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3・訣別の涙

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「ん……」

 ふと目が覚めると知らない場所にいた。びっくりして起き上がると恐ろしいほどの頭痛に襲われる。

「いったぁ……」

 なんでこんなに頭が痛いんだろう…。それにここがどこだか全くわからない。僕は昨日どうしたんだっけ……。

「クルト、目が覚めましたか」

「!? ヘルマン、様……?」

 呼ばれた方を見るとヘルマン様がベッドの横で本を読んでいたらしい。

「ここは、どこですか?」

「ここは私の家ですよ。昨日あなたを保護したんです。さ、二日酔いの薬ですよ。これを飲んでしばらくゆっくりしていなさい」

 ヘルマン様は立ち上がるとベッド脇においてある水差しからグラスに水を注ぎ僕に手渡す。そしてそれを受け取ると薬も渡されたので一緒に飲んだ。
 それを見届けるとまた僕を横にして頭を撫でてくる。

「さ、今日は仕事はお休みです。今しばらく、ゆっくりとおやすみなさい」

 起きたばかりなのに撫でられる手が気持ちよくて僕はうつらうつらとし始めた。どうしてここにいるのか、昨日何があったのか思い出さないといけないのに…。


 そして数時間寝た後、信じられないほど痛かったあの頭痛はすっかり収まっていた。
 隣を見るとヘルマン様の姿はなく、どうしようか迷ったけどとりあえずベッドから降りて人を探すことにした。

 見つけた扉を開けるともう一つ部屋があって、そこのソファーにヘルマン様が座っていた。

「クルト、おはようございます。気分はどうですか?」

「はい。お陰様でもうすっかりよくなりました。ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

「気にしないでください。お腹は空いていませんか? 良ければ一緒に食事はいかがです?」

 そう言われた途端、僕のお腹はくぅっと音を立てた。

「……すみません。ありがたくいただきます」

「ふふ。はい。では用意させましょう」

 それから用意してもらった食事に舌鼓を打ち、美味しい食事をいただいた。僕が二日酔いだったことを考慮してか、胃に優しいあっさりとした食事だった。
 
 食事を摂りながら僕は昨日の事を思い出していた。いくらショックだったとはいえ、関係のないヘルマン様には大変な迷惑をかけてしまった。僕を保護してくれただけじゃなく、あんな子供みたいに泣け叫んで気持ちをぶつけて。

「…昨日は本当にすみませんでした。このご恩は必ずお返しいたします」

「いえ。気にしないでください。私が好きでやったことですから」

 ヘルマン様は本当に優しい。優しすぎるくらいに優しい。
 昨日は僕を大切な人だと言ってくれた。ただの部下なのに、なぜかそれ以上に感じてしまって慌ててその可能性を打ち消した。

 僕みたいな情けない男を好きになるような人じゃない。勘違いするな。

「昨日の事は覚えているんですね。クルトはこれからどうしたいですか?」

「え?」

「フリッツさんと、別れたいと思いますか?」

「フリッツと……」

 昨日の事は本当にショックだった。信じていた2人に裏切られたんだ。僕はあの2人を許せるだろうか。

『クルトより俺の方が良いって言ってたじゃんか!』

 昨日のデニスの言葉。フリッツは僕よりもデニスが良いと言っていたんだ。そして僕とフリッツが愛し合ったあのベッドで、僕がいない間にデニスを抱いていた。きっと初めてなんかじゃない。何度も何度も、ああやって僕がいない時に2人は愛し合っていた。

「僕はあの2人を許せません。もうあの家にも帰れません。僕は……フリッツと別れようと思います」

「…そうですか、わかりました。あなたのその選択を応援しますよ」

「ありがとう、ございます」

 それから僕はあまり時間を空けたくなかったのと、仕事が休みの内に片づけてしまいたくて夕方に家に帰ることにした。夕方であればフリッツも帰ってきているだろうから、会って話をするつもりだ。

 するとヘルマン様が「あなた1人では心配ですから一緒に行きます」と言ってくれた。正直このままフリッツに会うのは怖かったから、その申し出はかなり有難かった。

 そして夕方。
 僕とヘルマン様は僕の家へと向かった。玄関を開ければフリッツはリビングにいて、僕の姿を見つけると駆け寄って来た。

「それ以上近づかないでください」

 それを見たヘルマン様は、僕の前にスッと出てフリッツを止めてくれた。

「なんだあんたは…?」

「私はウォルテア・ヘルマンと申します。クルトの上司です。昨日、彼が町にいたところを保護しました。それで事情は聞いて知っていますので、私もこの場に同席させていただきます」

