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5・告白と
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食事の後、話があると言うとそのまま僕の部屋へと一緒に向かった。ソファーに腰掛けると僕は口を開いた。
「ヘルマン様。本当にここまでしていただいてありがとうございます。すごく嬉しいのですが、これ以上はどうご恩をお返しすればいいのかもわかりません。食事も自分で用意出来ますし、僕にこれ以上のことはなさらないでください。ヘルマン様の負担にはなりたくないのです」
「……私には負担でも何でもありません。昨日も言いましたが、私がやりたくてやっているのです。あなたが気にすることではありません」
困ったように笑いながらも、昨日と同じ言葉を仰るヘルマン様。
「どうしてですか? どうして僕にここまでしてくださるのですか? 同情ですか? 僕が可哀そうな目にあったから? だったらやめてください。僕はもう大丈夫です。同情でこんなことされても僕は困ります…」
「クルト………本当は今はまだ言うべきではないと思っていたのですが」
そう言うとヘルマン様は立ち上がり、僕の前へとやってくると膝を付き優しく僕の手を取った。
「私があなたに色々としているのは同情なんかじゃありません。私はあなたの事が好きなのですよ」
「………え?」
「あなたの事が好きです。恋情です。ずっと恋焦がれていたんです。でもあなたには夫がいた。だから私はこの気持ちを打ち明けるつもりはありませんでした。あなたを困らせるつもりなど一切ありませんでした。
ですがあんなことがあり、あなたは夫と別れる決意をした。傷ついたあなたをあのままにしておけなかった。辛い思いをした分、あなたには幸せになって欲しかった。そしてそれは私の手でそうしたかった」
「ヘルマン様……」
そんなまさか。ヘルマン様が、僕を好き……?
「本当は今、傷心のあなたに私の気持ちを打ち明けるつもりもありませんでした。それは傷ついたあなたに対して卑怯だと思ったからです。
ですがあなたが私のすぐ側にいてくれるこの状況で、私は恥ずかしながらも浮かれてしまいました。嬉しくてついつい、今までやりたかったことをあなたにしていたんです」
「じゃあ服を買ってくださったのも、本を買ってくださったのも、演奏を聴きに行ったりしたのも…?」
「そうです。あなたを着飾ったり、好きな物を贈ったり、楽しい時間を共有したり。私がずっとあなたとそうしたかったのです。それが思わぬ形で叶ってしまった。私はただただ浮かれていただけの、間抜けな男なんですよ」
そう言って眉尻を下げ、「滑稽でしょう?」とくすりと笑った。
「私は毎日必死で頑張るあなたの姿に好感を持ちました。あんな風にご両親を亡くし辛い幼少期を過ごしたにも関わらず、ひたむきに前を向いて笑っているあなたに恋をしました。それがあなたへ色々と行った理由です。
私はあなたへ気持ちを打ち明けましたが、今すぐに返事が欲しいわけではありません。今はゆっくりと心の傷を癒して欲しいのです。そして傷が癒えてまた誰かと恋をしたいとそう思った時、私の事を考えて欲しいのです。
もし他の誰かを好きになったとしても、私はそれを応援します。私の願いはあなたが幸せになることですからね」
こんな気持ちのこもった告白をされたのは初めてだ。どうしよう。僕は今、すごく嬉しいと思っている。でも。
「…僕は一度結婚をした身です。この体も綺麗な体じゃありません。それにヘルマン様は貴族です。僕はあなたに相応しくない」
「あなたもご存知でしょうが、私は4男です。結婚するもしないも、どんな身分の人と結婚しようと関係ないのですよ。私の両親も、私の結婚については諦めてますし好きにしろと言われています。
あなたが私に相応しくないというのは間違いですし、あなたの体を汚いなどと思ったことは一切ありません。どんなあなたでも、私にとっては世界一素敵な人ですから」
う……どうしよう。ここまで言われて心臓がうるさいほどになっている。顔も絶対に真っ赤になってるはずだ。だって、顔が、体が、燃えるように熱くなっている。
