目にあったから? だったらやめてください。僕はもう大丈夫です。同情でこんなことされても僕は困ります…」
同情なんかじゃない。それは断じて違う。理由は簡単だ。クルトの事を愛しているから。
「クルト………本当は今はまだ言うべきではないと思っていたのですが」
もうこうなったら私の気持ちを伝えなければダメだろう。本当の事を言わなければ、きっとクルトは申し訳なさで苦しみ続けるだろうから。
「私があなたに色々としているのは同情なんかじゃありません。私はあなたの事が好きなのですよ」
「………え?」
クルトの前で膝を付き、愛しい人の手をそっと握る。どうか私の気持ちが伝わりますように。
「あなたの事が好きです。恋情です。ずっと恋焦がれていたんです。でもあなたには夫がいた。だから私はこの気持ちを打ち明けるつもりはありませんでした。あなたを困らせるつもりなど一切ありませんでした。
ですがあんなことがあり、あなたは夫と別れる決意をした。傷ついたあなたをあのままにしておけなかった。辛い思いをした分、あなたには幸せになって欲しかった。そしてそれは私の手でそうしたかった」
「ヘルマン様……」
まさかそう言われるとは思わなかったクルトは目を真ん丸にして私を見つめていた。
「本当は今、傷心のあなたに私の気持ちを打ち明けるつもりもありませんでした。それは傷ついたあなたに対して卑怯だと思ったからです。
ですがあなたが私のすぐ側にいてくれるこの状況で、私は恥ずかしながらも浮かれてしまいました。嬉しくてついつい、今までやりたかったことをあなたにしていたんです」
「じゃあ服を買ってくださったのも、本を買ってくださったのも、演奏を聴きに行ったりしたのも…?」
「そうです。あなたを着飾ったり、好きな物を贈ったり、楽しい時間を共有したり。私がずっとあなたとそうしたかったのです。それが思わぬ形で叶ってしまった。私はただただ浮かれていただけの、間抜けな男なんですよ」
こう言葉にするとよくわかる。自分はなんて滑稽な男なんだろうか。
「私は毎日必死で頑張るあなたの姿に好感を持ちました。あんな風にご両親を亡くし辛い幼少期を過ごしたにも関わらず、ひたむきに前を向いて笑っているあなたに恋をしました。それがあなたへ色々と行った理由です。
私はあなたへ気持ちを打ち明けましたが、今すぐに返事が欲しいわけではありません。今はゆっくりと心の傷を癒して欲しいのです。そして傷が癒えてまた誰かと恋をしたいとそう思った時、私の事を考えて欲しいのです。
もし他の誰かを好きになったとしても、私はそれを応援します。私の願いはあなたが幸せになることですからね」
もう全てを話してしまおう。私がクルトに対してどう思っているのかを。心から大切に想っているのだと。
「…僕は一度結婚をした身です。この体も綺麗な体じゃありません。それにヘルマン様は貴族です。僕はあなたに相応しくない」
「あなたもご存知でしょうが、私は4男です。結婚するもしないも、どんな身分の人と結婚しようと関係ないのですよ。私の両親も、私の結婚については諦めてますし好きにしろと言われています。
あなたが私に相応しくないというのは間違いですし、あなたの体を汚いなどと思ったことは一切ありません。どんなあなたでも、私にとっては世界一素敵な人ですから」
結婚していた事実を消す事は出来ない。だがそれでクルトが穢れたことにどうしてなるのだろうか。穢れていたのはあのクズ共だ。
「もう一度言いますが、返事は今すぐはいりません。ゆっくりと心を癒してください。ただ、私があなたにしたいことをこのままさせていただけると嬉しいです。どうかそのことを許していただけませんか?」
「……ずるい。ずるいですそんなの。僕はどうお返しをすればいいんですか」
お返し何て望んでいないのに。あなたが側にいてくれればそれだけでいいのに。
「お返しは要らないのですが、それであなたが困るのならそうですね……。膝枕、してくれませんか?」
「膝枕…?」
「それで私は十分ですし、とてつもないご褒美ですよ」
それはいつかして欲しいと思っていたこと。お返しをどうしてもしたいというのなら、私の望みを叶えてもらおう。クルトに膝枕をして貰う事を想像するだけで、自然と顔がにやけてしまっていた。