「おいクルト! お前どういうつもりだ!?」

「……フリッツ。それは僕のセリフだよ。デニスとはどういうつもり? いつから2人はそういう関係だったの?」

「だからアレはあいつに無理やりっ…」

「違うよね。僕よりデニスの方が良いって言ってたんでしょう? 昨日が初めてじゃないよね? いつから?」

 ヘルマン様が側にいてくれるだけで僕はすごく勇気を貰っている。僕1人で来たら、絶対こんな風に言う事は出来なかっただろう。

「ク、クルト…っ! 悪かった! 2人で話し合おう。な?」

「それは無理だよ。あんなところを見て、あんな2人を知って、僕はもうフリッツとはいられない」

「クルト! もうしないから! デニスとは別れる! だからっ…」

 ヘルマン様は口を挟まない。僕の事をちゃんと見届けてくれている。

「ごめん、フリッツ。僕、もう2人を信じることが出来ないんだ。だから別れよう」

「ま、待ってくれ! 別れたら俺っ……金が、金が要るんだ! だから別れたら困るんだよ! 頼む! 別れるなんて言わないでくれ!」

「お金……? どういうこと? 借金とかしてなかったよね…?」

「ぐ……」

 フリッツは言いづらそうに口を開いては閉じてを繰り返すだけになった。だけど意を決したのか重い口を開いた。

「デ、デニスが…賭博で大負けしたんだ。それで…その借金を、俺が払うって、言ってて……」

「は…? なに…? デニスの借金を、フリッツが肩代わりしてるってこと…?」

「あ、ああ…。クルトは国の役人だし給金だっていいだろ? だから俺が払ってやるって…言ってて…」

「信じらんない……」

 僕が稼いだお金を、浮気相手の借金に充ててたってこと…!? そのお金はフリッツとの生活に使うための物で、関係ないデニスに、浮気相手に使ってたなんて信じられない!!

「最低……フリッツ、もう無理だよ。僕は別れるから。ここまでされてよりを戻す何てあり得ないよ!」

 もう完全に吹っ切れた。こんな奴の為に僕は今まで頑張って来てたなんて…っ!

「な……てめぇ! 俺はなぁ! お前の親が犯罪者だって知ってんだぞ!? それで処刑されて孤児院に入れられて、かわいそうなお前を俺が娶ってやったんだぞ! それをっ……」

「口を慎めッ!!」

「ぐふっ!」

「!!!」

 今の今まで黙って聞いていたヘルマン様が、フリッツを殴った…。自分よりも大きな体のフリッツを…いつも温厚で優しくて怒ったことなんて一度も見た事がないヘルマン様が……殴った。

「黙って聞いていれば適当なことを! クルトの両親が捕まって処刑されたことは事実です! ですがそれは冤罪で黒幕が捕まった時は既に3年が経っていました。それはこちらの落ち度です。クルトとご両親には本当に申し訳ないことをしました。
 なのにあなたは自分の伴侶に対してよくもそんなことをっ……! 恥を知りなさいッ!!」
 
「ってぇな…! てめぇ! こんなことしてタダで済むと思ってんのかッ! 訴えてやってもいいんだぞ!」

「どうぞお好きになさい。あなたに訴えられたところで痛くもかゆくもありませんよ。訴えたらあなたがクルトにしたこと全てがバレますね。あなたにそれを受け止める度胸があるなら好きにやりなさい。堂々と受けて立ちましょう」

「くそっ……!」

「あなたの受けた痛みはクルトの心の痛みです。正直全然全く足りてませんがね。
 クルト行きましょう。これ以上あなたをこの男の前に居させたくありません」

 そう言ってヘルマン様は僕を守るように肩を抱いて家を後にした。そしてそのまま馬車に乗り込みヘルマン様の家へと向かう。

「クルト、あんなことを言われて辛かったでしょう…」

「……いえ、僕は大丈夫です」

「私の前では嘘を付かなくていいんですよ。あんなこと言われて平気な訳がありません。私でさえ、怒りで手が出たほどなんですから」

「ヘルマン様……」

 フリッツを殴った手が赤くなっている。ヘルマン様だって相当痛かっただろうに…。僕の為にあんなに怒ってくれた。それが嬉しいだなんて不謹慎だろうか。

「本当は……僕も怒りで気が狂いそうでした。まさか借金まで肩代わりしていて、それが僕のお金で返済していたなんて…。
 でもおかげで吹っ切れました。もう気持ちに整理が付きました。でも……でもっ…。昨日までは好きだったんですっ…。今までの僕のこの気持ちが、やるせなくてっ……すみません……うううっ」

「いいんですよ。今はいっぱい気が済むまで泣きなさい。その涙と共に、あんな男への気持ちなんて流してやりなさい」

 そしてまたヘルマン様の腕の中で僕は号泣した。

 さよなら。僕の恋心。さよなら。僕の旦那様だった人。さよなら。僕の親友だった人。もうあなたたちとは関わらず、僕は立派に生きていきます。
 だから今だけ、訣別の為の涙を流させてください。あなた達のことで流す涙は、これが最後だから。
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