「もう一度言いますが、返事は今すぐはいりません。ゆっくりと心を癒してください。ただ、私があなたにしたいことをこのままさせていただけると嬉しいです。どうかそのことを許していただけませんか?」
「……ずるい。ずるいですそんなの。僕はどうお返しをすればいいんですか」
そんな風に言われたらもうダメですなんて言えるわけないじゃないか。
「お返しは要らないのですが、それであなたが困るのならそうですね……。膝枕、してくれませんか?」
「膝枕…?」
そんなものでお返しになるのか? 簡単すぎる気がするんだけど。
「それで私は十分ですし、とてつもないご褒美ですよ」
ヘルマン様はそう言って見た事のないほどの満面の笑みを見せた。
ヘルマン様から衝撃の告白を受けた1週間後。役所から離縁が成立した連絡が来た。これで晴れて僕は独身に戻った。ヘルマン様も「良かったですね」と言ってくれて、その日はお祝いだといつも以上のご馳走が夕食に登場した。
屋敷の使用人たちからも「おめでとうございます」と言われてなんだか不思議な気分だった。
心機一転、仕事もますます力を入れて働くようになった。帰りの時間を気にする必要もなくなったためすごく働きやすくなった。ただもっと仕事をしようと思ってもヘルマン様に止められて家に帰ることになるのだけど。せっかく時間が取れるのだから働きたいと言ったら、働きすぎだと注意されてしまった。
僕達は朝一緒に朝食を摂り、同じ馬車で出仕する。僕はヘルマン様付きだから仕事も一緒。昼食も一緒に摂り、帰りも同じ馬車で帰る。そして夕食も一緒に摂る。
休日の晴れた日は一緒に外へ散策に出かけたり、雨が降れば一緒に部屋の中で本を読んだりして過ごす。
おまけに毎日1時間ほど、ヘルマン様に膝枕をすることになった。その間僕は買ってもらった本を読み、ヘルマン様は仕事の書類を眺めている。
「それじゃあ仕事しにくくないですか?」と聞いたら「これ以上になく捗っています」と言われてしまった。そうは見えないんだけど…。
仕事でも休日でも、1日ずっとヘルマン様と一緒にいることになった。
ヘルマン様はずっと僕と一緒にいてつまらないと思う事はないのかと不思議に思い、そう聞いてみたら「楽しいと思いこそすれ、つまらないとは思いません」とはっきりと言われた。そう言われてドキドキしたのと同時に、僕もヘルマン様と過ごす時間が心地よくて毎日一緒にいることが苦でないことに気が付いた。
でもいずれ僕に飽きるだろうと思っていた。いくら僕の事が好きだと言っても、ずっと毎日一緒だと飽きる日が来るんだろうと。
だが僕の予想と反して1ヵ月、3ヵ月、半年過ぎてもヘルマン様は変わらなかった。それどころか「毎日がとても楽しいです」と嬉しそうに笑う。
僕がお願いしたことで、最初ほどあれやこれやと贈り物をしたりすることは減ったものの、ささやかな気遣いやちょっとした差し入れは増えた気がする。
休日に僕が本を読みたいと言えば、それに合わせてくれるし強引に連れまわしたりすることはない。
この屋敷での生活にも慣れてしまった。使用人の皆さんとも仲良くなって、たまにキッチンでプロの料理人に教えて貰いながら料理を作ったりもする。どうあがいても本職の人には敵わないが、ヘルマン様に食べて貰うと美味しいと言ってくださる。もっと食べたいからまた作って欲しいとも。そして調子に乗ってまた作って食べて貰っている。
こうして日々を過ごすこと1年。もうフリッツの事を思い出すこともほとんどなくなった。
今の僕はヘルマン様の事で頭がいっぱいだ。あの言葉の通りずっと僕の側にいてくれて、何も話さなくともその場にいるだけでとても安心する。
ヘルマン様に笑いかけられるとすごく嬉しい。手を繋がれるとそれだけで心臓がドキドキして真っ赤になる。膝枕してるときはヘルマン様の顔を見ることが出来ない。
もう僕は完全にヘルマン様に恋に落ちていた。
ヘルマン様はそれに気が付いているかもしれない。僕は自分の気持ちを上手く隠せている自信がないから。
だけど僕に返事を聞かせて欲しいと聞くことはなく、僕が自分から言うのを待っているような気がする。