それからすぐにクルトの離縁が成立した。こんなに嬉しいことはないので、お祝いだとその日は使用人達に伝え食事も豪勢な物を用意させた。
クルトは持ち前の明るさで使用人達とも徐々に打ち解けていった。今では私の気持ちを知らない使用人はいない為、それとなく私のサポートをしてくれるようになった。有難い。
毎日ずっとクルトと一緒。それがこんなにも楽しく心躍ることだとは。
どこにも出かけずただ家でゆっくりと過ごす。言葉数が少なくとも、その空気感がとても気持ちが良い。クルトがいるだけで全ては変わっていくのだ。
それにお返しと称した膝枕。初めてして貰った時は天にも昇る気持ちだった。
持ち帰って来た仕事の書類を片手に膝枕を楽しむ。「それじゃあ仕事しにくくないですか?」と聞かれたが「これ以上になく捗っています」と答えた。実際は膝枕中は感触を楽しむのに精いっぱいで書類の内容など頭に入らない。だが膝枕が終わり自室に戻った後、本当にこれ以上なく捗るのだ。だから私の回答は間違いではない。
そして1月、3月、半年と月日は流れていった。クルトと共に過ごす毎日で、更に彼への気持ちは膨れ上がった。
「お前は本当に毎日が楽しそうだな」
「ええ。これ以上になく、毎日が楽しくて楽しくて。ありがとうございます、宰相様」
宰相様には私とクルトが上手くいくよう、ささやかながら手を貸してもらっていた。今までの私の働きで信頼を勝ち取った結果だ。
「クルトもあの後しばらくは沈みがちだったが、今ではすっかり明るくなった。これからもクルトの事を頼んだぞ」
宰相様はクルトを自分の子供だと思っているんじゃないかと思うくらい、クルトの事を気にかけている。冤罪で両親が処刑されたあの事件。それを止められなかった罪滅ぼしだけではなさそうだ。
クルトの人柄がそうさせているのだろう。自分の子供、とまではいかなくとも、この部署内の誰しもがクルトの事を好ましく思っている。
そのクルトが夫と親友にされた仕打ち。それを知って怒りを覚えた者は数知れず。そして私がクルトを特別慕っていることも皆にバレているため、応援という名の冷やかしを受けている。
『早く押し倒せ』だの『キスはまだか?』だの好き勝手言っては騒いでいる。私だって早くそうしたいのはやまやまだ。だがそれでクルトに嫌われてしまっては本末転倒。ゆっくり気持ちを傾けて貰えるよう努力しているのだ。
そうして日々を過ごしていくうちに、クルトも私の事を意識し始めている手ごたえがあった。手を繋げば赤くなり、膝枕の時は目を合わさない。
意識している。私を1人の男として意識している。
もうすぐだ。もうすぐで私のところへ落ちてくる。
だがそれで焦ってはいけない。自分で言ったことを反故にするわけにはいかないのだ。
そう自分を律していたものの、クルトの様子が段々と変わって来た。ため息をつくことが多くなったのだ。
何を考えてため息をついているのか。それが私とのことならいいのだが…。
「はぁ……」
「クルト、どうしたんですか? 最近ため息ばかりついているような気がしますが、何か心配事でもあるんですか?」
とうとう見かねて尋ねてみることにした。一緒に生活をするようになって1年。私たちの距離はかなり近くなり、気心も知れてきたと思う。相談もしやすいだろう。
「あ、いえ………何でもありません」
ばつが悪そうな顔で何でもないと。クルトは人に迷惑をかけることを嫌う。きっと孤児院生活があったからこそ、そう強く思うのかもしれない。
「何でもないわけじゃないでしょう? ここ最近、ずっとため息ばかりついていますよ。表情も優れませんし、何かあったのなら話してください。あなたの力になりたいんです」
どんなことであれ、力になりたいのは本当だ。どんなに小さなことでもクルトの悩みなら聞いてあげたい。
「僕は………いえ、やっぱり言えません」
そっと手を握り「相談してほしい」と畳みかけた。
すると少し迷った挙句、諦めたのか重い口を開いた。
「……ヘルマン様は、僕の事が好きだと言ってくれました。それは今でもそう思っているんですか?」
「はい、もちろんです。あの時から、いえ、それより前から私の気持ちは変わっていませんよ」
