ネアンデルタール・ライフ

kitawo

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移住

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平地人の村で見た小麦畑のことを、
ふと思い出す。
森を追い出された人類たちは、
平野に出て小麦と出会った。
アジアであれば稲だ。
育成が易しく、
大量に生産できる上に保存がきく。
冬を越すことができる。

森は違う。
冬になれば木の実はなくなり、
魚は川底に潜み、
獣は山の奥へ籠る。

我ら森のネアンデルタール人は
哀れなキリギリス。
しかし、アリに憐れみを乞うわけにはいかない。
憐れみを乞えば、殺される。
兄や、トビの子や、タンのように。

冬が来る直前のこの時期に、
移住をするのは初めてではない。
我ら部族も何度か森を移ってきた。
秋の間に食料を貯めるだけ、
それを持って次の森へ移る。

しかし、予定が急に決まった今回は、
準備万端というわけにはいかない。

移住予定の場所は決まっている。
最初の平地人の襲撃があった後、
何人かの仲間が森の奥へ入り、
候補地を見つけていた。

平地人から人質を奪ったことで、
いったんは流れたその計画を実行に移す。

森の長はマフとゾマ、そして他の息子や娘とともに崖の割れ目を広げている。
奥行きをもたせ、ここを洞窟状にするためだ。
他の仲間も、それぞれ棲みかを作る。
大木の枝と枝の間に大きな葉を何枚も乗せ、
テントのようなものを作るのだ。

僕もルネと二人で棲みかを作る。
ルネは起用にも、
いくつもの蔓をねじってロープのようなものを作ってくれた。
太い枝どうしをそれで結び、
その上から細い枝を重ねて屋根を作った。

「素晴らしい家ダ。」

様子を見に来たマフが感心して言った。
けど、おかしい。
長の家がまだ完成していないのに、
わざわざ僕の家の様子を?

「ルイ、話がある。」

そう促して、僕がルネから離れると

「おまえの妹を妻にもらウ。」
と言ったから驚いた。
マフには既に妻がいる。
だから妹は二人目の妻となる。

ネアンデルタール人に限らず、
この時代の人間は男(雄)の方が少ないとされている。
男は種族同士の争い、
もしくは猛獣の狩りのさいなどに死にやすいからだ。
だから、一夫多妻は珍しくない。

義理の兄になるのか。
不思議な感じだ。
もっとも、この時代にはそんな言葉も感覚もない。

「大切にしてやってくれ。」
妹は、現代人の僕の視点からいうと、
まごうことなきゴリラに近い。
ただ、部族の若い雄からは人気があった。

「もちろんだが、おまえはどうすル?」

マフの言葉の意味がよくわからなかった。
問い重ねてみると、
僕は妻をめとらないのか、ということだった。

「ゾマもおまえの妹を欲しがっていた。知っているか?」

知っている。
ゾマはマフの弟だが、マフよりも知能が低い。
ただ、食料を集めるのは得意で、
妹に何度も鳥や魚を持ってきてくれていた。
ゾマにも妻が一人いるが、
二人目の妻として僕の妹を狙っていた。

マフが言うには、
僕の妹がゾマでなくマフを選んだため、
ゾマは別の雌を二人目の妻にしようとしているらしい。
それが
「死んだタンの妻だ。」
とマフは言う。

タンは平地人の罠にあい、命を落とした。
現代人の感覚で言えば未亡人だが、
この時代にはそこまでの倫理観はない。
新しい夫を見つけて、ともに子を育てるのだ。

「その話と、僕になんの関係が?」
おまえはどうする、と言われた後の話題だったので、
僕はそこが気になっていた。

「タンの妻はおまえのことが気になっているらしい。」

飛び上がりそうなくらいに驚いた。
想像もしていない展開だ。
タン本人には色々と助けてもらった思い出があるが、
その妻とはほとんど話した記憶がない。
僕のことが気になっているというのは、
マフではなくゾマが本人から聞いたらしい。

僕の妹に振られ、自分の兄にそれを取られ、
別の雌に声をかければそんなことを言われ。
ゾマがかわいそうになった。

「僕にその気はないから、ゾマの妻になるように言ってあげてほしい。」

僕は断った。
当然だ。
だって僕は現代人、美的感覚が違いすぎる。

「おまえ、まさかルネを妻にしようと思っているのカ?」

マフの問いに驚いた。

「やめておけ、あんな細い女は。しかも平地人だぞ。」

ネアンの美的感覚の基準はそこにあると僕はにらんでいる。
子供がたくさん産めるような、
身体の大きい雌が好まれる。
僕の妹なんかはまさにそのタイプだ。

マフの指摘通り、ルネは細くて小さい。
理由はそれだけではないが、
僕は彼女が好きだ。
図星なので、マフに何も言い返せなかった。

「ルイよ。おまえがそう思うならそうすればいイ。」

マフは兄のような優しい目で僕を見ていた。
ドキリとした僕の立場は、それで救われた。

「それよりルイ。おまえは父と話をしたカ?」
「いや、長とは特に何も…。」
「違う、おまえの父ダ。」

人質のルネを殺すかどうかで意見が別れて以来、
僕は父に避けられている。

「あの森に残ると言っているゾ。こちらにも来ていない。」
「えっ!」

確かに父の姿を見ていない。
僕は自分の棲みかを造るのに夢中で、
父は父で勝手にやるだろうとばかり思っていた。

教えてくれたマフに礼を言うと、
僕は元の森へ向かった。


 ー続くー
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