でも言っていいのだろうか。僕は一度結婚して体も綺麗じゃないのに。
『あなたが私に相応しくないというのは間違いですし、あなたの体を汚いなどと思ったことは一切ありません』
前にこう言ってくれたことがあったけど、僕は僕自身をそう思えない。
ヘルマン様への気持ちは膨れるばかりなのに、その気持ちを持て余すようになってしまった。
どうしよう。本当は言いたい。あなたの事が好きです、と。だけど言ってはいけない気がする。ヘルマン様にはもっと相応しい人がいるだろうから。
それからの僕はため息をつくことが増えた。ちょっと手が空くと、その事ばかりを考えてそしてやるせなくなってため息をつく。その繰り返しだ。
「はぁ……」
「クルト、どうしたんですか? 最近ため息ばかりついているような気がしますが、何か心配事でもあるんですか?」
いつものようにソファーで膝枕をしていた時だ。僕は本を読んでいたのだけど、全く頭に入ってこなくて癖になったため息が出ていたらしい。心配したのだろうか、ヘルマン様がそう声を掛けて来た。
「あ、いえ………何でもありません」
「何でもないわけじゃないでしょう? ここ最近、ずっとため息ばかりついていますよ。表情も優れませんし、何かあったのなら話してください。あなたの力になりたいんです」
膝枕の態勢から身を起こし、僕の顔を覗き込んでくる。その顔は本当に心配していると物語っていて、僕は申し訳なくなった。
「僕は………いえ、やっぱり言えません」
意を決して言おうと思ったが、すんでのところで思いとどまる。だけどそれを見逃してくれるヘルマン様ではなかった。手を握られ「私に相談してほしい」と言われて、このまま言わずにいられないんだろうなと思った。
「……ヘルマン様は、僕の事が好きだと言ってくれました。それは今でもそう思っているんですか?」
「はい、もちろんです。あの時から、いえ、それより前から私の気持ちは変わっていませんよ」
ずっと僕の事を好きでいてくれている。こんなに毎日一緒にいて飽きることなく気持ちが変わらない。
一度結婚した僕を、綺麗な体じゃない僕を。ずっとずっと変わらず好きでいてくれている。それが心の底から嬉しいと思う。
「僕はこの1年程、ずっとここに住まわせてもらってヘルマン様と過ごしていて、毎日が本当に楽しくて幸せでした」
「はい……」
ヘルマン様に握られた手が熱い。
「あんなに辛いことがあったのに、今の僕はその時の悲しさ、悔しさはもうありません。ヘルマン様のお陰です。ありがとうございます」
「いいえ、あなたが少しでも救われたのなら心から嬉しいと思います」
僕が言ったことを聞いて安堵してくれたのか、ほっとした笑みを見せてくれた。
「いつも変わらず僕の側にいてくれて、僕は寂しさを感じることはありませんでした。毎日心が温かくて居心地が良くて、ずっと続けばいいなと思ってしまったんです」
「クルト…」
「僕はヘルマン様の事が好きです。好きになってしまいました。でもその言葉を言っていいものか迷っていました。だって僕はヘルマン様に相応しいとは思えないから。一度結婚して、体も綺麗じゃない。こんな僕なのに、ヘルマン様に想いを伝えていいんだろうかって」
「クルト………すみません、もう一度言っていただけますか?」
「え……? 一度結婚して――」
「違います! その前、その前です!」
ヘルマン様の握る手に力が籠る。必死に訴えるその表情は、いつもと違って余裕が無いように見えた。
「えと…ヘルマン様の事が好き、です」
「……本当ですか?」
「はい。ですが僕はそれを――」
「クルト!!」
「わっ!?」
僕はいきなりヘルマン様に強く抱きしめられてしまった。泣きじゃくったあの日から、久しぶりのヘルマン様の腕の中。僕はすっぽりとその中に納まってしまう。
「ああ、なんということでしょうか! その言葉をどれほど待っていたか…。今まで生きて来た人生の中で、これほど幸福を感じたことはありません!」
「へ、ヘルマン様…。でも僕は……」
「私に相応しくない、とそう思っているのですよね。ですが、私はそう思いませんしきっと他の人もそうは思っていませんよ」
「へ……?」
他の人…って誰の事?