むしろ想いは増すばかりだ。
「僕はこの1年程、ずっとここに住まわせてもらってヘルマン様と過ごしていて、毎日が本当に楽しくて幸せでした」
そう思ってくれて本当に嬉しく思う。あの時に負った心の傷が癒えたのならこんなに嬉しいことはない。
「あんなに辛いことがあったのに、今の僕はその時の悲しさ、悔しさはもうありません。ヘルマン様のお陰です。ありがとうございます」
「いいえ、あなたが少しでも救われたのなら心から嬉しいと思います」
「いつも変わらず僕の側にいてくれて、僕は寂しさを感じることはありませんでした。毎日心が温かくて居心地が良くて、ずっと続けばいいなと思ってしまったんです」
ずっと続けばいい。クルトがそう思ってくれたという事は――。
「僕はヘルマン様の事が好きです。好きになってしまいました。でもその言葉を言っていいものか迷っていました。だって僕はヘルマン様に相応しいとは思えないから。一度結婚して、体も綺麗じゃない。こんな僕なのに、ヘルマン様に想いを伝えていいんだろうかって」
好き…。今、私の事が好きだと、はっきりそう言った。でも本当に? 幻聴ではなく?
「クルト………すみません、もう一度言っていただけますか?」
「え……? 一度結婚して――」
「違います! その前、その前です!」
もう一度、はっきりと聞きたい。私の聞き間違いじゃないと証明してほしい。
「えと…ヘルマン様の事が好き、です」
「……本当ですか?」
「はい。ですが僕はそれを――」
「クルト!!」
「わっ!?」
やった! やった! ついにクルトが私のことを好きだと! 自らそう言ってくれた! 喜びが体中を巡り、クルトを思いっきり抱きしめてしまう。
「ああ、なんということでしょうか! その言葉をどれほど待っていたか…。今まで生きて来た人生の中で、これほど幸福を感じたことはありません!」
「へ、ヘルマン様…。でも僕は……」
「私に相応しくない、とそう思っているのですよね。ですが、私はそう思いませんしきっと他の人もそうは思っていませんよ」
「へ……?」
同僚たちの冷やかしや煽りがどれほどだったか。皆私たちの事を陰ながら見守って応援してくれていたことを教えてあげなければ。
「あなたは一度結婚していたことを気にしている。そして自分の体は汚いからと。私も正直言えば清い体ではありません。今まで誰とも経験がない、なんてことはないんです。あなたはそんな私を汚いと思いますか?」
「思いません! 思う訳がありません!」
「それと同じです。私もあなたのことを汚いなどと思いません。思ったこともありません。身分差のことを考えているのなら、以前も言いましたがそれも問題ありません。
それならば、大事なのは私とあなたの気持ちがどうなのか、ではありませんか?」
私たち以外の誰かがどう思うかよりも、私たち2人がどう思うのか。重要なのはそれだけだ。
「私はあなたのことが好きです。愛しています。クルト、あなたは私の事を好きだと言ってくれましたね。それに間違いはありませんか?」
「はい。ヘルマン様の事が好きです。大好きです」
「ああ、クルト。ならば私と恋人になってくれますか? あなたの恋人だと名乗る権利を与えてくれませんか?」
「……はい。僕も、ヘルマン様と恋人になりたい、です」
「クルト!」
ようやく私の願いが叶った。あなたを恋人だと、愛しい人だと堂々と言える。
絶対に誰にも渡さない。死ぬまでずっと、あなたを愛して愛して甘やかして。ずっと私だけを見てくれるように。
ここまで長かった。だけどもう私のものだ。私だけの。
愛しい人を手放さないよう、抱きしめる腕の力は自然と籠った。
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なんとなく(?)似てるけど別のお話として読んで頂ければと思います^ ^
2020.05.29
完結しました!
読んでくださった皆さま、反応くださった皆さま
本当にありがとうございます^ ^
2020.06.27
『SS・ふたりの世界』追加
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