抱きしめていた体を少し離して近距離で見つめられる。ヘルマン様の瞳が綺麗で吸い込まれそうだ。
「あなたは一度結婚していたことを気にしている。そして自分の体は汚いからと。私も正直言えば清い体ではありません。今まで誰とも経験がない、なんてことはないんです。あなたはそんな私を汚いと思いますか?」
「思いません! 思う訳がありません!」
「それと同じです。私もあなたのことを汚いなどと思いません。思ったこともありません。身分差のことを考えているのなら、以前も言いましたがそれも問題ありません。
それならば、大事なのは私とあなたの気持ちがどうなのか、ではありませんか?」
頬に添えられた手が温かい。その大きな手に包み込まれるとどうしてこんなにも安心するんだろうか。
「私はあなたのことが好きです。愛しています。クルト、あなたは私の事を好きだと言ってくれましたね。それに間違いはありませんか?」
「はい。ヘルマン様の事が好きです。大好きです」
「ああ、クルト。ならば私と恋人になってくれますか? あなたの恋人だと名乗る権利を与えてくれませんか?」
「……はい。僕も、ヘルマン様と恋人になりたい、です」
「クルト!」
そしてまた僕はヘルマン様に抱きしめられた。さっきよりも強く、でも苦しくない力加減で。
僕もまた、ヘルマン様の背中に腕を回す。抱きしめられることはあっても、抱きしめ返したことは一度もなかった。だけど僕もヘルマン様を抱きしめていいんだ。そうしてもいいんだ。
「ヘルマン様。本当にここまでしていただいてありがとうございます。すごく嬉しいのですが、これ以上はどうご恩をお返しすればいいのかもわかりません。食事も自分で用意出来ますし、僕にこれ以上のことはなさらないでください。ヘルマン様の負担にはなりたくないのです」
「……私には負担でも何でもありません。昨日も言いましたが、私がやりたくてやっているのです。あなたが気にすることではありません」
困ったように笑いながらも、昨日と同じ言葉を仰るヘルマン様。
「どうしてですか? どうして僕にここまでしてくださるのですか? 同情ですか? 僕が可哀そうな目にあったから? だったらやめてください。僕はもう大丈夫です。同情でこんなことされても僕は困ります…」
「クルト………本当は今はまだ言うべきではないと思っていたのですが」
そう言うとヘルマン様は立ち上がり、僕の前へとやってくると膝を付き優しく僕の手を取った。
「私があなたに色々としているのは同情なんかじゃありません。私はあなたの事が好きなのですよ」
「………え?」
「あなたの事が好きです。恋情です。ずっと恋焦がれていたんです。でもあなたには夫がいた。だから私はこの気持ちを打ち明けるつもりはありませんでした。あなたを困らせるつもりなど一切ありませんでした。
ですがあんなことがあり、あなたは夫と別れる決意をした。傷ついたあなたをあのままにしておけなかった。辛い思いをした分、あなたには幸せになって欲しかった。そしてそれは私の手でそうしたかった」
「ヘルマン様……」
そんなまさか。ヘルマン様が、僕を好き……?
「本当は今、傷心のあなたに私の気持ちを打ち明けるつもりもありませんでした。それは傷ついたあなたに対して卑怯だと思ったからです。
ですがあなたが私のすぐ側にいてくれるこの状況で、私は恥ずかしながらも浮かれてしまいました。嬉しくてついつい、今までやりたかったことをあなたにしていたんです」
「じゃあ服を買ってくださったのも、本を買ってくださったのも、演奏を聴きに行ったりしたのも…?」
「そうです。あなたを着飾ったり、好きな物を贈ったり、楽しい時間を共有したり。私がずっとあなたとそうしたかったのです。それが思わぬ形で叶ってしまった。私はただただ浮かれていただけの、間抜けな男なんですよ」
そう言って眉尻を下げ、「滑稽でしょう?」とくすりと笑った。
「私は毎日必死で頑張るあなたの姿に好感を持ちました。あんな風にご両親を亡くし辛い幼少期を過ごしたにも関わらず、ひたむきに前を向いて笑っているあなたに恋をしました。それがあなたへ色々と行った理由です。
私はあなたへ気持ちを打ち明けましたが、今すぐに返事が欲しいわけではありません。今はゆっくりと心の傷を癒して欲しいのです。そして傷が癒えてまた誰かと恋をしたいとそう思った時、私の事を考えて欲しいのです。
もし他の誰かを好きになったとしても、私はそれを応援します。私の願いはあなたが幸せになることですからね」
こんな気持ちのこもった告白をされたのは初めてだ。どうしよう。僕は今、すごく嬉しいと思っている。でも。
「…僕は一度結婚をした身です。この体も綺麗な体じゃありません。それにヘルマン様は貴族です。僕はあなたに相応しくない」
「あなたもご存知でしょうが、私は4男です。結婚するもしないも、どんな身分の人と結婚しようと関係ないのですよ。私の両親も、私の結婚については諦めてますし好きにしろと言われています。
あなたが私に相応しくないというのは間違いですし、あなたの体を汚いなどと思ったことは一切ありません。どんなあなたでも、私にとっては世界一素敵な人ですから」
う……どうしよう。ここまで言われて心臓がうるさいほどになっている。顔も絶対に真っ赤になってるはずだ。だって、顔が、体が、燃えるように熱くなっている。
「もう一度言いますが、返事は今すぐはいりません。ゆっくりと心を癒してください。ただ、私があなたにしたいことをこのままさせていただけると嬉しいです。どうかそのことを許していただけませんか?」
「……ずるい。ずるいですそんなの。僕はどうお返しをすればいいんですか」
そんな風に言われたらもうダメですなんて言えるわけないじゃないか。
「お返しは要らないのですが、それであなたが困るのならそうですね……。膝枕、してくれませんか?」
「膝枕…?」
そんなものでお返しになるのか? 簡単すぎる気がするんだけど。
「それで私は十分ですし、とてつもないご褒美ですよ」
ヘルマン様はそう言って見た事のないほどの満面の笑みを見せた。
ヘルマン様から衝撃の告白を受けた1週間後。役所から離縁が成立した連絡が来た。これで晴れて僕は独身に戻った。ヘルマン様も「良かったですね」と言ってくれて、その日はお祝いだといつも以上のご馳走が夕食に登場した。
屋敷の使用人たちからも「おめでとうございます」と言われてなんだか不思議な気分だった。
心機一転、仕事もますます力を入れて働くようになった。帰りの時間を気にする必要もなくなったためすごく働きやすくなった。ただもっと仕事をしようと思ってもヘルマン様に止められて家に帰ることになるのだけど。せっかく時間が取れるのだから働きたいと言ったら、働きすぎだと注意されてしまった。
僕達は朝一緒に朝食を摂り、同じ馬車で出仕する。僕はヘルマン様付きだから仕事も一緒。昼食も一緒に摂り、帰りも同じ馬車で帰る。そして夕食も一緒に摂る。
休日の晴れた日は一緒に外へ散策に出かけたり、雨が降れば一緒に部屋の中で本を読んだりして過ごす。
おまけに毎日1時間ほど、ヘルマン様に膝枕をすることになった。その間僕は買ってもらった本を読み、ヘルマン様は仕事の書類を眺めている。
「それじゃあ仕事しにくくないですか?」と聞いたら「これ以上になく捗っています」と言われてしまった。そうは見えないんだけど…。
仕事でも休日でも、1日ずっとヘルマン様と一緒にいることになった。
ヘルマン様はずっと僕と一緒にいてつまらないと思う事はないのかと不思議に思い、そう聞いてみたら「楽しいと思いこそすれ、つまらないとは思いません」とはっきりと言われた。そう言われてドキドキしたのと同時に、僕もヘルマン様と過ごす時間が心地よくて毎日一緒にいることが苦でないことに気が付いた。
でもいずれ僕に飽きるだろうと思っていた。いくら僕の事が好きだと言っても、ずっと毎日一緒だと飽きる日が来るんだろうと。
だが僕の予想と反して1ヵ月、3ヵ月、半年過ぎてもヘルマン様は変わらなかった。それどころか「毎日がとても楽しいです」と嬉しそうに笑う。
僕がお願いしたことで、最初ほどあれやこれやと贈り物をしたりすることは減ったものの、ささやかな気遣いやちょっとした差し入れは増えた気がする。
休日に僕が本を読みたいと言えば、それに合わせてくれるし強引に連れまわしたりすることはない。
この屋敷での生活にも慣れてしまった。使用人の皆さんとも仲良くなって、たまにキッチンでプロの料理人に教えて貰いながら料理を作ったりもする。どうあがいても本職の人には敵わないが、ヘルマン様に食べて貰うと美味しいと言ってくださる。もっと食べたいからまた作って欲しいとも。そして調子に乗ってまた作って食べて貰っている。
こうして日々を過ごすこと1年。もうフリッツの事を思い出すこともほとんどなくなった。
今の僕はヘルマン様の事で頭がいっぱいだ。あの言葉の通りずっと僕の側にいてくれて、何も話さなくともその場にいるだけでとても安心する。
ヘルマン様に笑いかけられるとすごく嬉しい。手を繋がれるとそれだけで心臓がドキドキして真っ赤になる。膝枕してるときはヘルマン様の顔を見ることが出来ない。
もう僕は完全にヘルマン様に恋に落ちていた。
ヘルマン様はそれに気が付いているかもしれない。僕は自分の気持ちを上手く隠せている自信がないから。
だけど僕に返事を聞かせて欲しいと聞くことはなく、僕が自分から言うのを待っているような気がする。
でも言っていいのだろうか。僕は一度結婚して体も綺麗じゃないのに。
『あなたが私に相応しくないというのは間違いですし、あなたの体を汚いなどと思ったことは一切ありません』
前にこう言ってくれたことがあったけど、僕は僕自身をそう思えない。
ヘルマン様への気持ちは膨れるばかりなのに、その気持ちを持て余すようになってしまった。
どうしよう。本当は言いたい。あなたの事が好きです、と。だけど言ってはいけない気がする。ヘルマン様にはもっと相応しい人がいるだろうから。
それからの僕はため息をつくことが増えた。ちょっと手が空くと、その事ばかりを考えてそしてやるせなくなってため息をつく。その繰り返しだ。
「はぁ……」
「クルト、どうしたんですか? 最近ため息ばかりついているような気がしますが、何か心配事でもあるんですか?」
いつものようにソファーで膝枕をしていた時だ。僕は本を読んでいたのだけど、全く頭に入ってこなくて癖になったため息が出ていたらしい。心配したのだろうか、ヘルマン様がそう声を掛けて来た。
「あ、いえ………何でもありません」
「何でもないわけじゃないでしょう? ここ最近、ずっとため息ばかりついていますよ。表情も優れませんし、何かあったのなら話してください。あなたの力になりたいんです」
膝枕の態勢から身を起こし、僕の顔を覗き込んでくる。その顔は本当に心配していると物語っていて、僕は申し訳なくなった。
「僕は………いえ、やっぱり言えません」
意を決して言おうと思ったが、すんでのところで思いとどまる。だけどそれを見逃してくれるヘルマン様ではなかった。手を握られ「私に相談してほしい」と言われて、このまま言わずにいられないんだろうなと思った。
「……ヘルマン様は、僕の事が好きだと言ってくれました。それは今でもそう思っているんですか?」
「はい、もちろんです。あの時から、いえ、それより前から私の気持ちは変わっていませんよ」
ずっと僕の事を好きでいてくれている。こんなに毎日一緒にいて飽きることなく気持ちが変わらない。
一度結婚した僕を、綺麗な体じゃない僕を。ずっとずっと変わらず好きでいてくれている。それが心の底から嬉しいと思う。
「僕はこの1年程、ずっとここに住まわせてもらってヘルマン様と過ごしていて、毎日が本当に楽しくて幸せでした」
「はい……」
ヘルマン様に握られた手が熱い。
「あんなに辛いことがあったのに、今の僕はその時の悲しさ、悔しさはもうありません。ヘルマン様のお陰です。ありがとうございます」
「いいえ、あなたが少しでも救われたのなら心から嬉しいと思います」
僕が言ったことを聞いて安堵してくれたのか、ほっとした笑みを見せてくれた。
「いつも変わらず僕の側にいてくれて、僕は寂しさを感じることはありませんでした。毎日心が温かくて居心地が良くて、ずっと続けばいいなと思ってしまったんです」
「クルト…」
「僕はヘルマン様の事が好きです。好きになってしまいました。でもその言葉を言っていいものか迷っていました。だって僕はヘルマン様に相応しいとは思えないから。一度結婚して、体も綺麗じゃない。こんな僕なのに、ヘルマン様に想いを伝えていいんだろうかって」
「クルト………すみません、もう一度言っていただけますか?」
「え……? 一度結婚して――」
「違います! その前、その前です!」
ヘルマン様の握る手に力が籠る。必死に訴えるその表情は、いつもと違って余裕が無いように見えた。
「えと…ヘルマン様の事が好き、です」
「……本当ですか?」
「はい。ですが僕はそれを――」
「クルト!!」
「わっ!?」
僕はいきなりヘルマン様に強く抱きしめられてしまった。泣きじゃくったあの日から、久しぶりのヘルマン様の腕の中。僕はすっぽりとその中に納まってしまう。
「ああ、なんということでしょうか! その言葉をどれほど待っていたか…。今まで生きて来た人生の中で、これほど幸福を感じたことはありません!」
「へ、ヘルマン様…。でも僕は……」
「私に相応しくない、とそう思っているのですよね。ですが、私はそう思いませんしきっと他の人もそうは思っていませんよ」
「へ……?」
他の人…って誰の事?
抱きしめていた体を少し離して近距離で見つめられる。ヘルマン様の瞳が綺麗で吸い込まれそうだ。
「あなたは一度結婚していたことを気にしている。そして自分の体は汚いからと。私も正直言えば清い体ではありません。今まで誰とも経験がない、なんてことはないんです。あなたはそんな私を汚いと思いますか?」
「思いません! 思う訳がありません!」
「それと同じです。私もあなたのことを汚いなどと思いません。思ったこともありません。身分差のことを考えているのなら、以前も言いましたがそれも問題ありません。
それならば、大事なのは私とあなたの気持ちがどうなのか、ではありませんか?」
頬に添えられた手が温かい。その大きな手に包み込まれるとどうしてこんなにも安心するんだろうか。
「私はあなたのことが好きです。愛しています。クルト、あなたは私の事を好きだと言ってくれましたね。それに間違いはありませんか?」
「はい。ヘルマン様の事が好きです。大好きです」
「ああ、クルト。ならば私と恋人になってくれますか? あなたの恋人だと名乗る権利を与えてくれませんか?」
「……はい。僕も、ヘルマン様と恋人になりたい、です」
「クルト!」
そしてまた僕はヘルマン様に抱きしめられた。さっきよりも強く、でも苦しくない力加減で。
僕もまた、ヘルマン様の背中に腕を回す。抱きしめられることはあっても、抱きしめ返したことは一度もなかった。だけど僕もヘルマン様を抱きしめていいんだ。そうしてもいいんだ。
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